《黒の三巨星》

 夜空に真円を描くきんげつと歪な円を描くぎんげつ、二つの月が雲に隠れた闇の中、気配を殺しながらオーガーたちに占領されたダークエルフの集落へ近づく俺たち。

 あと少しで集落の中へ入る、というところで、背後にいるサイラァが小さな声で呟いた。

「……始まったようです、リピィ様」

「分かるのか?」

「はい。私は腐敗と殺戮の女神の使徒ですから。近くで何者かの命が散ると、それがある信号として私に伝わるのです」

「信号?」

「はい。何者かの命が散った時、性的な快感となって私の身体を駆け抜けるのです……!」

 何自慢そうな顔しているんだよ、おい。おまえ、氏族の巫女だよな? 巫女がそんなでいいのか?

 ってか、もしかしてジャクージャ神の信徒って、みんなこうなの? 頼むからこいつだけが特殊だと言って欲しい。マジで。

 サイラァはほんのりと頬を赤く染め、恍惚とした表情を浮かべて小刻みに身体を震わせている。

 うん、間違いなく真性の変態だわ、こいつ。

「おい……分かっているとは思うが……」

「は、はい…………もちろん、オーガーに悟られるようなことは……くぅんっ!!」

 びくり、と身体を震わせるサイラァ。うわぁ、できればこれ以上お近づきになりたくないなぁ。でも、貴重な命術の使い手だしなぁ。

「リピィ……こイつ、変」

「変なヤツ、近づきたくナい」

 うん、ユクポゥとパルゥの気持ち、よく分かるぞ。この二人にまでおかしいと思われるとは、ある意味すげぇな、サイラァ。

 よく見れば、他のダークエルフたちも彼女から微妙に距離を取っている。どうやら、サイラァだけが特殊みたいだ。正直、ほっとした。

 冷ややかな視線をサイラァに向けた俺は、すぐに視線を逸らして闇の中を進む。

 時折背後から聞こえてくる小さな声なんて、俺には聞こえないぞ。うん。




 集落の中が、にわかに騒がしくなる。

 元々集落の中は騒々しかったが、それまでの騒々しさとは別物の喧騒があちこちで沸き上がる。どうやら、ダークエルフたちの暗殺が上手くいっているようだ。

 今も一軒の建物の中から、一体のオーガーがふらふらと出て来たかと思えば、そのまま大地に倒れ込んだ。よく見れば、首の後ろには短剣が突き刺さっている。あの短剣にはダークエルフが用いる猛毒が塗られていて、掠り傷でも致命傷となる。これこそがダークエルフの本来の戦い方なのだ。

 異変に気付いたオーガーたちが、武器を片手に建物から飛び出してくる。

 当然ながら、今のオーガーたちは全員である。敵の主力は魔獣を駆る騎兵だが、さすがにこの状況で魔獣に騎乗している奴はいないだろう。

 この点もまた、今回の奇襲の狙いの一つでもある。どんなに優れた騎兵であろうとも、騎乗していなければただの歩兵に過ぎない。

 そして、連中の騎獣である突風コオロギは、現状では戦力から除外できると考えていい。集落のどこかに繋がれているのだろうが、オーガーたちに突風コオロギに騎乗する余裕を与えるつもりはないのだ。

 外に飛び出して来たオーガーたちの一部が、突然倒れる。そして、その背後に姿を現したのは、もちろんダークエルフたちである。

 姿を見せたダークエルフたちに、近くにいたオーガーが果敢に攻撃を仕掛けるが、ダークエルフたちは再び姿を消し、素早くその場から離脱する。中にはオーガーのメイスのような拳や棍棒を受けて、一撃で倒れるダークエルフも僅かにいるが、それでも大半のダークエルフたちは離脱に成功したようだ。

「よし、俺たちも行くぞ。サイラァはここでダークエルフたちの指揮を執れ」

「しょ、承知致しました」

 いまだにぴくぴくと小さく身体を震わせているサイラァを極力見ないようにしながら、俺と兄弟たちは《黒の三巨星》を倒すべく集落の中へと駆け込んでいった。




 気術で身体を強化し、俺たちは風のように集落を駆け抜ける。

 俺たちに気づいたオーガーの腹を、すれ違いざまに裂く。これだけで生命力に溢れるオーガーを殺せるとは思わないが、しばらくは動けないだろう。

 俺の背後に続く兄弟たちもまた、駆け抜けながら俺とは別のオーガーたちを屠っていく。そして、こいつらにやられたオーガーは確実に瞬殺されている。もしかして、ユクポゥとパルゥってまた一段と強くなってないか? くそぅ、これが天才の天才たる所以か。悔しくないぞ!

