神話とダークエルフ



 げっしんきょうの教えによると、大昔の夜空にぎんげつはなく、きんげつが一つだけ輝いていたという。

 だがある時、突如どこからともなく銀月が飛来した。

 果たして、銀月はどこから飛来したのか。それは誰も知らない。一説によると、遠くせいかいの果てからやって来たとも言われているし、別の説によると異世界からやって来たとも言われている。

 銀月がどこから来たのか、そして、どうして夜空のあの場所に留まったのかは全く分からないが、それでも分かっていることはある。

 金月に神々が座しているように、銀月にもやはり神々が座していたのだ。だが、金月の神々が善なる神に対し、銀月に座すは邪悪な神々であった。

 飛来した銀月の神々は、我々が生きるこの大地を支配せんと、この大地を守護していた金月の神々に戦いを挑む。

 これに対し、金月の神々もまた銀月の神々を敵と認め、金月の神々と銀月の神々は全面戦争へと突入していったという。

 これが月神教の教えで言うところの、「きんぎんしんそう」の始まりである。

 この「金銀の神争」は、千年以上も続いたと言われている。もちろん、その真偽を知る者はそれこそ神々だけだろう。

 金と銀の神々の力は最初こそ拮抗したものの、長引いた戦いの中で徐々に銀月の勢力が優勢になっていく。

 その理由として、銀月の神々は非常に奸計に長けていたからだと言われているが、人智を超えた神々といえども、やはり狡賢い方がより立ち回りが上手いということなのだろうか。

 ともかく、不利な情勢に置かれた金月の神々は、打開策として神々以外の増援を求めることにしたと伝えられている。

 金月の神々が増援として選んだのは、当時この大地に暮らしていた人間や妖精族、そして獣人族といった今でいう「ヒト族」や、気性の穏やかな知恵ある生物──俗にいう「幻獣」たちであった。

 当時のヒト族や幻獣たちは、それまでに金月の神々の加護と恩恵を多大に受けて、大いに繁栄していた。

 そんなヒト族や幻獣たちは、これまでの神々の恩恵に報いるため、この要請を快く受け入れた。

 神々に比べれば、ヒトや幻獣の力などたかが知れている。それでも少なくないヒトや幻獣が加勢し、その中には小数ながらも竜族などの強力な種族や、抜きん出た力を持ったヒト族──いわゆる英雄──も参加したことで、金月の神々は徐々に銀月の神々を押し返していった。

 思わぬ増援の出現に、今度は銀月の神々が劣勢へと追い込まれた。だが、銀月の神々だってそのまま黙っているはずがない。

 劣勢に陥った銀月の神々が企てたのは、いわゆる離反工作であった。つまり、言葉巧みにヒト族や幻獣たちを騙し、自分たちの陣営へと引き込んでいったのだ。

 こうして銀月の神々の言葉に惑わされ、金月の神々を裏切って銀月の陣営へと鞍替えしたヒトや幻獣たちは、裏切りの証として姿形が変化した。

 ヒト族は妖魔族となり、幻獣は魔獣となって、銀月の神々の尖兵と化したのである。

 その後、金と銀の神々の戦いは更に激しくなり、やがて膠着状態へと陥っていく。

 ちなみに月神教の教えによると、互いに疲弊しあった両陣営の神々は半ば休眠状態に陥りながら、戦いの舞台を大地から金と銀の月の間に移行して、今もなお争い続けているという。

 いやはや、できれば二度と大地を神々の争いに巻き込まないでいただきたいものだ。この大地に存在する魔境と呼ばれる場所の中には、神々の争いの影響で生まれたとされる地域もあるのだ。そんな物騒なもの、これ以上地上に生じさせないで欲しい。

