〈爆〉
突然俺の肩を襲う激しい痛み。
思いもしなかった衝撃に、俺はつい剣から手を放してしまった。
そして、思わず動きを止めた俺を押し潰さんと、頭上よりモールが襲い来る。
「ふははははは! 所詮は非力なゴブリン如きに、俺様自慢の筋肉を貫くことなどできんのだよ!」
勝ち誇ったムゥの声。その声に苛立つものを感じるが、今はそれどころじゃない。
動かない足を気術で強化し、無理矢理横へと飛ぶ。その直後、俺の左肩を掠めるようにモールが通り過ぎた。
先程とは別種の痛みが俺の左肩に走る。ムゥが振り下ろしたモールの棘が、僅かに掠っただけで俺の肩の肉の一部を持って行ったのだ。
肩から噴き出した血が空中に朱線を描き、そのまま地面に落下する。
それを横目で見届けつつ、俺は転がりながら黒いオーガーから距離を取る。
突然肩を襲った痛みの原因、それはゴーガとの手合わせの際、無理をしたことで痛めていたのだろう。確かにあの時肩に痛みがあったが、その後は全く痛まなかったため失念していたのだ。
俺としたことが、自分の身体の調子を見誤るとは。間抜けな自分を内心で罵りつつ、俺は黒いオーガーを見据える。
また、先程の強引な回避で足にも反動が来たようだ。立ち上がろうにも足に力が入らず、俺は片膝突いた状態でムゥと対峙する。
「どうした? 羽虫のように逃げ回るのはもう終わりか?」
勝ち誇った表情を浮かべる黒いオーガー。実際、機動力を奪われた今、俺にはこのオーガーに勝つ方法はほとんど残されていない。
再び、ムゥが俺を叩き潰さんとモールを振り下ろす。その一撃を、俺は地面を転がって必死に避ける。
「確かに貴様はゴブリンにしては強い。だが、妖魔最強たる《黒の三巨星》、その長兄である俺様を倒すには圧倒的に筋肉が足りん!」
ムゥが何度も振り下ろすモールを、俺はごろごろと地面を転がりながら必死に躱す。ムゥは俺をなぶり殺しにするつもりなのか、わざと際どい所を狙ってモールを振り下ろしてくる。そのため、何とか躱せているのが現状だ。
「リピィっ!!」
「だいじょブかっ!?」
兄弟たちの切羽詰まった声が聞こえる。横目で彼らの様子を見てみれば、兄弟たちも次兄と末弟の攻撃をそれぞれ必死に躱している。
「くかかかか! 貴様の手下どもも我が弟たちの筋肉には及ばないようだな!」
既に勝利を確信したのか、にやにやとした笑みを浮かべたムゥが俺を見下ろす。
両手で持ったモールをこれ見よがしに見せつけながら、黒いオーガーがゆっくりと俺に迫って来る。
だが、そのムゥが突然大きく後方へ飛び退いた。直後、それまでオーガーがいた場所を、炎の矢や氷の矢、そして
矢による攻撃が無効だと判断したダークエルフたちが、魔術攻撃による援護に切り替えたのだろう。
だが、ダークエルフたちの魔術を、ムゥは気術で強化した身体で易々と躱す。
「小賢しいダークエルフたちめ! 俺様の筋肉も魔術は防げないと見抜いたか!」
うん、馬鹿だ、こいつ。自分から弱点を口にするとは、本物の馬鹿だ。
当初の予想では、オーガーたちは優れた指揮官に率いられているとばかり思っていたが、もしかすると考えすぎだったのかもしれない。
時として、考え過ぎる者よりも単純な馬鹿の方がより的確な行動をすることがある。今回の襲撃は、もしかするとそっちだったのかもしれない。
俺とムゥとの距離が開いた直後、俺の身体が淡い光に包まれる。
この温かみのある光には、以前にも覚えがある。これは間違いなく命術が──回復魔術が効果を表わした時の光だ。
先程の魔術による攻撃はオーガーを傷つけるためではなく、俺を回復するための時間を稼ぐのが目的だったらしい。
痛めた肩と足から痛みが消え去る。俺はそれを感じながら先程手放した小剣を探すが、何度も転がりながらムゥの攻撃を避けている内に、剣を落とした場所からかなり離れてしまっていた。
小剣を拾うことを諦め、代わりに腰から短剣を引き抜き、自らの左の掌を浅く切り裂く。
掌にじんわりと血が滲むのを確認し、立ち上がった俺は再び黒いオーガーと対峙した。
