閑話 辺境の勇者1



 ゴルゴーク帝国の南西部、リュクドの森の程近くに存在する町、レダーン。

 南西部の主要街道が交わる宿場町であり、リュクドの森を狩り場とする冒険者が多く集まる、帝国南西部では有数の大きさを誇る町である。

 そのレダーンの町で、最近一つの噂がよく囁かれていた。

 それはこの町に時々姿を見せる、とある冒険者の噂だ。

 年齢は三十歳前後。厳つい髭面の男であり、どちらかというと盗賊の頭目のような風体の冒険者である。

 だがその冒険者は、このレダーンの町でも滅多に見ることのできない、稀有な魔獣の素材をいくつも持ち込むのだ。

 この町には数多くの冒険者がいる。だが、その冒険者たちでも、魔境と名高いリュクドの森の深部へは、決して足を踏み入れない。

 踏み入れたが最後、無事に帰って来られるかどうか分からないからだ。

 この町で暮らす冒険者たちのほとんどは、リュクドの森の外周部で活動する。それでも、リュクドの森にしか自生しない珍しい植物や、同じくリュクドの森だけの固有種である動物や比較的弱い魔獣を狩ることで、十分生活できるのである。

 だが、その冒険者が持ち込むのは、常に外周部よりももっと奥に棲息する、極めて凶暴な魔獣の素材ばかりなのだ。

 わんぐまひょうおおきばいのししそうとうだいじゃなど、レダーンに住む冒険者の中でも、上位に位置する者たちが集団で挑まねば太刀打ちできないような極めて強力な魔獣の素材ばかりを、その冒険者は常にレダーンの町へと持ち込む。

 持ち込まれた各種の素材のほとんどは、彼が懇意にしている行商人が買い取っているようだ。最近では、その行商人の元に何人もの商人が商談を持ち込んでいるらしい。もちろん、商人たちの目的は、件の冒険者から買い取った魔獣の素材である。

 商人の中には直接その冒険者に買い取りを願い出ているようだが、なぜかその冒険者は懇意にしている行商人にしか魔獣の素材を売らないのだ。

 おそらく、冒険者と行商人は相当親しい間柄なのだろう、と周囲の者たちは考えていた。だから、あの冒険者はどんなに好条件の商談を申し込まれようとも、決して他の商人とは取引をしないのだ、と。

 今のレダーンの町で、その冒険者のことを知らない者は少ない。同業者である冒険者や商人、酒場や宿屋を営む者は言うに及ばず、ごく普通の町の住民にまでその冒険者の噂は広がっていた。

 そして、いつしかその冒険者はレダーンの町ではこう呼ばれるようになった。

 いわく、《辺境の勇者》と。




 冒険者たちを統括支援する組織「冒険者相互支援援助会」、通称「互助会」。

 その互助会が支援する冒険者の店である〔勝利の祝杯亭〕に二人の人物が姿を見せた時、居合わせた冒険者たちの視線が自然とその二人へと集まった。

「おい、あれを見ろよ。あれが噂の《辺境の勇者》とやらだろ?」

「そうだけど……あいつの後ろにいる少女は誰だ? 確か、《辺境の勇者》は常に一人で活動しているって話じゃなかったか?」

「さあな。だけどあの娘、どうしたって冒険者には見えないから、《辺境の勇者》の恋人か情婦かってところじゃねえか?」

 《辺境の勇者》がこの町に姿を見せる時、これまでは常に一人であった。だが今日に限って、《辺境の勇者》は一人の少女を連れていたのだ。

 見た目の年齢は、成人したてかその前後、つまり十五歳ぐらいであろう。

 どことなく地味ではあるが、その表情には何やら芯のようなものが見え、生き生きとした表情を浮かべている。

 何故か肩に小さな野鼠をちょこんと乗せた、身なりこそ薄汚れた田舎の娘といった感じだが、肌や髪には艶があり、貧相なところは全く見受けられない。特に前方へと大きく自己主張している少女の胸部は、男性冒険者たちの視線を釘付けにしていた。

