賢者リーエン



 そんなわけで、俺たちはソーラル村のすぐ近くまでやって来た。

「ご覧の通り、森と山々に囲まれた小さくも長閑な村で、主な産業は林業と畜産業。中でも、この村で作られるチーズはとても美味で、知る人ぞ知る隠れた名物と言われております。まあ、私もこれまで商ったことはありませんので、今回のことはいい機会と言えるかもしれませんな」

 そう言うのは、数日前に俺たちが助けたあの行商人である。

 なぜかこいつ、俺たちと一緒に来ているのだ。まあ、なぜかもないよな。商人が俺たちと一緒に行動する理由なんて、俺たちに商機を見出したからに決まっている。

 最初こそ俺たちのことを恐がっていたが、俺たちが食料として魔獣を狩り、その魔獣の爪や牙を集めていると知った途端、こいつの目の色が変わりやがった。

 リュクドの森を始め、俺たちって結構珍しい魔獣や動物を狩っては食っているからな。俺たちにとっては食べ慣れた獲物でも、人間からしてみれば極めて稀少な魔獣や動物の爪や牙である。当然、それを売れば大きな利益を得ることができる。

 そのことに目を付けた行商人は、俺たちからそれらの素材を手に入れようとしているのだ。

「ゴブリンやオーガーである皆様が、そのような物を持っていても仕方ありませんでしょう? ど、どうでしょうか? それらを私に預けて頂ければ、それらの品と引き換えに人間の社会の珍しい食べ物を手に入れてきますが」

 取り繕った笑みを顔に貼り付けながら、そんなことを言い出す行商人。こいつ、俺たちが魔獣の素材の価値を分かっておらず、そこにつけ込んで儲けようとでも思っているな? まあ、普通ならその考えは間違っていないけど。

 だが、生憎と俺やジョーカーは人間としての記憶が残っている。さすがに六十年前に比べるといろいろと相場も変化しているだろうが、それでもどの魔獣の素材がどのぐらいの価値かぐらいはある程度分かるんだ。行商人が考えている通りにはいかないぜ。

 とはいえ、「商人」の手を借りるのは悪くはない手段だ。グーダン公国内には、冒険者を支援する互助会がない。あの組織はゴルゴーグ帝国内だけの組織だからだ。

 実質上の属国であるこの国にも、少しずつ互助会も浸透しつつあるらしいが、まだまだ公都を始めとした大きな街にしかないのが現状である。

 いくら俺たちの仲間に隊長がいるとはいえ、素材の売買に関しては素人に近い。本来なら高価な素材を、安値で買い叩かれることだってあり得るだろう。それぐらい、商人というのは抜け目ない連中なのだ。

 そこで、この行商人を上手く利用すればいい。こいつだって今まで行商人としてやってきたのだからそれなりに伝手だってあるだろうし、何より売買の専門家だ。隊長に全て任せるよりはいい結果になるに違いない。

 そこで、俺は行商人と契約した。もちろん、契約と言っても口約束でしかないけど。

 素材を売って得た金の二割を行商人の取り分とし、残りは俺たちのものとする。素材を売りに行く時は、必ず隊長かクースを同行させる。護衛の傭兵とか使用人だと言えば、それほど不審に思われることもないだろう。

 行商人にしても、タダ同然で素材を入手できるし、ギーンのフタコブトカゲにジョーカーと一緒に同乗すれば、徒歩よりも速く移動きるといった利点が生じる。

 互いに利益があるのだから、行商人も俺の提案に素直に頷いた。

 こうして、新たな旅の同行人を得た俺たちは、途中の町や村で行商人に商いをさせつつ、七日ほどでソーラル村の近くまでやって来たのである。




 夜を待って、俺たちはソーラル村へと忍び込んだ。

 村へと忍び込んだのは、俺とジョーカーだけ。他は村から少し離れた森の中で待機中である。

 いくら夜とはいえ、ホブゴブリンやオーガー、ダークエルフの一団が村の中に入れば、やはり問題になるだろう。

 朝になって、村のあちこちにホブゴブリンやオーガーの足跡が見つかれば、大騒ぎにならないはずがない。

 それに、リーエンと直接会うのは関係者である俺たちだけの方がいいしな。下手に大勢を連れていくと、無駄にリーエンを警戒させるだけだし。

 そんなわけで、俺とジョーカーは寝静まった村の中をゆっくりと歩く。念のため、俺はクースの靴を借りてきた。俺も普段は裸足だから、村の中にゴブリンの足跡を残すわけにはいかないからだ。

 一方、ジョーカーの方は普段から靴を履いている。骨のくせに生意気な。

 そして、俺たちは村の中を通過し、村外れに辿り着く。

「これがリーエンが住んでいる場所か?」

「いやー、さすがは僕の弟子、随分と立派な塔を建てたものだね」

 俺たちが見上げるのは、一つの塔。この塔こそが、今のリーエンの住み処にして研究所というわけだ。

 俺とジョーカーが塔の前でそんなことを言い合っていると、塔の出入り口の扉が開き、中から一人の老人が姿を見せた。

 真っ白な髪を綺麗に後ろへと撫で付け、鼻下と顎には白くて豊かな髭。かなり老齢のはずだが腰も曲がっておらず、足運びにも不安を感じさせない。

 そして、右手には老人の身長よりも長い杖。うん、一目で分かるぞ。あれ、相当な魔力を秘めているな。

 間違いなく、この老人がリーエンなのだろう。

 老人──リーエンは俺たちをじろりと睨み付けると、不思議そうに首を傾げた。

「……あの方や師匠の名で手紙が来たかと思えば、まさかこのようなゴブリン……いや、ハイゴブリンの亜種とスケルトンが来るとは……だが、あの方や師匠であれば、このような悪戯をしかけても不思議ではないが……」

