進化──ウォーロック
身体の中がずたずたになる感覚に、俺は地面をのたうち回る。
「がはははは! どうした、どうした、白いの! そんな所で転げ回っていないで、早く俺様の相手をしやがれ!」
そんな俺を見下ろして、ザックゥが笑う。しかも、奴はギーンが牽制のために乱発する魔術を躱しながら、だ。結構器用な奴だな、あいつ。
おっと、こっちはそれどころじゃない。今にも苦痛でトビそうな意識を、必死に繋ぎ止める。
まだか? まだ終わらないのか?
以前の時は、もっと短かったはずだぞ。一体、今度はどれだけ時間がかかるんだよ。
「うーん、随分と長くかかるねぇ。ユクポゥくんとパルゥくんの時は、もっと早く終わったはずだけど……」
苦しむ俺を間近で見ながら、ジョーカーが腕を組む。何呑気なこと言っていやがるんだよ。こちとら、必死にこの苦しみに耐えているっていうのに。
「リピィ様がこんなに苦し気に……なんて……なんて……あぁぁっ!!」
もちろん、こんなことを言いながら俺とは別の意味で苦しみ身悶えているのは、どこぞの真性である。もういい。こいつのことは無視だ。こいつのことを気にしている余裕は、今の俺にはないんだ。
歯を食いしばり、必死に自分自身を抑えつけるようにして耐える。そうでもしないと、俺の身体が内側から弾けてしまいそうだからだ。
自分が自分ではなくなるようなこの感覚は、以前に経験したとはいえ、そうそう慣れるものじゃない。特に俺のような、かつて人間だった記憶がある者には尚更だろう。
「あいつ」も、何度もこの感覚を味わってきたんだろうな。だったら、「あいつ」に耐えられて俺に耐えられないはずがないじゃないか。
かつて対峙した、様々な「あいつ」の顔が俺の脳裏を駆け抜ける。
竜や巨人など、様々な姿で俺の前に現れた「あいつ」。おそらく、今俺が味わっている苦痛を何十回何百回と味わった後に、俺の前に現れたはずだ。
だったら、俺も耐えてやろうじゃないか。「あいつ」にできたことが俺にできないなんて、考えただけでも頭がおかしくなりそうだ。
脳内でこれまでに見た「あいつ」の様々な顔を、片っ端からぶん殴り続けていた時。
俺の中で、何かがぱしんと弾けた。
「ぎぎっ!!」
ユクポゥが苦しげな声を発する。
兄弟が繰り出した槍の穂先が、トロルの胸板に大穴を穿つ。
ユクポゥが繰り出す槍は、以前よりも速く鋭い。槍の扱いに特化した種族へと進化したユクポゥが得たその「技術」は、人間で言えば達人級に匹敵する。
だが、それでもトロルを仕留めることはできない。ユクポゥが槍を引き抜くと、穿たれた大穴が見る見るうちに塞がっていく。ユクポゥの槍の穂先には今も炎が宿り、トロルの肉体を穿つと同時に焼いている。本来なら回復しないはずの炎による怪我が、瞬く間に回復していくのだ。
怪我を完全に回復させたトロルが、にやりとした侮蔑の笑みを浮かべながらユクポゥを見下ろす。
「ぎっ!! すぐ回復する! メンドい!」
「ぐはははははははっ!!」
吐き捨てるユクポゥ。哄笑するトロル。ユクポゥは再び槍を構え、無駄と分かっていてもその槍を何度も繰り出す。
「無駄だ、無駄だ! そんな程度では我らトロルを倒すことはできんぞ!」
哄笑するトロルが、手にした粗末な棍棒を乱暴に振り回して、ユクポゥの槍を弾き返す。たかが棍棒、されど棍棒。トロルの怪力で振り回されるそれは、ユクポゥの槍を弾き上げ、尚且つ命中すれば兄弟の頭をカチ割る威力を秘めている。
繰り出した槍を防がれたユクポゥは、大きく後ろへと下がって体勢を整えつつ、ちらりと俺のことを窺う。そして、牙を剥き出しにして笑みを浮かべた。
見れば、少し離れた所で戦っていたパルゥも、ユクポゥと同じように牙を剥いている。
さあ、兄弟。そろそろ反撃といこうぜ。
「うごごあああああああああああああっ!!」
ユクポゥと戦っていたトロルが、全身から炎を噴き上げて燃え上がった。
いくら炎に対して回復しようとも、全身が瞬く間に燃え上がっては回復は追いつかない。
