リピィの決断


 どうやら、クースは故郷の村でかなり酷い経験をしてきたようだ。

 具体的なことを聞き出したわけではないが、成人前の少女がここまで故郷に帰ることを拒むのだ。それなりの理由があるに違いない。

 それに、一人で暮らすことも頑なに嫌がっているが、そこにも何か理由があるのだろうか。

「……お願いしますっ!! 私にできることであれば、どんなことでもしますっ!! これでも、お料理には少しだけど自信がありますし、お裁縫だって道具さえあれば少しはできますっ!! だから……だから、私を一緒に連れて行ってくださいっ!!」

 クースは涙を浮かべたまま地面に膝をついて座り、額をその地面に擦り付けるまで深々と下げる。

 正直に言うと、俺の心は激しく揺れていた。何に揺れたのかといえば、もちろんそれは彼女の作る料理に対してだ。

 クースを連れていけば、彼女の作る料理がこれからも味わえる。それは美味いものを食うことが好きな俺にとって、耐え難い誘惑だったのだ。どうやらたった一度だけの食事で、俺の胃袋は彼女にしっかりと握られてしまったらしい。

 それに、裁縫ができるというのもありがたい。ゴブリンという生き物は生来不器用で、裁縫なんて絶対に無理なのだ。

 森の中を歩けば、衣服が木々などに引っかかって破れるなどしょっちゅうである。しかし、その破れた衣服を繕う技術が俺と兄弟たちには全くない。

 そのため、これまでは破れた衣服はそのままにしていたのだが、彼女がいればその問題も解決する。

 まあ、ゴブリンが衣服の破れなんぞに気を遣う必要などない、と言えばそれまでだけど。

 そこはほら、俺ってやっぱり紳士だし? 以前もそうだったが、これでも衣服の破れとかは結構気になるなのだ。

 少なくとも、クース一人ぐらいならそれほど負担にはならない。森の中にいる以上食料には困らないし、彼女を人間の集落に行かせて物資を補給したり、情報を集めることもできるかもしれない。

 問題があるとすれば、今後もこのリュクドの森の中を進んで行くとすると、現状よりももっと強い魔獣などが現れる可能性があることか。

 もしかすると、今の俺では彼女を守りきることができないかもしれない。

 そこらの人間や普通のゴブリンよりは強いとはいえ、俺は決して最強ではない。俺より強い生物など、いくらでもいるだろう。

 しかし、それは俺自身が今よりもっと強くなればいいだけのことだ。

 それに、俺にはユクポゥとパルゥもいる。

 言葉は少し悪いがクースを俺の「所有物」だと言い聞かせれば、兄弟たちが彼女を襲うこともないだろう。それにクースが作る料理をすっかり気に入ったようだし、「彼女がいなくなれば、二度と美味い料理は食べられないぞ」と言えば彼らも自発的にクースを守ろうとするだろう。

 そういや、その兄弟たちは現在もクースの料理を貪っていた。すっかり空になった鍋や木製の器を、べろべろと舐め回すぐらいに。

 こいつら、どれだけ彼女の料理が気に入ったんだ? いや、もしかすると、「料理」そのものを気に入ったのかもしれないな。

 どちらにしろ、兄弟たちもクースを守ることに異存はないだろう。

 俺とユクポゥとパルゥ。この三体が揃えば、相手がよほどの強敵でもない限り、そうそう後れは取らないはずだ。




 とまあ、料理だ裁縫だとあれこれ理由を付けたものの、結局は俺が女子供の涙は見たくなかっただけかもしれない。

 そう言えば、以前にも似たようなことがあったな。

 あれは以前……俺が《勇者》と呼ばれていた時のことだから、60年ぐらい前のことになるか。

 「あいつ」を倒すための旅の途中で、俺と当時の仲間たちは一人の子供と出会ったのだ。

 当時まだ10歳に満たない幼い少年で、名前はリーエン。両親は行商人だったそうだが、旅の途中で盗賊に襲われて亡くなったらしい。

 両親が囮になってリーエンを盗賊から逃がしたらしいが、10歳に満たない少年がたった一人で旅などできるわけもなく、行き倒れていたところをたまたま通りかかった俺たちが拾ったというわけだ。

 改めて考えてみれば、クースもリーエンもよく似た状況で拾ったことになるな。

 その後、行く当てのないリーエンは俺たちと一緒に旅をすることになった。最初こそ両親を亡くしたことでふさぎ込んでいたが、すぐに持ち前の明るさを取り戻し、俺たちに元気な笑顔を見せてくれるようになった。

