閑話 ダークエルフの族長




 私の前に無遠慮な仕草で腰を下ろしたのは、黒曜石のような肌と短く刈り込んだ銀の髪を持った男性であった。

「久しいな、リーリラの」

「わざわざ貴殿が単身で尋ねてくるとは思わなかったぞ、ゴンゴ族長」

 私の目の前に座ったのは、私と同じダークエルフ。そして、やはり私と同じく族長を務める者。

 ゴンゴ・ガララル・ガリアラ。それが目の前のダークエルフの名前である。

 年齢で言えば私の半分にも満たない若造だが、その実力は間違いなく私以上。なんせ、目の前の男は先代の《魔物の王》にその力を認められ、《魔物の王》自らが自分の部下へと招いたほどなのだから。

 だが、このゴンゴをしても《魔物の王》の側近にはなれなかったというのだから、当時の《魔物の王》の傍にはどんな怪物たちが集っていたのか。正直、私には想像もつかない。

「ところで、リーリラの。あの白い変なゴブリンはどうした?」

「ああ、リピィ殿ならば、既に旅立ったぞ」

「なんだと? あの白いゴブリンはどこへ行ったのだ?」

「何でも、この森の外……人間たちがグーダンとか呼ぶ国へ行くそうだ」

 白いゴブリン──リピィ殿は、ガリアラ氏族の集落から帰って来て早々に旅立った。何でも、グーダンという国にいる人間の賢者と会うのが目的らしいが、賢者とまで呼ばれる人間が妖魔とまともに会ってくれるものだろうか。

 だが、そこはリピィ殿のことだ。何かと型破りなあのゴブリンであれば、人間の賢者ともすんなりと交渉してしまいそうな気がする。

「なあ、リーリラの。おまえはどう思っている?」

「突然何のことだね、ゴンゴ族長?」

「決まっている。貴様の孫娘……リーリラの巫女であるサイラァが言っていたあの件だ。貴様とて孫娘から聞いておろう? 貴様は孫娘の言葉……あの白いゴブリンが次代の《魔物の王》に最も近いという言葉を、どう思っているのかと聞いておるのだ」




 我がリーリラ氏族の巫女にして、私の孫でもあるサイラァが、ある日私に告げた言葉。

 あれは我がリーリラ氏族がオーガーの集団に奇襲を受け、聖域に逃げこんだ際にサイラァが私にだけ秘かに告げたのだ。

 氏族の半数以上がオーガーたちに殺され、表面的には落ち着いて見せてはいたものの、内心ではこれからどうしようかと悩んでいた私にとって、孫娘の言葉は衝撃だった。

「間もなく、ここに白いゴブリンが現れるでしょう。そして、その白いゴブリンこそが我らリーリラ氏族を救う存在となります」

「我らを今の窮地から救うだと……一体、その白いゴブリンとやらは何者なのだ?」

「我が神はこう仰せになりました。その白いゴブリンこそ、次代の《魔物の王》に最も近しい存在である、と」

 頬を朱に染め、恍惚とした表情さえ浮かべながらそう告げたサイラァ。

 いつの頃からか変な性癖を目覚めさせ、氏族から隔離するという目的で巫女へと祭り上げた我が孫娘。

 当時は本当に困ったものだった。森で動物や魔獣を狩るのは我らにしても必要なことだが、孫娘はなぜか淫靡な雰囲気を振り撒きながら動物を狩るのだ。

 そのせいか、孫娘と一緒に狩りに出かける若者たちは、彼女のことが気になってどうしても注意力が散漫になり、時にはひどい怪我を負った者もいたぐらいである。

 そもそも狩りに怪我はつきものだし、幸いにも死者が出たことはなく、怪我もサイラァ自身が命術で治療するのでそれほど大した問題にはならなかったが。

 更にサイラァは狩った獲物の腹を嬉々として裂き、溢れ出る臓物や血を見てうっとりとする始末。

 いくら我らがダークエルフとはいえ、サイラァをこれ以上野放しにするのはさすがに危険な気がしたので、族長の強権でサイラァを巫女にして聖域に半ば軟禁したのだが……あの時の判断は、決して間違っていなかったと今でも思う。

