賢者の情報
「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね?」
そう言いながらクースが差し出した木製の皿を、短剣ムササビに囲まれていた行商人は呆然としながら受け取った。
今クースが差し出したのは、その短剣ムササビの肉を焼いたものだ。
近くに丁度いい沢があったので、そこで短剣ムササビを捌いて、こうして早速その肉をいただいているわけである。最近ではクースを手伝うことが多いためか、ユクポゥとパルゥも獲物を捌けるようになった。相変わらず、ゴブリンとは思えない兄弟たちである。
ちなみに、どこぞの真性はクースが料理のために材料を捌いていると、いつも傍で見ている。もちろん、うっとりとした表情を浮かべて。うん、こいつもブレないね。
さすがに、二十体近い短剣ムササビ全てを捌くことはできない。よって、食べるための数体だけ捌き、残りは爪だけを採取して放置するしかないだろう。
俺たちから少し離れた所では、兄弟たちや三馬鹿たちがぎゃーぎゃー騒ぎながらクース特製の焼き肉を食べている。もちろん、あいつらが騒いでいるのは美味い焼き肉が食えたからだ。
「まあ、食べてみろって。クースが手がけた料理は、そんじょそこらのものより余程美味いぞ?」
「は、はあ……」
行商人は気のない返事をするばかりで、木皿の上の焼き肉に手をかけようとしない。まあ、その気持ちは分かる。普通の人間であれば、ゴブリンやオーガー、そしてダークエルフや骸骨に囲まれた状況で、暢気に食事なんてできないだろう。
「あ、あの……ほ、本当にこの妖魔たちは、あなたが支配しているわけではないので……?」
「だから何度も言っているだろ? 俺の方がゴブリンの旦那たちの手下なんだよ。俺なんかが、いろいろな意味で常識外れのこの旦那たちを支配できるわけがないだろ? あ、やっぱり嬢ちゃんの料理は美味いなぁ。おかわり、まだあるかい?」
行商人の質問に答えたのは、もちろん隊長である。そう言えば、最初は隊長もこの行商人のような態度だったよな。それが今では堂々と皆と一緒に食事をするようになっちまったけど。
それよりも、今は俺もクースの料理を食べよう。
いつぞやのクース特製のタレにつけ込んで焼いた、短剣ムササビの焼き肉。酸味の利いたタレが実にいい仕事をしている。他にも、リュクドの森の中で見つけた小さな木の実を擂り潰した香辛料や、やはり森の中で見つけた岩塩なども使ってあるので、この焼き肉はとても美味い。兄弟たちや三馬鹿たちがはしゃぐのもよく理解できる。
森の中を移動していた時、休憩中などにクースはせっせと木の実などを採取し、それを石の上で念入りに潰していたけど、まさか香辛料だったとは。リュクドの森の豊かさに感謝すべきか、それともクースの目端の鋭さに感心するべきか。
さすがに、菜食が基本のダークエルフたちは肉を食べることはなく、代わりに干し果物なぞを齧っていた。この干し果物はリーリラ氏族の集落で貰い受けた果物にクースが手を加えたもので、甘みが増している逸品である。
果物を干す前に何やら液体に浸していたが、それが何の液体なのかは知らない。聞いたけど教えてくれなかったのだ。
「これは私が母から聞いた秘伝ですから、リピィさんにも秘密です」
と、口元に指を当て、ぱちりと片目を閉じながらそう言われてしまった。その時の仕草の可愛らしさもあって、それ以上追求できなかったのだ。
しっかし、クースは自分一人では何もできないからと俺に付いて来たのだが、これだけの料理の腕前があれば、どこでもやっていけるのではないだろうか。
さすがに王族や貴族が食べるような上品な料理は作れなくても、庶民が食べるための料理なら結構な人気となるのでは?
