ギーン・ゴーガ・リーリラ

 俺はユクポゥとパルゥに、気術による強化は大体三割程度に抑え、俺の許可がない限りそれ以上の強化はしないように命じてある。

 気術によってあまり自分を強化しすぎると、素の実力を鍛えることができないからだ。敵と拮抗する程度の力で戦うことこそ、最も実力が伸びやすいということを俺はこれまでの人生の中で何度も実感している。

 格下と戦っても実力は伸びず、格上と戦って命を落としては本末転倒。ならば、自分より少し強いぐらいの敵とぎりぎりの戦いを行うのが、一番己を鍛えることができる。それがこれまでの経験から得た俺の持論である。

 もちろん、世の中には俺たちが全力で戦っても勝てない敵はいるだろう。だが、今目の前にいるオーガーは、そこまで強敵ではない。

 今までの強化よりももう二段階……大体五割の強化で倒せる相手であると、俺は判断した。

 俺の身体の中で、これまで以上の魔力が荒れ狂う。だが、魔力に対して親和性の高いハイ・ゴブリンの身体は、この魔力を容易に制御できた。

 ハイ・ゴブリンに比べて魔力との親和性が高くはないホブ・ゴブリンだが、そこは天才のユクポゥとパルゥである。彼らはこれまで以上に難しい魔力の制御を、いとも容易く成し遂げていた。

 そして、俺たちの変化を感じ取ったらしいオーガーは、驚愕に目を剥いて俺たちを見ていた。

 本来なら自分より格下であるはずのゴブリンたちが、自分以上に魔力を操っているのだ。これで驚かない奴は単なる馬鹿だろう。

 さて、改めて仕切り直しといこうか。




 最初に響いたのは、何か硬い物を断ち斬る音だった。

 断ち斬ったのは俺。断ち斬れたのはオーガーの右足。

 これまでとは比べ物にならない速度でオーガーの懐に飛び込んだ俺は、その勢いを殺すことなくオーガーの足を切断した。

 先程は硬くて通らなかった剣も、今度は易々とオーガーの防御を貫く。噴き出した返り血が俺の身体を汚すのを感じつつ、剣を振り抜いた姿勢でちらりと上を見上げれば、怒りに燃えたオーガーの目があった。

 足を断たれた激痛よりも、足を断たれた怒りの方が勝っているのか、奴は苦悶の声さえ漏らすことなく、剣を振り抜いた直後の俺の脳天へと剣を振り下ろす。

 そして、再び森の中に何かを切断する音が響く。

 斬られたのは剣を持つオーガーの右腕。そして、斬ったのはパルゥである。

 俺に勝るとも劣らない速度で肉薄し、俺へと振り下ろされるオーガーの腕を、肘よりやや上で断ち斬ったのだ。

 そして、今度こそ苦悶の叫びを上げるオーガー。だが、その雄叫びは唐突に中断を強いられた。

 パルゥより一呼吸遅れて接近したユクポゥが、その喉に槍を深々と埋め込んだからだ。

 オーガーの巨体を足場にして、ユクポゥが刺さった槍を引き抜く。その際、反動でオーガーの身体は後ろにゆらりと傾き、そのまま轟音と共に仰向けに大地に沈む。

 喉から溢れ出る血が、倒れたオーガーの周囲を赤く染めていく。

 いかに強靭な生命力を誇るオーガーといえども、さすがに生きてはいないだろう。

 俺たちが五割の強化を施してから、十回と呼吸するまでもなくオーガーは息絶えたのだ。

 しまった。五割はちょっと強すぎたかもしれない。

 四割が妥当だったかも。失敗。




「ば、馬鹿な……」

 倒れたオーガーを見ながら呼吸を整えていると、不意に背後から声が聞こえた。肩越しにそちらへと振り向けば、クースに支えられてダークエルフの少年が上半身を起こしていた。

