閑話 ある日の彼女たち




「ねえ、あなた……あなたって、リピィ様のことをどう思っているのかしら?」

「え?」

 振り返った私を迎えたのは、真剣な光が宿った真紅の瞳だった。




 ガリアラ氏族の集落からリーリラ氏族の集落に帰る途中。

 一日の旅程を終えて野営の準備に入った私たちは、女性陣だけで汗を流すために野営地近くを流れる川にやってきた。

 私たち──私とパルゥさん、そしてサイラァさんの三人──は服を脱ぎ、川の冷たい水で汗を流す。

 冷たい水で汗を流すのは、やはり気持ちがいい。激しく揺れる突風コオロギに一日乗っていると、その激しい揺れに耐えるために全身の力でしがみついていないといけないので、知らず身体に熱が篭るのだ。

 身体に宿った熱が、川の冷たい水に洗い流されていく感覚に、思わずほうと息を吐き出す私。

 その時だ。一緒に水浴びをしていたサイラァさんが、真剣な表情で私に聞いたのは。

「ど、どう思っているのかって……そ、それは……」

 頬に先程までとは別の熱が宿るのを、私ははっきりと自覚した。

 そう。

 私は間違いなく、リピィさんを……銀月の眷属であるゴブリンのリピィさんを、特別な存在だと感じている。

 最初は単なる恩だった。盗賊から助けてもらい、行くあてのない私を一緒に連れていってくれたリピィさんは、私にとっては忘れることのできない恩人──恩ゴブリン?──だ。

 盗賊たちに囲まれ、今まさに乱暴されそうになっていた時、突然私の前に現れた白いゴブリン。

 人間である私に、頼み事やお礼を言う本当に変なゴブリンだけど。

 あの時、もしもリピィさんが助けてくれなければ、私は今頃どうなっていただろうか? おそらくは盗賊たちに弄ばれた挙句、場末の娼館あたりに売り飛ばされていただろう。

 それを考えると、今でも身体が震えることがある。

 辛い記憶ばかり残る故郷の村に帰りたくなくて。見ず知らずの場所で生きていく自信がなくて。助けてくれたという理由だけで、私はリピィさんについて行こうとした。

 相手はゴブリンなのに。人間にとって最悪と言ってもいい相手のはずなのに。

 きっとあの時の私の心に、クースイダーナ様がそっと囁いてくださったのだと思う。

 目の前のどこか変なゴブリンは、どこの誰よりも信じることのできる存在だよ、と。

 クースイダーナ様の声なきそのお言葉に、あの時の私は全く気付いていなかった。それでも、心のどこかにクースイダーナ様のお言葉は届いていたのだろう。

 だからあの時……私は目の前の白いゴブリン──リピィさんに付いて行こうと決意したのだと思う。




「わ、私にとってリピィさんは……」

 頬に宿った熱が更に熱くなり、私の言葉の邪魔をする。

 それでも、私の想いにサイラァさんは気づいたのだろう。彼女はくすりと妖艶に微笑むと、そのまま私に背中を向けた──かと思えば、素早く私の背後に回り込み、後ろから私の胸を両手でわしっと握り締めた。

「ひゃ………………」

「まあ、本当に大きいこと」

 「ひゃああああああああああああああああああああああっ!?」

 私の悲鳴など気にすることもなく、サイラァさんはむにむにと私の胸を揉みしだく。

「あの方……リピィ様は胸の大きな女性が好みのようよ? 良かったわね?」

「え?」

「だってあの方……私には全く興味を示さないもの。たとえ今の姿であの方の前に出ても、きっと詰まらなさそうな顔をされると思うわ」

 今の姿……私たちは今、水浴びの最中ということで当然ながら全裸である。

 すらりとした長身で細身の体型と、芸術を司る神の手によって作られたと言っても過言ではない、神秘的な美貌の持ち主であるサイラァさん。

 確かに彼女の胸は小さ……いえ、慎ましやかだが、それでも身体全体の美しさを損なうものではなく、彼女の美しさはエルフやダークエルフ独特の芸術的な美しさであり、人間にはとても真似のできないものである。

