閑話 その時少女は何を思ったのか


「ほう、クースか。げっしんきょうの舞踊神であるクースイダーナから取ったのかな? クースイダーナ神は舞踏や音楽、絵画などの芸術を司る神で、音楽や絵画などを通して心を豊かにし、互いに思いやることを忘れるなと説く温厚な神だったか」

 今、私の目の前には一体の異形の怪物がいる。

 やや白っぽい灰色の肌に、私よりも少し低い身長。全体的な身体つきだけを見れば、人間の子供に見えなくもない。

 だけど、目の前にいるモノは決して人間ではなかった。

 口元からちらりと覗く牙、額に生えた二本の角、赤く輝く大きな目。どう見たって、異形の怪物にしか見えない。

 そんな怪物を相手にして、こうして普通に会話していること自体がおかしいと言えなくもない。

 異形の怪物が……ゴブリンがクースイダーナ様を知っていたことに、私は内心の驚きを隠すこともできず思わず聞き返してしまった。

「……クースイダーナ様を知っているんですか……?」

 私のそんな問いかけに、目の前の白いゴブリンは私の手元──火にかけた鍋──を凝視したままひょいと肩を竦めた。その妙に人間臭い態度に、私はつい続けて質問をしてしまう。

「あなたは……リピィさんは……本当にゴブリンなんですか……?」

「ああ、俺は間違いなくゴブリンだよ。ま、見た目は多少変かもしれないけどな」

 この時、私は心の片隅で感じていた。

 これが私にとって、ある意味で運命の出逢いとなるであろうことを。




 私が生まれたのは、この国の片隅にある小さく貧しい村だった。

 家族は父と母、そして私の三人。それでも、幼い頃の私は大好きな両親と共に、貧しいながらも幸せに暮らしていた。

 だが、そんな小さくも温かな家庭は、あることを契機にあっけなく崩壊してしまう。

 猟師であった父親が、猟の最中に魔獣に襲われて命を落としたのだ。

 村でも評判の猟師だった父の死後、村の人たちが私と母を見る目が急変した。その理由は、母がこの村の出身ではないことと、私と母がキーリ教徒ではなく月神教徒だったからだろう。

 母はもともと、この村から一日ほど離れた所にある、ちょっと大きめの町で踊り子をしていたらしい。狩った動物の毛皮や薫製肉材などをその町に売りに出掛けた父と出会い、恋に落ちてこの村に嫁いできたと、以前に母から聞いたことがある。

 余所の町から嫁いだことと踊り子だったという過去から、母はなかなかこの村に馴染めなかったらしい。それでも父のために、必死に努力して少しずつこの村に打ち解けていったそうだ。

 しかし、そんな努力も父が亡くなったことで元へと戻ってしまった。

 村の人たちからすれば、母は余所者だ。しかも、この村では唯一の月神教徒。この村にはキーリ教の神殿しかないためか、村人たちは全員キーリ教徒であった。

 余所者で異教徒の母が、村人たちから冷たい目で見られたのは当然と言えよう。

 それでも、父が存命中はまだ良かった。父が母と村人たちの間を取り持ってくれていたから。だが、その父という風避けがなくなったことで、母への風当りは余計に冷たくなっていったのだと思う。

 母が信仰していたのは、月神教のクースイダーナ神。月神教徒の中でもあまり知られていない神様だが、踊り子だった母は舞踏や芸術の守護神であるクースイダーナ様を熱心に信仰していたのだ。娘である私の名前に、神様の名前の一部を取って与えるほどに。

 そんな母に子守歌代わりにクースイダーナ様のことを聞かされて育った私もまた、物心つく頃にはクースイダーナ様を信仰するようになっていた。

 もちろん、母は私の信仰に反対した。自分が月神教徒であるがために、村人たちからよく思われていないことを知っていたから。

 月神教徒ではなくキーリ教徒になるように、母は何度も私に言い聞かせた。しかし、幼いながらも頑固だったらしく、私は母の説得に応じなかったのだ。母のことが大好きで、そしてその母と同じようにクースイダーナ様が好きになっていたから。

 結局、父の口添えもあり、母は私の信仰を許してくれた。口ではなんだかんだ言いつつも、私がクースイダーナ様を信仰することに内心では喜んでいたと、後から父がこっそりと教えてくれた。




