オーガー襲来
倒れていたダークエルフの少年は、まだ意識を取り戻さない。
だが、発見した当初に比べると、その呼吸が少し楽になっているように思える。多少は薬草から作り出した傷薬が効いたのだろう。
「おい、ゴブリンの旦那。これからどうするんだよ?」
ダークエルフの手当てを終えた俺に、盗賊の隊長が尋ねてきた。
とりあえずの俺たちの目的は、森の中を通ってレダーンの町の近くまで行くことだ。レダーンに最も近い場所まで行き、そこからはクースに一人でレダーンまで行ってもらい、盗賊たちの根城の場所を町の兵士に伝えてもらうつもりだ。
レダーンまでは大体二日ほど。街道ではなく森の中を行くので、多少は時間がかかるだろうが、それでも三日ぐらいだろう。
クースや隊長を拾ってすでに一日が経過しているので、残りは約二日。しかし、こんな森の浅い所にダークルフがいるとは思いもしなかった。
間違いなく、何らかの厄介事が起きているに違いない。このままだと俺たちも巻き込まれるかもしれないが……さて、どうしようか。
「とりあえず、このダークエルフが気づくのを待つしかあるまい」
「で、このダークエルフはいつ気づくんだ?」
「そんなこと、本人に聞いてくれ」
やれやれと俺が肩を竦めた時だ。ユクポゥの鋭い声が響き渡ったのは。
「リピィっ!! 何か、来ルっ!!」
どこか舌足らずながらもユクポゥがゴルゴーグ公用語で警告を飛ばす。瞬時にそれに応えた俺とパルゥは、武器を構えて周囲に鋭い視線を向けた。
「ぐぅぅぅぅるるるるぅおおおおおおぅぅぅぅぉぉぉぉぉっ!!」
同時に、リュクドの森の奥から大きな咆哮が聞こえてくる。
「お、おい、旦那! い、今のは……」
恐怖を顔中に張り付けた隊長が俺に問う。クースもまた、未知の恐怖に顔色を悪くしている。そんな二人を俺と兄弟たちが背後に庇う形で陣形を組んだ時。
周囲の木々や下生えを押し倒しながら、巨大な人影が現れた。
「あレは……」
「……オーガーっ!!」
パルゥの言葉を、俺が引き継ぐ。
オーガー。別名を「人食い鬼」。それはゴブリンと同じ妖魔族に属する
身長は7フィート(約210センチ)を超え、肌の色はホブ・ゴブリンによく似た赤茶色だが、額に一本から二本の角を持つところがホブ・ゴブリンとは大きく違う点だろう。
その巨体に見合った膂力を誇り、「人食い鬼」の別名通りに人間を食うことを好む。
もちろん、人間だけしか食べないわけではなく、エルフやドワーフのような妖精族だって食べるし、獣人族だって食べる。時には同じ妖魔で力の弱いゴブリンなどを食べることさえあるだろう。
そんなオーガーが一体、どこで拾ったものか血に汚れた大きめの剣を引っ提げて、森の奥から姿を見せたのだった。
森の奥から現れたオーガーは、周囲をきょろきょろと見回す。その視線が倒れているダークエルフを捉えると、口の中の巨大な牙を見せつけるようににぃ、と口角を吊り上げた。
ふむ……どうやら、このダークエルフの怪我とオーガーは深く関わっているようだ。
「……ゴブリン……?」
ようやく俺たちの存在に気づいたらしいオーガーが、やや首を傾げながら俺たちを見た。
「……ニ、人間……ウ、美味ソウ!」
俺たちが背中に庇っている人間たち──特にクース──を見たオーガーの口元から、大量の涎の零れ出る。さすが「人食い鬼」の異名は伊達ではないってところか。