 そんなサイラァさんが先日、今の姿に限りなく近い格好でリピィさんにしなだれかかったことがあるが、確かにあの時のリピィさんは迷惑そうな顔をしていたっけ。

 それを考えると、本当にリピィさんは胸の大きな女性の方が好きなのかもしれない。

 胸といえば、最近また少し大きくなったかも。

 かつて、故郷の村にいた時。貧しかった我が家は、満足に食べることなどほぼなく、いつもお腹を空かせていた。

 だが、リピィさんたちと一緒に行動するようになってからは、いつもお腹一杯食べられる。

 もちろん料理を作るのは私自身だけど、ユクポゥさんやリピィさんたちを筆頭に皆さん本当によく食べるけど……それでもオーガーの皆さんが狩ってくる獲物は多く、食べ物に困ることはない。

 考えてみれば不思議なものだ。人間の村にいた頃より、こうして妖魔であるリピィさんたちと一緒にいる今の方が食べる物に困らないなんて。そして、今の方が故郷の村にいた時よりも、ずっと心が安らぐなんて。

 そのせいか、最近の私の身体は実に健康的である。かつてはがりがりだった私の身体──それでもなぜか胸だけは育っていた。不思議──も、今では以前の面影もないほどふくよかになった。

 ふくよかとは言え、私は決して太っているわけではない。そこは乙女にとって極めて重要なことなので、はっきりと明言しておこう。




「と、ところで……サイラァさんは、どうしてリピィさんに……?」

 相変わらず背後から私の胸を揉んでいるサイラァさんに、肩越しに振り返りながら尋ねてみた。

 彼女が仕える神様……確か、銀月の神々の一柱である腐敗と殺戮を司るジャクージャ神からお告げがあり、そのお告げでリピィさんに従っているとのことだが……果たして、それは本当だろうか?

 だって、見た目はちょっと怖いけど心は本当に優しいリピィさんが、腐敗と殺戮の神様に目を付けられるとは思えないのだが。

「……それから、そろそろ手を放してくれませんか?」

「あら、残念。柔らかくて、とっても揉みごこちが良かったのに……」

 本当に残念そうに、サイラァさんは私の胸から手を放した。

 もしかして、サイラァさんにはそっちの趣味もあったり……?

 リピィさんが言う「真性」なアレに加えて、そっちの趣味もあるとなると……正直、私の手には負えない存在である。いろいろな意味で。

「そう……ね? 私がリピィ様になぜ仕えているか……我が神から神託があったから……では信じられないようね?」

 どこか妖艶に微笑むサイラァさん。

「いいわ。あなたには本当の理由を教えてあげる。その代わり……」

 私の正面に再び回ったサイラァさんが、その神秘的な美貌をずいっと私の顔の前に近づける。

「……絶対に、リピィ様には内緒……よ?」

 口元に人差し指を当てながら、先程より更に妖艶に笑うサイラァさん。

 ……こ、こんな表情を間近で魅せつけられると、な、何だか私の方が変な趣味に目覚めてしまいそうだ。




「私に神託があったのは本当。でも、その内容は『白いゴブリンに従え』というものではないわ」

 河原の手頃な大きさの石に腰を下ろし、目を閉じながらサイラァさんが語る。

「我が神から受けた神託の内容は……リピィ様が今代の《魔物の王》かもしれない、ということ」

「え……?」

 り、リピィさんが《魔物の王》……?

 《魔物の王》と言えば、無数の魔物を従えてヒト族に破壊と殺戮をまき散らす存在だと言われている、あの?

 実際、今から六十年ほど前に《魔物の王》が現れ、世界は大いに混乱したと言われている。

 その時はヒト族の中から《勇者》様が現れ、《魔物の王》と差し違える形で世界を救ったとか。

 そんな《魔物の王》に、あのリピィさんが?

「もちろん、リピィ様が《魔物の王》になると決まっているわけじゃないわ。ただ、現時点ではリピィ様が《魔物の王》に最も近しい位置にいると……我が神ジャクージャ様はそうおっしゃったの」

「じゃあ、どうしてリピィさんに従うなんて……?」

 思わず口にした私の言葉に、相変わらずサイラァさんは妖艶な表情を浮かべている。

「……リピィ様が今後進む道は、きっと血と臓腑で舗装された……とても胸の弾むものになると思うわ」

 は、はい……? い、今何て……?

