第3章
買い物
「駒を入れ替える、ですって?」
「そうさ。君の駒と僕の駒、互いに入れ替えるのさ。もう長い間、自分の駒ばかりを使い続けてきただろ? だから、気分を変えるためにね」
柔らかなソファに身を沈めた男性の前で、女性もまた、ソファに腰を下ろして細い顎に指を当てながら考え込む。
先程は生まれたままの姿だったが、今は衣服を着込んでいる。目の前の男性と同じ、一枚布を緩やかに巻き付けたような、独特の衣装を。
「……おもしろそうね、それ」
「うん、君ならそう言うと思ったよ。だから……既に手は打っておいたんだ」
女性の言葉を受けて、男性が嬉しそうに微笑む。
「相変わらず手回しのいいこと。その様子だと、駒の準備をしただけではなさそうね?」
探るような視線で、女性は男性を見つめる。その視線を受け、男性はひょいと肩を竦めて見せた。
「君を崇拝する者を一人、適当に選んで君の名前で助言を与えておいた。おそらくその者は今頃、君から神託を受けたと喜びで身を震わせているだろうさ」
「私の崇拝者に勝手な真似をしないでくれない?」
「いいじゃないか。君と僕の仲だし……それに、崇拝者も僕たちにとっては駒の一つだろ?」
罪悪感を抱く様子もなく、そんなことを言い放つ男性。その男性にじっとりとした視線を向けた女性は、再びその視線を足元へと移す。
彼らの足元。そこには漆黒を背景に、美しく輝く蒼い球体が存在していた。
それまで視界を遮っていた、鬱蒼とした木々が不意に途切れる。
その向こうに広がっているのは、広大な草原。起伏に富んだ見晴らしのいい地形が、俺の目に飛び込んで来た。よく見れば、ちょっとした丘の向こうには町らしきものも見える。
「どうやら、遂にリュクドの森を抜けたようだな」
「そうみたいですね」
俺と一緒にムゥの突風コオロギに乗っていた、クースが応えた。
肩越しに振り返れば、彼女は眼前に広がる草原をどこか懐かしそうに眺めている。
そういや、俺と彼女が出会ってからこっち、ずっとリュクドの森の中にいたもんな。人間であるクースにしてみれば、森の外の方が「本来の世界」ってわけだ。
「リピィのアニキ、これからどうする? このまま森を出るのか?」
「いや、当初の予定通り夜を待つ。暗くなってから森を出て、グーダン公国を目指す」
ムゥの言葉に応えて、俺はこれからの行動を指示する。このまま見晴らしのいい草原へと出れば、遠からず俺たちは人間に発見されるだろう。
オーガーやゴブリン、それにダークエルフの一団が、目立たないはずがないからな。
「一応、ここで夜まで休憩だ。っと、おい、隊長」
「なんスか、ゴブリンの旦那?」
「悪いが、おまえにちょっと頼みがある」
俺は丘の向こうに小さく見える、人間たちの町を指差した。
それほど大きな町でもなさそうだ。おそらくは、ちょっとした宿場町といったところだろう。
「あの町まで行って、いろいろと買い込んできてくれ」
隊長に人間の町で買い込んできて欲しいのは、彼やクースの衣服類や薬類、食料、武器や日用品といった、ダークエルフの集落やリュクドの森の中では手に入らない物だ。
「あの町に、冒険者の互助会はあると思うか?」
「あの規模の町なら、まず間違いなくあると思いますぜ」
ならば、隊長にはあの町で冒険者の互助会に接触してもらおう。彼がまだ互助会に籍があればよし、なければ適当な偽名でもでっち上げて新たに籍を作ってもらおう。
聞けば、国外で活躍していた冒険者が、ゴルゴーグ帝国に入ってから改めて互助会に籍を作るのはよくあることらしい。隊長には帝国外から来た冒険者を装ってもらい、正式に互助会に属してもらう。そうすれば、俺たちも互助会を利用できるってわけだ。
「あのー、ゴブリンの旦那? そんなこと俺に頼んで、そのまま逃げるとか思わないんですか?」
「ん? 逃げたければ逃げてもいいぞ。その時はクースに隊長の代わりをしてもらうことになるが」
できれば、真似事とはいえクースに冒険者にはなって欲しくはない。そもそも、クースが「わたしはぼうけんしゃだー」とか言っても、誰も信じないだろ。
「まあ、今更逃げるつもりはありませんがね。クース嬢ちゃんの作る飯は美味いし、旦那の手下をしているのもなんだかんだで楽しいし、ダークエルフの集落では、綺麗どころのお姉ちゃんとも仲良くなれたし」
おい、隊長。いつのまにダークエルフとそんな仲に? ってか、ダークエルフはおっかないとか言っていなかったか?