オーガーが呟いたのは妖魔語でクースや隊長は意味が分かっていないようだが、口元から零れた涎がオーガーの目的を無言で物語っている。食欲の対象にされた二人の顔色が、先程よりも一段と悪くなった。
一方の食欲をいたく刺激されたらしいオーガーは、当初の目的であろうダークエルフを無視して、俺たちへとゆっくりと近づいてきた。
「ユクポゥ! パルゥ!」
俺の声に応じて、いや、俺の声を出すよりも早く、ユクポゥとパルゥは動いていた。
ユクポゥは素早く手斧をオーガーの顔面に向けて投擲する。人間の頭を軽く吹き飛ばすユクポゥの手斧の投擲だが、相手がオーガーだとやはり分が悪い。
オーガーは易々と手斧を剣で弾き飛ばすと、まずは邪魔者の排除とばかりにどすどすと足音を響かせて俺たちへと迫ってくる。
奴が持っている剣は、人間ならば両手で使うような大きさだ。だが、オーガーの巨体からすれば、片手でも十分振り回せる大きさに過ぎない。
俺は奴の大剣に注意を払いながら小剣を手にし、パルゥも盗賊から奪った新しい剣を構える。手斧の投擲を終えたユクポゥも、人買いの護衛が持っていた新しい槍を素早く構えた。
そして、俺たちは一気に全身に魔力を回す。すっかり慣れて馴染んだ気術は、一呼吸するだけの時間で展開できる。
一瞬で全身に強化を施した俺たちは、大地を踏み割る勢いで地を蹴った。
真っ先にオーガーに飛び込んで行ったのは、槍を構えたユクポゥだ。まるで騎兵の突撃のような勢いで、ユクポゥの槍の穂先がオーガーへと迫る。
だが、オーガーと言えば妖魔族でも上位に位置する魔物である。普通の人間なら目視することさえ難しい強化したユクポゥの突撃に、オーガーはしっかりと反応してみせた。
稲妻のような速度で迫りくるユクポゥの槍を、オーガーは手にした剣で下から上へと弾き上げたのだ。
槍を弾き上げられ、がら空きになったユクポゥの胴体に、オーガーの蹴りが突き刺さる。
重々しい打撃音と共に、ユクポゥの身体が吹き飛ぶ。だが、その隙に俺とパルゥはオーガーを左右から挟撃する。
低い姿勢から、オーガーの足を狙って繰り出されるパルゥの横薙ぎ。その一撃を、オーガーは巨体に似合わない身軽さで跳んで躱した
宙を舞うオーガー。だが、いくらオーガーでも空中では自由に動けまい。宙に浮いたオーガーの首を目がけて、剣を構えた俺も跳ぶ。
気術で強化された足腰が、勢いよく踏み込んだ大地を砕く。さながら放たれた矢のように跳んだ俺は、一気に間近に迫った標的──オーガーの首──に剣を一閃させる。
だが、俺の接近に気づいたオーガーは、空中で強引に身体を捻る。俺が放った剣の一閃は、オーガーの獅子の鬣のような頭髪を数本散らすだけだった。
いくらオーガーとはいえ、空中で無理に身体を捻ったために体勢が崩れ、そのままオーガーは背中から地面へと墜落する。
背中を強打し、倒れたまま苦し気に呻くオーガー。その間に、パルゥが着地した俺の元へと駆け寄ってきた。
吹き飛ばされたユクポゥも大した衝撃ではなかったようで、頭を振りつつ近寄ってくる。
あ、いつも被っている鍋がない。どうやら、どこかに落としたらしい。
「ユクポゥ、先走るな。落ち着いていつものようにいくぞ」
「分かタ。ごめン」
鍋をなくしたことに気づいているのかいないのか、俺の言葉に素直に謝るユクポゥ。兄弟たちは俺を先頭に、三角形を形作るように布陣する。
さあ、仕切り直しだ。どんな理由か知らないが、一方的に攻撃を仕掛けてきたのはオーガーの方なんだ。当然、それなりの仕返しを受ける覚悟はあるんだろうな?
