ガリアラ氏族のガラッド
ガリアラ氏族の戦士、ガラッド。
そわそわとした落ち着きのない様子と、ほんのりと赤らんでいる頬から、俺はぴんと来たね。まあ、俺じゃなくてもすぐに気づくだろうけど。
こいつ、サイラァに惚れているのか。そういや、さっきから誰かを探しているようだったが、まさかサイラァだったとは。
こいつの女性に対する趣味、ちょっと理解できないわ、俺。
とはいえ、サイラァも黙ってさえいれば神秘的な雰囲気を纏った相当な美女だ。その残念すぎる本性さえ知らなければ、惹かれる奴がいたっておかしくはない。
そういや、そのサイラァの実弟であるギーンは姉に対して憧れのようなものを抱いていたらしいが、俺に対する姉のあまりにもぶっ飛んだ言動を見て、そんな幻想もあっけなく砕け散ったみたいだ。
長年胸に抱いていた幻想が砕けた時のギーン、見ていて可哀想になるぐらい呆然としていたっけな。
そんなことを考えながら、俺は目の前で落ち着きなくきょろきょろしているダークエルフを見る。
ダークエルフらしく彼も美形だ。さすがにサイラァとまではいかないが、ダークエルフの中でもかなり整った容姿をしていると言っていい。
銀色の髪に黒曜石のような艶やかな黒い肌は、他のダークエルフと変わらない。しかし、ガラッドはかなりの長身だった。
他のダークエルフより、頭一つは高いだろうか。もちろんひょろりと背が高いのではなく、均整の取れたすらりとした体形をしている。
腰に佩いた剣は、よく使い込まれているようだ。ただ、彼の剣はリーリラ氏族のダークエルフたちが使う真っ直ぐな細剣ではなく、反った刀身を持つ少々変わった形をしている。ダークエルフは氏族ごとに使う武器の形状とか違うのかもしれない。
彼の剣は人間の社会で言うならば、砂漠地方の民族が使う三日月刀に近いだろうか。もっとも、砂漠の民たちが使う三日月刀よりも、やや細身ではあるようだが。
そのガラッドは、近くにサイラァがいないと分かると、ちょっとがっかりしたような表情を見せた。
おそらく、サイラァはまだ縛り付けられたまま喜んでいるだろう。残念……と言っていいのか分からないが、ここにはいないんだよ。
「そ、それでギーンよ。や、やはり、そ、その……姉上に聖域から出てきてもらうことはできないだろうか? い、いや、巫女の役目がいかに大事かは私とて重々承知している。だが、弟である君の頼みとあらば、サイラァ殿も聖域から出てくるのではないかな……?」
そんなにサイラァに会いたいのか、ガラッド。サイラァの本性を知っている身としては、正直理解に苦しむ。
しかし、こいつも変わった奴だな。妖魔であるダークエルフなら、欲しい女は力尽くで奪えばいいのに。とはいえ、さすがに氏族は違えども同じダークエルフである以上、そう簡単に巫女という神聖な立場の者には手を出せないということだろうか。
ともかく、何とかサイラァに会いたい一心のガラッド。そんな彼に、ギーンは清々しいほどの笑顔を浮かべながらきっぱりとこう言った。
「何を言っておられるのですか、ガリアラ氏族のガラッド殿。俺に姉なんていませんよ?」
なるほど。葛藤の末、ギーンの中では姉はいなかったことになったんだな。サイラァの本性を知った後なら、ギーンがそう心の中で整理したのも頷けなくはない。
でも、実の弟から抹消宣言をされたサイラァは何と思うかな? まあ、あの真性のことだから、「弟にいないものとして扱われた」とか言って興奮するだろう。きっと。
「な、何を言っているのだ、ギーンよ? 君には美しい姉君がいるだろう! あの……銀月の化身の如き神秘的にまで美しい姉君が!」
一方のガラッドはと言えば、理解不能といった顔つきでまじまじとギーンを見つめていた。