一瞬で炭になったトロルは、地面に倒れた衝撃で砕け散る。
その直後、それまで喧噪が支配していた戦場を、静寂が包み込んだ。
ユクポゥが。パルゥが。
ギーンが。サイラァが。炎術を用いて支援していたダークエルフたちが。
ムゥが。ノゥが。クゥが。そしてその手下のオーガーたちが。
更にはザックゥとその配下のトロルたち、戦場にいた全ての者が動きを止め、ただただ俺へと視線を注いでいる。
例外なのは、俺の傍らで呆れたように肩を竦めているジョーカーのみ。
「……いやはや。これまた妙な進化を果たしたねぇ、ジョルっちは」
進化を果たした俺がどのような種族になったのか、魔術で鑑定していたジョーカーが呆れたような声で言う。
そう。
進化だ。
俺はたった今、進化を果たしたのだ。
戦いの真っ最中という最悪の進化だったが、それでも俺は進化を果たした。
先程まで感じていた、あの苦しみ。あれこそが進化の証。進化とは身体が内側から作り替えられるためか、並々ならぬ苦痛が襲いかかってくるのだ。
普通ならば、戦場での進化など命取り以外のなにものでもない。
だが、今回は相手に恵まれたと言っていいだろう。妙な矜持を持っているらしいザックゥは、倒れて苦しむ俺を攻撃するようなことはなかったのだから。
だが、だからと言って俺がザックゥに手加減してやる道理はないからな。
さあ、ザックゥ。後悔させてやるから覚悟しろよ?
俺は体内でうねるように暴れる魔力を意識する。その魔力に意思の力で方向性を付与してやれば、それは魔術という現象を引き起こして世界の一部を塗り替える。
立ち尽くし、俺のことを呆然と眺めていたトロルの一体が、先程と同じように突然松明と化した。
もちろん、俺の仕業である。
進化と同時に、俺は新たな力の使い方を完璧に理解していた。
「本来、ハイゴブリンって種族は物理的な戦闘能力と魔術の行使、共に優れた種族のはずだけど……亜種であるジョルっちは、魔術方面に傾いた種族へと進化したようだねぇ」
「それで、ジョーカー。俺はどんな種族に進化したんだ?」
進化して得た力の使い方こそ理解しているものの、俺自身はどんな種族になったのか分からない。そこで、魔術で俺の種族を鑑定したジョーカーに聞いてみる。
「ウォーロック。君が進化したのは……ウォーロックだ」
ハイゴブリン・ウォーロック。それが俺の新たな種族らしい。
ゴブリンという種族は、決して弱いだけの存在ではないと俺は思う。
確かに単体のゴブリンはお世辞にも強くはない。だが、ゴブリンは群れることでその弱点を補う。この点は、人間にも共通する部分であろう。
だが、ゴブリンは進化する。進化が秘めた可能性を考慮した場合、ゴブリンは決してただ弱いだけの存在ではないはずだ。
例えばユクポゥやパルゥが、より得物を使うことに特化した種族へと進化したように。
人間であれば長い年月をかけてようやく手が届くその境地に、ゴブリンは数回の進化で到達してしまうのだ。
よくよく考えてみれば、これってかなりズルいよな。だが、そのズルさこそがゴブリンの可能性であり、恐ろしさだと俺は考える。
自分自身がその立場になって、初めて理解できたね。
「以前のジョルっちって、戦士型で気術と爆術以外の魔術はまるで苦手だったよね。だけど、ウォーロックへと進化した今、君は自在に魔術を扱えるだろう。もっとも、専門分野に限ってはこのボクには及ばないだろうけどね!」
なぜか、胸を張るジョーカー。いや、俺はおまえみたいに研究馬鹿になったり、魔像ばかり作ったりするつもりはないから。
「あと、これを使ったらどうかな? 例の行商人くんから手に入れたものだけど、今の君なら使えるだろう?」
そう言ってジョーカーが差し出したのは、普通の大きさの剣だった。以前の俺ではやや大きすぎる剣だが、進化して体格が大きくなり、筋力も増した今の俺なら十分使いこなせるだろう。
「とはいえ……まだまだ君、ちっちゃいよね。おそらくクースちゃんよりまだ小さいんじゃない?」
ほっとけ!