 そんな「金銀の神争」の時代、人間や獣人より神々に近いと言われる妖精族はその力を大いに揮い、金月の陣営の大きな戦力となったとされている。

 その妖精族に属するエルフだが、彼らの中にも銀月の神々が囁く言葉に耳を貸し、銀月の陣営へと加わってしまった者たちがいた。

 銀月の陣営へと加わった証として、それまで処女雪のように白かった肌を黒曜石のような黒に染められて。

 こうして、ダークエルフ族はこの大地に現れたのである。




 とまあ、以上が月神教の創世神話の一部である。

 月神教の信者ではない俺に言わせると、この神話には腑に落ちない点がある。それは、人間や獣人族が銀月に荷担した際に、ゴブリンやホブ・ゴブリンという醜悪な姿に変えられたのに対し、エルフ族だけは別段姿を変えるわけではなく、肌の色が変わっただけに留まったという点である。

 人によっては些細な問題かもしれない。だが、俺にはどうしても納得いかない点なのだ。

 もっとも、これには一応の説明はなされている。

 エルフを始めとした妖精族は、人間よりも神々に近い存在であると言われている。そのため、銀月の神々の陣営に加わったエルフ族は、銀月の神々の力を受け入れても姿を変えることはなく、その肌の色だけを変えられたというものだ。

 ならば、同じ妖精族に属するドワーフ族はどうなのだろう。ダークエルフという妖魔がいるのは確かだが、ダークドワーフという妖魔がいるという話はついぞ聞いたことがない。

 もっとも、俺が知らないだけでダークドワーフも存在しているのかもしれないが。

 賢者や識者の中には、逆にダークエルフこそが最初に存在した種族であり、銀月から金月へと鞍替えしたダークエルフこそがエルフの始祖である、と説く者もいるらしい。

 しかし、この説を当のエルフたちは完全に否定している。

 エルフ族にしてみれば、「自分たちの先祖は邪悪でした」と言われているわけだから、否定するのも無理はない話である。

 おそらくこの説を唱える者たちは、大抵がエルフに対するやっかみからそうしているのではないだろうか。

 エルフ族は人間よりも長寿で魔力の扱いにも秀で、見た目もまるで芸術品のように美しい者ばかりだ。

 身長は人間よりもやや小柄で、成人男性でも5フィート半(約165センチ)ほどで、女性ともなれば5フィート(約150センチ)ぐらいだろう。

 細身であるため体重の方も人間より軽く、男性で大体116ポンド(約50キロ)、女性なら93ポンド(約40キロ)ぐらい。そのためかどうか分からないが、器用さや俊敏さはエルフ族が勝り、筋力や耐久力では人間の方が勝る。

 人間の間では「胸の大きな女エルフ」なんて幻想が広がっているが、所詮は幻想でしかなく、俺はそんなエルフを見たことは一度もない。エルフは細身であるためか、総じて女性の胸はあまり大きくないのだ。

 そんなエルフに嫉妬や醜い憧れを抱く者たちが、このような彼らを侮辱するような説を広めているのだと、俺は考えている。

 ところで。

 どうして俺がエルフやダークエルフに関して、あれこれと考えているのかと言えば。

 今、俺の目の前で一人のダークエルフが倒れているからなんだな、これが。




 目の前で倒れているダークエルフは、まだ少年と言っていい年頃だろう。外見だけで判断すれば、大体クーリと同じぐらいの年頃に見える。

 とはいえ、人間よりも長寿を誇るのはエルフもダークエルフも同じである。属する氏族によって多少の差はあるが、確かエルフが成人として認められるのが200歳ぐらいのはず。ならば、ダークエルフもそれほど差はあるまい。

 となると、この倒れているダークエルフの少年もまた、おそらく150歳には満たないのではないだろうか。

 艶のある黒い肌と白い髪、そしてエルフ族同様につんと尖った長い耳。それらの全てはダークエルフ族の特徴だ。

 あ、こら、ユクポゥ。涎を垂らすな。どうやらまだ息があるようだから、食べたら駄目だぞ。こいつには話が聞きたいんだ。

 パルゥはパルゥで、ダークエルフの少年が身に着けている服の装飾が気になっているらしい。

 どのような染め方をしたのか知らないが、黒い衣服の上には銀色の染料で複雑な模様が描かれている。その銀の染料が木漏れ日にきらきらと輝いているのだ。きらきらとしたものが好きなパルゥには堪らないのだろう。

