ガラッドくんの悲劇



 で、まあ、当然こうなるわけだ。

 俺の目の前には、抜き身の剣を構えたガラッドがいる。

 俺の言動に怒ったガラッドが、腰の剣を引き抜いて俺に突きつけたのだ。いやまあ、こうなるように俺が仕向けた結果だけどな。

 当然ながら、周囲にいたダークエルフたちは俺たちに注目しており、がやがやと騒ぎながら、俺たちを遠巻きにしている。

 やがて、この騒ぎを聞きつけたらしいグルス族長もやってきた。

「何事かね、リピィ殿?」

 呆れた様子のグルス族長。彼は俺に声をかけつつも、その視線が捉えているのはガラッドの方だった。あれ? どうしてそこでガラッドを見る? そういや、周囲にいるダークエルフたちの視線も、主に奴に向けられているな。

 ふむ?

「リーリラの族長よ。このゴブリンは一体何なのだ? 人間の奴隷を独占しようとしたり、貴殿の孫娘でありリーリラ氏族の神聖なる巫女である、サイラァ殿を奴隷のように扱ったり……更にはこの私を侮辱したのだぞっ!? どうしてこんな奴を許しておくのだっ!?」

 ん? 俺ってガラッドを侮辱するようなこと、何かしたっけ? 確かに煽る真似はしたけど、俺の何がこいつを侮辱したのだろうか。

 あ、ゴブリンである俺が偉そうな口をきいたから、侮辱されたと思ったのだろうか。気位の高いダークエルフなら、それもあり得そうだ。

「ガリアラ氏族のガラッドよ。貴殿が言う人間の奴隷とは、リピィ殿の背後にいる娘のことかね?」

「いかにも! あの人間はこの集落で飼っている奴隷なのだろう?」

「それは違うぞ、ガラッド。あの人間はリピィ殿の所有物だ。我が氏族の奴隷ではない」

「ゴブリンの所有する人間など、さっさと取り上げて氏族の奴隷にすればいいではないかっ!!」

 そう叫んだガラッドの視線が、俺の背後のクースに向けられる。相変わらず粘ついた厭らしい視線が彼女へと向けられて、俺の中のいらいらしたものが増大する。

 クースもそれを感じているのか、その身体をぎゅっと縮こまらせて俺の背後に隠れた。

「そう思うならば、自身の手であの人間をリピィ殿から奪えばよかろう」

 そう言ったグルス族長は、意味ありげな視線を俺へと向けた。更には、俺に向かってぱちりと片目を閉じて見せたのだ。当然、これには何か意味があるってことだよな?

 この族長、結構腹黒だよな。口で何か言うより、まずは実行させるところがあるし。

 思えば、俺が初めてこの氏族の聖域に来た時もそうだった。そもそも、ダークエルフの族長なんてこうでもなければ務まらないのかもしれない。

「無論、そうさせてもらうとも。おい、ゴブリン! 貴様に異論はあるまいな? リーリラの族長殿の許可は得たのだ。貴様を殺し、その人間の娘とさ、サイラァ殿はガリアラ氏族の偉大なる戦士たるこの私がもらい受けてやろう!」

 そういや、サイラァは相変わらず半裸姿で俺に抱き付いている。その辺りをグルス族長がどう思っているのかと彼を見てみると、とってもいい笑顔で俺にだけ見えるように親指をおっ立てやがった。

 父親といい祖父といい、どうもサイラァの扱いにはいろいろと困っているらしい。いいのか、それで。

 ま、今はサイラァよりも、まんまと俺の意図通りに動いてくれたガラッドの対処をしなくては。

「いいだろう。だが、俺と戦いたければ、まずは俺の部下たちを倒してからにしてもらおうか」

「なに、貴様の部下だと? ふん、良かろう。ゴブリンの部下など、どうせ程度が知れているというものよ! 所詮はゴブリンやその手下どもなど、ダークエルフには敵わないことを教えてやろう。そして、自身の身の程をよぉく知るがいい!」

