再びリュクドの森へ
リーエンと再会して十日ほど。
この十日というもの、俺たちはソーラルの村の近くの森に潜み、夜になるとリーエンの塔へと出かけては、今後のことをあれこれ相談していた。
リーエンとジョーカーは、魔術に関することをあれこれと話し合っていたようだ。正直、俺には話の内容が専門的すぎて理解できなかったけど。
リーエンにしてみれば、六十年振りに再会した師匠だ。きっと話したいことは山ほどあったのだろう。
そういや、リーエンが会話の中でこんな質問をしていたっけか。
「以前、師匠の名前には意味があると言っておりましたが、どのような意味がおありなのですかな?」
「うん、僕の名前である『ジョーカー』は、『切り札』って意味なのさ! ほら、僕の魔術なくしては、ジョルっちの名声はきっとなかっただろうからね。僕の存在こそが僕たちの切り札なんだよ!」
相変わらずだが、過去にジョーカーの魔術に助けられたことが多々あったのは事実だしな。そういう意味では、確かにあいつの言葉に間違いはない。
だけど、その後に小さな声で呟いていたよな。リーエンには聞こえていなかったようだけど、俺にはしっかりと聞こえていたぞ。
「──本当は『切り札』じゃなくて、『伏せ札』なんだけどね」
その呟き、一体どういう意味だ?
まあ、正面から聞いたところで、どうせはぐらかされるのは目に見えているしな。聞くだけ無駄だから聞かないけど。
あれこれ問題はあれども、ジョーカーが信用できる奴であることは間違いない。いつかその意味を教えてくれることもあるだろう。それはまでは、俺の記憶に留めておくことにしよう。
また、リーエンの奴も俺たちには相変わらず興味津々のようだ。
時には俺たちが潜んでいる森へとやってきては、ムゥたちやギーンたちにいろいろと質問を繰り返していた。突風コオロギやフタコブトカゲも間近で観察できるとあって、ちょっと興奮しているようだ。
これだから、賢者って連中は。
そんなリーエンも、クースにはいつも相好を崩していたな。
俺に拾われたという同じ境遇だからか、それとも孫娘でもできたような感覚なのか。気難しいと有名な大賢者様も、クースにはとても甘かった。
クースもクースでリーエンのことは苦手ではないらしく、時にはリーエンの塔に出かけては掃除をしたり料理をしたりしていたようだ。
きっと、クースのこういう甲斐甲斐しいところを、リーエンも気に入ったに違いない。
そういや、リーエンの奴って家族とかいるのか? 俺たちと別れてから、結婚とかしていても不思議じゃないけど。
うーん、何となく、聞くのもあれだよな? もしもこの年齢まで独身だったりしたら、リーエンの心に刃を突き立てることになるかもしれないし。
うん、ここはあえて聞かない方向で。
そんなリーエンは、簡単ながらもクースに魔術の手ほどきをしていたりもした。
リーエンいわく、クースにはずば抜けた魔術の才能があるわけではないが、それでもがんばれば生活に役立つ魔術を使える程度の魔力はあるらしい。
ちょっと水を作り出すとか、火を熾すだけでも大きな違いだからな。ここはひとつ、クース自身のためにもがんばって欲しいところである。
そんな日々を過ごした後、俺たちはリーエンの元を旅立った。
目的地は再びゴルゴーグ帝国。そしてリュクドの森である。
リュクドの森の深部で、魔獣を相手に俺たちの修行をするためだ。個々の戦闘技能や魔力の拡大などが修行の目的だが、一番の目的は俺たちの進化だな。
そろそろ、俺ももう一段階ぐらいは進化しておきたい。いつまでもユクポゥやパルゥに置いていかれるわけにはいかないんだ。
ただでさえ常識離れしたあの兄弟たちのことだ。これからもどんどん強くなっていくだろう。「強さが正義」が妖魔の掟である以上、兄弟たちより弱くなるわけにはいかない。
俺としても、今更兄弟たちの下につく気はないし、これは俺の矜持でもある。
そのためにも、修行には熱を入れねばならない。俺が俺であるために。そして、俺が更なる段階へと至るために。
オーガーであるムゥたちも、進化の可能性を秘めている。ハイオーガー・ライダーが進化すると、一体どんな種族になるやら。
ジョーカーによると、ハイオーガー・レイダーかハイオーガー・ナイトかその辺りらしい。何となく、ムゥたちの印象からするとナイトというよりはレイダーの方が似合いそうだ。
ところで、ダークエルフって進化するのか? ダークエルフはエルフの一種だから、進化しないと俺は思うのだが。ジョーカーもまた、ダークエルフが進化したなんて話は聞いたことがないそうだから、やっぱり進化しないんだろうな。
同じく、ボーンゴーレムであるジョーカーも進化しないだろう。ゴブリンは妖魔の中でも進化が早い種族でもあるし、俺が次にどのような存在へと至るのか、今からちょっと楽しみだ。
もちろん、リュクドの森に至るまでも修行の一環である。食料を得るという意味でも、遭遇した魔獣は積極的に狩っていこうか。
また、狩った魔獣の素材は隊長や行商人を経て金に換えることもできるし。
その行商人とは、ゴルゴーグ帝国に入ったところで別れる予定である。あいつにはあいつの都合があるだろうし、俺たちが託した魔獣の素材を売ってもらわなければならないし。ついでに、《魔物の王》に関する情報も集めておいてもらおう。
今後行商人とは、人間の町か村で隊長を通じて接触する予定だ。人間の村や町でなら、隊長と行商人が接触してもそれほど不自然ではあるまい。冒険者が得た魔獣の素材を、馴染みの商人に売るなどよくあることだ。