 もしもあいつを巫女として聖域に押し込めなければ、今頃どうなっていたのか考えるだけで恐ろしい。

 そのサイラァが、恍惚とした表情を隠すことなく白いゴブリンのことを告げたのだ。まあ、サイラァが恍惚としているのは、割といつものことではあるが。

 《魔物の王》。それは我ら妖魔にとっては絶対的な存在。

 力こそ全てと考える妖魔を統べるには、当然それだけの力が必要となる。単なる力だけではなく、それ相応の統率力も必要だろう。《魔物の王》とは、全ての妖魔を従えるだけの力と統率力を持った存在なのだ。

 その《魔物の王》に最も近いのが、ゴブリンだと? 正直、あの時の私は孫娘の言葉が信じられなかった。

 だが、実際に白いゴブリンは我々の前に姿を現し、我がリーリラ氏族を救い、敵であったオーガーたちを配下に収めてみせた。その時、私は確信した。サイラァが受けた神託は本物であり、この白いゴブリンこそ、将来魔物の王となるべき存在である、と。




「それでどうなのだ? 貴様は本当にあの白いゴブリンが《魔物の王》になると考えているのか?」

 物思いに耽っていた私は、ゴンゴ族長の声で我に返った。ふと見れば、ゴンゴ族長は真剣な光をその目に宿してじっと私を見つめている。

「無論、私は孫娘の言葉を信じているとも。あの白いゴブリン……リピィ殿こそが、今代の《魔物の王》である、とな」

「確かにあの白いゴブリンは変な奴だ。ホブゴブリンだけではなく、オーガーどもまで手下に従えていやがる。更には、おかしな骨野郎まで仲間にしやがった」

 ゴンゴ族長の言う骨野郎とは、あのジョーカーとかいう死術使いのことだろう。いや、彼は死術使いではなく、操術使いだったか。

「優秀な部下が集まるのもまた、リピィ殿が《魔物の王》である証左のひとつではないかね?」

「確かに先代の《魔物の王》の周囲には、この俺から見てもとんでもねえ連中ばかり集まっていやがったな」

 昔を思い出したのか、ゴンゴ族長はどこか遠い目をする。だが、すぐに私に視線を戻すと、ずいとその鍛え上げられた身体を乗り出す。

「おい、リーリラの。貴様……あの白いゴブリンに取り入ろうとしていやがるな?」

「当然だろう? リピィ殿が《魔物の王》となれば……当然我がリーリラ氏族はその旗下に加わることになる。ならば、今からリピィ殿に積極的に取り入り、我が氏族の価値をより強めることは間違いではあるまい?」

「確かに、あの白い変な奴が本当に《魔物の王》となるなら、貴様の判断も間違いじゃねえ。だが、まだあの白いのが《魔物の王》となると決まったわけじゃあるまい?」

 ゴンゴ族長の言う通りだ。確かに神託によればリピィ殿こそが《魔物の王》に最も近い存在らしい。だが、「最も近い」ということは、《魔物の王》となる可能性のある者は他にもいるということでもある。

 これは私の勝手な想像だが、リピィ殿が《魔物の王》に関する情報をあれだけ熱心に集めているのは、今の内に他の《魔物の王》の候補となる者を倒すためではないだろうか。

 その予想をゴンゴ族長に告げれば、彼もまた腕を組みながらなるほどと頷いた。

「確かに、そう考えればあの白いのが《魔物の王》の情報を集めていたのも理解できるな。ということは、あの白いの自身も《魔物の王》になるつもりでいるってことか?」

「おそらくそうだろう。敵であったオーガーを殺すことなく部下にしたのも、将来を見越しているからではないかな?」

「なるほど……となると……俺も黙っているわけにはいかないってことだな」

 厳つい顔をにやりとさせながら、ゴンゴ族長が私を見る。さてはこいつ、私と同じことを考えているな?