真剣な表情でギーンに詰め寄るガラッドと、にこにことした笑顔でガラッドの言葉を聞き流すギーン。そんな二人のやり取りを、俺は他人のように見ていた。いや、実際他人事だし。
しかし俺の隣にいるクースは、心配そうな顔で俺やギーン、そしてガラッドを交互に見ている。ギーンたちの会話は当然エルフ語なので、クースには理解できないのだ。ひょっとすると、クースにはギーンとガラッドが言い争っているように思えるのかもしれない。よし、ここは俺が安心させてやろう。
「大丈夫だ、クース。別に、ギーンたちは言い争っているわけじゃないから」
「そ、そうなのですか……?」
頬に手を当て、僅かに首を傾げるクース。まあ、真剣な様子の二人を見れば、そう簡単に安心はできないかも。あ、真剣なのは二人じゃなくてガラッドだけか。そして、俺の彼女を安心させようという試みは失敗した。残念ながら。
そんな俺たちの会話が聞こえたのか、ガラッドが俺たちの方へと目を向けた。
「貴様は例の白い変なゴブリンか……ん? 貴様の隣にいるのは人間の娘ではないか。どうして、ダークエルフの集落に人間が?」
ガラッドが無遠慮にクースを眺める。奴の視線は主に彼女の胸元へ注がれていた。クースの胸、パルゥほどじゃないけど結構大きいからな。特に大きな胸の女性がいないエルフやダークエルフにとって、クースの胸は「大連峰」にも等しいのかもしれない。
そして、エルフやダークエルフの男性は人間と違い、女性の胸に対してそれほど幻想や憧れを抱かないものなのだが、このガラッドって奴はちょっと違うようだ。
「おい、人間の娘。貴様はリーリラ氏族で飼われている奴隷か?」
粘ついた好色な視線をクースの胸元に注いだまま、わざわざゴルゴーグ公用語でクースに聞くガラッド。その質問に、クースは何と答えていいのか迷って俺の顔を見てくる。
クースもガラッドの好色な視線が嫌なのか、さりげなく腕で胸元を固めていたが、彼女のその仕草を気にすることもなく、ガラッドはクースの胸元を身ながら勝手に言葉を吐き続ける。
「奴隷ならば丁度いい。今夜、私の寝所へ来い。リーリラの族長殿も疲れを癒せと言ったのだ。奴隷を使うぐらいは構うまい。喜べ、人間。愚劣な貴様にこの俺が特別に情けをくれてやろう」
おい、今、何と言った?
クースを奴隷と勘違いするのは仕方ない。妖魔の集落に人間がいれば、普通は奴隷以外に考えられないからだ。
そして、ダークエルフが人間を見下すのもまだ許せる。元より、ダークエルフは自分たち以外の者を見下す傾向にある。そういう生き物だと思えば、それほど腹も立たない。
だというのに、俺はガラッドの言葉に激しい怒りを感じていた。
あれ? どうして俺、ここまで怒っているんだ? ダークエルフってこういう奴らだろ? だったらここまで怒りを感じるはずがないのに。
だが、実際の俺の胸の中では、なぜか怒りの炎が激しく燃え盛っていた。俺は奴を睨み付けながらふらりと立ち上がると、奴の視線からクースを庇うような位置へと身体を移動させる。
「こいつは……この女は俺のものなんだ。おまえの相手をさせるわけにはいかないな」
にぃ、と牙を見せつけ、威嚇するように笑う俺。クースと隊長は俺の「所有物」扱いだから、「俺のもの」というのもあながち間違いじゃない。
そもそも、エルフやダークエルフって生き物は、人間ほど性欲が強くない生き物のはずだ。そのため出生率も低く長寿の割には数も多くはないのだ。
そして、無駄に気位も高いので、人間相手に欲情することはまずない。ダークエルフからしてみれば、人間もゴブリンも大差ないのだ。
だというのにこのガラッド、つくづく常識から外れた奴らしい。サイラァに惚れている点といい、クースにあからさまな欲情を抱く点といい、本当にこいつ、ダークエルフだろうか。人間が肌を黒く染めて付け耳を付けているんじゃないだろうか。