 もしかすると町娘に扮した良家の令嬢を、《辺境の勇者》が護衛しているのかもしれない。

 だが、だとするとあの肩に乗っている野鼠は、良家の令嬢には似つかわしくないのではないか。

 と、冒険者たちは興味深そうに《辺境の勇者》とその連れらしき少女へと視線を送り、ひそひそと囁き合う。

 果たしてそんな声が聞こえているのかいないのか、注目の二人は無言で店の奥へと進み、カウンターにいる店主へと声をかけた。

「よう、親父。また数日世話になるぜ」

「おお、あんたか。おや? 今日は一人じゃねえんだな」

 店主である禿頭の中年男性が、《辺境の勇者》の背後にいる少女へと視線を向けた。

「もしかして、あんたのイイヒトかい? それにしちゃちょっとばかり若すぎないか?」

「おいおい、馬鹿なこと言うんじゃねえよ。この嬢ちゃんは、俺が世話になったヒトからしばらく面倒を見るように頼まれたんだよ。この嬢ちゃんに何かあろうものなら、俺があのヒトにぶっ殺されちまうぜ」

 《辺境の勇者》は、ちょっと大袈裟にぶるりと身を震わせる。だが店主は、芝居がかったその仕草の中に、本当の恐怖や怖れといったものが潜んでいることに気づいた。

「へえ、あんたほどの人が世話になった人物で、そこまで怖れるような人物、ねぇ」

 興味津々といった様子の店主だが、詳しいことは聞かない。冒険者の過去や現在受けている依頼については、決して深く立ち入らない。それが冒険者の流儀だからだ。

「いつも通り、数日厄介になるぜ。ただし、今回は一人部屋を二つだ」

「あいよ。部屋は上だ」

 既に何度も繰り返されているやり取り。それを再び繰り返した《辺境の勇者》は、少女を従えて部屋のある上階へと続く階段へと足をかけた。

 その時。

「おっと、そうだった。互助会からあんたに言伝があったんだ。今度あんたが現れたら、互助会に顔を出して欲しいとよ」

「互助会にだと? なぜだ?」

「さあ? 俺もそこまでは知らんよ」

 肩を竦め、頭を左右に振る店主。《辺境の勇者》は、互助会からの伝言を訝しく思いつつ、部屋と続く階段を登っていった。




 《辺境の勇者》と呼ばれた冒険者は、借りた部屋へと入って旅装を解く。

 そして、椅子にどかりと腰を下ろした時、部屋の扉を控え目に叩く音がした。

「隊長さん? ちょっといいですか?」

「おう、クースの嬢ちゃんか。入んなよ」

 扉を開け、部屋の中にゆっくりと入ってきたのは、一緒に行動していた少女──クースである。

「隊長さんはこれから、互助会へと行くんですか?」

「そうなるな。一応、これでも互助会には加わっている以上、呼ばれたら行くしかねえよ」

 肩を竦める《辺境の勇者》……いや、隊長。

 彼らがこのレダーンを訪れているのは、もちろんリピィたちが修行中に入手した魔獣の素材を売り払うためだ。

 現在、リュクドの森の深部で修行中のリピィたち。彼らにとっては修行相手兼食料である魔獣の各種素材は、人間から見れば稀有なものであり、商人などからすればどうしても入手したい商品である。

 そのため、レダーンの商人たちは隊長に交渉を持ちかけたものの、全て断れてしまった。

 隊長にしてみれば、これらの素材は決して自分の物ではないのだ。そのため、勝手に売り捌くわけにはいかない。リピィから例の行商人と互助会にだけ売れと言われている以上、彼に魔獣の素材を他で売るつもりはない。

「俺が互助会へ行っている間、嬢ちゃんはどうする? 何か買い物でもしてくるか?」

 クースが隊長と共にレダーンを訪れたのは、やはり年頃の少女ならではの買い物があるからだ。当然ながら、隊長と一緒では何かと買いづらい商品もあり、それを買う時は、一人で買い物をするつもりだったクースである。

