修行と進化



 殺意の篭った視線を俺たちへと向けながら、その魔獣は咆哮した。

 びりびりと空気が震え、周囲に存在する樹々もまた、激しく震えて木の葉を散らす。

 今、俺たちが対峙しているのは、巨大な熊だ。

 もちろん、ただの熊ではない。その身に猛毒を宿し、通常の熊よりも二本多い腕を持つ魔獣──わんぐまである。

 牙や爪から猛毒を分泌し、僅かな量が体内に入っただけで死へと至る、恐るべき魔獣である。

 その四腕熊が今、咆哮を上げているのだ。

 だが、その咆哮に含まれているのは、怒りや苛立ちではなく苦痛だった。

 全身から血を流し、本来なら四本ある腕の内、既に二本が俺と兄弟たちによって斬り落とされている。

 更には片目も潰されており、まさに満身創痍。普通ならこれだけの手傷を追えば、逃亡を選択するものなのだろうが、目の前の魔獣はそれを選ばない。

 敵は必ず殲滅するという荒々しい闘争本能が、逃亡を選ばせないのだ。

 うんうん、その意気やよし。だが、俺たちとておまえにやられるわけにはいかないんだ。

 以心伝心とばかりに、俺の意図をくみ取ったユクポゥとパルゥが、俺の背後から稲妻のように飛び出した。

 ユクポゥの手には槍が、パルゥの手には剣と盾が。

 それらの得物を持つ彼らの腕は、以前にも増して太く逞しい。

 そう。

 ユクポゥとパルゥは、それぞれ進化したのだ。




 俺たちがリーリラ氏族の集落に戻り、そこを拠点にリュクドの森の中で修行を始めてから、もうふたつき以上が経過している。

 時折リーリラの集落に帰るものの、ほぼ森の中で暮らしながら、魔獣を相手に修行を続ける俺たち。

 そのおかげか、修行を始めて早々にムゥたち黒馬鹿三兄弟がハイオーガー・レイダーへと進化し、続いてユクポゥがホブゴブリン・ランサー、パルゥがホブゴブリン・ソードマンへと進化した。

 ムゥたちは騎獣を駆った強襲能力が上昇し、兄弟たちはそれぞれ得意な得物を扱うことに特化した進化だ。

 黒馬鹿たちの身体的な見た目の変化は特にないが、それでも能力的には飛躍的に上がってるようだ。

 一方の兄弟たちは身長が伸びて6フィート(約180センチ)を超えた。ただし、体重の方は少し減っているんじゃないかな?

 全体的に身体が引き締まり、人間の体型にかなり近い。手先も器用になったようで、より巧みに武器を操ることができるようだ。

 他にもムゥたち配下のオーガーの中から、数体がハイオーガーへと進化した奴もいた。

 全体的に見て、俺たちの戦力はかなり上がったと言っていいだろう。

 なお、これら進化した種族名については、ジョーカーの《種族看破》という魔術の結果である。この魔術、単に目標の種族を見抜くだけの魔術だが、今回はこの魔術が役に立ったというわけだ。

 え? 俺? 俺が何に進化したかって?

 …………………………………………していないんだ。

 そうだよっ!! 俺はまた進化していないんだよっ!! 相変わらず、俺はハイゴブリンの亜種のままだ。ちくしょう、どうして俺は進化しないんだ? まさか、もう進化は打ち止めじゃあるまいな?

