閑話 辺境の勇者2
ゴルゴーク帝国、帝都。
その帝都の中央に聳え立つは、この国の頂点たる皇帝がおわす帝城だ。
その広大な帝城の一室で、帝国第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴークは、忙しそうに執務に励んでいた。
「失礼します」
第三皇子の執務室に、彼の側近の一人が入ってきた。
「城下の互助会より、報告書が届いております」
「ご苦労様です。こちらへ持ってきてくれますか?」
書類から目を離すことなく、側近にそう告げるミルモランス。
それまで取り掛かっていた仕事に一区切りつけ、ミルモランスは先程届けられた互助会からの報告書に目を通し……その表情が突然険しくなる。
「…………至急、互助会の本部に向かいます。準備を」
「はっ!!」
傍に控えていた側近が、素早く応えて準備にとりかかる。
その間、第三皇子の視線はじっと互助会からの報告書に注がれ、そして、彼は誰にも聞こえないような小さな声でそっと呟いた。
「…………《辺境の勇者》……もしかして……これは『君』なのですか?」
彼がそう呟いたのは、隊長とクースがレダーンの町を訪れる少し前のことだった。
「どうしましょうか、隊長さん?」
「どうするったってよ、嬢ちゃん。相手はこの国の皇子様なんだぜ? 断ることなんてできねえよ」
「そうですよねぇ……」
互助会のレダーン支部より宿屋へ帰って来た隊長とクースは、互いに向き合ったまま大きな溜め息を吐き出した。
互助会を統括するのは、ゴルゴーク帝国第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴーク。それは互助会に所属する冒険者であれば、誰もが知っていることである。
その第三皇子より、直々の面会の申し出である。一介の冒険者に、これを断ることなどできないだろう。
「とにかく、しばらくはこの町で足止めらしい。何でも、ミルモランス殿下がわざわざこのレダーンまでお越しくださるようだし、逃げ出すわけにもいかねえよ」
普通であれば、第三皇子であるミルモランスが動くのではなく、隊長の方が皇子がいる帝都へと足を運ぶべきだろう。それを向こうから来てくれるというのだから、それだけ皇子が隊長に注目しているという証拠でもあった。
果たして、どういう理由で第三皇子が隊長にそこまで注目しているのか、全く不明だが。
「嬢ちゃんは、ゴブリンの旦那に連絡しておいてくれ。しばらくこの町で足止めされるってな」
「はい、分かりました」
クースは肩に乗っていた野鼠を掌へと移し、その野鼠へと語りかけた。
この野鼠はジョーカーが作り出した使い魔であり、本物の野鼠ではなく魔像である。しかし、さすがはジョーカーが手掛けた魔像だけあり、本物の野鼠そっくりな見かけと動きをしていた。
「……はい……はい、そうです。互助会からの要請で、しばらくこの町で足止めを……」
掌に乗せた野鼠に、真剣な様子で話しかけるクース。事情を知らなければ、ちょっとおかしな光景だろう。
やがて、クースが報告を終えると、野鼠は再び彼女の肩へと移動した。
「話はできたかい?」
「はい、ジョーカーさんに、しばらくこの町で足止めされることを伝えました」
「骸骨の旦那に、足止めの理由は言ったか?」
「い、いえ……第三皇子殿下直々の申し出で足止めされたなんて伝えると、リピィさんがこの町までやって来ちゃいそうで……」
「ははは、確かに嬢ちゃんには甘いあの旦那のことだから、皇子様と面会するなんて聞いたら、心配のあまり町の中だろうが飛び込んで来そうだよな」
「ええ……ですから、リピィさんには内緒にしておこうかと」
「確かに、その方がいいかもしれねぇな。ま、後で嬢ちゃんの口から本当のことを、ゴブリンの旦那に伝えておいてくれよ? でないと、俺がゴブリンの旦那にシメられちまうからな」
苦笑を浮かべる隊長と、それに頷くクース。
それから数日後。レダーンの町に、第三皇子が訪れるという先触れが到着したのだった。