「お……おい、お嬢ちゃんよ」
盗賊の隊長が、少し離れた所からじっと俺たちを見つめているクースに声をかけた。
今、彼らはオーガーと戦う俺たちから少し離れた木の影に逃げ込んでいる。気を失ったままのダークエルフも、二人で木陰に運び込んだようだ。
クースはともかく、あれほどダークエルフに触ることを嫌がっていた隊長がダークエルフを運ぶのを手伝うとはね。もしかしてあの隊長、結構お人好しなのかもしれない。
「い、今の内に連中から逃げ出さないか? な、なんなら、俺がどこかの町か村まで一緒に行ってやってもいいんだぜ?」
「いいえ、私は逃げません。私は……リピィさんと一緒に行くと決めましたから。逃げるなら、一人で逃げてください」
「お、おかしいぜ、おまえ! どうして人間がゴブリンなんかと一緒に行きたがるんだよ?」
「あなたには分からないかも知れませんが……私には、リピィさんの方が見知らぬ人間よりも信じられますから」
「……はぁっ!? 意味分かんねえよっ!!」
隊長はぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きむしる。だが、それでも一人で逃げ出そうとしないのは、一人で行動するのが怖いからだろう。
さて、俺が横目でクースや隊長たちの様子を窺っている間に、俺と兄弟たちは態勢を整えた。だが、それはオーガーにも時間を与えるのと同義でもある。
立ち上がったオーガーが、怒りに燃えた目で俺たちを見る。そして、咆哮を上げつつこちらへ駆け寄ってきた。
「いくぞ!」
俺はそれだけ言い置くと、再びオーガー目がけて駆け出す。一呼吸後、ユクポゥとパルゥもまた、それぞれ走り出す。
正面からオーガー目がけて疾走する。近づいてくるオーガーの速度も合わさり、瞬く間に彼我の距離が縮まる。
オーガーの腕の筋肉が一層盛り上がり、手にした剣を横薙ぎに振るう。
俺は僅かに身を屈めてその剣をやり過ごす。俺を捉えることのできなかった剣が手近な木の幹に当り、その木をへし折る。
剣の威力を目の当たりにして、俺の背中に冷たい何かが流れていく。その感覚をあえて無視し、俺はオーガーの懐へと飛び込む。
勢いを殺すことなく、俺は小剣の切っ先を見事に腹筋が割れているオーガーの腹へと突き立てた。
ぎん、という鈍い音と共に、小剣の切っ先がオーガーの腹に突き刺さる。だが、刺さったのは指の爪の長さ程度。全身に気術による強化を施し、突進の勢いをも利用した刺突が、オーガーの腹の筋肉を突き破れなかったのだ。
まるで岩でも突き刺したかのような硬い手応えに、思わずオーガーの顔を見上げれば、奴はにたりと嫌らしい笑みを浮かべていた。その瞬間、俺は剣が阻まれたその理由を悟った。
おそらく、このオーガーも気術を使っているのだ。オーガーほどの上位の妖魔ともなれば、気術が使えても不思議ではない。
全てのオーガーに気術が使えるわけではないだろうが、こいつは気術が使える個体というわけか。
先程から俺や兄弟たちの猛攻を防ぎ得たのも、気術の強化によるものなのだろう。
俺に続いて迫ったユクポゥとパルゥの攻撃もまた、オーガーは易々と剣で弾く。そして、再びその大きな口から咆哮が放たれる。
よくよく注意してみれば、奴が咆哮を上げる度にその赤茶色の身体から魔力が吹き上がるのが感じられる。オーガーのあの咆哮こそが、奴なりの気術の行使方法なのだろう。
気術によって全身を強化したオーガーが、それまで以上の速度で俺たちに迫る。
颶風を纏いながら奴の剣が俺へと迫る。その剣を俺は小剣で受け止めるが、小柄な俺ではオーガーの剣を受け止めきることができず、構えた小剣ごと強引に吹き飛ばされた。