まあ、隊長が誰と仲良くなっても構わないけどな。子供じゃあるまいし、全ては隊長の自己責任だ。
「ねえ、隊長くん。ちょっと聞いてもいいかな?」
「なんスか、骸骨の旦那?」
「冒険者の互助会って、どういうシステムで会員を管理しているんだい?」
「しすてむ?」
「ああ、システムって言っても通じないか。えっと……構成員の名前とか人数とか、どうやって管理しているのかなって思ってさ。ほら、互助会ってあちこちに支部があるわけだろ? 支部の間の情報のやり取りってどうなっているの?」
隊長の説明によると、冒険者は拠点とする町や、冒険者稼業を始めることになる町の互助会で、まず最初の冒険者登録をする。そして、依頼などで様々な町を訪れる度に、その町の互助会に顔を出しては再び登録していく。これを繰り返すことで、冒険者は徐々に活動範囲を拡げていくらしい。
「なるほど……さすがに支部間で情報を即座にやり取りする方法は、まだ確立していないってわけだね」
「話によると、互助会を立ち上げた第三皇子様は、支部同士で情報を共有する方法を考えてはいるそうですが、まだまだそれは難しいってことですぜ」
そりゃそうだ。遠く離れた町と情報のやり取りをするには、手紙を送るのが一般的だ。だが、手紙だと到着までかなり時間がかかるし、その手紙が必ずしも相手に届くとは限らない。
手紙を預かるのは行商人や冒険者だが、彼らが旅の途中で命を落とすことなんて珍しくはないからだ。
ごく稀にジョーカーのような操術師が使い魔を使って手紙を運ぶこともあるが、それでも確実とは言い難い。配送の途中の使い魔が、何らかの外敵に襲われることもある。
「だから、俺が適当な偽名を使えば、あそこに見える町で新たに互助会に属することはできるんじゃねえですかね」
もしも隊長が盗賊になったことが知れていても、その情報が互助会の各支部に伝わるとは限らない。情報が回っていたとしても、精々隊長が冒険者登録した町の互助会か、その近隣の支部だけってわけだ。
「よし、じゃあ互助会の方は隊長に任せる」
「承知しやした。でもゴブリンの旦那、物を買うには金が要りますぜ?」
そうだな。人間の社会では、何を買うにもまず金が必要だよな。
だが、ゴブリンである俺に金なんてない。当然、オーガーたちも同様だ。ダークエルフであるギーンとサイラァも、人間社会の金なんて持っていないだろう。
だが、金がないからと言って悲観することもない。
俺は薄汚れた袋の中から、魔獣の牙や爪を適当に取り出して隊長に手渡した。
「こいつを町で金に替えればいい。ある程度の値段で売れるだろうよ」
「なるほど、リュクドの森の魔獣の牙や爪ですか。なら、いい値段がつきそうだ」
これまでムゥたちが食料として狩ったこの森の魔獣たち。さすがに毛皮は嵩張るし、剥ぐのもいろいろと手間がかかるのであえて放り捨ててきたが、牙や爪だけは取っておいたんだ。
牙や爪ならそれほど嵩張らないから、他国から来た冒険者が持っていても不思議じゃないだろう。
「じゃあ、ちょいと行ってきやす。夜までには戻りますよ」
そう言って、隊長は気軽な足取りで遠くに見える町へと向かったのだった。
「いやー、すいやせんね、ゴブリンの旦那。まさか、こんなおまけがついてくるとは」
「仕方ないさ。こういう馬鹿はどこにでもいる」
俺は足元に転がっている死体の一つを蹴飛ばした。
こいつらは、町から戻ってきた隊長の後をつけてきたらしいゴロツキどもだ。
「おそらくこいつら、俺が町で魔獣の牙や爪を金に替えているところを見ていたんでしょうね」
「で、ちょっとした金持ちになった隊長から、金や荷物を奪おうとして町の外まで追いかけてきたってわけだな」
この手の追いはぎのような連中は、本当にどこの町にでもいるもんだ。
町の互助会で冒険者登録することができた隊長は、そのまま互助会で俺が預けた牙や爪を換金してもらったらしい。
俺が渡した牙や爪は、かなり珍しい魔獣のものだったようだ。オーガーたちには手頃な食材でしかない魔獣だが、森の奥へと入り込むのが難しい人間たちにとっては、貴重な魔獣だったってわけだ。
で、そんな魔獣の爪や牙は、当然高額で引き取ってもらえた。その金であれこれと町で買い物をした隊長のことを、このゴロツキどもはどこかで見ていたんだろうな。
で、こいつらにとっては都合のいいことに、買い物を済ませた隊長は町の外へと出た。町の外なら「仕事」がしやすいと考えたこいつらは、のこのこと隊長の後をつけてきて……