数日前、互助会レダーン支部のゴルゴム支部長と顔を合わせた部屋で、隊長とクースは一人の貴人と対面していた。
二十歳に満たない年齢ながらも、その存在感はとてつもない。
銀に輝く髪と女性と見まごう美貌は、同性異性問わず視線を引き付けるだろう。実際、この部屋に足を踏み入れた隊長とクースは、思わずその貴人に見惚れてしまったのだから。
「面会の要請に応じてもらえて感謝します。僕がゴルゴーク帝国第三皇子……いえ、冒険者相互支援援助会を統括するミルモランス・ゾラン・ゴルゴークです。以後、よろしく、《辺境の勇者》リピィ殿」
そう言いながら、ミルモランスは右手を差し出した。その美貌の上に更に鮮やかな笑みを浮かべつつ。だが、その双眸の奥に何かを探るような真剣な光が宿っていることに、隊長もクースも気づいていない。
「あ、い、いえ、こちらこそ、よろしくお願いしますです……え、えっと……ミルモランス殿下」
ぎこちない仕草でミルモランスの右手を握り返しつつ、隊長はそう答えるのが精一杯だった。
「ははは、緊張しなくてもいいですよ……というのも無理がありますよね。ですが、今の僕は帝国の皇子ではなく、あくまでも互助会の統括者としてこの場にいますから」
そう言うミルモランスの背後には、護衛らしき騎士が一人だけ。
帝国皇子の護衛にしては、あまりにも数が少ない。それだけ背後の騎士の腕が立つのかもしれないが、おそらくは隊長に余計な圧力を与えないようにと、ミルモランスが配慮した結果だろう。
「互助会からの報告書を見ました。随分と活躍しているようですね」
「い、いやー、そんなことはねえですよ、はい」
視線を泳がせまくりつつ、何とか返事をする隊長。その隊長の態度に、ミルモランスは内心で溜め息を吐いた。
(どうやら、外れのようですね。この人物……《辺境の勇者》とやらは、『彼』ではない)
これまで、何度も何度も顔を会わせ、命を削りあってきた相手だ。たとえ姿がどれほど変わろうが、「彼」であればミルモランスにはすぐに分かる。そんな彼の感覚がはっきりと告げていた。
目の前のこの人物……《辺境の勇者》は、自分が求めている人物ではない、と。
期待していたことが外れ、ミルモランスは心の中で大きく落胆した。
失意を隠すように一瞬だけ伏せられた皇子の瞼が再び開いた時、彼は異様な雰囲気を放つ存在が、この部屋の中にいることにようやく気づいた。
今まで、《辺境の勇者》の正体を探ることばかりに気を取られ、その存在に気づくのが遅れてしまったのだ。
ミルモランスの宝石のような蒼い双眸が、そっとその存在へと注がれる。
《辺境の勇者》の隣に腰を下ろしている、ごく普通の町娘風の少女。その少女の箙のポケットから、顔を覗かせている小さな鼠へと。
「ところでリピィ殿。貴殿の隣の可愛らしい少女はどなたでしょう?」
「あ、ああ、いえね? ちょいと訳ありで、知人から預かっているんでさあ。依頼の内容はいくら皇子様でも明かせませんので、俺の護衛対象とでも思ってください」
「そうですか。確かに依頼内容を詮索するのは、冒険者の流儀から外れますからね」
笑顔を絶やすことなく、ミルモランスは答える。だが、その注意が少女から離れることはなかった。より正確に言えば、彼が注意しているのは少女ではなく鼠の方である。
(かなり緊張しているようですが、あの少女自身は特に何ということはない、ごく普通の少女のようです。ですが、ポケットから顔を覗かせている鼠……おそらくは使い魔ですね。しかも、この僕でさえ注意しないと気づけないほど精巧な魔像……一体、何者が製作したのでしょう?)
魔像という言葉が脳裏を掠めた時、ミルモランスはとある過去を思い出した。それは巨大な魔像が突如帝都に現れ、そのまま行方不明になった例の事件のことである。
(あの巨大魔像が逃げ込んだのは、僕の予想ではリュクドの森……そして、このレダーンの町はリュクドの森にほど近い……巨大魔像と鼠の魔像、二つの魔像の製造者が同じであるというのは……僕の思い過ごしでしょうか?)