 そんな感じで足を止めることもなく走り続ける俺たちの前に、一際大柄な三体のオーガーが現れた。

 どうやら、あれが敵の首魁たる《黒の三巨星》とやらだろう。

 オーガーたちが赤茶色の肌をしているのに対し、あの三体だけは黒い肌をしている。そして、他の個体よりもことさら立派な角が二本、額から生えている。

 他のオーガーたちと同じように上半身は裸だが、手にしている武器が違った。オーガーたちのほとんどが棍棒かダークエルフから奪ったと思しき剣や槍を持っているのに対して、この三体だけはどこで調達したのか鋭い棘が何本も生えた巨大な両手用のメイス──いわゆるモールを装備しているのだ。

 しかも、奇襲を受けて混乱していたオーガーたちが、徐々に《黒の三巨星》の周囲に集まってきているようだ。こいつはのんびりしていらない。敵の首魁が指導力を発揮して混乱を治める前に、あの三体を倒さねば。

 俺たちは更に加速する。現在の強化は五割。今回は予め兄弟たちにも今以上の強化も許可してある。

 俺たちが《黒の三巨星》に到達する数歩前、後方より矢がオーガーたちへと降り注ぐ。

 サイラァの指示の下、ダークエルフたちが援護射撃を行ったのだ。

 遠方の暗闇から射られた矢は、数体のオーガーに突き刺さって地に倒した。矢にも短剣同様に猛毒が塗られているので、少しでも傷を与えれば命を奪える。

 今頃、サイラァがまた身悶えているだろうが、しっかりと指揮さえ執ってくれるのなら問題なしとしよう。

 放たれた矢の何本かが、《黒の三巨星》にも突き刺さる。だが、あの三体だけは倒れる様子がない。どうやら、あいつらには毒に対する耐性があるらしい。

 高位の魔獣や妖魔の中には、毒などに対する耐性を持つものもいる。あいつらもそのクチってことか。

 更には連中の分厚い筋肉は矢が刺さった程度では掠り傷程度にしかならないらしい。ったく、思った以上に化け物だ。

「何者だ?」

 《黒の三巨星》の一体が、俺たちに気づいて声を上げる。その言語は巨人語。オーガーは妖魔族であると同時に巨人族にも属する。ダークエルフが妖魔でありながら妖精でもあるのと同じってわけだ。

 これはオーガーが元は下位の巨人族であったが、過去にぎんげつに与したために今の姿に変じたからだと言われている。

 そのため、オーガーは妖魔語と巨人語を使うのだ。中には、どちらかしか話せない個体もいるようだが。ギーンを拾った時に出会ったオーガーは、巨人語ではなく妖魔語を使っていたっけか。

 俺はオーガーの問いに言葉ではなく不敵な笑みで応え、剣を抜いて先頭にいる黒いオーガーへと斬りかかった。




 低い姿勢から伸び上がるように斬りかかった俺の斬撃を、オーガーは取り回しの悪いモールを器用に操って受け止めた。この素早さ、こいつも気術で強化済みか。

「ゴブリン……にしてはおかしな魔物だが……まあいい。それより、どうして貴様のような変な魔物がここにいる?」

「ま、いろいろあってな。ところで、俺から提案があるんだが?」

 俺は絶え間なくオーガーに斬りかかりながら、以前から考えていたことを口にする。

「降参して、俺の手下になるつもりはないか?」

「ふ、何を言うかと思えば……この俺様に貴様のような変なゴブリン如きの手下になれだと? 笑止っ!!」

 俺の斬撃を受け止めていたモールが翻り、唸りを上げて俺の頭上に落ちてくる。重量武器であるモールは、小柄な俺では受け止めることはできない。下手に小剣で受け止めようものなら、そのまま押し潰されるだけだろう。