 そんな穏やかで温かだった家庭は、父が魔獣に殺されたことで崩壊した。

 残された母と私は、余所者とその娘、そして何より異教徒として、以前よりも更に村の人たちから冷たい目で見られるようになった。

 どうしてそうなったのか、理由は今でもよく分からない。

 当時の母が自分が父と結婚する前に踊り子だったことが、村人たちから距離を置かれるようになった理由では、と言っていたのを覚えている。

 私がもう少し大きくなった時、たまたま村人たちが話していたのを聞いたのだが、踊り子や吟遊詩人などの中には、副業で「一夜限りの恋人」を務める者もいるらしい。

 評判のいい踊り子だった母は、そんな副業をすることはなかった。だが、それが事実かどうかは村人にはどうでもいいのだろう。

 ちなみに、今にして思えばあの時村人たちの会話が聞こえたのは、たまたまでも何でもなく私にわざと聞こえるように話していたように思う。

 また、母と私が月神教徒であることも、やはり理由の一つだったと思う。余所者の異教徒ともなれば、地方の小さな村で異物扱いされるのも今ならよく理解できる。

 村人たちから吹き付ける冷たい風は、日に日に強くなっていく。

 いつしか、村人たちは私たち親子だけではなく、私たちが信仰するクースイダーナ様のことまで侮辱するようになった。

 いわく、娼婦が好んで崇める神。いわく、淫売たちと同じく淫らなことを好む神。

 確かに娼婦の中にクースイダーナ様を崇める者もいるが、それは娼婦の中でも芸事を嗜む人たちが芸術の神として信仰しているのだ、と母から聞いたことがある。決して、クースイダーナ様が淫らなことを好むから、娼婦たちが崇める神というわけではない。

 私や母がクースイダーナ様のことを正しく説明しても、村人たちは耳を貸そうとはしなかった。自分が崇める神様を侮辱されることは、自分が侮辱される以上につらいことだと、この時私は初めて知ったのだ。