木の葉のように軽々と吹き飛ぶ俺の身体は、背後の樹木へと激突する。気術によって身体を強化していたために致命傷には至らないが、もしも強化する前に今の攻撃を受けていたら、間違いなく背骨を砕かれて行動不能になっていただろう。
それでも、背中を強打したことで肺から息を吐き出すことを強要され、俺は一時的に行動不能に陥る。そんな俺に止めを刺そうとオーガーが迫る。
必死に呼吸を整え、オーガーの攻撃を再び受け止めるが、またもや俺の身体はいいように吹き飛ばされた。
ごろごろと地面を転がり、その勢いを利用してオーガーから距離を取ろうと試みが、周囲に密生した木々が俺の試みの邪魔をする。
木々によって転がりを遮られ、思ったよりもオーガーから距離を稼げない。今、俺と奴との距離は30フィート(約9メートル)ほど。奴からしてみれば、二呼吸か三呼吸する間に到達できる距離だろう。
下卑た笑みを浮かべながら、オーガーが俺へと突進する。俺はといえば、今だ起き上がってさえいない。このままでは、オーガーの剣によって両断されるだけだろう。
しかし、奴の大剣が俺の脳天へと振り下ろされることはなかった。なぜならば、俺は一人ではないからだ。
俺とオーガーとの間に割り込んできたのはユクポゥ。彼は槍の石突きを手にして、地面すれすれに大きく槍を振り回した。
ユクポゥの狙いは、オーガーの足を止めること。打撃を与えることではなく、転ばせることがユクポゥの狙いなのだ。
実際、ユクポゥの槍は見事にオーガーの足を掬い、奴を転ばせることに成功する。
普段の行動を見ているとそうは思えないが、本当にユクポゥの戦闘センスは凄い。それだけは俺も素直に感心するばかりである。
そして、オーガーが見事にすっ転んでいる間に、俺はパルゥによって引き起こされていた。
「リピィ、だいじょブ?」
「ああ、大丈夫だ。心配かけて悪かったな」
彼女を安心させるように、その肩をぽんと叩く。それで俺の意思が伝わったのか、パルゥがにたりと笑った。
いや、彼女にしてみれば普通に笑っただけなのだが、やっぱりホブ・ゴブリンの笑みは、人間の感覚だとどうしても恐怖を感じさせる。
まあ、俺も今はゴブリンだから、パルゥの笑みは理解できるが。
倒れたオーガーが立ち上がる間に、俺たちは再び俺を先頭にした隊列を組む。そんな俺たちを見て、立ち上がったオーガーは再びにやりと嫌らしく笑った。
完全に俺たちを敵ではないと判断した顔だな、あれは。
そして俺たちを殺した後、クースと隊長を食うつもりなのだろう。いや、俺たちだって奴からしてみれば食糧だ。更には、クースやパルゥは性欲の対象でもある。俺たちがオーガーに破れるということは、単に死ぬだけでは済まない。
俺は大きく息を吐き出した。どうやら、このままでは勝てそうもないのは明らかだ。
速度では何とか俺たちが勝っているが、力と耐久力はオーガーの方が上。更に奴は気術まで使うのだ。気術によって強化された身体は、当然ながら防御力も上がる。今の俺たちでは、オーガーの防御を貫くことは難しいだろう。
そう。
今の俺たちでは、だ。
俺はオーガーから目を離すことなく、背後にいる兄弟たちへと声をかける。
「ユクポゥ、パルゥ。気術の強化を、もう二段階上げろ。俺が許可する」
俺がそう言った瞬間、背後から膨大な魔力が吹き上がったのを俺は感じた。そして、その魔力に負けないだけの強化を、俺は俺自身に施した。
さあ、オーガー。
今度はさっきよりも強烈だぜ?
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