 俺も仲間たちも、皆が彼を弟のように可愛がったものだ。

 旅の途中の雑用などを引き受けてくれたリーエンに、俺たちは自分の持つ技能や知識を教えていった。どうやら彼には魔術師としての才能があったようで、最終的には仲間の魔術師の正式な弟子に落ち着いたっけか。

 「あいつ」との最終決戦の時、さすがに幼いリーエンを同行させるわけにはいかなかった。結局、俺たちは「あいつ」と相打ちになって帰ることができなかったが、リーエンはその後どうしただろうか。

 仲間の魔術師の教えによって、若いながらも魔法はそれなりに使えるようになっていたリーエンである。食いっぱぐれるようなことはなかっただろうが、彼がどのような人生を送ったのか気にならないと言えば嘘になる。

 人間の寿命は大体60年ぐらいなので、もしかするとリーエンはまだ生きているかもしれない。もしもリーエンが生きていて、今の俺を見たらどんな顔をするだろう。

 そんなことを考えて思わず笑みを零してしまった俺を、クースが不思議そうな顔で見つめていた。




「…………分かった。君を一緒に連れて行こう。ただし、レダーンの町へ盗賊の根城を知らせる役目は担ってもらうぞ」

 揺るんでいた表情を改めて引き締め、俺はクースに告げた。

「……はい……はいっ!!」

 流した涙を拭うこともせず、俺の決断を聞いたクースはその顔を輝かせる。

「後、足手まといだと判断した時は、遠慮なく見捨てるからな?」

「はいっ!! それで構いません!」

「食い物に文句を言うことは許さないぞ? 人間の口に合う食料ばかりが見つかるとは限らないからな?」

「はいっ!! 何でも食べます!」

「水浴びなども、毎日できると思うなよ?」

「大丈夫ですっ!! 村でも毎日水浴びできたわけじゃありませんから!」

「あ、後は……俺の指示には絶対に従え。逆らうことは許さない」

「はいっ!! リピィさんの言うことには逆らいません!」

 俺の言葉の全てに、クースは嬉しそうに応える。俺としても彼女に無茶な要求をするつもりはないが、少ぐらいは脅しをかけておかないと。

 しかし、どうして彼女はそこまで俺たちと一緒に行きたいなんて思うのやら。普通の人間なら、ゴブリンと一緒に行動しようなんて思わないものなのに。

「お、おいおい、お嬢ちゃん……おまえ、本気なのかよ……? 本気でゴブリンなんかと一緒に行くつもりか? ゴブリンなんかと一緒に行ったら、いつか殺されて食われるだけだぞ?」

 呆れ半分驚き半分といった表情で口を挟んできたのは、今まですっかりその存在を忘れていた盗賊の隊長だ。

 そうそう。こいつのような態度こそ、人間がゴブリンに見せる典型的なものなんだ。

 そういやこいつ、どうしようかな。適当に放り出してもいいんだが、仲間の元に戻られて根城の場所がバレたことを知らされても困る。

 まあ、根城の場所を吐いたのが自分である以上、このまま根城に戻るとは思えないが。

「クースのことはおまえには関係ないだろう。それより、おまえはどうする?」

 わざとらしく腰に佩いた小剣の柄に手をかけながら、俺は食事を終えた隊長に問う。

 先程までは縛り上げられていた彼も、食事を終えたばかりの今は戒められていない。そのため、俺に反撃するなり逃げるなりどんな行動に出るか分からない。

 俺自身、警戒を怠ることなくゆっくりと隊長へと近づいていく。

 隊長は俺が近づくだけ、じりじりと座ったまま後ずさる。恐怖で蒼白になった顔色が、焚き火の橙色に染まっている。

「正直、おまえに興味はない。逃げたければこのまま逃げるがいい」

「え、い、いや、そ、それは……」

 隊長は周囲をきょろきょろと見回しつつ、俺の顔を何度も見る。

 ここは魔境と名高いリュクドの森の中、それも夜の森の中なのだ。

 このまま俺たちの元から逃げたとしても、無事に人間たちが支配する領域まで辿り着けるという保証はない。夜の森の中で迷子になり、魔獣の腹に収まるのが関の山だろう。

 それぐらいなら、俺たちと一緒にいた方がまだ安全なのは確かだ。

 だが、このままゴブリンの虜囚となったままでいるのも、人間にしてみれば決して安心できる環境ではない。

 このまま俺たちの虜囚となったまま、どこか安全が確保できるような所──例えば、レダーンの町の近くで俺たちの元を逃げ出すのが、隊長にとっては最もいい状況と言えるだろうか。

