第4章

炎竜



「……つまらないわ」

 女性は足元に広がる漆黒と、そこに浮かぶ蒼球を見つめながら小さく呟いた。

「全然、駒たちが顔を会わせないじゃない! このままだと、いつまで経っても本格的な『遊び』が始まらないわ!」

「確かに、駒を入れ替えたせいか、今回はいつもよりのんびりした展開だね」

 女性の呟きに、彼女の隣で同じように足元を見つめていた男性もまた、肩を竦めつつも女性に同意する。

「どうするつもり? このままだと、駒たちが顔を会わせるのはまだ先になりそうよ?」

 確かに駒の片方がやや動いたようだが、それでも二つの駒が実際に顔を会わせるのはまだまだ先になりそうだった。

「仕方ない、ちょっとだけテコ入れをしようか。なに、『下』にはあの二人以外にも駒がいるわけだし」

「あいつらは駒じゃなくて信徒、でしょ?」

「信徒もまた、駒の一つだよ」

 くすくすと笑う女性を、男性は楽しそうに目を細めつつ眺める。

 だが、男性のその表情に、僅かながらも翳りが浮かんだことに、女性は目ざとく気づいた。

「……どうしたの?」

「いや……ちょっとあいつのことを思い出してね。あいつがここに残っていたら、今後この『遊び』をどう展開させたものかと思ってさ」

「……彼のことは言わないで」

 露骨に顔を顰める女性。そんな女性を、男性は相変わらずだなと心の中で溜め息を吐く。

「だけど、もしもあいつがこの場にいたら、今まで以上に楽しくなっていたと思わないかい? あいつ自身は過去に自分の駒や勢力を持つことはなかったが、二つの勢力を程よく混乱させ、より複雑で楽しいものにしてくれた。今回だってあいつがいれば、よりおもしろくなっていたと思わないか?」

「そうかもしれないけど……彼はこの『遊び』に飽きて、自らここを出ていったのよ?」

 私を残して、というその一言は、女性の心の中でだけ響いた。だが、女性が浮かべる表情から、男性は彼女の心境を容易く見抜いていた。

「やれやれ。まだあいつに未練があるのかい?」

「彼のことは言わないでと言っているでしょ? それより、『遊び』を続けましょうよ」

「そうだね。じゃあ……どの駒に『神託』を下そうか?」

 男性と女性の視線が、再び足元へと向けられた。漆黒の中に浮かぶ、蒼い球体へと。




 炎竜。

 それは最強の生物とも呼ばれる竜種の中でも、五百年以上生きた成竜で、その体内に炎の魔力を秘めた竜のことを意味する。

 口から吐き出される炎は、この世界に存在する炎の中でも最も高温と言われ、どんなものでも焼き尽くす。

 おそらく、ジョーカーが作ったクロガネノシロでさえ、炎竜が吐き出す炎には耐えられないだろう。

 また、竜の鱗はどんな鉱物よりも硬いと言われており、伝説や御伽噺などに登場する竜を倒すには、神々が鍛えた神剣や、聖なる力を秘めた聖剣が必要となる場合が多い。もちろん、実在する竜を倒すのに神剣や聖剣は必要ないが、それでもそんじょそこらの剣や槍では、竜の鱗を貫くことはできないのは間違いない。

 攻撃力と防御力、そして空を飛べるという機動力。その全てが非常に高いことこそ、炎竜の特徴だ。その炎竜が、今代の《魔物の王》を名乗っているというのだ。

 こいつを放っておくわけには、当然ながらいかないよな。




 その炎竜は、ある日突然ザックゥたちが暮らしていた塒を襲い、仲間であるトロルたちを焼き殺したという。

「本当にあれは突然だったな。俺様たちはこの森のもっと奥に根城を構えていたんだが、その根城に炎竜が襲ってきやがったんだ」

「それで、炎竜がおまえらを襲った理由は分かるか?」

「知らねえよ。突然現れて、一方的に炎を吐きかけてきやがったんだ。もちろん、俺様たちだって黙ったままじゃなかったさ。だが、相手は空飛ぶ炎竜だ。正直、全く手が出なかったぜ」

 ひょいと肩を竦めるザックゥと、ザックゥの言葉に何度も頷いている手下のトロルたち。

 確かに遠距離攻撃手段の乏しいトロルたちでは、空中にいる炎竜に抗うのは難しかっただろう。

 結局、トロルたちの長であるザックゥは、早々に逃げ出すことを選んだそうだ。まあ、いい判断と言えるだろう。敵わない相手と無謀な戦いをする必要なんてないわけだしな。

「で、逃げ出した俺様たちを見て、その炎竜は笑いながら言いやがったのさ」

『ほほほ。力なき愚か者どもが逃げていきよるわ。まあ、仕方あるまいて。この我……今代の《魔物の王》たるこの我と互角に戦える者など、この森の中にはおらんだろうからの』

 うーん……何ていうか……ザックゥの話を聞いただけでは、その炎竜が「あいつ」とはちょっと思えないな。

 少なくとも俺の知っている「あいつ」は、ザックゥの話の中に出てきた炎竜のような、ちょっと変な口調じゃなかった。

 まあ、俺の知らないところで、「あいつ」に何らかの変化があった可能性は捨てきれないが、おそらくその炎竜は「あいつ」じゃなさそうだ。

 それでも、一応その炎竜とは一度会っておくべきだろう。もしかすると、その炎竜が「あいつ」である可能性もが消えたわけじゃないからな。

 とはいえ、今すぐその炎竜がいるであろう場所へ行くわけにもいかない。昨日あれだけの戦闘をしたんだ。みんな疲れているだろうし、人間の町へと行っているクースと隊長のこともある。レダーンの町では行商人と会って何か情報を得ているかもしれないし、まずはあの二人と合流してからだな。

