閑話 帝国の第三皇子 その2



 ゴルゴーグ帝国の中心である、帝城のとある一室。

 広さこそはあるものの、一切の装飾を省いた武骨一辺倒なそこは、帝国における数ある軍議の中でも特に重要なものだけが執り行われる部屋である。

 そんな部屋の中に今、数人の男たちが集まっていた。

「して、先日我が帝都を騒がせた巨大な魔像ゴーレム……その後の報告を聞こう」

 部屋の最も奥まった所に位置する椅子に座るのは、このゴルゴーグ帝国の現皇帝アルデバルトス・ゾラン・ゴルゴーグその人である。

 鍛え上げられた巨躯と精悍な顔つき、そして何より全身から漲る覇気が、決して若くはない彼をいまだに「戦士」として周囲に認めさせている。

 実際、アルデバルトスは帝国内のおいて、今も尚「最強」に数えられる一人なのだ。

 その皇帝の言葉に応じ、一人の男性が立ち上がる。

「城壁を破壊して帝都の外へと逃亡した件の魔像ですが……ざ、残念ながらいまだにその行方は掴めておりません……」

 顔を伏せ、肩を落として報告をする男性。

 先日の真夜中、突然帝都の片隅に出現した巨大な鋼鉄魔像。歩くだけで地響きが周囲に轟き、それだけで倒壊する家屋があったほどだ。

 その謎の魔像は、帝都の外側を囲む城壁の一部を難なく破壊し、そのまま何処へともなく消え去った。

「帝都の外に魔像のものと思しき足跡は見つかったのですが、その足跡もグラール大河までは追えたのですが……」

 帝都のすぐ傍を流れるグラール大河。

 帝都に住む人々の生活用水として、また、農業用水や良質な漁場、そして船を用いた交易路として、ゴルゴーグ帝国の大動脈といってもいい重要な河川である。

「帝都から逃げ出した巨大魔像は、姿こそ目撃されることはありませんでしたが、どうやらグラール大河を利用してどこかへ逃亡したものと思われます」

 報告を終えた男性は、沈痛な表情のまま静かに腰を下ろした。

 沈痛な表情を浮かべているのは、報告した男性だけではない。その場に居合わせたほとんどの者が、先程の男性と同じような表情で黙り込んでいた。

「……グラール大河、か。確かに、あれだけ大きな河だ。いかに巨大な魔像とてその姿を水の中に隠すこともできような」

 溜め息と共に言葉を吐き出したアルデバルトス皇帝。皇帝は椅子の肘掛けに頬杖を突きながら、ちらりと隣に座っている年若い青年を見た。

「ミルモランス。貴様はどう見る?」

 父であり皇帝であるアルデバルトスに声をかけられた青年──ゴルゴーグ帝国第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴーグは、女性と見間違える容貌を僅かに傾げて考え込む。だが、その時間はほんの僅か。すぐに姿勢を戻した彼は、音もなく立ち上がるとよく通る声で卓上に拡げられた地図の一点を、手にした指揮棒で指し示した。

「これは何の確証もない、単なる僕の推測ですが……おそらく、魔像が逃げ込んだのはここではないかと思います」

 部屋の中にいる全ての者の視線が、王子が指し示す場所へと向けられる。

「……リュ、リュクドの森……」

 誰かが、息を飲む音と共にその言葉を口にした。

 リュクドの森。ゴルゴーグ帝国の南西部に広がる、魔境として名高い広大な森林地帯である。

 ゴルゴーグ帝国はこれまでに何度もこの森を開拓しようと試みたものの、森に棲息する凶悪な魔獣たちによってそれらの計画は尽く頓挫してきた。

 現在でも冒険者などが魔獣や薬草などを求めて踏み込む以外、近付く者はまずいない恐るべき魔境として知られる場所である。

「帝国の追っ手から逃れるならば、ここほど適した場所はないでしょう。そして、件の巨大な魔像であれば、リュクドの森に潜む魔獣でさえ怖れることはありません。無論、この森にはあの魔像さえ陵駕する魔獣がいることでしょうが……」