まあ、俺としてもクースが一緒にいてくれると、料理だけでなく洗濯や繕い物もやってくれるので非常に助かる。
ゴブリンやオーガーたちに、洗濯や繕い物なんて期待できないしな。
ダークエルフたち? 彼らは洗濯や繕い物なんてしないぞ。だってあいつら、あれでも族長の家系だからな。そんな雑事は他人任せだったのだろう。
当然ながらジョーカーの奴もそんなことはできない。つまり、今の俺たちにとってクースは、既に欠かすことのできない存在ということである。
さて。
腹も膨れたし、そろそろ尋問と行きますかね。
「おい、おまえ」
「は……は、はいっ!!」
じろりと睨み付けると、行商人がびくりと身体を硬直させた。
「おまえのような行商人が、どうしてこんな山越えをしていたんだ?」
「え、えっと……そ、それはですね……」
盛大に泳ぎ出す行商人の目。やっぱり、何か後ろぐらいことがありそうだ。
そうでなければ、行商人が単独で山越えなんてするわけがない。税金を取られるとはいえ、正規の関所を通ればいいのだから。
「おまえは何か、関所で検められると困るような『商品』を持っている……そうだな?」
そう言うと、行商人は背負った荷物を庇うように数歩後ずさる。
こう言ってはなんだが、おまえ、商人に向いてないぞ。商人がこの程度のカマかけに引っかかってどうするんだよ。
「そう怯えるなって。別におまえを取って食おうってわけじゃないし、関所に突き出そうってわけでもないからな」
行商人はがたがたと震えている。俺は役人でもなければ軍人でもない。この行商人がどんな商品を密輸をしていようが、別に知ったこっちゃないし、知りたくもない。
だけど、利用できるものは何でも利用する。それが俺の流儀である。
「おまえが俺たちに協力してくれれば、この山を抜けるまで俺たちでおまえを護衛してやってもいい。どうだ? 悪い条件じゃないだろう?」
牙を剥き出しにしてにぃと笑って見せれば、行商人の震えは更に酷くなった。
「あ、あの……も、もしも……もしも……ですよ? あ、あなたの申し出を断った場合は……」
恐る恐る、探るように切り出す行商人。その問いに、俺は笑顔で以て応えてやる。
「オーガーやホブゴブリンがあれだけいるんだ。短剣ムササビを二十体ほど狩ったとしても、果たして満腹になるかねぇ?」
俺の視線の先では、相変わらず嬉しそうに肉を食いまくっている兄弟と三馬鹿たち。
最近のあいつらは、クースの料理のおかげですっかり舌が肥えているからな。人間などの稀な場合を除いて、まず生の肉は食わなくなった。改めて考えると、オーガーやホブゴブリンに生肉を忘れさせた、クースの焼き肉すげえな。
だが、そんな事情を知らない行商人は、これまで以上に顔色を青くさせる。いや、青を通り越して既に白っぽいな。このままだと、遠からず意識を手放しそうだ。
「そ、それで……あ、あなたに協力というのはどのような……?」
どうやら、俺たちに協力してくれる気になったらしい。よしよし、交渉は上手くいったな。
は? 交渉じゃなくて恐喝? 人聞きの悪いことを言わないで欲しい。向こうが協力してくれる分、俺たちだって向こうに協力するんだ。ほら、立派な交渉じゃないか。
「おまえ、グーダン公国については詳しいか?」
「は、はい、一応は私も行商人ですので……それなりに公国の知識もあります」
「そうか。では、そのグーダン公国内にいる、リーエンという名前の賢者は知っているか? 例えば、どの街に住んでいるか、とか?」
「は、はい、それはもちろん。グーダン公国の賢者リーエン様と言えば、子供でも知っている程の方ですから。リーエン様は現在、ここからだと南にあるソーラルという小さな村にお住まいですが、それが何か……?」
行商人の言うところによると、そのソーラルの村はゴルゴーグ帝国とグーダン公国の国境から十日ほど南に下った所にあるそうだ。
その十日というのはもちろん徒歩による日数なので、突風コオロギやフタコブトカゲを有する俺たちならば、もう少し早くそのソーラルの村に辿り着けるだろう。
俺もジョーカーも、前世の記憶──ジョーカーの場合は前世ではないかもしれないが──でグーダン公国についてもある程度の知識がある。とはいえ、さすがにソーラルという名前の村までは知らないが、大体の位置を行商人から聞けば辿り着くことは難しくあるまい。
「あ、あの……リーエン様と言えば、とても気難しいことでも有名な賢者様です。たとえ相手が貴族であろうとも、気に入らない相手なら門前払いもありえると聞き及んでおります。こ、こう言ってはあれですが、あなたたちのような妖魔が尋ねて行ったとしても、とても会ってくださるとは……」
「ああ、それなら大丈夫さ。何といっても、リピィはリーエンの恩人だし、僕は彼の師匠だからね!」
かたかたかたと顎の骨を鳴らしながら自慢そうに言うジョーカー。
確かにリーエンが俺たちに会わないという選択はない。いくら今の姿が前と違っていようが、俺が俺であることを証明する手段はいくらでもあるからな。
それぐらい、俺とリーエンの付き合いは長くて深いってもんだ。そして、それは魔術の師匠であるジョーカーにも言える。
「は……はぁ? り、リーエン様の恩人と師匠……? あ、あなた方が……ですか……?」
俺たちとリーエンの関係を聞き、目を丸くしている行商人。そりゃそうだよな。大賢者とまで呼ばれた人物が、俺たちとそんな関係にあるとは思えないだろう。
「とにかく、必要な情報はもらった。ってことは今度はこっちの番だな。この山岳地帯を抜けるまで、しっかり護衛してやるから安心しな」
行商人は相変わらず悪い顔色のまま、力なく何度も頷いていた。
うん、気持ちは分かる。分かるだけだけど。
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