山越えと遭遇



 リュクドの森を出た俺たちは、日中は街道から外れた目立たない所で休み、夜になってから街道沿いに移動、という行動を繰り返した。

 その結果、特に人間たちに発見されることもなく、俺たちはゴルゴーグ帝国とグーダン公国の国境近くまで辿り着くことができた。

 だが、問題はここからである。当然ながら、二つの国の間には国境を塞ぐ関所がある。さすがに関所は夜だからといって寝静まることはない。

 昼間は数多くの旅人が潜り抜ける関所の扉も夜は固く閉ざされ、数は多くないものの見張り櫓の上には弓を手にした歩哨が立っている。

「さすがに、俺たちが関所を抜けることは無理か」

「人間の数はそれほど多くなさそうだぞ、アニキ。アニキや俺たちなら、強引に押し通ることもできるだろう」

 そう言うのは、相変わらず無駄に筋肉を強調するムゥである。

 確かに、関所に詰めている兵士の数はそれほど多くはない。今俺たちが奇襲をかければ、相手が油断していることもあって案外すんなりと関所を落とすことも可能だろう。

 だが、問題はその後だ。

 たとえ関所を落としたとしても、その後に今以上の兵士が帝国や公国から派遣され、俺たちを倒すために襲いかかってくることになる。

「人間って奴はな、妖魔と違って目の前にいるだけじゃない。別の所にもっとたくさんの兵士たちがいて、そいつらが後から後からどんどん集まってくるんだ。だから、目の前には少数しかいないからといって、甘く見るとこっちが大怪我することになる。覚えておくんだな」

「なるほど、さすがはリピィのアニキだ。よく人間について知っているな」

 そりゃあ、俺は元人間だからな。人間については詳しいさ。

 と、俺とムゥがそんなことを話している一方で、ジョーカーの奴は残念そうに肩を落としていた。

「やっぱり、クロガネノシロを連れてくるべきだったねぇ。クロガネノシロなら、あんな関所ぐらいあっと言う間に破壊できたし、兵士ぐらいどれだけ集まっても蹴散らせることができたのに」

 確かにあの巨大魔像がここにあれば、関所を落とすことも難しくはないし、有象無象の兵士どもなんて相手にもならないだろう。

 だけど、あの魔像を連れていたら、きっとここまで来られなかったと思う。あれだけ目立つ魔像が一緒だったら、ここに来るまでに冒険者や帝国の騎士団に散々追い回されていたことだろう。

「じゃあ、どうするんだ、リピィ? 俺と姉さんだけなら、《姿隠し》を使ってあの建物の中に忍び込むこともできるが……」

 うーん、どうしようか。俺はギーンの問いに腕を組んで考え込む。

 そういや関所をどうするかとはまるで関係ないけど、ギーンの奴、サイラァのことを姉さんって呼ぶんだな。いつぞやは「自分に姉なんていない」とか言っていたけど、やっぱりサイラァのことは姉だと思っているわけか。うんうん、姉弟の仲がいいのは良いことだ。

 ただし、姉の変な影響は受けないでくれよ? 頼むから。




 結局、俺たちが選んだのは、関所を大きく迂回することだった。

 俺たちは妖魔なのだし、馬鹿正直に関所を通る必要はない。

 だが、関所の両脇は険しい山岳地帯へと続いている。この山岳こそが、ゴルゴーグ帝国とグーダン公国を隔てる実質的な国境ってわけだ。

 傾斜の厳しい山岳地帯を越えるのは危険であり、時には命にも関わる。当然、普通の旅人であれば街道を利用し、関所を通過するだろう。たとえ、関所を越える時にいくばくかの税を支払うことになろうとも。

 もしも街道を利用せずに関所を越えようとするような奴は、きっと何らかの後ろ暗い理由があるに違いない。

 この辺りの山岳は厳しい傾斜が延々と続くため、馬はおろか徒歩でさえ山越えはきつい。

 だが、ムゥたちが駆る突風コオロギは、この険しい山岳地帯もものともしなかった。強靭な後肢による跳躍は、傾斜の厳しい山肌をぴょんぴょんと跳ねていく。サイラァとギーンが操るフタコブトカゲもまた、急斜面に吸い付くようにしてするすると登っている。

 魔獣って本当にすげえな。

 そんな魔獣の常識外れな健脚に支えられ、それほど苦労することもなく山岳部を越えていく俺たち。

 そんな俺たちの目の前にその光景が飛び込んできたのは、まもなく山岳を抜けて平野部に出ようかという頃だった。

「り、リピィさんっ!! あ、あれ……っ!!」

 その光景を見て、俺の背後にいるクースが切羽詰まった声を上げ、その方向を指差した。

 彼女が指差した先。そこでは、数体の魔物に囲まれた、一人の中年男性がいたのだ。

「あれは……行商人っぽいな」

 男が背負った大きな背嚢はぱんぱんに膨れている。護身用に小剣こそ腰に帯びており、簡素な革鎧こそ身に着けているが、あれは傭兵や冒険者ではさそうだ。明らかに戦い慣れしていない。