 だけど。

「できたら、私もご一緒してもいいですか? 行商人さんはまだこの町に到着していないようだし……それに、互助会って所がどんな所かちょっと見てみたいんです」

「別に俺は構わないぜ。だけど、それほどおもしろい所でもないからな?」

 僅かに苦笑を浮かべる隊長と、にっこりと微笑むクース。

 その後、旅装を解いた身軽な格好で、二人はこの町に存在する互助会を訪れるのであった。




 互助会の建物は、このレダーンの町の中央近くに存在していた。それだけ、この町の中で互助会が力を得ているということなのだろう。

 実際、この町の住民の四割近くが冒険者とその関係者だと言われている。住民の四割に睨みを利かせることができる組織が、力を有していないわけがない。

 その互助会の建物の扉を、隊長は慣れた様子で開いて中へと足を踏み入れる。

 レダーンの町へ来る度に、魔物の素材を売るためにここには訪れているのだ。当然ながら、隊長はここに慣れていた。

「あ、リピィ様。ようこそ、互助会レダーン支部へ」

 すっかり顔馴染みになった互助会の男性職員が、隊長の顔を見てにっこりと微笑む。

 対して、隊長の背後にいたクースは、隊長が職員から呼ばれた名前が気になったのか、眉をきゅっと寄せていた。

 それに気づいた隊長は、彼女にだけ聞こえるように小声で囁く。

「いや、あのな? そもそも、俺がここに持ち込む素材はゴブリンの旦那たちが狩ったものじゃないか。それがいつの間にか俺が狩ったことになっちまって、更には《辺境の勇者》なんて二つ名まで付いちまってよ……せめて、魔獣を狩った張本人の名前だけでも広めようと思って、ゴブリンの旦那の名前を使っているんだ。ま、俺なりの旦那への恩返しさ。もっとも、こんなことをしてもあの旦那は喜ばないかもしれないけどよ」

 耳元でそう囁かれつつも、クースはじとっとした視線を隊長へと注ぐ。だが、すぐにその視線も柔らかくなり、はぁと大きな溜め息を吐いた。

「確かに、リピィさんは勇者なんて呼ばれても、それほど喜びそうもないですよね」

 あの飄々とした変なゴブリンのことを思い出し、クースの胸の中がほんわりと温かくなる。

 リピィと別れてまだ一日も経っていないのに、早くも彼の顔が見たいと感じているクース。まさかゴブリン相手にこんな気持ちを抱くなど、彼と出会うまで考えられないことだった。

 もっともリピィと出会う前と言えば、母と二人で生きていくだけで精一杯だったのだが。

「どうぞ、こちらへ。後ろの方はリピィ様のお連れの方ですか?」

「おう、ちょっと訳ありでな。俺が世話になったヒトから預かっているんだ」

 男性職員が、クースに向けて軽く頭を下げる。対して、クースもまた同じように頭を下げた後、その職員に案内されて建物の奥へと通される。

 途中、建物内にいた冒険者たち──依頼を受けに来たり、素材を売りに来ていた──から無遠慮な視線を向けられたが、隊長とクースは全て無視した。

 そうして奥へと通され、とある部屋へと案内された隊長とクース。

 その部屋の中には、びしりとした身なりの人物がいた。どう見てもこの互助会の職員、それもかなり上の役職の人物だろう。

 その人物は、部屋の中に隊長とクースが入るのに合わせて立ち上がる。

「初めてお目にかかるな、リピィ殿……いや、《辺境の勇者》殿と呼んだ方がいいかね?」

「どっちでも好きにしてくれよ。で、あんたは?」

「これは申し後れた。私はここ、互助会レダーン支部を取り纏める支部長のゴルゴムと言う。以後、よしなに」

 そう言って差し出された右手を、隊長は取り敢えず握っておいた。

 ゴルゴムは、四十代半ばほどの男性で、がっちりとした体格からして、元は冒険者だったのかもしれない。冒険者が引退して互助会の職員となるのは、よくある選択なのである。

 そのゴルゴム支部長の勧めに従い、一目で値打ち物と分かる椅子へと二人は腰を下ろした。

「では、早速本題へと取りかかろうか。本日、リピィ殿にご足労願ったのは他でもない。この国の互助会を取り纏める人物が、貴殿に会いたいと申されておられるのだ」

「は? 互助会を取り纏める人物……だと? お、おい、そ、そいつはまさか……」

 ゴルゴム支部長の言葉を聞き、隊長は自分が震えていることを自覚した。

「左様、貴殿が考えている通りだ。このゴルゴーク帝国の第三皇子であらせられる、ミルモランス・ゾラン・ゴルゴーク殿下。その殿下が、貴殿との面会を申し出ておられるのだよ」



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