 父の存命中は親切だった人たちが、突然冷たい態度を取り出した時、私は子供ながらも一体何があったのかと激しく混乱したことを今でも覚えている。

 以前、私は母にこの村を出て他の場所で暮らさないかと切り出したこともあった。だが、母はその話に首を縦に振らなかった。

 母は元々気が強く負けず嫌いな方であったし、何よりここには父が眠っている。父の傍を離れたくないのが、母がこの村から出ることをためらわせた最大の理由なのだろう。

 それからも、母は日々懸命に働いた。

 父が所有していた小さな畑を耕し、時には他の人たちの畑仕事も手伝いながら。

 母は再び、この村に受け入れられるべく努力したのだ。もちろん、幼い私もできうる限りのことをした。

 しかし、どんなに母や私ががんばっても、私たちが村に溶け込む日は二度と来ることはなかったのである。




 母が亡くなった。

 私のため、そして村の人たちに少しでも認めてもらおうと必死に働いた母は、とうとう身体を壊して病に倒れたのだ。

 亡くなった母の亡骸は村の墓地に埋葬されることもなく、私は一人で村外れの森の中に埋葬した。

 この時、私は十四歳になっていた。この国では十五歳で成人とみなされるが、今の私はまだ子供として扱われる。

 身寄りがなくまだ子供である私は、村の誰かに引き取られることになった。しかし、村中から毛嫌いされていた私を、引き取って育てようとするような奇特な者は皆無だった。

 そうなると、当然私は神殿に引き取られることになる。いや、今なら分かるが、そうなるように司祭様が仕組んだようだった。

 司祭様が私を引き取ると言った時の、私を見るあの粘ついた嫌な視線は忘れようとしても忘れることができない。

 私が神殿に引き取られたその日の晩、司祭様は私が寝ていた部屋へと堂々と入ってきた。

 寝ていた私の毛布を強引に剥ぎ取り、荒い息を吐きながら私にのしかかる司祭様。

 父が存命だった時は、とても優しかった司祭様。しかし、父が命を落としてからは、司祭様の態度も村人たちと同じように急変した。

 もちろん、その理由は私には分からない。どうして突然司祭様が私にのしかかってきたのか、その理由も、また。

 月明かりの中、私は司祭様の血走った目がはっきりと見えた。間近で吐かれた生臭い息が、私の頬に何度も触れる。

 理由は分からないが、淫らな欲望をぶつけようとする司祭様がとても怖くて、恐怖に囚われた私は、無我夢中で司祭様に抵抗した。

 がむしゃらに振り回した手足が偶然にも司祭様の鳩尾に入ったらしく、司祭様は腹を押さえたまま寝台の下に転げ落ちた。床の上で苦しげに呻く司祭様を振り返ることなく、私は部屋を飛び出し、神殿を飛び出し、そして……村を飛び出した。

 着の身着のままで飛び出した私は、気づけば靴さえ履かずに裸足でとぼとぼと夜の街道を歩いていた。

 二つの月の光が街道を夜の黒の中に白く浮かび上がらせ、私は俯いたまま当てもなく街道を歩く。

 ただただ、あの村にはもういたくないという思いから。

 ただただ、冷たい村人たちから少しでも離れたいという思いから。

 どれぐらい、夜の街道を歩いただろうか。歩いている間に魔獣や野生動物などに襲われなかったのは、恐ろしく幸運だったのだろう。そして、歩く先に炎らしき赤い光が見えた時は、私はその幸運がクースイダーナ様がもたらして下さったに違いないと感謝の祈りを捧げたほどだ。

 夜の街道で偶然人と出会えたのは確かに幸運と言えるかもしれないが、幸運と不幸は実は背中合わせだったのだ。

 なぜなら、私が見つけた炎の灯りは、旅の途中の人買いが野営する灯りだったのだから。

 愚かな私は、そうとは知らずに人買いに自ら声をかけてしまったのだ。




 人買いに捕えられた私は、そのまま人買いの「商品」となった。

 馬鹿な獲物が自らのこのこやって来やがった、と人買いは私を嘲笑する。

 この時の私は、捨鉢になっていた。あの村から離れることができるのなら、どうなろうと構わないと考えていたのだ。

 そのまま人買いの馬車に放り込まれた私は、数日彼らと共に旅をした。彼らの「商品」に対する扱いは、決して悪くはなかった。少しでも「商品」を高く売るためか、私を傷つけるようなことは決してしなかったのだ。

 そんな彼らとの旅も唐突に終わりを告げることになる。私たちの一行を盗賊が襲ったことによって。

 突然、馬車の外から聞こえてきた罵声と騒音、そして、人買いが雇った護衛たちが上げる断末魔の叫び。

 馬車の中に逃げ込んでがたがたと震える人買いの傍らで、私もまた恐怖に震えていた。

 やがて馬車の外が静かになると、薄汚れた盗賊が馬車の中に入り込んできて、人買いを連れて外に出ていった。

 その際、盗賊が司祭様と同じような粘ついた視線で私を見たことが、私に更なる恐怖を植え付けた。

 人買いが馬車の外へと連れていかれ、先程と同じように断末魔の悲鳴が聞こえる。

 護衛と人買いは、盗賊に殺されてしまったのだろう。そうなると、次は私の番だ。成人に達していないとはいえ、若い女が盗賊に捕まればどのような目に遭うか、田舎育ちの私でも分かる。

 先程以上にがたがたと震えながら、私は心の中でクースイダーナ様に助けを求める。何度も何度も、クースイダーナ様の名前を唱え、助けてくださいと連呼する。

 だが、神の救いの手は伸ばされることなく、盗賊が再び馬車の中に入ってきた。先程以上にぎらついた視線で私を眺め、嫌らしい笑みを浮かべながら私を強引に馬車の外へと連れ出す。

 途端、鉄の臭いが私の鼻を刺激する。怖くて閉じていた目を僅かに開ければ、地面に赤黒い染みが広がり、その上に護衛たちと人買いが倒れていた。

「ほう、これはまた……薄汚れてはいるが、結構上玉じゃないか」

「まだまだ女としては乳臭いが……おっぱいの方は十分あるようだしな。うへへへ」

「こいつは久しぶりに楽しめそうだ」

 地面に座り込んだ私を取り囲みながら、盗賊たちが口々に何か言っている。だが、殺された人買いたちを見て恐怖に心を縛り上げられていた私は、彼らが何を言っているか分からなかった。