 どうやら、オーガーとの戦いの喧騒で目が覚めたらしい。

「ほ、ホブ・ゴブリンが……オーガーを倒した……だと……?」

 目の前で起きたことが信じられない様子のダークエルフ。まあ、その気持ちは分からないでもない。本来、ホブ・ゴブリンとオーガーでは圧倒的にオーガーの方が強いのだから。

 ちなみに、彼が使っている言語はエルフ語だった。神話によるとエルフもダークエルフも元は同じなので、この二つの種族が同じ言語を使うことは不思議ではない。更には、彼らが同じ言語を使うことこそ、元は一つであった証であると唱える賢者もいるほどだ。

「どれだけ信じられなくても、目の前で起きたことこそ事実なのさ」

 俺はダークエルフへと振り向くと、エルフ語で語りかける。

 実は俺、エルフ語も理解できるんだ。伊達に何度も人生繰り返しているわけじゃなく、エルフ語の他にもドワーフ語や獣人語、ゴルゴーグ公用語以外の人間の言語、そして妖魔語など、主だった言語はほぼ修得済みなのだ。

「貴様……何者だ……? 見た目は少し変だが、ハイ・ゴブリンなのか……? しかも、ゴブリンのくせにエルフ語が分かるのか……?」

 ほう、さすがはダークエルフといったところか。ダークエルフともなるとハイ・ゴブリンを知っているらしい。だが彼の口振りからして、普通のハイ・ゴブリンはエルフ語を理解できないのだろう。

 ハイ・ゴブリンはゴブリンの中ではかなり希少種だが、それでもダークエルフにはあらゆる点で劣る。ダークエルフは妖魔の中ではオーガーよりも上位に位置する、最上位と言ってもいい種族なのだ。

 それ故に、ダークエルフは自分たち以外の妖魔を見下す傾向にある、と以前仲間の魔術師から聞いたことを思い出した。

 俺が昔のことを思い出している間に、ダークエルフが俺を見る目に徐々に鋭いものが宿っていく。

 俺たちを警戒して立ち上がろうとするダークエルフ。だが、すぐに苦しげに呻いて膝を突いた。まだ背中の傷は癒えていないのだから当然だ。

「おい、無理をするなよ? 折角手当てしてやったのに、無駄になるだろう?」

「……き、貴様が……手当てをしただと……?」

 不信感をありありとその顔に浮かべながら、ダークエルフは俺を見る。

「あ、あの……だ、大丈夫……ですか……?」

 苦しそうなダークエルフの様子に、その背後にいたクースが思わずといった感じで声をかけていた。

 もちろん、クースにエルフ語が分かるわけはないので、雰囲気でダークエルフが苦しそうなのを何となく察したのだろう。

 そして、彼女の声に弾かれるように背後へと振り向くダークエルフ。俺たちとオーガーに気を取られて、クースには気づいていなかったらしい。

「に、人間っ!? どうしてこの森に人間が……い、いや、ゴブリンと人間がどうして一緒にいるんだっ!?」

 背後のクース、そしてその更に後ろにいる隊長や、俺たちの顔を順番に見比べていくダークエルフ。

 うん、まあ、こんなの見たら普通は混乱するよな。




「俺はリピィ。見たとおり、ゴブリンだ」

「……俺はダークエルフ……リーリラ氏族、戦士長ゴーガの子、ギーン……ギーン・ゴーガ・リーリラだ」

 互いに地面に腰を落ち着けて、まずは俺から名乗るとダークエルフ──ギーンも自らの名を名乗った。

 どうやら親と氏族の名を一緒に名乗るのが、ダークエルフの風習らしい。いや、俺もダークエルフの風習まではよく知らなかったから、ひとつ勉強になったぞ。

 しかし、俺に名乗ったものの警戒までは緩めていないようだ。ギーンは地面に座りつつも、油断することなく俺たちを見つめている。

「安心しろ。おまえに危害を加えるつもりはない。それより、少し聞きたいことがある」

「聞きたいこと……だと?」

「ああ、聞きたいことは一つ……と言いたいところだが、ついさっきもう一つ追加されたな」

「何が聞きたい? 本来ならばゴブリン風情の質問になど答える必要もないが、少なくとも傷の治療の分ぐらいは礼代わりに答えてやる。ありがたく思え」

 ギーンは尊大な態度でそう答えた。まあ、ダークエルフがゴブリンを見下すのは当然な反応だろう。「力が全て」「弱い者は強い者に従う」が妖魔の掟のようなものだからな。

 それでも俺の質問に答えようというのだから、多少は彼も俺たちに感謝しているらしい。それとも、ダークエルフとしての矜持が俺の質問に答える気にさせているのかもしれないが。

