人間の少女
投擲された手斧が、俺の背後に回り込んだ盗賊の頭部を一撃で四散させた。
もちろん、手斧を投げたのはユクポゥである。
ホブ・ゴブリンの膂力と気術による強化を合わせれば、人間の頭を吹き飛ばすことはそれほど難しいことでもない。
俺と同様に隠れていた茂みから飛び出したユクポゥとパルゥ。当然ながら気術による強化は既になされており、高速で盗賊たちに迫る彼らの姿を視認することができたのは、この場ではおそらく俺だけであろう。
剣と槍を構え、盗賊へと迫る二条の赤茶の稲妻。盗賊たちがその存在に気づいた時、二人の盗賊の命は刈り取られる直前だった。
気術によって強化されたパルゥの剣が盗賊の首を刎ね飛ばし、同じく強化されたユクポゥの槍が別の盗賊の心臓を抉る。
俺が真っ先に突っ込んで相手の注意を引きつけ、その隙を兄弟たちが強襲する。それは俺たちが今日までに築き上げた、敵と戦う時の常套手段だ。
今回もこの戦法が上手く嵌り、残るは頭目と思しき男が一人だけ。瞬く間に手下全てを失った頭目は、腰を抜かして目を真ん丸にして俺たちを見つめていた。
あ、よく見ればこいつ、漏らしてやんの。
異臭のする水溜まりを作りながら、それでも頭目はあたふたと俺たちから後ずさる。
「な、なななな……ほ、ホブ・ゴブリン……だと? ど、どうして突然ホブ・ゴブリンが……」
腰を抜かしたまま、盗賊の頭目はずりずりと俺たちから遠ざかっていく。
そんな頭目に、追い打ちをかけるように笑みを浮かべてやる。きっと今の俺、壮絶な笑みを浮かべているんだろうな。
自分自身の姿を予想しながら、頭目へと近づく。
「ひ、ひぃ……っ!! た、たすけ……っ!! い、命だけは……っ!!」
手にしていた剣を放り捨て、頭目は俺に懇願する。
だけど、考えてみろよ?
おまえたち、先程同じような様子だった商人を、笑いながら殺したよな? だったら、同じこの状況で、どうして自分だけは助けてもらえると思えるんだ? しかも、目の前にいるのは魔物なんだぜ?
背後に兄弟たちを従えた俺は、ぎろりと頭目を見下ろした。
「おまえらの根城はどこにある? そして、他に仲間は何人いる?」
俺は頭目を見下ろしながら問う。
馬を真っ先に潰したということは、近くに根城があるのだろう。そうでなければ、商人から奪った荷物を運ぶのが大変になるだけだから。
そして近くに根城があるのなら、そこにもまだ盗賊の仲間が残っている可能性が高い。
ここまで手を出してしまったんだ。こうなったら最後まできっちりと掃除してやろう。
決して、盗賊がため込んでいるであろう物資──主に武器とか食料──が目的じゃない。あくまでも、街道の安全を維持するために盗賊をまとめて掃除するんだよ。うん。
……ゴブリンがこんなこと言っても、説得力ないこと甚だしいけどな。
俺の質問の意味が分からなかったのか、頭目はきょとんとした顔で俺を見つめ返している。
いや、質問の意味が分からなかったんじゃなく、まさか魔物が流暢にしゃべるとは思わなかったのだろう。
頭目の視線が、俺と背後の兄弟たちの間で何度も行ったり来たりしている。
まあ、いいや。とりあえず、今の内にこいつを拘束してしまおう。落ち着いた後で改めて尋問すればいいだけのことだし。
俺は頭目から視線を逸らし、少し離れた所でいまだに放心している少女を見た。
「あー、そこの君。悪いけど、馬車の中に綱か何かないかな? あったら持ってきて欲しいんだけど」
正直言って、ユクポゥやパルゥに何かを探させることはしない方がいい。すぐに目的を忘れて、自分が興味のある物だけを漁り始めるからだ。
かと言って、兄弟たちに頭目の見張りを任せるのもやはり心配である。尋問に答えてもらうまでは、この頭目を勝手に食べられるわけにはいかない。
そこで俺は最後の手段として、ほけっと俺たちのやり取りを眺めていた少女に頼むことにした。
俺に頼まれた少女は、きょろきょろと周囲を見回す。そして俺の視線の先に自分しかいないことを改めて悟ると、恐る恐るといった感じで自分で自分を指差した。
「そう。君に頼んでいるんだ。頼めるかい?」
「あ、は……はい、分かりました……」
ああ、相当混乱しているな、あれは。頭が混乱しすぎて、つい俺の言うことを聞いてしまったって感じだ。
でも、言われたことを素直に実行するのは、彼女自身がそういう性格だからなのかも。もしかすると、この一種異様な雰囲気に呑まれているだけの可能性もあるが。
不思議そうに首を傾げつつも馬車の中に入っていった少女は、その手に束ねられた綱を持ってすぐに戻ってきた。
