グーダン公国へ



 グーダン公国。

 それはゴルゴーグ帝国の南に存在する、小さな国の名前だ。

 一応独立国ではあるものの、実質はゴルゴーグ帝国の属国であり、支配者であるグーダン公王家はゴルゴーグ皇家の血を引く分家的な存在である。

 もっとも、俺の知識は60年ぐらい前のものなので、今は多少違うかもしれない。

「いや、ジョルっちの言うことに間違いないよ。今もグーダン公国は前と何も変わらない」

 ジョーカーに聞いたところ、今のグーダン公国も以前と変わらないらしい。

 よく言えば情勢に機敏、悪く言えば日和見。常に強者の傍に侍り、オーガーを背にしたゴブリンのごとく、他者の権威を己の権威と勘違いする気風は今も変わらないようだ。

 しかし、そんなグーダン公国にリーエンが現在住んでいるとは。

「彼がグーダンにいる理由は、きっと公国が彼に何も言わないからだろうね。彼がグーダンに居を構えている事実こそが、グーダン公国には重要なんだから。下手にリーエンに干渉して国から出ていかれるより、手も口も出さない代わりに国にいてもらう方が大事ってことさ」

 骨しかない肩をひょいと竦めながら、ジョーカーが俺に言う。

 確かに賢者と呼ばれるような人物が国内にいれば、国として威厳が高まるのは事実だ。たとえその賢者が国に仕えていようがいまいが、そんなことはどうでもいい。

──下手にウチに手を出してもしも賢者様を怒らせたら、賢者様の魔術がおまえらの頭上に落ちるかもしれないぞ、オラ。

 ってのが、グーダン公国の考えなのだろう。

 そして、リーエンもまたその考えを利用し、国から干渉されることなくのんびりと暮しているわけだ。

 確かに、しっかり者のリーエンならそう考えるかもな。

 ジョーカーという師匠の影響か、弟子のリーエンはそれは真面目でまともな少年だった。「師匠は魔術師としては偉大だけど、人間としてはちょっと……」ってのが彼の口癖だったし。

「なるほど。リーエンなら世間の情報を確実に集めているだろうな」

「うん、僕もそう思うよ。もっとも、僕がそう教えたからだろうけどね!」

 いや、俺はおまえがリーエンにそう教えているところ、見たことないぞ。




 さて、リーエンに会いに行くということで、俺たちの次の方針は決まった。

 だか、問題がないわけではない。

 リーエンがいるらしいグーダン公国は、ゴルゴーグ帝国の南に存在する隣国である。

 ゴブリンやオーガーである俺たちが、街道を使ってグーダン公国へ向かうわけにはいかないからな。

 ある程度は今いるリュクドの森の中を進めばいいが、途中にはどうしても森から出なければならない箇所がある。その辺りには人間の集落も存在するので、俺たちが人間に見つかるといらぬ騒動になりかねない。

「まあ、そこは夜間に移動すればいいんじゃないかな? 僕は魔像だから睡眠は不要だし、君たち妖魔はもともと夜行性だしね」

 確かにジョーカーの言う通りだ。昼よりも遥かに危険な夜に、好き好んで移動する人間はまずいない。

 いるとしたら、何らかの事情を持った奴だけだろう。

「となると、誰が同行するかだが……」

 俺はちらりと隣にいるクースを見る。俺に視線に気づいた彼女は、何を言うでもなくただ頷く。俺と一緒に行くという意思表示だろう。

「隊長はどうする?」

「も、もちろんゴブリンの旦那と一緒に行きますぜ。ほ、ほら、俺一人でダークエルフの集落に残るなんておっかな……いや、何でもねえです。はい」

 俺の「所有物」扱いされている隊長が、リーリラ氏族のダークエルフたちから危害を加えられるとは思えない。だが、やはり普通の人間にとってダークエルフは恐ろしい存在である。たった一人でここに残されるのはやっぱり恐いのだろう。

「となると……ユクポゥとパルゥは絶対に一緒に行くよな。残るは……」

「もちろん、私もリピィ様と同行致しますわ」

 突然、背後から声が聞こえてきた。もちろん、声の主は真性……サイラァである。驚きつつ背後へと目をやれば、いつからいたのか穏やかな微笑みを浮かべたサイラァの姿がああった。

 こいつ、聖域に戻ったんじゃなかったのか? それとも、こっそりと俺のことを見張っていた?