 どちらにしろ、答えてくれるのなら答えてもらおうじゃないか。

「《魔物の王》について、何か知っていることはないか?」

「《魔物の王》……? 氏族の大人たちから、俺が生まれる三十年ほど前に存在していたと聞いているが……確か、人間の《勇者》とか名乗る者に討たれたらしいな」

 はい、その《勇者》は俺です──なんて言っても信じてはもらえまい。

 そして、今の会話からギーンの年齢が三十歳ほどと分かった。五百年以上の寿命を持つエルフやダークエルフにしてみれば、三十歳なんてまだまだ子供だ。

「では、今は《魔物の王》は存在しないのか?」

「少なくとも俺は知らないな。もしかすると、氏族の大人たちなら何か知っているかもしれないが」

 以前の俺と「あいつ」の戦いが六十年ほど前。長寿なダークエルフにしてみれば、六十年はそんなに昔でもない。

 ひょっとすると、彼の氏族の中には六十年前に《魔物の王》の配下だった者もいるかもしれないし。

「では、氏族の大人たち……できれば族長や長老といった者たちと話す機会を設けることはできるか?」

「ゴブリン風情が我が氏族の指導者たちと直接話をするだと? 思い上がるなよ!」

 俺の言葉を聞いた途端に激昂するギーン。彼にとって、氏族の長たちがゴブリンと直接会話することは侮辱に思えるのだろう。いや、実際に侮辱に値する行為なのかもしれない。

「ま、無理ならいいさ。いずれ機会もあるだろう。じゃあ、もう一つの質問だ」

 大人しく俺が提案を引っ込めれば、ギーンは不満そうにしながらも俺の質問を待つ。何だかんだ言いつつもこうやって俺の質問に答えてくれるところをみると、根は素直な奴なのかもしれない。

「どうしておまえはオーガーに追われていたんだ? 普通、オーガーがダークエルフを襲うことはあるまい」

 妖魔にとって、力は全てと言っていい。力の弱い者は強い者に服従し、何をされても文句を言わない。いや、文句を言う権利がないと言った方が正しいか。

 そのため、格下の妖魔が格上の妖魔を襲うことは、特殊な状況を除いてまずないと言える。だが、格上であるはずのダークエルフが格下のオーガーに追われていた。つまりこれは、何か特殊な状況が生じていることを意味している。

 俺の質問を聞いた途端、はっとした表情で立ち上がろうとしたギーン。だが、いきなり動いて背中の傷に負担がかかったのか、苦しげに呻いて再び座り込む。

 そんなギーンを見つめながら、俺は推測を口にしてみる。

「おまえの氏族とやらの集落が、オーガーに襲撃を受けたんじゃないのか?」

「な……き、貴様、どうしてそれを……っ!? ま、まさか、貴様たちはオーガーの手先かっ!?」

「なに、単なる推測を口にしてみただけさ。だが、おまえのその態度からして、俺の推測は当たっているようだな。あと、これだけは言っておくが、俺たちはオーガーの手先ではないから安心していいぞ」

 本来、ダークエルフが棲んでいるのはもっと森の奥だ。だが、ギーンはこの場所に──森の浅い場所で気を失っていた。しかも、そのギーンを追うように姿を見せたオーガー。

 そして、先程も言ったように普通はオーガーはダークエルフを襲うようなことはない。これだけ状況が揃っていれば、おのずと答えは見えてくる。

 オーガーの中にダークエルフを超える実力を持つ者が現れ、その者に率いられたオーガー、もしくはその他の妖魔たちが、ダークエルフの集落を襲撃した。

 それが、俺の推測であった。



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