 そうなのだ。実は事前にリーエンには手紙を届けておいたのだ。

 ソーラル村の近くに辿り着いたのが昨日の夜。そして、夜が明けてから俺が手紙を書き──筆記具や羊皮紙は行商人が持っていた──、その手紙をジョーカーが作り出した使い魔を使って、リーエンの元へと届けたのだ。今日の夜、リーエンの住み処に俺とジョーカーが尋ねていくとしたためて。

 リーエンならば俺やジョーカーの字の癖を知っているから、俺の直筆の手紙であるとすぐに気づくだろう。

「そもそも、あのお二人が実は生きていたとしても、当然儂より年上だ。既に寿命も尽きていようが……さて、貴様らは何者だ?」

 リーエンの鋭い眼光が俺たちを射抜く。ほう、随分と迫力のある目をするようになったな。俺たちがいなくなってからも、立派に生きてきたようだ。

「まあ、こんな姿である以上、信じられないとは思うが俺がジョルノーだ。元気そうでなによりだな、リーエン。まさか、こうして再びおまえと会えるとは思わなかったぜ」

「で、僕が君の偉大なる師匠のジョーカーさ! ほら、以前のように僕を崇め奉るがいいさ」

 肩を竦め、自嘲の笑みを浮かべる俺と、尊大な態度で両腕を広げるジョーカー。

 そんな俺たちに、リーエンは器用に片方の眉だけをひょいと吊り上げた。

「儂が師匠を崇め奉っていただと……? ふん、確かに我が師匠は魔術師としては素晴らしい方だった。魔術師としてなら尊敬もしていた。だが、あのふざけた人柄ゆえ、崇めたこともなければ奉ったこともないわ!」

 本人を前にして、きっぱりと宣言するリーエン。うん、おまえの気持ちはよく分かるぞ。

「……だってよ、ジョーカー? 弟子にあんなことを言われてどんな気分だ?」

「うん、リーエンが僕のことを崇めても奉ってもいなかったことぐらい、承知していたさ!」

 ぐりぐりとジョーカーの骨だけの腕を肘で突いてやれば、ジョーカーは俺に向かってびしっと親指をおっ立てて見せた。

 そんな俺たちのやり取りを、リーエンは不思議そうに眺めている。

「……こやつら何者だ? まるであのお二人を前にしているような、この懐かしくもちょっと苛立たしい気分は……」

 うんうん、ジョーカーと一緒にいると、よくいらいらするよな。俺もそうだし。

「だから言っているだろ? 俺がジョルノーで、こっちがジョーカーなんだよ。すんなりとは信じられないだろうがな」

「何なら、僕たちが僕たちであることを証明してみせようか?」

 ジョーカーがそう言うと、リーエンは不審そうにまたもや片方の眉を吊り上げた。




 今、リーエンは地面に手と膝を突いて、わなわなと震えながら突っ伏していた。

 リーエンが着ているローブ、かなり上等そうなものだけど……そのままだと汚れちゃうぞ?

「…………そ、それではおまえたち……い、いや、あなた方は本当にジョルノー様とジョーカー師匠なのですか……?」

 ようやく顔を上げたリーエンが、まだ震えながら俺たちに確認する。

 ジョーカーが行った、俺たちが俺たちである証明。それは俺たちしか知らないリーエンの過去の大暴露だった。

 それも、リーエンからするとかなり恥ずかしい奴ばかり。

 例えば、俺たちがリーエンを拾った時、全身薄汚れて着ていた物も汚れ塗れ。更に服のあちこちが破れていたりして、服の下の肌が見えたりしている所もあった。俺たちに拾われるまで、それだけ過酷な環境で生きていたのだろう。

 が。

「いやー、あの時の君、下半身がほとんど丸出しだったよねぇ。いくら子供だったとはいえ、よくもあんな格好で歩いていられたよね。僕だったらそんな恥ずかしいこと、絶対にできないなぁ」

 と、ジョーカーがからかうように言った。いや、実際にからかっているのだが。

 他にも、リーエンを拾ってからしばらく寝小便をする癖があったとか、当時仲間だった女性の神官が、旅の途中で水浴びするのを覗いたこととか、俺たちに隠れてこっそりと森で見つけた木の実を食べ、見事に中って腹を壊し、しばらく下痢に苦しんだこととか。

 よくもまあ、そんな恥ずかしいことばかり覚えていたよな、ジョーカーの奴。

 いくら当時のリーエンが子供だったからとはいえ、こんな恥ずかしい過去ばかり暴露されたら、そりゃあ地面に突っ伏したくなるってものだ。少なくとも、俺だったらしばらく立ち直れないだろうな。

 俺は突っ伏しているリーエンの肩を、優しく叩いてやる。

「まあ、信じられないとは思うし、こっちにもいろいろと事情があるが……俺がジョルノーであり、こいつがジョーカーであることは本当だ」

「し、信じますよ……ジョルノー様やジョーカー師匠でなければ知らないことを、あれだけ知っていたし……」

 よしよし、何とか俺たちが俺たちであることを、信じてくれたようだ。

 こうして、俺たちはかつての仲間……というか、弟子であったリーエンと六十年振りに再会したのだった。


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