 どっちでもいいか。俺もこれまでに学んだからな。こいつ……サイラァにそもそも常識を求める方が間違っているってことを。

 ゴブリンが常識云々について語るのもどうかと思うが。

「どうせ《黒馬鹿三兄弟》も一緒に来るだろ。でも、一緒に行く連中全員分の突風コオロギを動員するとなると、ちょっと数が多くなりすぎるか?」

 森の中ならともかく、森の外ではできる限り目立ちたくない。

 だが、俺とジョーカー、クースと隊長、そしてユク・パルにサイラァ全員が乗れるだけの突風コオロギを揃えるとなると、ちょっと目立ちすぎるような気がする。

 特に突風コオロギを扱えるのはオーガーだけなので、黒馬鹿たち以外のオーガーも必要になってくるし。

「先日のように俺とクースがムゥと一緒に乗るとするだろ? で、ノゥとクゥにはユク・パルを任せて……残るはサイラァと隊長とジョーカーか」

 合計六騎もの突風コオロギを引き連れての移動は、果たしてどうだろうか。下手に目立って、人間たち……特に冒険者たちに目を付けられるのはちょっと困る。

 町や村の外という危険な場所で、そうそう人目につくとは思わないが、それでもどこにでもいるのが人間であり、冒険者だ。用心するに越したことはあるまい。

 腕を組んで考え込む俺。そんな俺の耳に、ぱん、という景気のいい音が届いた。

「では、我々ダークエルフの騎乗生物を使いましょう」

 両手を胸の前で打ち合わせながら、サイラァがそんなことを言い出した。

 彼女によると、ダークエルフたちはフタコブトカゲという魔獣を、騎乗用に飼い慣らしているらしい。

「私とギーンがフタコブトカゲを操れば、そちらの隊長とジョーカー様を一緒に乗せて移動できますわ」

 あ、そういやギーンのこと忘れ……い、いや、忘れてなんていないよ? この場にはいないあいつの意思確認をしていないから、数に入れていなかっただけだよ? でも、きっとギーンも同行するって言うよな。

 ちなみに、そのフタコブトカゲという魔獣は、その名前の通り背中に二つの瘤を持ち、その瘤が鞍の代わりをしてくれるため、騎乗した際に身体を支えやすいらしく、ダークエルフの先祖はこの魔獣を騎乗用に飼い慣らしたのだとか。

 とはいえ、数自体が少ないため、フタコブトカゲを所有するダークエルフも必然的に多くはない。このリーリラ氏族の集落でフタコブトカゲを所有しているのは、グルス族長とゴーガ戦士長、そして巫女であるサイラァの他には、有力な戦士数人だけらしい。

「私は自分のフタコブトカゲを所有しておりますし、ギーンは父か祖父のものを借りればいいでしょう」

 巫女であるサイラァがそう言うのであれば、きっとグルス族長やゴーガ戦士長のフタコブトカゲを借りることができるのだろう。

 ……もしかして、この集落の本当の実力者って、グルス族長でもなくゴーガ戦士長でもなく、目の前の真性……いや、そんなことはどうでもいいか。

 このフタコブトカゲという魔獣は戦闘力はほとんどないものの、足の速さと耐久力に優れ、突風コオロギの移動速度にも劣らないとのこと。また、森の中で生活する魔獣だけあって、木登りもできるという。蜥蜴の魔獣ならではだ。

