閑話 冒険者


 ゴルゴーグ帝国の南西部に位置する町、レダーン。

 南西部の主要街道が交わる宿場町であり、近隣に魔境として名高いリュクドの森が存在することから、リュクドの森を狩り場とする冒険者も多く集まる南西部では有数の大きさを誇る町である。

 そのような町であるため、ここには数多くの酒場兼宿屋がある。このような場所こそが冒険者たちの拠点であり、一般に「冒険者の店」とか「冒険者の宿」と呼ばれていた。

 これらの酒場兼宿屋は、冒険者たちを統括支援する組織である「冒険者相互支援援助会」、通称「互助会」の支援を受けており、冒険者たちに格安で一晩の寝台や食事、そして冒険者たちの活動に必要な物資の販売などを行い、彼らを支援している。

 そんな冒険者の店の一つである、〔勝利の祝杯亭〕。経験を積んだ冒険者が数多く常連として名を連ねる、クトガの町でも最も有名な冒険者の店の一つである。

 その〔勝利の祝杯亭〕の酒場で──いや、レダーンの町全体で、最近とある噂話が話題となっていた。




「なんだと? 〈こうじん〉が壊滅しただと……?」

「ああ、そうらしい。正確にはリードとソフィアだけが生き残り、他は命を落としたって話だぜ」

 〔勝利の祝杯亭〕の酒場の中、一つのテーブルを囲んだ数人の冒険者たちが、最近よく聞く一つの噂について語り合っていた。

「……ケインとガゼルとグルードが死んだだと……?」

「ああ。しかも、ケインたちを殺したのは……どうやらゴブリンらしい」

「そんな馬鹿なっ!? ゴブリンなんぞに後れを取るケインたちじゃないだろうっ!? そ、それとも、何か強力なゴブリンの上位種でも現れたってのか?」

「それが……普通種のゴブリンだったそうだ」

 このクトガの町で活動する冒険者たちの中では、それなりに名の知れたグループである〈鋼刃〉。その〈鋼刃〉に所属する五人のメンバーの内、三人までが命を落としたという噂は、瞬く間に冒険者たちの間を駆け巡った。

 しかも、その三人が単なる普通種のゴブリンに殺されたとあって、噂を聞いた冒険者たちが半信半疑となるのも無理はないというものだろう。

「いや、単なる普通種とは言えないかもしれないな……なんせ、そのゴブリンは気術を使ったらしいんだ」

「おいおい、馬鹿も休み休み言えよ? 普通種のゴブリンが気術なんて使うわけがないだろう? ホブ・ゴブリンやゴブリン・リーダーだって使えないんだぜ? ってか、自慢じゃないけど俺だって満足に使えないぜ」

「確かに、そりゃ自慢にならんな」

 同じテーブルにつく冒険者たちが、一斉に笑い声を上げる。だが、ゴブリンが気術を使ったとなると、単なる笑い話では済まされないかもしれない。

 ゴブリンには様々な上位種が存在するのは、冒険者ならば誰もが知っている事実である。だが、気術や魔術といった特殊な能力を有するのは、ごく限られた上位種のみなのだ。

 気術であれば、ゴブリン・ロードやゴブリン・キングなどの戦士系の最上位種のみが使えるとされているし、魔術を使えるのもまた、ゴブリン・シャーマンやゴブリン・ウィザードといった魔術師系の中位から最上位種に限定される。

 ゴブリンの中でも最下位とされる普通種が気術を使ったなどという話は、冒険者といえども聞いたこともないことであった。

「だが、そうとでも考えないと、ケインとガゼル、そしてグルードが普通種のゴブリンに殺されるわけがないだろう?」

「それは確かにそうだが……」

 酒を酌み交わしながら言葉を交わす冒険者たち。彼らの間に、居心地の悪い沈黙が舞い降りた。

 腕を組み、それぞれ考え込む冒険者たち。

 どれぐらいその沈黙の支配が続いただろうか。その沈黙を破り、冒険者の一人がぽつりと呟く。

「ま、まさか……《魔物の王》が出現する前兆では……?」

 《魔物の王》。その言葉を聞いた他の冒険者たちの顔色が、酒精による赤から一気に青へと変化した。

 《魔物の王》とは、過去に何度も出現した極めて強力な魔物の総称である。大体50年から100年ぐらいの周期で現れ、数多くの魔物を従えて人間や亜人に戦いを挑み、人々を恐怖のどん底へと突き落としてきた。