 男は一本の大木を背にしながら、自分を包囲する魔獣たちに腰から抜いた小剣を突きつけている。

 牽制や威嚇の役には立っているようだが、あのへっぴり腰を見る限り、剣の腕には期待できなさそうだ。

「しっかし、どうしてあんな行商人が一人でこの山岳を越えようと思ったのやら」

「な、何か理由があるのでは……?」

「おそらくそうだろうな」

 クースの言葉に頷きながら、その理由はきっとまっとうなものではないだろうと予測する。

 正規の手段で関所を通らず、護衛さえ雇うこともせずにこの山岳部にいるのだ。それだけで怪しさ大爆発だ。

 もっとも、怪しいという点では俺たちも人のことは言えないが。

 男を取り囲んでいる魔獣は、短剣ムササビと呼ばれる中型の魔獣である。

 短剣のような鋭い爪を持った犬ぐらいの大きさの魔獣で、気性が荒く自分たちより大きな相手でも積極的に襲いかかる。

 また、ムササビの名前の通りに前肢と後肢の間に皮膜を持ち、これを用いて空を滑空する。そして何よりこの魔獣が恐ろしいのは、今あの男が囲まれているように群れで行動する点だろう。

 やはり、数というのは力である。一体一体は弱くても、群れることで恐るべき敵となるのは、誰もが知る事実である。

 この短剣ムササビの場合、個々の力がそれなりにあるにも拘らず、このように群れる習性があるのだ。十体以上のこの魔獣に囲まれれば、駆け出しの冒険者ではまず助からない。

 それはつまり、あの行商人らしき男の命運が尽きたことを意味する。戦いの心得のない人間では、あの囲みを突破することは不可能だろう。

「リピィさん……」

 背後から聞こえるクースの声。その声に含まれているものに、俺は気づいていた。

 まあ、仕方ないか。それに、短剣ムササビを狩ることは俺たちにも利点があるし。

 あの魔獣の爪は、その名前の通り上質の短剣の素材となる。つまり、人間の村や町で高く売れるのだ。隊長を使って人間の町で買い物や情報を集める以上、高く売れる魔獣の素材は集めておくにこしたことはない。

 それに、あの魔獣って食うとすっげえ美味いんだぜ。ただでさえ美味い短剣ムササビの肉が、クースの腕にかかれば……い、いかん。想像しただけで涎が口の中に溢れる。

「よし、ユクポゥ、パルゥ、ノゥ、クゥ! あの魔獣の群れに突っ込め!」

「合点!」

「がってん!」

 俺の命令に、黒いオーガーたちが駆る突風コオロギがその速度を上げた。その突風コオロギの横を、魔獣から飛び降りたユクポゥとパルゥが武器を構えて並走する。

 いや、突風コオロギの速度と同等に走るって、あいつらどういう足腰していやがるんだ? 間違いなく気術で下半身を強化しているのだろうが、それでもあの速度を出すのは俺には無理だ。あいつらって、平然と俺の常識を軽くぶっちぎってくれるよな。

「サイラァは隊長とクースを守りながらここで待機」

「承知致しました」

「ギーンは《姿隠し》であの人間の傍へ行って監視してくれ。逃げ出すようなら、遠慮なくふん縛れ」

「それはいいけど、人間を捕まえてどうするつもりだ?」

「もちろん、利用するんだよ」

 ギーンに向かってにやりと笑った俺は、背後に控えていたムゥへと振り向いた。

「じゃあ、俺たちも行くぜ」

「おう、今からあの魔獣の肉が楽しみだ!」

 どうやら、ムゥも俺の考えが分かっていたらしい。

 俺はムゥが駆る突風コオロギに飛び乗ると、ムゥはすぐさま突風コオロギを走らせた。

 激しい揺れに耐える俺の頭上に、時折ぽたりぽたりと何かが落ちてくるが……きっとムゥの涎だろう。

 後で身体、洗わないとな。




「美味い魔獣っ!! たくさん狩るっ!!」

「美味い肉っ!! クースがもっと美味くしてくれるっ!!」

 そんな叫び声を上げながら、ユクポゥとパルゥが魔獣の群れの中へと身を躍らせた。

 続いて、突風コオロギの巨体が頭上から落下し、数体の短剣ムササビを纏めて押し潰す。

 ユクポゥの槍が、パルゥの剣が、そして、突風コオロギの上から振り下ろされたオーガーたちのモールが。奇襲を受けて混乱することしかできない短剣ムササビを屠っていく。

 最初こそ二十体近かった魔獣の群れも、見る間にその数を減らしていった。そこへ、俺とムゥの操る突風コオロギが突っ込んだ。

 腰から小剣を引き抜きながら、俺は突風コオロギの背を蹴った。そして、着地すると同時に手近にいた短剣ムササビの首を断ち落とす。返り血を浴びないように身体を捻りながら、俺は二体、三体と魔獣を斬り裂きつつ襲われていた行商人らしき男へと近づいていった。

 やがて、行商人も俺の接近に気づいたようだ。震える小剣の切っ先を、俺へと向ける。

「ご、ゴブリンにオーガー……? 不運にも短剣ムササビに襲われたと思ったら、次はオーガーやゴブリンが襲ってくるなんて……」

 剣の切っ先だけでなく身体中をがたがたと震わせながら、行商人が呟いた。

 その気持ちは分からなくもない。彼からすれば、まさに踏んだり蹴ったりだろう。だから俺は彼を安心させるため、にやりとした笑みを浮かべてやった。

「よう、怪我はないか? すぐに魔獣どもを狩り尽くすから、もう少しだけ待っていてくれ」

 そう言った途端、行商人は大きく口をあけた間抜け面で俺をまじまじと見た。まさか、ゴブリンにそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。

「少なくとも、俺たちにおまえを傷つける意図はない。その代わりと言っちゃなんだが、ちょいと頼みたいことがあるんだ。だから、勝手に逃げたりするなよ?」

 行商人にそう言い置き、俺は再び魔獣たちへと斬り込んでいく。もっとも、既に兄弟や三馬鹿たちによって、ほとんどの短剣ムササビは倒されていたけどな。


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