 倒れているダークエルフに意識はないようだ。そして、その背中には大きな斬り傷。間違いなく、剣などの刃物で斬られたものである。

「…………どうするんですか……?」

 恐る恐るといったふうに、クースが俺に尋ねる。

「なあ、ゴブリンの旦那。悪いことは言わねえから、放っておけって。相手はダークエルフだぜ? ダークエルフに触れると、それだけで呪われるって言うじゃねえか」

 いや、いくらなんでもそれはないぞ、隊長。とはいえ、そんな迷信が信じられているのも間違いないのだが。

 確かに人間や獣人たちにとって、ダークエルフは恐ろしい存在なのは間違いない。エルフ同様に人間よりも高い知性を誇る彼らが操る魔術は、人間の魔術師が扱うものよりも遥かに強力である。

 更にはダークエルフが特に得意とするのは、自身の姿を消す魔術だ。この魔術を用いつつ、気配さえも殺して背後から近づく彼らがどれだけ恐るべき存在か、考えるまでもないだろう。

 「ダークエルフの暗殺者」は、人間が妖魔に抱く恐怖の代名詞の一つだ。そんなダークエルフに対する恐れから、様々な迷信が生まれているらしい。

「とりあえず、できる限りの手当てをしよう。こいつには聞きたいこともあるしな。悪いが手伝ってくれよ、クース」

「はい」

 俺の要請に、クースは迷うことなく頷いた。




 さて、手当てをすると言っても、俺にはめいじゅつ……いわゆる、回復魔術は使えない。そして、俺が率いるこの一行の中にも、そんな便利な魔術が使える者はいないのである。

 そのため、薬草などを用いたごく普通の手当てを行うしかない。

 幸い、このリュクドの森には様々な薬草が自生している。俺は今日までの旅程の間に、そんな薬草をいくつか採集してあった。使えそうな薬草を予め採集しておくのは、冒険者の基本だしな。まあ、今の俺は冒険者じゃなくゴブリンだけど。

 腰にぶら下げた薄汚れた袋から、切り傷に有効な数種類の薬草を取り出す。乾燥処理や保存処理などはしていないので、薬効は落ちているだろうがないよりはマシだ。

 薬草を手頃な石の上で、これまた手頃な石を拾って擂り潰す。その間に、クースには水袋の中の水で、ダークエルフの背中の傷口を洗っておいてもらう。

 薬草をり潰しながら、ちらりとクースの様子を窺う。彼女はおっかなびっくりダークエルフの傷口を洗っているようだ。

 水が傷に沁みたのか、ダークエルフの口から小さな呻き声が漏れる。痛みを感じるということは、傷口周囲の神経が死んではいないということだろう。

 先程見た限りだとそれほど深手でもなさそうだったし、命を落とすようなことはないと思われる。おそらくだが、意識を失ったのは疲労からではないだろうか。

 もっとも、意識を失ったままここに放置しておけば、いずれは死を迎えただろう。

 擂り潰した数種類の薬草に水を加え、どろりとした緑色の粘液ができあがる。その粘液を比較的汚れの少ない葉ですくい取り、倒れているダークエルフに改めて近づく。

「後は俺がやろう」

 頷きつつ下がるクースを横目で見やり、俺は緑の粘液を傷口へとゆっくりと垂らしていく。

 粘液が傷に触れた途端、再びダークエルフの口から苦しげな声が零れ出る。

 いや、この粘液、実はすっげえ沁みるんだよな。俺もこれまでに何度も使ったことがあるが、使う度にもう二度と使うまいと思うんだ。結局、怪我をする度に使うハメになるけど。

 だが、その分──かどうかは不明だが──効能は高い。薬草がへたっているので薬効は落ちているだろうが、それでも十分な効果は見込めるだろう。

 後は包帯でもあれば傷口を縛ることができるのだが、生憎とそんなものはない。そこで、予備として持っていた衣服を引き裂き、包帯の代わりにする。

 緑の粘液を染み込ませた布で傷口を覆い、それを固定するように引き裂いた衣服で縛り付ける。

 よし、とりあえずはこんなものだろう。後はこいつが意識を取り戻してから、話を聞けばいい。

 果たして、素直にこちらの知りたいことを聞かせてくれるかどうか、そこが問題だけどな。



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