 その姿はその時代によって違うとされている。伝承や記録によれば、巨大な竜であった時代もあれば、巨人であった時代もあったらしい。

 最も最近に現れたのは大体60年ぐらい前であり、その時は極めて強力な力を宿した竜人族だったと記録されている。

「……確かに、《魔物の王》が現れる時は、決まって強力な魔物が他にも現れて《魔物の王》の配下になるとされているが……」

「じゃ、じゃあ、その気術を使うゴブリンも、《魔物の王》の配下ってことか……?」

「い、いや……も、もしかすると……そのコブリンこそが……《魔物の王》だという可能性も……」

 冒険者たちの周囲を、再び沈黙が支配した。




 多くの吟遊詩人は語る。

 《魔物の王》現れる時、魔物は凶暴になり人々の日々の暮らしを脅かす、と。

 世界はまるで永遠の夜が来たかのように闇に閉ざされ、作物は枯れ、川は渇き、人々の心は荒れ果てる。

 だが、悲観することはない。明けない夜がないように、人々の頭上には必ず光がもたらされるのだ。

 魔物に王が現れる時、人々の間に勇敢なる若者が現れる。

 その勇敢なる若者は神の祝福と加護を幾重にも纏い、《魔物の王》とそれが率いる魔物たちを打ち倒し、人々の心に希望と光を再び取り戻すであろう、と。

 吟遊詩人たちが語るのは、とある英雄譚。《魔物の王》から人々を守る、英雄の物語。

 人々の心に希望と光をもたらす英雄。それを《勇者》と人は呼ぶ。

 《魔物の王》現れる時、《勇者》もまた現れる。

 それはこれまで繰り返されて来た歴史であり、真実である。

 現に60年ほど前に《魔物の王》が現れた時も、《勇者》は現れて《魔物の王》を打ち倒し、世界に平穏を取り戻したのだから。




 吟遊詩人はこう続ける。

 60年ほど前に魔物が「竜人の王」に率いられし時、人々は「勇者ジョルノー」の下に団結し、この驚異を打ち払った、と。

 「勇者ジョルノー」。その名前を知らぬ者は、このシュトラク大陸にはまずいないだろう。

 世界を《魔物の王》の驚異から救うため、神が遣わした神の子。シュトラク大陸において最大の勢力を誇るキーリ教は、「勇者ジョルノー」をそう位置付けている。

 《魔物の王》と戦い、《魔物の王》を倒した《勇者》。だが《勇者》本人もまた、《魔物の王》との戦いの際に深手を負って帰らぬ人となった、とキーリ教の神官たちは信者たちにそう教えている。

 実際、「勇者ジョルノー」は《魔物の王》と戦った後、帰って来なかった。

 彼の帰りを待っていた人々はたくさんいたと伝えられているが、誰の元にも《勇者》は帰って来なかったという。

 そのため、《勇者》と《魔物の王》は差し違えたのだ、と人々に信じられている。《勇者》はその命を対価とすることで、《魔物の王》を打ち倒したのだ、と。

 その戦いを見た者は誰もいない。《勇者》だけではなく彼の仲間たちもまた、誰一人として帰って来なかったのだから。

 だが、《勇者》と《魔物の王》の戦いの様子は、数多くの吟遊詩人たちが歌にし、演劇の題目にもされてきた。

 それらは人々が想像した《勇者》と《魔物の王》の戦いの様子であったが、誰もがそれが本当であったかのように感じ入っていた。

 だから今日も、酒場や街角で数多くの吟遊詩人が《勇者》を称える歌を歌う。そして、その歌を聞いた聴衆たちは、その歌に満足して吟遊詩人の足元に銅貨や銀貨を投げ込むのだ。




 「……《勇者》と聞いて思い出したが……」

 長い沈黙を破り、一人の冒険者が口を開いた。

「この国の第三皇子殿下は、幼い頃より文武に優れ、《勇者》の再来ではないかと言われていたな」

「そう言えば第三皇子殿下……ミルモランス殿下はとても優秀なお方だと聞く」

「確か……今年で16歳になられるはずだったな」

 ゴルゴーク帝国第三皇子、ミルモランス・ゾラン・ゴルゴーク。

 幼い頃より神童と言われ、その片鱗をいくつも周囲に示してきた人物である。

 文武に優れ、穏やかな気性ながらも芯の通った青年で、父である皇帝や二人の兄たちからも篤い信頼と期待が寄せられていると噂される人物。

 美しい銀色の髪と女性とも見違えそうな美貌の持ち主だが、若干16歳にして槍を扱わせればその腕前は帝国でも上位に位置すると言われている。

 また勉学にも優れ、神学や伝承なども含めた様々な学問を修めている人物でもあり、彼と親交の深いキーリ教の高位神官の中には、「ミルモランス殿下こそが今代の勇者である」と公言して憚らない者もいるほどであった。

 その美しい容姿と柔らかな物腰、そして如何なる者にも丁寧に接する態度から、年頃の貴族の令嬢は言うに及ばず平民にまで高い人気を誇る。

 まさに物語や御伽噺に登場する「王子様」。それこそがミルモランス・ゾラン・ゴルゴークという青年を言い表すに相応しい言葉だろう。

「仮に魔物の中に本当に《魔物の王》が現れたとしても、我らにはミルモランス殿下がおられる」

「そうだな。俺たちのような末端の冒険者にとって、《魔物の王》と直接戦う機会はないだろうし」

「そういうこった。俺たちが相手にするのは精々魔物の王の手下ぐらいさ。伝承や伝説にあるように、《魔物の王》の相手は《勇者》様に任せるのが一番だぜ」

 先程の重々しい沈黙などすっかり忘れ去った冒険者たちは、酒で満たされた杯を高々と掲げる。

「俺たちのこれからに!」

「そして、俺たちを守ってくださるであろうミルモランス殿下に!」

 冒険者たちの掲げた木製の杯が、ここんと小気味のいい音を奏でる。




 この時、彼らは知らなかった。

 いや、彼らだけではなく、この世界に生きる全ての人々が、世界を支える天秤が徐々に片方へと傾き出していることに気づいていなかった。

 人々がそれを知るのは、天秤が既に大きく傾き、容易には元に戻すことができなくなってからであった。


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