「そのような小さな短剣で、俺様の筋肉が貫けると思っているのか!」
俺が構えた短剣を見たムゥがあざ笑う。確かに、この短剣であの化け物の筋肉を貫くのは無理だろう。だが、俺の最後の武器はこの短剣ではない。
俺の最後の武器。だが、正直なところそれを使うことに不安を感じる。確かに俺には切り札ともいうべきものがあるが、それは以前の俺の話であり、今のゴブリンに転生してからは、その切り札をまだ一度も試していないのだ。
ぶっつけ本番で使うのは確かに怖い。しかし、今はこの切り札に賭けるしかない。
正直、気術で五割以上の強化を施せば、オーガーの上位種と言えども倒せると考えていた。だが、俺はオーガーどもを少々見くびっていたようだ。
連中は強い。もしかすると全力の強化を施しても、今の俺や兄弟たちでは倒せないかもしれない。
気術による強化と体術と剣術。これだけで倒せるほど、目の前の化け物は甘くはなかった。となると、今の俺に残されているのはこの切り札だけ。
自分で切り裂いた左手を決意と共にぎゅっと握り締めた時、奴のモールが地面を引き摺るような軌道で俺を襲う。
下から上へと掬い上げるような一撃を一旦後退して躱し、すぐに前へと飛び込むような形でムゥの懐へと入り込む。
瞬間、背中を冷たい風が通り過ぎる。振り上げられたモールが再び振り下ろされたのだ。モールが巻き起こした風を冷たく感じるのは、それだけ奴のモールが鋭く振られたからか、それとも背中に流れる嫌な汗のせいか。
頭から地面へと突っ込み、くるりと一回転。そして、伸び上がるようにして黒いオーガーに最接近し、その腹に触れる。
奴に触れるのは、先程自ら掌を切り裂いた左手。結果、オーガーの腹に俺の血が付着することになる。
「何の真似だ?」
「さて、な。何の真似かは、自分の身で確かめろ」
俺がしたことが理解できないのか、訝しそうに顔を顰めるムゥ。そりゃそうだ。モールを必死に掻い潜り、その結果が相手に触れるだけなのだから、普通は理解できないだろう。
親切にも俺は奴に返答してやりつつ、にやりと笑いながら大きく後方へ飛び退いた。
そして。
俺の体内の魔力と、奴に付着した血に含まれた魔力が確かに反応し合っていることを確認し、「鍵なる言葉」を解き放つ。
「爆!」
直後、黒いオーガーが突然発生した爆発に飲み込まれた。
それが俺の切り札であり、俺以外の使い手を見たことがない稀有な魔術である。
自分の血を触媒に対象を爆破する魔術、とでも言えばいいだろうか。俺の血を爆発物に変える、と言い換えると理解しやすいかもしれない。
付着した血の量、そして血に含まれる魔力の量などで威力が変動するため、効果を見極めるのが難しく、敵を爆破しようと思うなら相手に血を付着させないといけないし、出血してから時間が経過すると、血に含まれる魔力が抜けて爆発しなくなってしまうなど、いろいろと使いづらく使うための条件も厳しい魔術である。
だが、威力の方は申し分ない。現に、あの化け物のようなムゥが一発で吹き飛び、そのまま意識を失って倒れたのだから。
もちろん、殺さない程度の威力になるよう調整してある。だが、上手く調整したつもりでもその調整をしくじることがあるのが、この魔術の難しいところだ。
過去、この調整をしくじって必要以上に爆発させたこともあったっけな。
更には、ムゥの肉体の頑丈さも考慮に入れる必要もあったが……まあ、結果良ければ全て良し、だよな? 決して、その辺り適当だったわけじゃないぞ、うん。
ま、今回は上手くいったことにしておこうか。ぶっつけ本番にしては、上々の結果と言えるだろう。
「あ、兄者……っ!?」
「兄者が……ムゥの兄者が倒されただと……っ!?」
ユクポゥやパルゥと戦っていた残りの二体が、長兄が倒されたことで動揺する。そして目の前のユクポゥたちを無視して、倒れた兄貴へと駆け寄った。
その途中、連中の足が何かに濡れた地面を踏んだのを、俺は確かに見た。
それ、先程ムゥのモールに肩を削られた時、俺の身体から飛び散った血の跡だぜ?
