リピィ、敗北す
「うむ、実によくやってくれた!」
今、俺の目の前には上機嫌のグルス族長がいる。どうして彼がここまで上機嫌なのかと言えば、それは俺がガラッドくんを散々痛めつけたからだ。
どうやら、族長を始めとしたリーリラ氏族のほとんどのダークエルフたちは、ガラッドくんを快く思っていなかったらしい。
特に氏族の女性たちから評判が悪かった。すっげえ悪かった。
奴はこの集落を訪れる度、リーリラ氏族の女性たちにしつこく誘いをかけたらしい。
「このガリアラ氏族の偉大なる戦士である私と一夜を共にできるのだ。光栄に思うがいい」
「このガリアラ氏族の偉大なる戦士である私が情けを与えてやろうと言うのだ。喜ぶがいい」
「このガリアラ氏族の偉大なる戦士である私の子を孕む機会だそ? 嬉しかろう」
とまあ、上から目線で言いたい放題だったとか。
そりゃあ、女性たちからは嫌われるよな。こんな言い方されたら。
もちろん、誰も彼の言うことになど耳を貸さなかったそうだけど。
おそらくガラッドくんは〈魅了〉も使ったのだろうが、誰にも効かなかったらしい。
あいつ、本当に〈魅了〉なんて使えるのかね? 〈魅了〉って結構難しい魔術なんだが。
そこまで嫌われまくったガラッドくんだが、リーリラ氏族としては彼の来訪を拒否することはできないらしい。
「というのも、ガラッドはガリアラ氏族の族長の血を引く者でな。規模こそそれほど大きくはないが、ガリアラ氏族はこの辺りの氏族の纏め役的な立場にいるのだよ」
ダークエルフぐらいに知性が高くなると、氏族同士で同盟を結ぶこともある。そうなると当然ある程度の上下関係も生じてくる。
ダークエルフ氏族の盟主的立場の族長に連なる者か。なるほど、いくらダークエルフとはいえ、ガラッドくんはあまり強く出られない相手だったってことか。
「どうしてガリアラ氏族とやらは、規模が大きくない割にダークエルフたちの纏め役を担っているんだ?」
「それはだな、リピィ殿。今のガリアラの族長が、先代の《魔物の王》の部下だったからだよ」
「なに?」
俺が真面目な表情で問い返せば、グルス族長はさもおもしろそうだと言わんばかりに、にやりと口角を吊り上げた。
俺は今、激しく後悔していた。
俺の身体は凄まじい衝撃に弄ばれ、まるで嵐の中に放り込まれた木の葉にでもなったかのようだ。
どんどんと下から突き上げる衝撃、びょうびょうと正面から吹きつける暴風。
これは駄目だ。間違いなく、このままでは俺は死ぬだろう。
俺の小柄な身体はがくがくと無遠慮に揺さぶられ、胃の中身が喉元までこみ上げてくる。
ちくしょう、どうしてこうなった? どこで選択を間違えた?
決まっている。最初からだ。俺が気まぐれで選んだことが、全ての元凶だ。
俺は今、激しく後悔していた。
どうして、俺はこんなことを選んじまったんだ? 分かっている。気まぐれで、だ。
どうして、俺はこんな目にあっているんだ? 決まっている。舐めていたからだ。
どうして、俺はこんなに苦しんでいるんだ? 言わなくてもいい。自業自得だろ?
半ば現実逃避で、俺はそんなことばかり考えていた。そうでもしないと、今すぐ胃の中身が逆流してきそうだからだ。
朦朧としてきた意識の中、俺は認識を改めた。
突風コオロギが極めて危険な存在であることを。
突風コオロギ。
それはムゥたちが使役する騎獣である。
巨躯を誇るオーガーたちを乗せ、尚機敏に動き回ることができる強靭な肉体をもつ魔獣であり、その身体に蓄えられた風の魔素を用いて文字通り突風のように駆けることができる魔物なのである。
そう。それは俺たちがリーリラ氏族の集落を出る前のこと。
突風コオロギのことは詳しくは知らなかったが、名前ぐらいは聞いたことがあった。
人間だった頃には、それなりに馬術も嗜んだし、動物は今でも好きな方だ。あ、食料って意味の「好き」じゃないからな?