 盗賊の一人が、私に向かって手を伸ばす。ようやく私が我に返り、盗賊が伸ばした手に気づいて反射的に身を竦めた時。

 一陣の白い旋風が、盗賊たちを襲ったのだった。




 七人いた盗賊たちは、一人を除いてあっと言う間に倒されてしまった。

 盗賊を倒したのは、三体のゴブリンたち。ゴブリンという名前の妖魔族がいることは聞いていたが、実際に目にするのは初めてだった。

 盗賊たちがゴブリンと呼んでいたことだし、目の前の妖魔たちがゴブリンであることは間違いないのだろう。

 三体のゴブリンの内、二体は赤茶色の肌で小柄な大人ぐらいの大きさ。対して、残る一体は白っぽい色の皮膚を持ち、頭の中央部にだけ馬の鬣のような黒い毛が生えていた。身体つきはこの白いゴブリンが一番小さく私よりも背が低いが、どうやらこのゴブリンが残りの赤茶色のゴブリンたちを率いているらしい。

 呆然とゴブリンたちを見ていた私に、生き残った盗賊と何やら話をしていた白いゴブリンが声をかけてきた。

「あー、そこの君。悪いけど、馬車の中に綱か何かないかな? あったら持ってきて欲しいんだけど」

 思ったよりも丁寧な言葉遣いと、はっきりと聞き取れるゴルゴーグ公用語に、私は思わず周囲を見回してしまった。ゴブリンが話しかけたのが自分であるとは思えなかったのだ。

 しかし、私の周囲には誰もいない。思わず自分で自分を指差してしまった私に、白いゴブリンは再び声をかけてきた。

「そう。君に頼んでいるんだ。頼めるかい?」

「あ、は……はい、分かりました……」

 思わず返事をしてしまい、大人しくゴブリンの言葉に従うことにする。

 私が今まで抱いていた妖魔族の印象とは随分と違う現実に、自分が思っている以上に私も混乱しているのだろう。

 そして、言われた通りに綱を持ってきた私に、白いゴブリンはお礼まで言ったのだ。この時、私の中にあった「妖魔族は恐しい」という常識が、がらがらと音を立てて崩れ去ったのだった。




 気づけば、私は涙を流しながら白いゴブリン──リピィさんに懇願していた。

 一緒に連れて行って欲しい、と。

 生まれた村には帰りたくない、と。

 私と母をまるで汚物のように扱った人たちが住む場所に、どうして帰りたいと思うだろうか。私と母が敬愛する神様を侮辱する者たちしかいない場所に、どうして戻りたいと思うだろうか。

 少なくとも、私や母、そしてクースイダーナ様を侮辱するだけだった村の人たちよりも、リピィさんの方が遥かに信頼できると私には思えた。

 なぜなら、リピィさんはクースイダーナ様のことを正しく知っていたのだ。私にはこの変な白いゴブリンの方が、冷たい村人たちよりもよほど「人間らしく」思えて仕方がない。

 今も、私が作ったシチューを美味しそうに食べてくれている姿は、とても恐ろしい妖魔とは思えないほどだ。

 そういえば、他の二体……ユクポゥさんとパルゥさんも、とても美味しそうに私のシチューを食べてくれる。ユクポゥさんとパルゥさんの見た目は確かにちょっと怖いけど、それでも空になった鍋や食器を舐め回すまで食べてくれるその姿は、やっぱり作った方としても嬉しいし、どこか可愛く思えてしまう。

 変なゴブリンたちを見ていた私は、くすりと笑みを零す。その笑みを目敏く見つけたらしいリピィさんが、不思議そうな顔──厳つい顔のゴブリンなのに確かにそう見えた──で私を見る。

「どうした? 何かおもしろいことでもあったのか?」

「いえ、別に何もありませんよ?」

「そうか……? 変な奴だな」

「はい。きっと、私は変な奴なんでしょう」

 私は再び笑みを浮かべる。確かに私は変なのかもしれない。なんせ恐ろしいはずのゴブリンを、人間よりも人間らしく感じてしまうのだから。



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