 ミルモランス皇子の声に、誰もがなるほどと頷いて見せる。

「ではどうする、ミルモランス? 我が帝国の精鋭を追っ手として森に派遣するか?」

 ミルモランスにそう尋ねたのは、彼の兄でありこの国の皇太子でもあるアーバレン・ゾラン・ゴルゴーグである。

 父親譲りの精悍な顔つきの、がっちりとした体格の男性であり、大剣を扱わせれば帝国随一とも言われる剛の者だ。

「いえ、兄上。リュクドの森に騎士たちを派遣するのは止めておいた方がよろしいかと」

「なぜだ? 我が帝国の精鋭たちならば、リュクドの森の魔獣相手であろうが後れを取らぬぞ?」

「はい、兄上のおっしゃる通り、我が国の騎士たちであれば、リュクドの森の魔獣であっても互角以上に立ち回ることができるでしょう。ですが……騎士たちはあくまでも戦うことがその本質。森の中を探索することに慣れておりません」

「なるほど。貴様の言いたいことは理解した」

 弟の言葉に、アーバレンはにやりと笑う。

 騎士とは戦うことこそが本分。森の中を探索しながら進むとなれば、それは騎士には向いていない。

 もちろん、騎士の中にはそのような探索の才能を持つ者もいるが、その数はそれほど多くはない。ミルモランスの言う通り、森の中を探索するのであればやはり騎士たちは不向きだろう。

「では、ミルモランス殿下は城壁を破壊した不埒者を、このまま見逃すと仰せか?」

「このままあの魔像とその背後にいる者を見逃せば、それは我が帝国の威信に関わりますぞ!」

「ミルモランス殿下! 殿下のお考えを聞かせていただきたい!」

 部屋の中にいた数人の者たちが、唾を飛ばしてミルモランスに尋ねる。中には怒りで顔を真っ赤にしている者もいるほどで、帝都の城壁をむざむざと破壊されたことが許せないのだろう。

「騎士たちが探索に向かないのであれば、探索に向いた者たちを派遣すればいいのです」

 そんな者たちに向けて、ミルモランスは涼しげな笑顔で応える。母親であり皇帝の正妃でもある、美姫として名高いエルデラーリス王妃譲りの比類なき美貌を向けられて、それまで怒りで顔を赤くしていた者たちは、思わず怒りとは別の感情で顔色を赤くする。

 彼ほどの美貌ともなると、異性だけではなく同性も──決して変な趣味などなくても──魅了されてしまうのだ。

「なるほど、貴様の子飼いの者たち……冒険者を使うつもりか?」

「はい、父上。ですが、冒険者たちは私の子飼いではありません。確かに私は彼らを統括支援する組織を作り、その運営を行ってはおりますが、彼らはあくまでも組織に所属するだけであり、私の部下ではありませんので」

「くく、そうであったな」

 息子の言葉に、アルデバルトスは楽しそうに笑う。

 そして、そんな皇帝と皇子のやり取りを聞いた者たちは、手近にいる者同士で言葉を交わし合う。

「なるほど、冒険者たちに探させるわけか」

「あやつらは、報酬次第でどんな危険ことでも引き受けますからな」

「リュクドの森を探索させるには打って付けでしょう」

「それに、冒険者であれば騎士や兵士と違い、たとえ死んでも惜しくはありませんからな」

「違いない」

 豪快に笑い合う者たち。だが、そんな彼らの表情は、すぐに別のものへと変化した。

 室内に一気に浸透した、冷たい殺気によって。

「おい。今馬鹿なことを言った奴はどいつだ?」

「今の言葉……取り消していただきましょうか」

 椅子から立ち上がった皇太子であるアーバレンと第三皇子であるミルモランスが、冷たく鋭い視線で部屋の中をぐるりと見回す。

 その様子はまさに睥睨。全身から殺気を溢れ出させる二人の皇子を前にして、他の者たちは知らず冷たい汗を流していた。

「冒険者が使い捨てだぁ? 馬鹿かおまえらは? 優秀な冒険者がどれほど貴重な存在か、そんなことも分からないのか?」

「確かに彼らは報酬次第でどんな危険な依頼も自己責任で引き受けます。ですが、それはあくまでも彼らの矜持がそうさせるのであり、優秀な冒険者は帝国の騎士や兵士に劣るものではありません。いえ、戦うこと以外に関しては、冒険者たちの方が優れていると言ってもいい」

