閑話 帝国の第三皇子



 帝暦338年。その年、ゴルゴーク帝国の現皇帝アルデバルトス・ゾラン・ゴルゴークとその皇妃エルデラーリスとの間に、三人目の赤子が生まれた。

 生まれたのは男児で、母親譲りの銀の髪を持ったとても可愛い赤子であった。

 父親も母親も、先に生まれた二人の兄たちも、新たな家族の誕生にとても喜んだ。いや、喜んだのは皇家の者たちだけではない。国中が新しい皇子の誕生に喜びに包まれた。

 だが、皇家の者たちの喜びは、すぐに痛々しい沈黙へと変化することになる。

 なぜならば、生まれたばかりの第三皇子が、何者かの手によってかどわかされたのだから。




「……ということが今から五年前にありましたが、すぐにその事件は解決しました。いえいえ、この一件の詳細をお知りになられた皇帝陛下と皇妃様は、悲しみから一転、とてもお喜びになられたのです」

「……どうしてですか、大司教様?」

 既に老境に差しかかった目の前の男性──キーリ教の大司教で名をギーリムという──に対し、僕はやや首を傾げながら尋ねました。

 その時、僕の銀色の髪がさらりと流れ、小さな音を立てたのですが、それは今は関係ありません。

 おそらく、僕は相当不思議そうな顔をしていたのでしょう。ギーリム大司教は目を細めつつも僕の質問に答えてくれました。

「なぜならば、第三皇子殿下……つまり、あなた様のことですな、ミーモス殿下。あなた様は、決して不埒者の手で拐かされたのではなかったのですよ」

 勉学を教えてくれる師であるギーリム大司教に対し、僕──ゴルゴーク帝国第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴーク(現五歳)は、やはり納得のいかない顔を向けました。

「つまりですな、ミーモス殿下。確かにあなた様は生まれてすぐに忽然とお姿を消されました。しかし、三日ほどでお父上とお母上の元に無事にお戻りになられたのです」

 生まれたばかりの赤子が数日間姿を消すという事件は、ごく稀にだが起こるのだとギーリム大司教は教えてくれました。

 そして、このような事件を総称して「精霊のかどわかし」と言うとのこと。

 なんでも、精霊は類まれなる才能を有した人間の赤子を見かけると、思わずその腕に抱いてしまうそうなのです。

 精霊の腕に抱かれた赤子は、何故か姿が見えなくなってしまいますが、精霊は赤子をしばらく抱いて満足すると、再び赤子を元いた場所へと戻すのだそうです。

 ただし、精霊の周りを流れる時間は普通とは異なるらしく、精霊にとってはほんの少し抱いているにすぎなくても、精霊の周囲以外では三日から四日ほどの時間が経過してしまうのだとか。

 そして、元に戻された赤子には精霊から大きな祝福と加護が与えられるため、この「精霊の拐かし」は大変喜ばしい瑞兆であるとギーリム大司教は教えてくれました。

「過去、精霊に拐かされた者は歴史に名を残すような、偉大な人物となる場合が多いようですな。今から60年ほど前、世界に平穏を取り戻した《勇者》ジョルノー様もまた、生まれたばかりの頃に精霊に拐かされたという逸話が残されておりますよ」

 《勇者》ジョルノー。その名前を聞いた時、僕の顔が一瞬だけ引き攣りました。ですが、それは本当に一瞬だけのこと。おそらく、目の前にいる大司教も気づいていないでしょう。

 なぜなら、《勇者》ジョルノーは僕の……いえ、の僕の心臓を貫いた人物の名前なのです。

 今でもはっきりと思い出せる、彼の剣が僕の心臓を貫いたあの瞬間。

 身体を駆け抜ける激痛と灼熱感。心臓を破壊されるあの感覚だけは、何度体験しても決して慣れません。

 もっとも、彼が僕の心臓を壊した時、僕もまた彼の心臓を当時愛用していた槍で貫いたのですから、そこはお互い様なのですけどね。これまで、幾度もそうであったように。

 そう。

 僕には、「以前の僕」の記憶があるのです。




 以前の僕は、人間ではありませんでした。妖魔の一種である竜人族の族長の息子として生まれ、成長した後は族長として竜人たちを統べ、人間や亜人たち──「妖魔族」に対し、彼らを総称して「ヒト族」と言う──に戦いを挑みました。

 ヒト族に虐げられた妖魔族を救うため、またはその生存圏を広げるため。数々のお題目を掲げつつ竜人族以外の妖魔族や魔物とも協力し、僕はヒト族へと宣戦布告をしたのです。

 ですが、僕の本当の目的は「彼」を殺すこと。ただそれだけ。

 他の魔物たちへ示したお題目は、全ては魔物という我の強い連中を纏めるために掲げたに過ぎません。

 そして、僕が妖魔族や他の魔物を纏めたように、「彼」もまたヒト族を纏めて僕たちに対抗しました。

 当時の僕たちはこう呼ばれていました。僕は魔物たちを率いる者、《魔物の王》もしくは《魔王》ゾーラル。そして「彼」はヒト族の希望、《勇者》ジョルノー。僕たちはこれまでがそうであったように、再び戦場で互いに顔を合わたのです。