 俺が進化しなかったからか、ムゥが一度俺に挑んできたことがあった。一応、俺に鍛錬の相手をして欲しいということだったが、どうみてもあれは俺への挑戦だろう。

 進化していない俺は、相変わらず4フィート(約120センチ)ぐらいの身長しかない。対して、ムゥの奴は余裕で7フィート(約210センチ)はあるだろう。

 体格からすると、俺に勝ち目はない。だが、まだまだムゥに負けるわけにはいかないので、俺は初手から強めの爆術で奴を吹っ飛ばしてやった。

 この修行で剣の技量も上がっていると思うが、魔術の方は確実に威力が上がっていた。下手をすると、以前の俺よりも今の方が魔術の威力は上かもしれない。

 威力の上がった爆術の前に、ムゥはあっさりと沈んだ。まあ、怪我の方はサイラァが治したのだが、死にかけたムゥを見てサイラァが喜んでいたっけな。あいつもあいつで変化がない奴だ。

 他には、ギーンは物理戦闘能力と魔術の両方の腕を上げている。物理戦闘能力は俺や兄弟たちを相手にすることで様々な技術を体得し、魔術の方はジョーカーからあれこれと指導を受けているようだ。相変わらず気術だけは駄目っぽいが。

 後は、クースはいつものように俺たちの世話をしてくれるし、隊長は俺の強制的指導でかなり強くなっている。もっとも、隊長の場合は何度死にかけたか数えきれない。それでも強くなったのだから、これはこれでいい結果と言えるだろう。うん。

 その隊長だが、今はクースと一緒に人間の町へ出かけている。修行で倒した魔獣の素材を金に換えるためだ。ついでに、人間の社会の噂話なども拾って来るように指示してある。

 例の行商人とはジョーカーの使い魔を使って連絡を取り、リュクドの森の近郊の町で落ち合う予定らしい。クースが隊長に同行したのは、やはり年頃の女の子ならではの物を買うためだ。その辺、俺とか隊長とかではよく分からないからな。まあ、森の浅い部分までは俺たちが送って行ったし、約束の期日になったらまた迎えに行くので、隊長やクースに危険はほとんどないと思う。

 それに今の隊長なら、その辺のチンピラや山賊ぐらいなら楽に倒せるだろう。隊長自身には何があってもクースだけは守れと言っておいたから、そこは大丈夫と思う。

 一応、連絡役としてジョーカーの使い魔も持たせたので、何かあればその使い魔を通じてジョーカーに連絡が来るはずだ。




 さて、そろそろ目の前の四腕熊に止めを刺すか。

 捻りを存分に加えたユクポゥの槍が、魔獣の腕を穿つ。ぶちぶちという筋繊維が断ち切れる音と、べきりという骨がへし折れた音が響くと同時に、周囲にびしゃびしゃと血が撒き散らされる。そして、残された魔獣の二本の腕の内の一本が、四腕熊の体から引きちぎられる。

 その間に、魔獣の懐に飛び込んだパルゥが剣を一閃、丈夫な毛皮と分厚い脂肪に守られた魔獣の腹をあっさりと裂く。

 傷口からは大量の血と内臓が零れ落ち、魔獣の巨体が音を立てて地面に倒れ込む。

 だが、まだ奴は死んでいない。殺気を宿した隻眼が、倒れながらも俺へと真っ直ぐに向けられていた。

「おまえに恨みはないが……俺たちの糧になってもらうぞ。もちろん、食料的な意味でもな」

 動けない四腕熊に近寄り、俺は奴の急所──心臓へと剣の切っ先を突き刺した。

 気術で強化した腕で何とか奴の毛皮と脂肪を貫き、心臓を破壊する。

 ふう。さすがの四腕熊も、これで生きていられるはずがない。ユクポゥとパルゥに魔獣の解体を任せ、俺は適当な樹の根元に座り込む。

 現在、俺と一緒に行動しているのは兄弟たちだけ。ムゥたちにはオーガーたちと共に別行動をさせているし、ギーンとサイラァもジョーカーの下で魔術の修行中である。

 もちろん、目的はそれぞれの力を上昇させること。全員で纏まっているより、別々に行動して修行した方が効率がいいからな。

 時々はギーンが俺たちに合流し、物理戦闘の修行をすることもある。でも、彼はやっぱり基本的には魔術の方を伸ばすべきだと思う。

 実は最近分かったのだが、サイラァもある程度は武器を扱えるらしい。両手で小剣を操る戦闘を得手としているようで、何度か手合わせをしてみたがなかなかの腕前だった。

 ただし、あいつは鍛錬中にわざと俺の攻撃を身体で受け止めやがる。もちろん、その度に気味の悪い笑みを浮かべ、恍惚としながら変なことを呟きやがるのでタチが悪い。

 ある意味、こいつほど敵にしたくないと思える奴はいないよな。俺との鍛錬の後、地面に転がってうっとりとしながら身悶えていた時、このまま止めを刺してやろうかと何度も思ったほどだ。まあ、そんなことはしなかったけどな。