 早速、ジョーカーに頼んでクースと連絡を取ってもらおう。

 背後にいるジョーカーへと振り返ると、奴は虚空をぼんやりと見つめながら何やらぶつぶつと呟いていた。

 あ、これ、俺知っている。ジョーカーの奴が使い魔と交信する時、こんな風になるんだよな。ってことは、誰かが使い魔を通して連絡してきたってことか。

「クースちゃんから連絡だよ」

 しばらく待っていると、我に返ったジョーカーが俺を見てそう言った。

 おっと。こちらから連絡するまでもなく、向こうから連絡してきたか。これは丁度いいな。

「それで、クースと隊長はもう戻って来られるのか?」

「うん、どうやら足止めをくらっていたのは、互助会を統轄する第三皇子の命令だったみたいだ」

 第三皇子? それって確か、今代の《勇者》とか言われている奴だろ? そんな偉い人物が、どうしてクースや隊長と?

「それが、隊長くんが貴重な魔獣の素材ばかりをレダーンに持ち込むから、そこに目をつけたみたいだね」

 俺たちにしてみれば、修行兼食事の余りでしかない魔獣の素材だが、人間からすれば極めて貴重であり稀少でもある。

 そんな素材ばかりを持ち込む隊長に、互助会の頭目でもある第三皇子が目をつけたってわけか。

 ま、想定していた理由ではあるな。もっとも、隊長に目をつけたのがまさか帝国の第三皇子だったとは思わなかったが。

「それで、クースと隊長はどうなったんだ?」

「もう少し魔獣の素材を互助会に納入して欲しいという要望と、今後も活躍を期待しますって言葉を賜ったそうだよ。普通に考えれば、帝国の第三皇子と直接面会して言葉を交わし、激励されたんだからとても名誉なことだよねぇ」

 確かにジョーカーの言う通りだろう。野心のある人間であれば、これを機に皇子に取り入ろうと考えるかもしれない。

 だけど、クースや隊長はそうは考えないだろう。まあ、そうしたいのであれば、それでもいいけど。でも、あの二人はそうしないだろうな。

「しかし、その第三皇子とやらも暇なのか? わざわざこんな辺境まで来るなんてな」

「それだけ、隊長くんが持ち込む素材が貴重ってことなんだろうね。でも、それだけでわざわざ皇族が帝都を離れるかな?」

 うーむ、その第三皇子の人となりを知らないから何とも言えないが、ひょっとすると相当な変わり者なのかもしれないな。

 変わり者って奴は、どんな時代のどんな国にだっているものだし。

「まあ、いい。それより、クースたちを迎えに行くか」

「おう、任せろ! いつでも出かけられるように準備しておくぜ」

 ムゥの奴がどんと胸を叩いて請け負う。クースたちが森の外縁部に着くより早く、こっちが外縁部に着くようにしないといけない。

 俺は黒馬鹿三兄弟とその騎獣である突風コオロギを従えて、早速クースと隊長を迎えに行くことにした。




 リュクドの森の外縁部にて、俺たちは無事にクースや隊長と合流できた。

 だが。

「……え、えっと……?」

「……り、リピィ……さん……?」

 クースと隊長が、俺を見て戸惑っていた。あ、そうか。この二人は俺が進化したことを知らなかったからな。

 それに、ユクポゥやパルゥが進化したのは見たことあるだろうが、俺が進化したのを見るのは初めてだし。

「おう、そうだぞ。ようやく進化したんだ」

 右手の親指でぐっと自分を指差し、にやりと牙を剥く。

「へえ、本当に姿が変わるんですねぇ」

「でも、リピィさんっぽいところはそのままって感じですね」

 間近でじろじろと俺を見る隊長と、にこやかな笑みで俺を見下ろすクース。

 くそ、やっぱりまだクースの方が背が高いか。いつか追い抜いてやる。

「それより、さっさとリーリラの集落に戻るぜ? いろいろと説明しなきゃならないことがあるしな」

 トロルのこととか、炎竜のこととか、いろいろあるからな。それに、二人からもレダーンの町での出来事を聞きたいところだ。

「よし、行こうか……ん? どうした、クゥ?」

 俺が声をかけると、森の一点をじっと睨みつけていたクゥが首を傾げながらこっちを見た。

「いや、アニキ……何か自分でもよく分からんが、何となく変な感じがするんだよ……」

 なんだと? 黒馬鹿の末弟であるクゥは、俺たちの中では妙に勘が鋭い。

 たかが勘。されど勘。勘を馬鹿にしてはいけない。俺自身、自分や仲間の勘で命拾いしたことは、これまで何度もあるのだ。

 勘の鋭いクゥが何か変に感じるということは、森の中に異変でも起きているのかもしれない。

「ムゥ、ノゥ、おまえたちは何か感じるか?」

「いや、俺は何も感じないぜ?」

「俺もだな、リピィのアニキ」

 ムゥとノゥは首を傾げるばかりだ。当然俺も何も感じないし、クースと隊長も同様だ。

 だが、ここで気のせいだと断定するわけにはいくまい

「よし、最高速度で集落に戻るぞ。ジョーカーの奴なら何か気づいているかもしれないからな」

「合点だ!」

 俺たちは突風コオロギに乗り、大急ぎでリーリラ氏族の集落へと戻ることにした。




 結局、集落に戻って皆に聞いてみたが、特に異変は起きていないらしい。

 もしかして、本当にクゥの気のせいだったのか? まあ、何も起きていないのなら、それにこしたことはないからな。でも、一応気には留めておこう。

 ともかく、クースたちと合流した俺は、いよいよ炎竜と会うための準備にとりかかるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る