そこは俺も気にしているところなんだよ!
進化した俺は確かに体格が良くなった。それでも身長は5フィート(約150センチ)ほどで、クースよりもまだ小さい。
彼女は今が成長期らしく、日に日に背も伸び、容姿も大人っぽくなっている。今のクースの身長が5フィートと3インチちょっと(約160センチ)ぐらいだから、俺よりも彼女の方が背が高いのだ。ちくしょうめ。
身長以外の外見の変化としては、角がより太くなったようだ。真っ直ぐだった二本の角は、太さを増しつつ捻じれて天を衝くように上を向いている。
髪の毛も伸びたようだ。以前のような馬の鬣のように頭の中心部だけに存在するのではなく、人間のような黒く真っ直ぐな髪が、肩の少し下ぐらいまである。
あと、皮膚の色は相変わらず白っぽい。これは俺がいまだにハイゴブリンの亜種の系統から抜け出していないという証左なのだろう。
俺は受け取った剣を数回振ってみる。よし、今の俺なら問題なくこの剣が使えるぞ。
身体の左右でぐるぐると数回剣を振り回し、両手で構えてぴたりとザックゥへと切っ先を向ける。
「いくぜ、ザックゥ。覚悟はいいか?」
「ほざけ、白いの! 少しばかり身体が大きくなったぐらいで、俺様に勝てるとでも思っているのかよっ!?」
ザックゥが吠える。ああ、思っているとも。だって今の俺、かなり強いぜ?
手にした大剣を一度大きく振り回してギーンを牽制したザックゥは、そのまま俺目がけて突進してきた。
既に頭上に大剣を振りかぶり、突進の勢いも乗せて俺の頭へとその大剣を振り下ろす。
その太刀筋は速く鋭く、進化する前の俺では受け止めたとしても小剣ごと叩き潰されていただろう。
だが。
だが、俺は奴の剣を真っ正面から受け止めた。別に躱そうと思えば易々と躱せたのだが、ここで奴の剣をあえて受け止め、勝負の流れをこちらに傾かせようと考えたからだ。
「……な、なんだとっ!?」
実際、思いっ切り振り下ろした大剣を受け止められたザックゥは、驚愕に目を見開いていた。
実は受け止められたのは結構ぎりぎりで、腕と肩が悲鳴を上げているのは俺だけの秘密である。
「なんだ、おまえの力はこんなものか? だったら、両手で受けるまでもなかったな」
俺は不敵に笑う。もちろん、はったりであり、両手で剣を保持していなければ、間違いなく受け止めきれなかった。
だが戦場において、はったりは時に強力な武器と成り得る。
言葉一つで戦況を傾けることさえ可能になるのだ。使わない手はないというものだろう?
そんな俺のはったりを真に受けたのか、ザックゥは悔しげにぎりぎりと歯を軋ませる。
そもそも、俺が進化したウォーロックという種族は魔術の行使に傾いた種族なのだ。だったら、魔術を主軸に戦術を組み立てるべきってものだよな。
まずは物理的に奴の出鼻を挫く。そして、そこからが俺の本当の反撃である。
それまで以上に俺の体内を満たす魔力に、方向性を付与してやる。それだけで、魔力は魔術へと変換される。
至近距離から放たれる、無数の《炎弾》。その全てがザックゥの腹へと叩き込まれ、奴の巨体が後方へと吹っ飛ぶ。
「ほらよ。オマケだ」
吹っ飛び、仰向けに倒れる奴の身体を、地面から飛び出した数本の《土槍》が貫く。
「あがががががああああああああああっ!!」
周囲に血と臓物を撒き散らしつつ、ザックゥが苦悶の叫び声を上げた。
だが、再生力の高いトロルには、これでも致命傷にはならないだろう。
さっき、覚悟しろと言ったよな、ザックゥ。まだまだ俺の手番は終わっていないんだぜ?
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