隊長一人なら何とでもなると考えていたんだろうが……まさか隊長がゴブリンやオーガーと合流するとは予想さえしていなかっただろう。
俺たちを見た時のゴロツキどもの顔、結構見ものだった。隊長をいたぶるつもりで完全に舐めきっていたこいつらは、俺たち──主にムゥたちオーガー──を見て一気に青ざめた。まあ、気持ちは分かるけどな。
「な、なんだ……ど、そうしてこんな所にオーガーやゴブリンが……?」
「ま、まさか、おまえがこの妖魔どもを使役しているのか……?」
なんて喚いていたゴロツキたち。そんな奴らに対し、隊長はすっげえドヤ顔で言い返していた。
「馬鹿言うな。ゴブリンやオーガーは俺の手下なんかじゃねえ。俺がゴブリンの手下なのさ」
いや、隊長。それはドヤ顔で言う台詞じゃないぞ。
「ところでリピィのアキニ、この人間たちを食ってもいいか? クースが作るヤキニクは確かに美味いが、たまには人間も食いたいぞ」
まあ、いいよな。こんな他人の金を掠め取るようなゴロツキだ。ここでムゥたちに食われたって自業自得ってものだろう。
「ああ、こいつらなら食ってもいいぞ。だが、人間をクースに料理させるなよ?」
最近ではすっかり魔獣を解体することにも慣れた様子のクースだが、さすがに人間は駄目だろう。かく言う俺も、人間だけは食べたくないし。
俺が許可を出した途端、黒馬鹿三兄弟とユクポゥとパルゥが嬉しそうにゴロツキどもを食い始めた。
最近忘れがちだけど、こいつらってやっぱり妖魔だよなぁ。
さて、ゴロツキどもの「処理」はムゥたちに任せて、俺とクース、そしてサイラァとギーンで、隊長が買い込んできた物の確認をしよう。
「食料や日用品、そして薬品や武器……よし、一通り必要な物はある。これでしばらくは物資に余裕ができたな」
「いやー、本当は防具も買いたかったんですがね、さすがに嵩張るんで諦めて武器だけにしやした。まあ、武器だって結構重かったんで、数は運べませんでしたがね」
「世話かけたな。この中で使いたい武器があったら隊長が使ってもいいぞ」
俺がそう言うと、隊長は嬉しそうに自分が買ってきた武器の中から一振りの剣を選び出した。仕事をした部下には報酬を。うん、当然のことだよな。
その後、俺が使えそうな小剣を選んだり、ユクポゥやパルゥが使えそうな武器を見繕ったりした。武器と言えば、隊長を追いかけてきたゴロツキたちの武器もあるな。あれも貰っておこう。
今後も隊長には、人間の村や町で買い物をしてもらおう。そのためにも、これからは積極的に金になりそうな魔獣の素材を集めておかないとな。
サイラァとギーンの
クースはと言えば、隊長が買ってきた服たち──さすがに古着ばかりだが、庶民は古着を活用するものだ──を見て、なぜか顔を赤らめていた。
「どうした、クース? 隊長が買ってきた服、どこか変なのか?」
ちなみに、クースが今着ている衣服はリーリラ氏族の集落で貰ったものだ。意外とダークエルフ流の意匠の服も、彼女には似合っている。
「あ、あの、り、リピィさん…………」
何やら言い辛そうな様子のクース。きょろきょろと左右を見回した彼女は、サイラァの近くへ寄ると何やら耳打ちを始めた。
そして、ふむふむと何度も頷くサイラァ。あれ? この二人、こんなに仲が良かったっけか?
クースから耳打ちされたサイラァは、とっても真面目な顔で俺に告げる。
「リピィ様。新しい服は問題ないが、新しい下着がないのが問題だ、とクースが言っておりますわ」
「さ、サイラァさんっ!! そ、そんなにはっきりと言わないでくださいっ!!」
サイラァがそう言った途端、先程よりも更に赤くなってクースはサイラァの上腕あたりをぽかぽかと叩いている。うーん、本当に仲良くなったんだな。仲良くなるのはいいが、サイラァの変な影響は受けないでくれよ?
でも、確かに下着は問題だよな。
「隊長?」
「……無茶言わんでくださいや」
がっくりと、疲れたように肩を落とす隊長。
確かに、隊長にクース用の下着を買わせるのは可哀想だ。仮に俺が誰かにそんなことを言われたら、問答無用でそいつを殴る自信があるね。
「……今度機会があったら、クースも隊長と一緒に町まで行ってきてくれ」
とりあえず、しばらくクースには現状で我慢してもらおう。
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