思わずそんな馬鹿なことを考えてしまうぐらい、ダークエルフらしくないのだ、このガラッドは。
そして、自分でも不思議なほど怒りが収まらない俺は、更にガラッドを煽るようなことをする。してしまう。
「サイラァ」
「お呼びでしょうか、リピィ様」
俺の声に即応して、背後に姿を見せるサイラァ。うわ、本当に現れたよ、こいつ。縛られているはずなのに、とか、いつからそこにいたんだ、とかいろいろあるがまずは置いておいて、何となく呼べばすぐに現れる気がしたんだよな。
で、実際に呼んでみればこの通りだ。
突然俺の背後から現れたサイラァを見て、ガラッドが目を見開いて驚いている。彼にしてみれば、聖域にいるはずのサイラァが俺に呼ばれて突然現れたのだ。顔を見ることができた喜びより、驚きの方が勝っているのだろう。
しかも、今のサイラァは肌も露な半裸姿。辛うじて大事な所は露出していないが、他は全部露出していると言ってもいいすっげえ危険な格好だった。
ってか、その布面積の小さな下着、いつも着ているのか? 確かに黒い肌に白い下着はよく映えてはいるが、その下着は彼女の胸の頂点と股間を僅かに覆うだけ。尻の割れ目には細い紐のようなものが通っているのみで、尻そのものは丸出しと言ってもいい。いやもう、下着の役目を果たしていないんじゃないか、と思わず疑ってしまうようなシロモノだった。
もっとも、人間じゃないのだから、そんなこと気にしても仕方ないかもしれないけど。
でも、どうしても気になっちゃうんだよね。ほら、俺って紳士だし?
「さ、サイラァ殿……? 聖域にいるはずのあなたがどうしてここに……? そ、それにその格好は……?」
うん、よく分かった。ガラッドは単なる好色野郎だ。驚きつつも、鼻の下を伸ばしてサイラァの露な肢体をまじまじと見つめている。
そんなガラッドの目の前で、俺はサイラァの細い腰に手を回して彼女の身体を抱き寄せた。
背の高いサイラァを抱き寄せたことで、俺の側頭部に彼女の胸が当たるが、今は気にしていられない。
背後にクースを庇い、片手でサイラァを抱き寄せた俺は、ガラッドに見せつけるようににやりとした笑みを浮かべた。
幸せそうに俺にしなだれかかるサイラァを見て、ガラッドが目を白黒させる。
意中の女性が他の男、それもゴブリンに抱き寄せられて嬉しそうにしているのだ。ガラッドみたいな奴には、たまったものじゃないだろう。
そして、俺は奴に対して更に駄目押しをする。
「サイラァ。おまえは俺の何だ?」
「私はリピィ様に従い、リピィ様のいかなる命にも従う者。リピィ様が望むのであれば、私はどんなことだって致します。誰かを殺せと命じられれば、たとえ血を分けた肉親であっても殺しましょう。そして……リピィ様が私をお望みとあれば……いつでもどこでも、お相手させていただきます。たとえそれが……他者の目のあるところであろうとも」
ちろり、とサイラァの唇から舌が覗き、ゆっくりと自分の唇を舐めた。同時に、小さな布切れに覆われただけの胸を左右に振り、俺の頭にすりすりと擦り付ける。同時に、ほとんど丸出しの尻が男を誘うように悩ましく左右に揺れた。
うん、自分でさせておいて何だが、今、すっげえ後悔している。
だが、その後悔を表に出すことなく、俺はガラッドに向かって不敵な笑みを浮かべ続けた。
なお、サイラァが肉親でさえ殺すと言った時、ギーンがびくりと身体を震わせていたのを俺は確かに見たのだが、ここは気づかなかったことにしておいてやろう。
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