表情には決して表すことなく、ミルモランスはその鋭い視線を鼠の魔像へと一瞬だけ注いだ。
「そ、それで、皇子様自らがわざわざ俺に会いに来てくださったのは……」
探るような視線をミルモランスに向けつつ、隊長は本題に切り込む。
「もちろん、あなたに興味があったからですよ。なかなか手に入れることのできない、リュクドの森の深部に生息する魔獣の素材……それらをいくつも入手してくるあなたに……互助会は、いえ、僕は期待しているのです」
隊長に向けて満面の笑みを浮かべるミルモランス。だがその意識は小さな鼠に向けられていた。
隊長とクースが退出するのを、ミルモランスは笑みのまま見送った。だが、彼らの背中が扉の向こうに消えた途端、その表情を険しくさせる。
「……どうかされましたか、殿下?」
背後に控えていた護衛が、主の変化に気づいて静かに問いかけた。
「……しばらく、あの者に手練れを一人、張りつかせておこうかと思いまして」
護衛は何も言わない。主であるミルモランスが決めたのであれば、彼にとってはそれが絶対正しいのだ。
「《蜘蛛》……いますか?」
「……ここに」
突然、部屋の中に一人の男性がどこからともなく現れる。
顔を覆面で覆っているので年齢は不明だが、ひょろりと背が高く、異様に手足の長い人物だった。
「ガルディ兄上の配下であるあなたに対し、僕は直接の命令権は持ちませんが……」
「お気になさらず、ミルモランス殿下。我が主より、殿下の言葉に従えと命じられておりますゆえ」
細い男は、第三皇子の言葉に床に這い蹲るようにしながら答え、そして現れた時と同じように唐突に姿を消した。
結局、《蜘蛛》と呼ばれた男の方を一度も見ることもなく、ミルモランスは先程の二人が消えた扉をじっと見続けていた。
あの《辺境の勇者》の技量は、大体見極めた。おそらくあの者の技量では、リュクドの森の深部の魔獣を、一人で狩ることはできないだろう。精々、
であれば、あの者の背後には深部の魔獣を狩ることができる誰かがいる、ということになる。
もしかすると、それは例の巨大魔像の製作者かもしれない。ミルモランスはそれを突き止めたかった。
(巨大魔像の製作者……もしかして、それこそが『君』なのですか? これまでの『君』は戦士であり、魔術を苦手としていましたが……今回の『君』は、以前とは少し違うのかもしれませんね)
ミルモランスの口元に、再び笑みが浮かぶ。
それは、先程までのような作り物の笑みではなく、正真正銘彼が笑ったからこその笑みだった。
「さあ、遅くなっちまったな。早く帰らないと、旦那が待ちくたびれていやがるぜ?」
「ええ、そうですね。行商人さんとの取引も無事に済みましたしね」
「旦那にはもう連絡してあるかい?」
「はい、リュクドの森の外縁部まで、迎えに来てくれるそうですよ」
レダーンの町を出た隊長とクースは、一路リュクドの森を目指していた。
二人が背負っている背嚢には、人間の町で入手した様々な物資が詰め込まれている。
もちろん、その中には例の行商人より入手した物資もある。行商人は物資の他にもいろいろな情報を入手していた。
とはいえその情報の中に、白いゴブリンが望む《魔物の王》に関するものは何もなかったのだが。
しかし、最近ゴルゴーク帝国のあちこちで、魔物たちが騒ぎ始めているという情報はあった。もしかするとその中に、《魔物の王》となる者がいるかもしれない。
「ま、そこを判断するのは旦那の仕事だよな」
肩を竦める隊長、そして、そんな隊長に苦笑を浮かべるクース。
二人は足取りも軽く、リュクドの森を目指す。
その背後に、付かず離れずの距離を保った「影」が一つ、ひっそりと張り付いていることに二人は全く気づいていなかった。
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