もちろん、魔獣の素材全てを行商人に任せるのではなく、一部は冒険者の互助会にも納める予定である。互助会の情報網も有効に利用させてもらわないとな。
関所を避けて険しい山を越え、俺たちは再びゴルゴーグ帝国へと入る。
以前、隊長に行ってもらった宿場町で、俺たちは行商人と一時別れた。その宿場町へはクースも隊長に同行し、念願だった「あれ」もようやく購入できたらしい。まあ、その辺りについては詳しく触れないでおこう。ほら、俺って紳士だから。
ここから再びリュクドの森を通ることになる。
ついでだから、隊長も少し鍛えてやるか。人間の町で珍しい魔獣の素材を売る以上、その本人があまりにもへっぽこでは怪しまれるかもしれないしな。
「……というわけで、あれを狩ってこい」
「無茶言わんでくださいや、旦那っ!?」
俺が指差すのは、大きな猪だ。牙が異様に大きいことから牙きば猪いのししと呼ばれる魔獣で、気性が非常に荒いことでも有名な魔獣である。
ちなみに冒険者であれば、牙猪を一人で狩れればそれなりに大きな顔ができる。
「心配するな。あの魔獣の最大の特徴は猛烈な突進だ。だが、こんな木々が密生した森の中では、その突進も鈍る。十分、隊長でも勝つ見込みがあるぞ」
「だからって、俺一人で牙猪が狩れるわけないでしょうっ!!」
「安心しろ。後ろから援護はしてやるから。それに、生きてさえいればサイラァが治してくれるよ」
ちらりとサイラァを見てみれば、明らかに何かを期待していた。うん、きっと隊長が傷つくことを期待しているんだろうな。
「……全然安心できやせんぜ、それ……」
がっくりと肩を落とす隊長。それでも腰から剣を引き抜き、おっかなびっくり牙猪へと近づいていく。
当の牙猪も隊長の接近に気づいたようで、鼻息荒く前脚で地面を何度もかいている。よし、あいつもヤる気十分のようだ。
「がんばれよー。負けるなよー」
「うう……全然応援に気が入ってねぇ……」
俺の声援に文句を言うな。援護してやらないぞ。
「ジョーカー」
「任せてよ!」
ジョーカーの骨だけの指がゆらゆらと踊り、何らかの魔術を行使する。
「ほら、《防御上昇》をかけたから。これで防御力がアップしたよ!」
「ほ、本当ですかい、骸骨の旦那……?」
おいおい、敵が目の前にいるのに、余所見しちゃ駄目だろ? ほら、言わんこっちゃない。こっちを見ていた隊長の隙を突き、牙猪が突進をかける。
あ、隊長の奴、突進をモロに受けて吹っ飛ばされてら。
地面に叩きつけられ、数回弾んでようやく止まった隊長の身体。うん、びくびくと何かヤバい感じに痙攣しているけど、辛うじて生きているな。生きてさえいれば大丈夫だ。
「サイラァ」
「はぁ……はぁ……しょ……承知いたしておりますわ、リピィ様……は……ぅんっ!!」
牙猪の鋭い牙で腹をざっくりと抉られた隊長。そこから薄桃色の筋肉や、その下にある白い骨が覗き、そして内臓が溢れ出していて……それを見たサイラァがいつものように興奮して身悶えていた。
あんな状態でも治癒の魔術が使えるのだから、ある意味でサイラァは凄い。普通ならあんなに興奮した状態で、魔術なんて使えないものだけどな。
隊長の身体を淡い光が包み、彼の怪我が見る見る癒えていく。
「ほら、もう大丈夫だから。がんばれー」
「全然大丈夫じゃねえっスよっ!!」
涙目で立ち上がり、それでも剣を構える隊長。
結局、数回ほどあの世のとば口に顔を突っ込みながらも、隊長は何とか一人で牙猪を倒したのだった。
ほら、やればできるじゃないか。
何度か隊長が死にかけたり、俺たちも魔獣を狩ったりしながらリュクドの森の中を進む。
おかげで、随分と素材も手に入った。中にはかなり稀少な素材もあって、ジョーカーでさえ驚いていたほどだ。もしもこの場にあの行商人がいたら、きっと卒倒しかけたことだろう。そして、同時に何としても自分に商わせて欲しいと願い出たに違いない。
おもしろそうだから、次にあいつに会う時に見せびらかしてやろうか。うん、そうしよう。
その後は、その稀少素材を行商人に任せてもいい。俺たちが持っていたって、まさに宝の持ち腐れだし。
そんなことを繰り返しながら森の中を進むと、やがて前方に巨大な物体が見えてきた。
「いやー、さすがは僕のクロガネノシロ。遠目で見ても一発で分かるね!」
そりゃそうだろう。あんな巨大なモノ、他にもあったら堪らないぞ。
いや、案外ジョーカーのことだから、二体目、三体目の巨大ゴーレムをどこかに隠しているかもしれない。今度、それとなく探りを入れてみる必要があるかもな。
「しかし、あのデカブツが見えて来たってことは、リーリラの集落ももうすぐだな」
「……まったく、嫌な目印ができたものだ」
眉間に皺を寄せながらそう呟いたのは、もちろんギーンだ。森の中でひっそりと暮しているダークエルフにしてみれば、あんな目立つだけのものは受け入れ難いのだろう。
その一方で、サイラァは別に気にもしていないようだ。まあ、こいつが気にするものは極めて限定されているしな。
よし、まずはリーリラ氏族の集落へ行こう。そしてリーリラのグルス族長に経過を説明し、その後は森の奥を目指す。
でも、数日ぐらいはリーリラの集落でゆっくりしてもいいよな?
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