 静かな怒りを滲ませた皇子たちを前に、居合わせた者たちは言葉もない。

 そして、この部屋にいる最後の皇族が立ち上がり、威厳のある声を響き渡らせる。

「息子たちの言う通りだ。国とは民によって支えられるもの。それを忘れるような奴はこの場に必要ない。そして、冒険者もまたこの国に暮す以上は我が臣民である。我が臣民を見下すような言葉は許さんぞ?」

 三人の皇族たちに睨み付けられ、部屋にいた者たちは全員顔色を悪くする。

「二度はない。覚えておけ」

「はっ!!」

 冷たく重い皇帝の言葉に、部屋の中にいた者たちは平伏すようにして頷いた。




「……ったく、あの馬鹿どもは……皇族だ貴族だなんて偉そうなことを言っても、所詮は民によって支えられているってことを忘れんじゃねえっての」

 先程までいた会議室から皇族だけが立ち入りできる部屋へと移動し、アーバレンはぞんざいな仕草でどかりとソファに腰を下ろした。

「配下の貴族たちの領地の様子とか、徹底的に一度調べた方がいいかもしれねえぞ、親父?」

「そうだな。あの様子だと、領地で許される範囲以上に勝手なことをしているかもしれんな。秘かに調べさせるか」

 帝国に仕える貴族たちには、ある程度は領地内を自由に治める権利を有する。だが、それはあくまでも帝国が法によって定める範囲に限られる。自分の領地だからと言って、好き勝手にどんなことでも行っていいわけではない。

 侍女たちが無言で煎れたお茶を口にしつつ、アルデバルトスとアーバレンが言葉を交わした時、扉の外から入室を求める声がした。

「誰だ?」

「私ですよ、父上」

「ガルディか。いいぞ、入れ」

 改めて扉が開き、部屋へと入ってきたのは一人の男性。

 アーバレンより若く、ミルモランスよりは年上と思しきその男性は、ふわりとした笑みを浮かべると優雅な仕草で空いているソファへと腰を下ろす。

「父上と兄上が心配する必要はありません。既に我が配下が調べておりますゆえ」

 青年──ゴルゴーグ帝国第二皇子ガルバルディ・ゾラン・ゴルゴーグは、手にしていた書類の束をアルデバルトスとアーバレンの前にどさりと置いた。

「主だった貴族たちの、領地内の様子を纏めたものです」

「さすがはガルディ兄上。仕事が早いですね」

「ふふふ、優秀な部下がいるおかげさ、ミーモス」

 ゴルゴーグ帝国第二皇子ガルバルディ・ゾラン・ゴルゴーグ。見た目は二十歳そこそこの線の細い優男だが、その実は極めて優れた体術の使い手である。

 同時に、帝国の影を支える密偵たちの取り纏め役でもあり、ある意味この国の影の支配者と呼べる存在であった。

 皇太子であり優れた戦士でもあるアーバレン、密偵の支配者ガルバルディ、そして冒険者支援組織の纏め役であるミルモランス。

 優秀な三人の息子を前にして、父であるアルデバルトスは帝国の未来は安泰だと内心で微笑む。

 三人の息子たちは母親は違えども子供の頃から仲が良く、ガルバルディとミルモランスは帝位を狙うつもりはなく、将来は皇太子であるアーバレンを支えると早々から公言している。