 大きく後ろに飛び退いて、俺はモールの一撃を躱す。後退した俺の元にユクポゥとパルゥもやってきた。兄弟たちもまた、オーガーの攻撃を回避して後退してきたらしい。

「我ら《黒の三巨星》にゴブリン如きが挑むなど……片腹痛い!」

「我ら三兄弟、揃えば相手が何者であろうと打ち砕いて見せよう!」

「我らオーガー最強! いや、妖魔最強の《黒の三巨星》よ!」

 三体の一際大きな黒いオーガーたちが、全身の筋肉をむきっと盛り上げてポーズを取る。

 正直、暑苦しいことこの上ない。思わずげんなりとした俺と兄弟たちを余所に、連中は絶好調で口上を続けた。

「俺様こそ《黒の三巨星》の長兄! ガ・ンダァ・ムゥ!」

 ムゥとやらは胸を張りながら両腕を上に曲げ、上腕筋と胸筋をむきっと強調した。

「同じく、《黒の三巨星》の次兄! ガ・ンキャ・ノゥ!」

 ノゥと名乗った奴は、握りしめた両の拳を腰に当て、むんっと大きく胸を張って胸筋と太ももの筋肉を強調した。

「同じく、《黒の三巨星》の末弟! ガ・ンタァ・クゥ!」

 最後のクゥとかいう奴は、やや横向きになって右手で左手の手首を掴み、むききっと上腕と胸筋を強調した。

 それぞれ大げさに筋肉を強調するポーズを取る《黒の三巨星》。うわー、本当に暑苦しいな、おい。連中の筋肉が発する無駄な熱が、ここまで伝わってくるようだ。

 ちなみに、連中の名前の一番最初の「ガ」とは、巨人語で「黒」を意味する。これがこいつらの異名の元なのだろう。

「さあ、貴様らも名乗れ、小さきゴブリンたちよ」

 必要以上に筋肉を強調させたまま《黒の三巨星》の長兄、ガ・ンダァ・ムゥとやらが言う。いや、ここで俺たちが名乗る必要ってあるのか?

 疑問に思うが、俺は連中を手下にしたいわけだから、ここは名乗っておいた方がいいかもしれない。もちろん、筋肉を強調する変なポーズは取らないけど。

「俺はリピィ。見た通り、ちょっと変わったゴブリンだ。後ろにいるのは、俺の兄弟分のユクポゥとパルゥ。お前たちを従える者の名前だ。よく覚えておけ」

 巨人語が分からない兄弟たちに代わり、ついでに彼らの名前も名乗っておく。

「俺たちを従えたくば、力づくで従えるんだな!」

 三体の黒いオーガーが咆哮する。同時に、オーガーたちの身体から濃厚な魔力が吹き上がった。こいつらも咆哮で気術を使うのか。もしかして、これがオーガーの流儀なのかもしれない。

 黒いオーガーたちが、一丸となって突っ込んで来る。俺と兄弟たちは素早く散開し、オーガーの突撃を躱す。

 先程まで俺たちがいた場所に、だん、だん、だん、と三つの巨大なモールが連続して振り下ろされ、派手に土砂が舞い上がった。

 いや、どんな力だよ? ただでさえ怪力を誇るオーガーが気術で強化すれば、あれだけの威力となるわけか。

 こんな化け物たちに不意を突かれれば、ダークエルフたちが立て直す間もなく総崩れになったのも頷けるというものだ。

 俺はオーガーたちから目を離すことなく、近くにいる兄弟たちへと指示を出す。

「連中の次兄と末弟を抑えておいてくれ。その間に、俺が長兄を倒す」

「分かタ」

「任セて」

 オーガーたちの首魁は目の前の三体だが、その中でもやはり長兄のムゥとやらが一番強そうだ。それに、こいつらに連携した攻撃をさせるわけにはいかない。

 個々で対峙するのは危険かもしれないが、速攻で長兄を倒すことさえできれば後はどうとでもなると俺は考えている。

 この手の連中……というか、妖魔にとって強い者に従うのはごく普通のことだからな。ここで相手の頭さえ倒してしまえば、残る連中は頭を倒した者に従うだろう。

 もし、従わなかった時はその時改めて考えよう。

 俺が地を蹴ると同時に、ユクポゥとパルゥもそれぞれ相手に向かって突進する。ユクポゥが次兄のノゥに、パルゥが末弟のクゥに。

 そして、俺はもちろん長兄のムゥへと向かう。突っ込む俺を待ち構えていたように、ムゥのモールが横殴りに襲いかかってくる。

 確かにムゥの一撃は強力だが、速度的にはそれほど脅威ではない。

 ぶんぶんと振り回されるムゥのモールを、俺は慎重に避けていく。そして、その合間を縫うように斬撃を繰り出すが、俺の剣が奴の筋肉を貫くことはできない。

 くそ、相手も気術を使っているとはいえ、どれだけ防御力が高いんだよ。俺だって気術で身体を強化し、刃にも魔力を通しているのにまともなダメージを与えられない。

「くはははは、なかなかすばしっこい奴だ。だが、いつまで躱せるか?」

 振り回されるモールの速度が、一段と上がる。だが、躱せないほどではない。

 俺は回避に専念しながら、反撃の機会を窺う。そして、その時はすぐに来た。

 一向に攻撃が当たらないことに焦れたのか、ムゥの攻撃が徐々に粗くなってくる。そして、一際大振りな一撃を俺は身長差を活かして掻い潜り、ムゥの懐へと飛び込んだ。

 瞬間的に、強化を一気に七割まで上昇させる。飛び込んだ勢いと気術の強化、そして小剣の刀身に纏わせた魔力の全てを、オーガーの腹へと叩きつける。

 剣の切っ先がムゥの腹筋を貫く感覚が、俺の手に確かに伝わってくる。

 頭上から苦し気なムゥの呻き声が聞こえ、勝利をより確かなものにすべく剣先をオーガーの腹に押し込もうと更に力を込めようとした時。




 俺の肩を、激しい痛みが襲った。


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