そんな俺が巨大な騎乗用の魔獣を見て、黙っていられるはずがなかった。
興味本位だったのは否定しない。だけど、初めて見る騎乗用の魔獣には心惹かれるものがあったんだ。
「リピィのアニキが乗るのか……? だが、アニキの小さな身体じゃこいつらを操るのは無理だろ?」
ムゥに突風コオロギに乗りたいと申し出たところ、そんなことを言われた。
くそぅ、俺だって好きで小さな身体でいるんじゃないぞ。
だが、乗用に調教された馬とは違い、騎乗用の魔獣は力でねじ伏せるようにして乗るものらしく、ある程度の筋力がどうしても必要らしい。
気術で筋力を強化できるとはいえ、ムゥたちの領域にまで届くわけでもない。だが、俺の興味本位だけではなく、突風コオロギの機動力はどうしても必要だったのだ。
なぜなら、これから俺たちはガラッドくんと共に、ガリアラ氏族の集落へと向かうのだから。
目的はもちろん、ガリアラ氏族の族長に会うこと。
かつて《魔物の王》の部下であったという彼の族長ならば、何か《魔物の王》に関する情報を持っているかもしれない。
もちろん、突然俺たちのような変なゴブリンが訪ねて行っても、族長に会わせてもらえるとは思えない。たとえ、リーリラ氏族の族長の紹介があったとしても、だ。
そこで、ガラッドくんを利用……じゃない、登場である。
ガリアラの族長の血縁という彼と一緒であれば、向こうの族長と会うことぐらいはできるだろう。
もちろん、ガラッドくんは俺たちを族長に紹介することを快く引き受けてくれた。その話をした際、彼がちょっと震えていたのはきっと俺に頼られたことが嬉しいからだろう。決して、俺に怯えていたわけではないと思う。
俺と一緒にガリアラの集落へ行くのは、ユクポゥとパルゥ、クースと隊長、ギーンに《黒馬鹿三兄弟》とその部下数名、そして、サイラァである。
ダークエルフにとって巫女とは、他の氏族であっても一目置かれる存在なのだとか。それぐらい、巫女とはダークエルフにとって神聖であり特別なものらしい。中には巫女が存在しない氏族もあるらしいし。
もっとも、俺から見たサイラァは神聖ではなく真性だけどな。
ガラッドくんだけではなく、リーリラ氏族の巫女も同行すれば、少なくともガリアラ氏族のダークエルフたちから一方的に攻撃されることもあるまい、とはグルス族長のお言葉である。
小柄な俺とクースはムゥと一緒に突風コオロギに同乗し、他はそれぞれ一人ずつオーガーたちと一緒に突風コオロギに乗せてもらう。
こうして準備が整い、俺たちはリーリラ氏族の集落を出る。集落に残るオーガーもいるが、そいつらには集落の周辺で狩りでもさせておこう。俺や《三馬鹿》たちがいない所で暴れられても困るし。
こうして、初めて乗る魔獣にどきどきしながら、俺たちは旅立った。
しかし、最初に感じたどきどきはすぐに後悔へと変わった。
なんせコオロギという生物は、大きく跳ねながら移動するのだ。比較的背中の高さが変化しない馬とは違い、その揺れ方は半端ない。しかも、オーガーたちは鞍も手綱も使わない。コオロギの長い触角を手綱代わりにして魔獣を操るのである。
速度も全力で走る馬より速く、吹きつける風は強烈で目を開けているのも難しい。
そんな状況の中、俺は振り落とされないように必死にコオロギにしがみつき、クースがそんな俺に悲鳴を上げながらしがみつく。こうして、俺は込み上げてくる吐き気と必死に戦うことになるのだった。
なお、クースが俺にしがみついてきた時、彼女の豊かなアレが当然ながら俺の背中にぎゅうぎゅうと押し付けられたのだが、それを堪能する余裕は全くなかった。
日暮れも近づき、俺たち一行はその日の移動を終えた。
基本夜行性であるゴブリンやオーガーは、夜だからといって特別休む必要はない。だが、昼間の突風コオロギによる移動は俺やクースから激しく体力を奪っていた。つまり、今日はこれ以上進むのは無理ってわけだ。
「……だ、大丈夫か、クース……?」
「は、はい……リピィさんも……大丈夫ですか?」
青い顔をしながら、俺のこともしっかりと気遣ってくれるクース。
今、俺とクースは背中合わせになりながら、地面に座り込んでいた。
移動を停止して随分と経つが、まだ気持ちの悪さが収まらない。そんな中、背中に感じるクースの体温が妙に温かく、同時に心地良かった。
俺とクースだけではなく、隊長やギーンもぐったりと座り込んでいる。そんな中、ユクポゥとパルゥは全く平気のようだった。
化け物か、あいつらは。ああ、正真正銘化け物だったな。いろいろな意味で。
そして、なぜかサイラァまでもが平気そうだ。平気どころか、うっとりとした表情で俺を見つめてくる。
「あぁ……苦しそうに顔を歪めるリピィ様……はぁはぁ……なんて素敵なのでしょう……リピィ様の苦しそうなその表情が……わ、私は……私は…………はぅぅぅぅぅぅっ!!」
自らの手で自らの身体のあちこちをまさぐり、最後には両腕で自分の身体をきつく抱きしめながら、サイラァがびくびくと身悶える。
上気した頬やら半開きの唇から漏れる色がついているみたいな吐息やら、とろんとして焦点を結んでいない双眸やら……うん、無視しよう。今はこの真性に構っているだけの余裕がない。
俺だけではなく、ギーンも姉のことを見ないようにしているし、クースも顔を赤らめて視線を逸らしている。うんうん、おまえはこんな真性じゃなくまっとうに育つんだぞ、クース。
その他の野郎どもは、遠慮なくサイラァをガン見だ。オーガーどもは涎を垂らして見つめているし、地面に座り込んだ隊長もじっとサイラァの様子を眺めている。
まあ、目の前で美女が悶えていたら、男だったらつい見ちゃうよな。その気持ちはよぉく分かるが、俺的にはサイラァのような真性はやっぱり遠慮したい。
そして、身悶えるサイラァを一番熱心に見つめていたのは、もちろんガラッドくんである。
こいつもまた突風コオロギの移動で力尽きたのか、力なく地面に横たわっていたのだが、サイラァが悶え出した途端、がばりと身体を起こして彼女の様子を見つめていた。
ホント、こいつ好き者だよな。まあ、意中の女が目の前で悶えていれば、ガラッドくんのようになるのだろうが……しかし、こいつって本当にダークエルフなのかね? 俺の中では人間が何らかの手段で変装している説が、どんどんと濃厚になっていくのだが。
とまあ、そんな調子で移動を重ね、時には狩りなどもして俺たちはガリアラ氏族の集落を目指す。
突風コオロギという速度に優れた魔獣を駆っているためか、他の魔獣に襲われることはなかった。そもそも、これだけのオーガーやゴブリンの集団を襲おうという魔獣はまずいないだろうが。
そして数日後。俺たちの視線の先に、ガリアラ氏族の集落が見えてきた。
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