 俺が彼にそれを問えば、どうやら図星だったようでいきなり挙動不審な態度を取り出した。

「え、いや、あ、あれ? そ、その……そ、そんなこと全く考えていませんぜ? い、嫌ですね旦那ぁ」

 誰が旦那だ。

 それに、髭面のいい年の男が愛想笑いをしたって、全然似合わないぞ。

 そういや、隊長の外見にはこれまで触れていなかったっけか。

 彼の年齢は三十代の前半から半ばほど。髪や髭を野放図に伸ばし、手入れなどしていないのかどちらもぼさぼさだ。体格は大きく、6フィート(約180センチ)はあるだろうか。

 薄汚れた身なりと見るからに悪党面な、見事なまでに盗賊か山賊と言った風体の男である。

「それでどうする? このままおまえを解放してやってもいいんだが?」

「済みません、もう少しだけ旦那の傍にいさせてくださいお願いしやす」

 髭面の盗賊の隊長は、ぺこぺこと何度も頭を下げた。




 翌朝、俺たちは改めてレダーンの町を目指して森の中を歩き出した。

 街道からあまり離れることなく、それでいて街道からは見えないぐらいの距離を保ちつつ、俺たちはレダーンを目指す。

 その途中、俺はクースや隊長から人間の社会についての情報を聞き出していた。

 特に、俺が知りたかったのは《魔物の王》について。

 もしも「あいつ」が既に生まれているならば、これまで通り《魔物の王》となっている可能性が高い。そして「あいつ」が《魔物の王》として活動を開始しているのなら、人間の社会にも少しぐらいは噂が広がっているだろう。

「《魔物の王》……ですかい? あのですね、ゴブリンの旦那。《魔物の王》なんてモノは伝説の存在であり、実在なんてしやせんよ」

 俺の質問を、隊長は鼻で笑う。

「だが60年ほど前、実際に《魔物の王》は現れただろう?」

「確かにそんな話も聞きやすが……旦那はゴブリンなのに、そんなことよく御存知ですね?」

 隊長の問いに俺は苦笑で応える。俺が60年前に《魔物の王》と差し違えた、と言っても信じてはくれないだろう。

 一方のクースもまた、《魔物の王》については知らないようだった。

「私も……昔、勇者様が《魔物の王》を倒してくださった、という話を村にいたキーリ教の司祭様から聞いたぐらいです」

 二人の話を聞く限りでは、人間たちの間で《魔物の王》は知られていないようだ。もちろん、辺境育ちのクースや盗賊なんぞをやっていた隊長が、単に《魔物の王》について知らないだけという可能性はある。

 どちらにしろ、現状では情報が少なすぎて判断できないな。

 できれば、今後も人間社会から定期的に情報を仕入れることができればいいのだが……それはやはり難しいだろう。

 となれば、残る手段は妖魔族から情報を仕入れることか。

 俺と兄弟たちが放浪を始めてから、魔獣とは遭遇したものの妖魔族とは遭遇していない。このリュクドの森には魔獣同様に妖魔族も数多く棲息しているので、どこかで妖魔族とも出会うだろう。その時、その妖魔族から《魔物の王》について聞き出せるといいのだが。

 できれば、妖魔族の中でも高い知能を誇るダークエルフ族と、何らかの形で接触できるのが理想的か。

 リュクドの森のどこかには、ダークエルフの里があると聞いたことがある。しかし、この広いリュクドの森のどこにダークエルフの里があるのか、具体的なことは知らないのだ。

 とりあえず、クースを連れてレダーンの町の傍まで行き、そこでクースに盗賊の根城の情報をレダーンに届けてもらう。そして再びクースと合流した後は、ダークエルフと接触することを目的として、リュクドの森の奥を目指そうか。

 そんなことを考えながら、俺は兄弟やクース、そして隊長を引き連れて森の中を歩いていく。

 とりあえずの目的と設定したダークエルフとの接触。結果から言えばその目的はすぐに達成されるのだが、神ならぬ俺がそれを知ったのは、もう少しだけ先のことであった。



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