 またまた、俺の思った通りの返答をしてくれるガラッド。いやー、人間にもいたけど、こういう無駄に気位ばかり高い奴って本当に扱いやすい。

 さて、自信満々なガラッドだが、これが彼の地獄の始まりの第一歩となるのだった。




 今、俺の目の前ではガリアラ氏族の偉大なる戦士、ガラッドが大地に倒れている。

 まず最初にガラッドの相手をしたのは、《黒馬鹿三兄弟》の末弟であるクゥだった。

 オーガーの上位種であるクゥの巨体を見た時、ガラッドは明らかに怯えていた。そして、何かを訴えるようにグルス族長を見たが、族長はその視線に気づいていないフリをするばかり。

 そして、ガリアラ氏族の偉大なる戦士であるガラッドは、あっけなくクゥに敗北したのだ。その結果が、俺の目の前で倒れている彼だ。

 クゥの巨大なモールで背骨を砕かれ、身体が変な所で曲がっている。それでも何とか生きてはいるようで、ぴくぴくと手足が動いているし、口からは血反吐と一緒に荒い息も零れている。

 このまま放置しておけば、死ぬのは間違いない。だが、これで許してやれるほど、俺の怒りは小さくはないぞ?

「サイラァ」

「しょ、承知しま……ぅんっ!!」

 どうやらこの真性、死にかけのガラッドに興奮しているらしい。潤んだ瞳と甘い吐息、そして上気した頬など、いろいろと問題ありの様子ながらも命術を行使する。

 死にかけていたガラッドの身体が淡い光に包まれ、みるみる回復していく。

 そして完全に回復したガラッドが、不思議そうな顔で俺を見た。

「何をしている? さっさと立て。立って俺の部下たちと戦ってもらおうか」

「あ、あ……いや、ど、どうしてオーガーがゴブリンに従って……」

「おまえ……馬鹿だろ?」

 最初に俺と顔を合わせた時、俺がオーガーたちを倒したと聞いていたはずだろ、おまえ。さては俺をゴブリンと侮って、まともに話を聞いていなかったな?

 まあ、いいや。それよりも続きをやろうぜ。

「さて、次はこいつだ」

 俺の指示を受け、ノゥが前へと進み出る。

 それを見たガラッドくんの顔色、すっげえ悪くなった。ざまあみろ。




 あっと言う間にノゥに半殺しにされ、次いで登場したムゥにも一瞬で致死寸前まで追い込まれたガラッドくん。いや、もう、いろいろな意味でこいつは「ガラッドくん」と呼んでいいよな? で、そのガラッドくんは、負傷する度にサイラァによって回復され、また瀕死の重傷を負うという何とも嫌な連鎖を繰り返していた。

 今、彼の相手をしているのはユクポゥだ。ある意味、最もタチが悪い相手と言えるだろう。もちろん、ガラッドくんにとって。

 当然ながら、ユクポゥやオーガーたちには殺さないように言い含めてある。

 偉大なる戦士らしいガラッドくんは、完全に涙目でユクポゥを見ていた。弱々しく左右に頭が振られる度、目尻から涙が零れ落ちる。だが、俺たちだけではなくダークエルフの誰もが、それに気づいていないフリをしている。

 どうやら、このガラッドくんには《黒馬鹿三兄弟》もご立腹だったらしい。後で連中に聞いたところ、その理由は俺からクースを奪おうとしたことだとか。

「あの娘っ子がいなくなったら、俺様たちはあの美味いヤキニクを食えなくなるじゃないか」

 と、ムゥが言っていた。すげえな、クース。いつの間にか、料理の腕だけでオーガーまで手懐けるとは。

 ま、それはさておき、ガラッドくんのことである。いくら何でも、こいつ弱すぎるだろ。確かに相手が悪いとはいえ、ここまで一方的にやられたい放題である。

 たった一人で援軍に来たことから、相当な手練だとばかり思っていたけど……どうやらそうではないようだ。

 じゃあ、何しにこの集落に来たんだ? そんな疑問を感じるが、それは後で問い質せばいい。今はまず、俺からクースを奪おうとしたその報いを受けて貰わないとな。

 我ながらどうにも悪どいとは思うが、ほら、今の俺ゴブリンだから。悪どくても当然だよね。

 人間だった頃の仲間たちから、おまえは一度怒ると本当に手がつけられない、とか言われたこととかないよ? ホントに。

 しかし、どうして俺、ここまで怒っているのかね? 自分でも不思議である。

 腕を組んで自分自身に悩んでいる内に、ユクポゥの槍がガラッドくんの腹を深々と貫いていた。

 臓腑を抉られ、ガラッドくんは苦しそうに今日何度目かの血反吐を吐く。その血反吐がかからないように、ユクポゥは素早く槍を引き抜いて後退する。

 その際、腹に空いた穴からガラッドくんの血と内臓が勢いよく飛び出して周囲にぶちまけられるのを、サイラァがうっとりとした表情で見ていた。

 もう、慣れたよ。うん。

「うふふふふ……あ、あんないけ好かない奴でも、血と内臓の色だけはとっても綺麗なのね……。その点だけは評価してあげてもいいわ……だ、誰にでも一つぐらい美点はあるものね……はん……っ」