 その結果がどうなったのかは、歴史の教本に記されていたり、数多くの吟遊詩人たちが歌う通りです。




「おやおや、少々お疲れのようですかな?」

 僕が他事──もちろん「彼」に関して──を考えていたことに気づいたのか、ギーリム大司教はやや咎めるような顔つきで僕に言いました。

「珍しいですな。殿下が拙僧の話の途中で考え事とは」

「ごめんなさい、大司教様」

 僕が素直に謝ると、ギーリム大司教は途端ににっこりと笑いました。

「ははは、考えてみれば、殿下はまだ五歳。普通であれば遊びたい盛りの年頃ゆえ、年寄りの話など聞いていても退屈と思われても詮無きこと。まあ、これまでの殿下が優秀すぎたのでしょうなぁ」

 目の前でにこにこと微笑むギーリム大司教。

 この勉学の師に対して真面目な顔を向けつつ、僕はやはり心の中で別のことを考える。

 どうして、今回に限って僕は人間に生まれたのでしょうか。

 これまでの僕は、必ず魔物でした。前回は竜人族の族長の息子に生まれたし、それ以前には竜や巨人だったこともあります。ですが、人間に生まれ変わったのは今回が初めてです。

 しかし、考えてみれば人間、それも一国の皇族に生まれたことは有利かもしれません。

 まず、皇族というのは様々な情報が集めやすい。

 皇族とは、言わば国中に手足や耳目があるようなものなのですから、これ以上に情報が集めやすい立場はないでしょう。

 そうなると、自然と「彼」の情報も集めやすくなるというものです。

 間違いなく、「彼」もまた僕と同じように生まれ変わっているでしょう。それが僕と「彼」の宿命なのですから。

 これまでがそうであったように、「彼」が生まれるとすれば人間である可能性が高いのではないでしょうか。僕が今回人間として生まれたのは、何らかの特異な理由があったからだと思われます。

 そして、たとえ現時点ではまだ「彼」は生まれていなくても、遠からず生まれてくるのは間違いありません。

 先述した通り、皇族という立場は様々な情報を集めるには打ってつけです。その立場上、国の内外を問わず貴族に関する情報は自然と集まってくるでしょうから、もしも「彼」がどこかの貴族の家に生まれていれば、突出した才能を持った子供として嫌でも評判になり、皇族である僕の耳に届くことになるでしょう。

 とはいえ、必ずしも「彼」が貴族に生まれるとは限りませんので、「彼」が市井に生まれた時のことも考えておいた方がいいかもしれません。

 そういえば、いつぞやの「彼」は冒険者とかいう存在でした。「彼」が市井に生まれたとすれば、「彼」の気質からして再び冒険者となるのではないでしょうか。

 ならば、冒険者を支援するような組織を作ってみるのもいいかもしれません。そうすれば、その組織に所属する冒険者の情報が集めやすくなります。

 そのような組織を作り出す際にも、皇族という立場は役立ってくれることでしょう。

 ギーリム大司教の話によると、市井の職業の中には「組合」というものがあるそうです。

 「組合」は所属する同じ職業の者同士が互いに技術を供与したり、仕事を斡旋しあったり、後継者を育てたりするそうです。ならば、冒険者の間でも同じようなことができるのではないでしょうか。

 冒険者を支援する組織があれば、「彼」が冒険者となった時、その組織に所属する可能性は高い。そしてその組織をこの僕が統括すれば、冒険者となった「彼」の存在が僕の耳に入ることになる。

 仮に冒険者にならなくても、そこは「彼」のことです。どのような身分に生まれようが、その抜きん出た実力で瞬く間に「彼」の名声は世間に広がることでしょう。そしてそのような「英雄譚」は、皇族である僕の所にもきっと届くに違いありません。

 もちろん、僕の所に届く話が全て真実とは限りません。集まった玉石混交の情報を判断するのは、この僕自身。僕自身が間抜けでは意味がありません。

 そのためには、僕自身が武を鍛えて知恵を磨き、己を鍛え上げる必要があるでしょう。幸い、僕には過去の記憶と経験、そして前世から引き継いだ特殊能力もあるので、それらは今生でも役立ってくれると思います。

 その他にも、皇族という立場はいろいろと有利に働くでしょう。第三皇子という立場を最大限に利用し、必要以上に表に出ることなく、ゆっくりとこの国を影から支配すればいいのです。

 かつて《魔物の王》と呼ばれたこの僕なら、それは決して難しいことではないのですから。




 君は今、どこにいるのですか? もうこの世界に生まれ落ちているのですか?

 早く君に逢いたい。それが僕の隠さざる本心です。

 そして。

 そして、再びこの手で君の心臓を抉る瞬間が来るのが、今から楽しみでなりません。

 君を殺すために、僕は何度も何度もこの世界に生まれてくるのですからね。

 僕は真面目な顔でギーリム大司教の話を聞きながら、頭の片隅でまだ見ぬ今生の「彼」のことばかりを考えていました。



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