 思わず目が点になっている私を置いてきぼりにして、陶然とした表情のサイラァさんの言葉は続いていた。

「リピィ様が往く道は血塗られた覇道……つまり、リピィ様に従っていれば、私の前には流れた血と溢れ出た臓物がたくさん待っているということっ!!」

 拳をぎゅっと握り締め、素っ裸でとんでもないことを力説するサイラァさん。

 何と言うか……本当にどこまでも「真性」なんだ、この人……じゃない、ダークエルフ。

「実際、リピィ様と出会ってから血と臓物には事足りません! そして、これからもリピィ様が歩む道は、これまで以上に血色に満ちたものになるでしょう! つまり、リピィ様に付き従えば、私の前にも血と臓物に溢れた素晴らしい光景が待っているということ!」

 確かにオーガーの皆さんとか、ガリアラ氏族のガラッドっていう変なダークエルフとか、リピィさんは戦ってばかり。サイラァさんの言うことも決して間違っていない。

「この性癖のせいで祖父から一方的に聖女として祭り上げられ、聖域に半ば軟き……もとい、腐敗と殺戮を司るジャクージャ神の信徒として、この世に殺戮の血飛沫をまき散らすリピィ様を、私は全力で支える所存なのよっ!!」

 今、とんでもないことをサイラァさんが言いかけたような……気のせいということにしておこう。きっとリピィさんだって、同じ判断をするはずだ。

「そんなわけで、私はリピィ様に……今代の《魔物の王》になられるであろうあの方にお仕えするの。理解してもらえた?」

「はぁ……い、一応……」

 こんなこと、リピィさんに言えるわけがない。ただでさえサイラァさんに苦手意識を持っているみたいなのに、こんなことを告げたらリピィさんの気苦労が増えるだけだ。

 幸いというか何というか、取りあえずリピィさんに直接的な実害はないようだし、サイラァさんとの約束通りリピィさんには秘密にしておこう。




 私とサイラァさんが河原の石に腰かけてそんな話をしている間、もう一人の女性であるパルゥさんが何をしていたのかと言うと。

「クース! 見て、見て! 美味しそうな魚!」

 両手に一匹ずつ大きな魚を握りしめたパルゥさんが、にこにことした笑みを浮かべて私に駆け寄って来た。

 どうやら川の中で魚を捕まえるのに夢中だったらしい。

「これ、クースがりょりしたら、美味しい魚に進化する?」

「りょりじゃなくて料理ですよ? それに、魚は料理しても進化しませんから」

 初めて出会った頃に比べると、格段にゴルゴーグ公用語が上手くなったパルゥさんだけど、まだまだ不慣れのようだ。

 当然ながらパルゥさんも裸で、私の目の前で私よりも大きな胸が揺れ弾んでいるが……なぜかあまり色気は感じられない。逆に私の隣にいるサイラァさんなんて、ただそこにいるだけで過剰なまでの色気を振りまいているのに。

 おそらく、パルゥさんがどこか子供っぽいところがあるからだろう。ゴブリン相手に子供っぽいもないかもしれないが。

「ワタシ、お腹減ったよ! リピィたちの所に帰って、この魚を美味しく進化させる!」

「そうですね。魚があれば、料理の幅が広がりますね」

 オーガーの皆さんは肉を好むので、どうしても肉料理中心になってしまうが、魚があれば少しは変わったものも作れるだろう。

 私の言葉に、にぱーっと笑うパルゥさん。そして、そのままリピィさんたちがいる方へと走り出す。

 あ、待って、パルゥさん! 裸のまま行ったらさすがに駄目だから! いや、ゴブリンだから裸でもいいのかも? や、やっぱりよくはない……と思う。

 私は慌ててパルゥさんの後を追う。そんな私の背中に、くすくすと笑うサイラァさんの声が。

「あらあら……裸でリピィ様を誘惑するの? なかなかやるわね?」

 そうだった! 私も今、裸だった!

 小さな悲鳴を上げながら、私は衣服が置いてある場所へと慌てて駆け戻るのだった。


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