 …………駄目だった。やっぱり慣れない。

 しかしガラッドくん、やはり嫌われていたのか。この集落のダークエルフたちの彼を見る目が、最初からどうにも冷めているように思えていたのだが、過去にここで何かやらかしたのかもしれないな。




 《黒馬鹿三兄弟》やユクポゥ、パルゥの相手をさせられること数回。ようやく、俺はガラッドくんと対峙した。

 サイラァの命術のおかげで、今の彼に怪我はない。だが、闘志は既に砕け散っている。

 三日月刀を地面に放り出し、涙と鼻水を垂れ流しながら額を地面に擦り付けるようにして、俺に謝罪するガラッドくん。

「か……勘弁してく……い、いや、勘弁してください……わ、私が悪かったです……み、身の程知らずは私でした……っ!!」

 うん、分かればいいんだよ、分かれば。

 え? 弱い者いじめ? そんなの妖魔の間では常識だろ。

 それはともかく、こんな弱い奴がどうしてたった一人でリーリラ氏族の援軍に来たのやら。

 ちなみに、ガラッドくんがどれぐらい弱いかと言うと、隊長よりも弱いぐらいだ。それで大体奴がどれぐらい弱いか分かると思う。

「そもそも、おまえはどうして一人でここに来たんだ?」

「そ、それは……ど、どさくさに紛れてオーガーの一匹も殺し、それを手柄にしてサイラァ殿との婚姻の許可を得ようと……」

「そんなに弱いのに、どさくさ紛れでもオーガーを殺せると思っていたのか?」

「そ、そこはもちろん、怪我したオーガーを狙うとか、寝ている間にこっそりと忍び寄って殺すとか……あ、あと、俺は〈魅了〉の魔術が使えるので、それを使って不意打ちとか……」

 うーん、清々しいほどに妖魔だな、こいつ。しかし、〈魅了〉なんて厄介な魔術を持っていたのか。

「どうして俺たちとの戦いの時、〈魅了〉を使わなかったんだ?」

「つ、使いました……で、ですが……全く効きませんでした……」

 何か、段々とガラッドくんが哀れに思えてきた。

 しかも、使ったことにまるで気づかなかったぐらい弱い〈魅了〉とは……ある意味すげえ。おそらく、町や村で暮らす一般的な人間とか、ゴブリンやコボルトぐらいにしか効果がないじゃないか、それ。

 そして奴の言うところによると、過去にこの集落に来た時、偶然サイラァを見かけて一目で惹かれたらしい。もちろんすぐに〈魅了〉を使ったのだが、全く効かなかったとか。

 その後は何度も何かと理由をつけてこの集落を訪れては、サイラァに会おうとした。しかし、基本的に聖域から出て来ないサイラァにはなかなか会うことさえできない。

 そんな時、リーリラ氏族がオーガーに襲われたという報せが彼の氏族に届く。

 ガリアラ氏族としては、リーリラ氏族の救援の兵は出さないと決めた。リーリラ氏族がオーガーに蹂躙された後、次に狙われるのは自分たちかも知れないからだ。

 氏族の規模としては、リーリラもガリアラも大差ないらしく、援軍を派遣するよりは自分たちを守ることを優先したってわけだ。

 その判断自体は間違ってはいないだろう。他人を助けて自分たちが深手を負うなど、妖魔としては異端にも程がある。

 ガリアラ氏族に援軍を断られ、がっくりと肩を落とすリーリラ氏族の使者たち。

 そんな使者たちに、ガラッドくんは声をかけたわけだ。

「たった一人とはいえ、このガリアラ氏族の偉大なる戦士、ガラッドが手を差し伸べてやろう!」

 と。

 うん、何か、その時の光景がありありと見えるようだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る