つまり──
「爆!」
再び「鍵なる言葉」を唱えると同時に、連中の足元が爆発する。
こうして、《黒の三巨星》の次兄と末弟も長兄と同じように爆発に飲み込まれ、夜空高く吹き飛ばされて、そのまま地面に叩き付けられて気を失ったのだった。
残りのオーガーたちが、呆然と俺を見ている。いや、オーガーたちだけではなく、ダークエルフたちも同様だった。
突然の爆発に驚いたせいか、ダークエルフたちの《姿隠し》が解除され、その姿が露わになっている。だが、誰もそのことに気づきもしないらしい。
それほど、《黒の三巨星》を一撃で倒した俺の爆術に驚いたようだ。
例外と言えば、俺の兄弟たちとサイラァぐらいか。兄弟たちは……まあ、いつものように深くは考えていないのだろうな。ある意味、あいつらは大物だから。
そしてサイラァは……命の散り際だけじゃなく、誰かの血が流れるだけで興奮するらしい。うん、あの女、間違いなく真性だ。
とりあえず今は、あの真性のことは置いておこう。それよりもやらねばならないことがある。
「オーガーの首魁、《黒の三巨星》はこの俺……ゴブリンのリピィが討ち取った。降伏する意思のある者は武器を捨てろ! 降伏するなら命だけは取らないことを約束しよう」
俺の降伏勧告に、僅かに生き残ったオーガーたちは手近な者同士顔を見合わせると、手にしていた棍棒などを地面に放り投げた。
中にはこの場から逃亡を図った者も数体いるが、まあ、放っておいてもいいだろう。この軍団から外れたオーガーなど、それほど脅威でもない。
「……というわけだ、ゴーガ殿。生き残ったオーガーどもの処遇は、首魁である《黒の三巨星》も含めて俺が預かる。異論はあるか?」
ゆっくりと俺の方へと歩いてくるゴーガに対し、俺は自らの主張を告げる。
「構わんとも。それが貴殿が協力してくれるための要求の一つだからな」
俺がダークエルフたちに要求した二つのこと。一つは《魔物の王》についての情報、そしてもう一つが倒したオーガーたちの身柄を俺のものとすること、であった。
もともと《黒の三巨星》を配下にすることは狙いであったし、ムゥの奴も「俺様を従えたければ、実力で」と言っていた。それに、「弱者は強者に従え」は妖魔の掟のようなものだしな。《黒の三巨星》……いや、もう《黒馬鹿三兄弟》でいいや。《黒馬鹿三兄弟》も自分たちを倒した俺に従うことに否はないはずだ。
もしも俺に従いたくないとごねるようなら、もう一度殺さない程度に爆術をかけて吹き飛ばしてやろう。
だが、まずは連中の意識を取り戻すのが先か。ちょっと……いや、かなり嫌だけど、《黒馬鹿三兄弟》に回復魔術をかけるためにサイラァを呼ぶ。
俺に呼ばれたサイラァは、頬を上気させてどこか頼りない足取りでこちらへやって来る。
「あぁ……リピィ様……やはり、リピィ様は……私が見込んだ通りのお方でしたわ。こ、今後も……リピィ様が赴く先では、今日以上に血が流されることでしょう。そ、それを想像しただけで……わ、私……私……濡れてしまいました……っ!!」
はい、命術を使ったらさっさと帰ってください。もう嫌だ、この女。でも、貴重な命術の使い手だしなぁ……他の命術の使い手がいれば、悩むことなくポイするのになぁ。
きっと、こういうのを究極の選択って言うに違いない。
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