 座り込んで休憩している俺の耳に、兄弟たちの声が届く。

「……クースいないから、ヤキニクない……」

「ナマニク、美味しいけど美味しくない……クース、早く帰って来て! それで、このクマをヤキニクに進化させる!」

 すっかりクースの焼肉の虜になっている兄弟たちが、不満そうな声を上げている。でも、文句を言いつつもしっかりと倒した四腕熊は食べるんだな、おい。

 毒を持つ四腕熊だが、毒腺を避けて調理すれば食べられる。四腕熊の毒腺の位置は、これまで繰り返した人生の中で、しっかりと把握済みだ。

 不満を零しつつも四腕熊を貪る兄弟たちに、俺は苦笑を浮かべながら立ち上がる。

 クースには劣るが、俺だって焼肉ぐらいなら作ることができる。ここはひとつ、兄弟たちのために腕を揮うとしますかね。




「リピィのヤキニク、美味いけど美味くない……」

「やっぱり、クースのヤキニクが美味い……」

「……ったく、おまえらは……」

 俺が作った焼肉をぱくぱくと食べながら、ぶちぶちと不満を零す兄弟たち。こいつら、すっかり舌が肥えやがったな。

 まあ、その気持ちは分からなくもない。自分で食べてみても、明らかにクースの焼く焼肉に劣っていることが分かるからな。

「まあ、クースならもうすぐ帰ってくるさ。そろそろ、約束の期日だ」

 隊長とクースが帰ってくる予定の日は近い。そろそろ一旦リーリラ氏族の集落に戻り、クースたちを迎えにいく準備をしないとな。

「集落に戻ったら、ジョーカーにムゥと連絡を取らせよう。で、突風コオロギでリュクドの森の外縁部まで行くか」

 俺に方角的なものを期待してはいけない。森の外周部を目指したはずが、いつの間にか深部へと足を踏み入れている可能性は限りなく高い。

 今ここで修行していても、リーリラの集落へ戻る時はユクポゥとパルゥ頼みな状態だし。

 現在、ムゥたちオーガーは俺たちとは別の場所で修行中だ。そんな彼らと連絡を取るのに、ジョーカーの作り出す使い魔は大活躍している。

 あいつの使い魔を使った情報網は、以前もかなり世話になったからな。今回も役立たせてもらっている。しかし、普段はアレだけど、こういう細かいことにジョーカーは本当に優れているよな。

 あいついわく、「強力な攻撃魔術を使えるのが大魔術師じゃない。様々な局面で様々な魔術を使いこなすのが、本物の大魔術師なのさ。この僕みたいにね」とのことらしい。

 そういった面では、ジョーカーは確かに優れた魔術師だ。もしもあいつと再会していなければ、全員がここまで効率よく修行をすることはできなかっただろう。

 そのジョーカーはと言えば、現在はリーリラ氏族の集落で、ギーンとサイラァ相手に魔術を教えながら、自らも何やら研究中らしい。

 リーリラの族長から家を一つ貸してもらい、そこを研究室にしているようだが……まさか、あの巨大魔像を改造していたりしないよな?

 そういう面では、あのジョーカーって奴は全く信用できないからな。グルス族長やゴーガ戦士長に十分注意するように言っておいた。

 だけど、グルス族長はすっかりジョーカーの作る魔像を気に入っているっぽいからなぁ。

 集落に帰った時、巨大魔像が二体も三体もいないことを祈るばかりの俺であった。



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