「そういえば、例の盗賊団だが……早速潰したようだね、ミーモス?」

「はい、ガルディ兄上のおかげで、事前に詳細な情報を得られましたからね。それほど難しくもありませんでした」

「ち、俺も皇太子なんて立場じゃなければ、盗賊団をぶっ潰すために一緒に行ったってのによ」

「馬鹿なことを言うな、兄上。バレン兄上の身にもしものことがあれば、この国はどうなるんだ?」

「ガルディ兄上の言う通りですよ」

「だがよ? ガルディの部下たちがその盗賊団の詳細な情報を調べ上げていたんだろ? だったらもしもなんて起きようもねえじゃねえか」

「確かに私の部下たちも調べたが……いや、調べたというよりは確認した、と言った方が正しいな」

「例の謎の密告文のことですか?」

 ミルモランスが言う密告文とは、レダーンに駐在する兵士たちの屯所にある日届けられた、謎の密告文のことである。

 街道沿いに出没し、大きな被害を与えていたとある大規模な盗賊団。

 犠牲者が残らず惨殺されていたなどの理由から、根城の場所など詳しい情報がほとんどなかったその盗賊団だが、その密告文には盗賊団の根城の場所やら詳細な構成人員、そして根城である古い砦の中の簡単な見取り図まで記されていたのだ。それを元にしてガルバルディの部下たちが改めて調べ上げたところ、まさにその密告文の通りだったというわけである。

 そして、ミルモランスが冒険者や騎士たちを率いてその盗賊団を壊滅させた。

 騎士だけではなく冒険者も一緒に連れていったのは、根城に仕掛けられた罠を警戒したためだ。冒険者にとって古い砦跡は、ある意味お馴染みの「仕事場」である。また、この密告文自体が盗賊団による罠であることも考えられたため、騎士よりも臨機応変に動ける冒険者を動員するように、冒険者支援組織を取り纏めるミルモランスが助言したのだ。

 冒険者を動員し、また同時に騎士を率いる者として、両者から信頼のあるミルモランスが盗賊団壊滅の指揮官として選ばれたのは、ある意味で当然の流れであったと言えよう。

「しかし、騎士と冒険者が肩を並べて盗賊と戦うか……少し前までは考えられないことだな」

「バレン兄上の言う通りだ。実力のある冒険者ほど、我の強い者が多くて我らの言葉にも従わないものだからな」

 高い実力を持つ冒険者ほど、矜持や独自の自己観念などから他者の言葉に反発する者も多い。

 それは冒険者というものが、何者にも縛られない自由を良しとする気風があるからだ。もちろん、中には協調性の高い冒険者もいるが、どちらかというとそんな冒険者は稀な存在だろう。

「軍議の席でも言ったように、高い実力を持つ冒険者は稀少な存在だが、同時に勝手気ままで扱い辛い連中でもある。そんな連中をある程度とはいえ統率できるのはミーモスの手柄だぜ?」

「ありがとうございます、バレン兄上。しかし、一体誰がその密告文を兵士の詰所に届けたのでしょうね?」

「私の部下たちも調べたが……いまだにどこの誰だか分かっていないな」

「普通なら、そんな報賞が出て当然な密告文、黙って置いていくわけねえのになぁ」

 三人の皇子たちが、顔を見合わせながら揃って首を傾げる。そして、それまで黙って息子たちのやり取りを見守っていたアルデバルトスが、口元に満足そうな笑みを浮かべながら口を開く。

「おまえたちが力を合わせれば、この国は今より余程盤石となろう。だが、今は謎の密告文よりも魔像の探索だ。ミーモス、国から正式に依頼する。冒険者に魔像の行方を調べさせろ。魔像がリュクドの森に行ったという確証はないのだ。探索範囲はリュクドの森だけに限定するなよ?」

「承知しました、父上。ですが、冒険者たちはただ働きはしませんよ?」

「分かっておる。報酬は十分に出す。そしてガルディ、おまえは部下たちに城下を改めて調べさせろ。例の魔像を誰が何の目的で作ったのか……それを突き止めねばならん」

「分かりました。早速手配します」

「そしてバレンは帝都の守備を固めよ。一旦は逃げた魔像だが、またこの帝都に舞い戻って来ないとは限らん。もしも再びあの魔像が姿を見せれば……見事、これを討ち取って見せよ」

「おう、任せておけ!」

 自信満々に応える息子たちに、アルデバルトスはゆっくりと頷く。

 共に優れた三人の息子たちである。彼らならば、すぐに結果を出すだろう。

 巨大な鋼鉄魔像は確かに脅威だが、ゴルゴーグ帝国がその気になれば倒せない敵ではない。それゆえ、アルデバルトスは帝国の将来を憂うことはなかった。

 この時は、まだ。

 だが、彼らの知らないところで、事態はゆっくりと動いていたのだ。

 そう。

 魔境と呼ばれるリュクドの森の中で、一体の白いゴブリンは動き出していたのである。


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