 普段は森の中でほとんど放し飼いに近い状態であることと、戦闘向きではないことから、先日のオーガーとの戦いにも投入されなかったのだろう。

 とりあえず、旅立つための目処は立った。だが、少しぐらいはこの集落でのんびりとしてから出立してもいいだろう。

 俺は記憶に残るリーエンの幼い顔を思い出す。

 最後に別れた時はまだ幼かったリーエンも、今は立派なジジイになっていることだろう。果たして、彼はどんな人物になっているやら。今からリーエンとの再会が楽しみだ。




 そして、数日後。

 俺たちはリーリラ氏族の集落を出発する。

 メンバーは予定通り、俺とユクポゥとパルゥ、クースと隊長、サイラァとギーンのダークエルフ姉弟、《黒馬鹿三兄弟》、そして最後にジョーカー。

 黒馬鹿たち以外のオーガーや、ジョーカーが作り出した巨大鋼鉄魔像と屍肉魔像たちは、グルス族長に預けた。屍肉魔像たちは巨大魔像同様、命令を与えることができる魔封具をグルス族長に貸し与え、オーガーたちにも族長の言葉に従うように告げておいた。

 ちょっと心配なのは、オーガーたちが俺の言葉を忘れないかだが……まあ、その時はその時だ。妖魔って奴はそういうものだし。グルス族長には命令に従わない時は、手酷い罰を与えてもいいと伝えてある。

「ではな、リピィ殿。貴殿の目的が果たせることを、銀月の神々に祈っておこう」

 グルス族長他、数人のダークエルフたちに見送られ、俺たちは出立する。

 相変わらず激しく揺れる突風コオロギだが、少しは慣れてきた。前回ほど目が回ることもなく、周囲の景色に目をやる余裕も少しはできてきた。

 周囲はどこまでも続く密林。これから数日、この景色が変わることはないだろう。だが、この景色が続くということは、それだけ安心していられるということでもある。

 いくらこのリュクドの森に数多くの魔獣たちが棲むとはいえ、今の俺たちに襲いかかってくるような魔獣はそうはいない。今後の問題はこの森から出た後、そして人間の集落に近づかねばならない時だ。

 人間って奴は、ゴブリンやオーガーを見るとすぐに討伐しようとするからな。元人間だっただけに、その気持ちは理解できる。

 無論、そんじょそこらの人間に俺たちが負けるとは思わないが、人間たちから危険視されるようになると、それだけ実力の高い冒険者などが派遣されてくるかもしれない。

 そうなると、負けないまでも苦戦するかもしれないし、大怪我をするかもしれない。

 サイラァという命術の手練がいるので、即死でもしない限りは何とでもなるかもしれないが、それでも問題はないにこしたことはない。

 やはり、最も警戒すべき存在は人間たちだろう。

 だが、こちらにクースと隊長という人間がいる以上、人間の集落に全く近寄らないというわけにはいかない。

 人間用の食料や衣類など、リュクドの森の中やダークエルフの集落では手に入らないものを入手する絶好の機会だし。

 折角人間の集落に問題なく入ることのできる人材がいるのだ。集落での情報収集も行いたいところである。

 そんなことを考えながら、俺は突風コオロギに揺られていく。

 俺の目の前にはムゥの巨大な背中。そして、背後にはクースの温かな体温。

 ちらりと肩越しにクースを見れば、彼女は俺の視線に気づいて微笑んでくれる。

 うん、やっぱり可愛いなクースは。今後はどこぞの真性のように歪まずに、今のまま真っ直ぐに育って欲しいものである。

 リーエンがジョーカーを見てまともに育ったのだ。きっとクースもどこぞの真性を見て「ああはなるまい」と思っていてくれることだろう。

 いやしかし、こんなことを考えてしまう辺りが、彼女のことを一人の女性というよりは娘のように感じているからだろうかね?

 クースに対する自分の気持ちがよく理解できないまま、俺は……いや、俺たちは突風コオロギに揺られながらリュクドの森の中を駆け抜けて行くのだった。




 しかし、クースに対する俺の気持ちはともかく、娘扱いはちょっと失礼かもしれない。

 だって今世の俺、生まれてまだ一年経ってないし。かなり年下の俺がクースを娘扱いするのは……ねえ?


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