「ゴンゴ族長……貴殿もリピィ殿に取り入るつもりだな?」

「おうともさ。今の時点から積極的にあの白いのに協力しておけば、将来はあの白いの……《魔物の王》の側近となることもできるだろうよ。はは、今度こそ……今度こそ、俺は《魔物の王》の側近となってみせるぜ!」

 太い腕を伸ばし、大きな拳を私に見せつけるようにするゴンゴ族長。なるほど分かった。これは私に対する挑戦だな?

「ところで、ゴンゴ族長。《魔物の王》の側近にダークエルフは二人もいらないと思わないか?」

「そいつぁ奇遇だな、リーリラの。俺も同じことを考えていたところだぜ?」

 私とゴンゴ族長は、互いに互いを見つめながら同時に立ち上がる。

「表に出ろ、この若造が! 伊達に長い時間を生きてはおらんことを思い知らせてやろう!」

「おもしれえじゃねえか、この老いぼれが! そっちこそ、鍛え上げられた俺の武力、その身体で味わいやがれ!」

 私とゴンゴ族長は、視線を切ることなく建物の外へと出る。

 現在我がリーリラ氏族の集落は、先のオーガーの襲撃による破壊からの復興の真っ最中。集落のあちこちでは氏族の者たちが家屋の修理に汗を流していた。そんな所へ剣呑な雰囲気の二人の族長が姿を見せれば、すわ何事かと氏族の者たちの注目を集めてしまうのは当然であった。

「おい、リーリラの。貴様の集落の者たちの前で、みじめに地面に這い蹲らせてやるぜ! 覚悟するんだな!」

「ふ、みじめに地面に這い蹲るのはどちらかな?」

「貴様の魔術など、恐くはねえぞ? 俺たちダークエルフは、生来魔術に対する抵抗力が高いからな!」

 ゴンゴ族長の言う通り、我らダークエルフは生れながらにして魔術に対する抵抗力が高い。これは我らが魔術や魔力に対する親和性が高いからだと言われている。そのため、私の魔術を用いてもゴンゴ族長には確かに効果は薄いかもしれない。

 だが、私が魔術だけが取り柄の存在だと思うんじゃないぞ。

「見縊るなよ、若造。我が力は魔術だけにあらず! さあ、出でよ、我が新しき力よ! 来い! クロガネノシロ!」

 手首に装着した腕輪に向かって、私は高らかに告げた。そして私のその命令に応えて、それまで家屋の修理の手伝いをしていた巨大な鋼鉄魔像──クロガネノシロが、重々しい足音を響かせて近づいてくる。

「お、おい、リーリラの! そ、そいつぁあの白いのが連れていた……」

「そうとも、ゴンゴ族長。この巨大鋼鉄魔像こそ、私がリピィ殿より預かった新しい力よ!」

「ちょ、ちょっと待てや、おい! いくらなんでも卑怯だろうが!」

「我ら妖魔は力こそ全て! 卑怯もへったくれもない!」

「て、てめぇ……さっき自分で言った『長い時間を生きていた』とか全然関係ねえじゃねえか!」

「知らんな、そんなことは」

 すっとぼける私。そして、ゴンゴ族長は青い顔をしながら逃げ出した。その後を、足音を響かせてクロガネノシロが追う。

 しかも、クロガネノシロだけではなく、リピィ殿より預かった屍魔像たちもまた、のたのたとした動きながらもゴンゴ族長を追いかけ始めたのだ。

「ち、ちくしょう、汚ねえ! 汚ねえぞ! 俺にも魔像を寄越せ、白いの!」

 泣き叫びながら逃げ惑うゴンゴ族長。うははは、いい気味だ。すっきりした。

 大体、あいつは以前から気に入らなかったのだ。自分がちょっと先代の《魔物の王》に認められたからと言って、何かにつけてそれを自慢しやがるのだ。

 ふん、これであの若造も思い知っただろう。ざまあみろ。




 なお、この騒ぎで折角建て直した建物が再び壊れてしまい、私は氏族の者たちから大目玉をくらうことになったが、それはリピィ殿には内密でひとつ。


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