「あ、あの……これでいいですか……?」
「うん、十分だ。ありがとう、手間をかけさせたな」
「い、いえ……ど、どうしたしまし……て?」
まさか、魔物から礼を言われるとは思っていなかったのか、きょとんとした顔で俺を見ろしている。
あー、うん。今の俺、この少女より背丈が低いから。
俺の身長が4フィート(約1.2メートル)ぐらいに対し、少女の身長は5フィート(約1.5m)ほど。そのため、近くまで来ると僅かだが俺を見下ろす形になる。
くそう、別に悔しくないぞ。
内心はともかくとして、綱を受け取った俺は続けて少女に言う。
「後、馬車の中に自分の荷物や大切なものがあれば、今の内に取ってくるように。そうしないと、後で後悔しても知らないぜ」
俺の言葉に、少女は躊躇いながらゆっくりと返答する。
「わ、私には……そ、その……荷物は……」
「そうか。なら、馬車の中から必要になりそうな物を見繕っておけばいい。どうせ、本来の持ち主はああなっちまったからな」
俺は視線で骸と化した商人たちを示す。その俺を、少女はなぜかじっと見つめる。しばらくじっと俺を見つめていた彼女だが、やがて俺の言葉に従うことにしたようだ。
「分かりました。そうします」
それだけ言い残した少女は再び馬車へと入って行き、すぐに小さな布袋を抱えて戻ってきた。
「そういや、聞くのを忘れていたな。馬車の中に、他に人間はいるか?」
「い、いえ……私以外の人たちは……」
少女はやや目を伏せ、ちらりと地面に倒れている商人や護衛たちを見た。
彼らの惨状にすぐに目を離した少女を見やりつつ、俺は兄弟たちに告げる。
「あの中、漁ってもいいぞ」
許可を得た二体のホブ・ゴブリンたちは、邪悪そうに笑う──彼らなりに嬉しそうにしているのだが、人間が見たら邪悪に笑っているようにしか見えない──と、馬車の中に駆け込んで早速荷物を漁り始めた。
このように、最近は兄弟たちとの会話もゴルゴーグ公用語を用いている。もちろん、兄弟たちの言語能力向上のためだ。
やっぱり、言語は日常の中で使うのが一番早い上達方法だしな。
「さて……」
改めて、俺は頭目へと向き直る。
「しばらく大人しくしていろよ? さもないと、あのホブ・ゴブリンたちにおまえを生きたまま食わせるぞ?」
手にした綱を弄びつつ脅しをかければ、頭目は真っ青になって何度も首を上下に振った。
縄を打たれて地面に座り込む頭目。新たに手に入れた小剣を彼に見せつけるようにしながら、俺は質問を続けた。
ちなみに、この小剣は盗賊の一人が持っていたものである。
「さっきの続きだ。おまえたちの根城はどこにある? ここからそれほど離れてはいないだろう?」
今度は頭目も素直に俺の質問に答えてくれた。
馬車の荷物を漁ることに飽きたユクポゥが、死んだ盗賊から腕を強引に引きちぎり、それを美味そうに齧っているところを目の当たりにしたのだ。普通は素直に答えたくなるってものだよな。
で、完全に怯えた頭目によると、彼らの根城はこの街道から少し離れたところにあるらしい。
街道の外れとは言っても、さすがにリュクドの森の中ではないそうだ。俺たちのような妖魔や魔獣がうろうろする魔境の中で、暮らしていくのはかなり厳しい。
頭目の話によると、街道から死角となった岩山の影に、小さな砦のような建物があるらしく、そこを根城として使っているのだとか。
聞けばかなり古く半ば崩れかけた砦であり、そこを自分たちで補修したそうだ。もしかするとその砦、ゴルゴーグ帝国が大陸を統一した時代のものかもしれない。あの時代は大陸のあちこちで戦いがあったので、小さな砦はどこにでもあったのだ。
そして、その砦にはまだ十人ぐらいの仲間が残っているという。
また、頭目だと思っていたこの男は今回の襲撃の隊長でしかなく、盗賊全体を纏める本当の頭目は他にいるらしい。
むぅ、俺が予想していたよりも規模の大きな盗賊団みたいだ。まだ十人もの仲間がいて、更にそれを纏める頭目が別にいるとは。
これは盗賊たちの根城を襲撃して、そこにあるであろう物資をいただくのは諦めた方が良さそうだ。
いくら俺たちでも、それだけの規模の敵と戦うのは厳しいからな。
となると、盗賊団の根城の場所をどこかの宿場町にある兵士の屯所にでも知らせ、俺たちはまた森の奥へと戻ろうか。
そんなことを考えながら、死んだ人間を食っている兄弟たちへ振り返ろうとした時。俺の視界の中に、所作なさげにぽつんと佇む一人の少女の姿が映り込んだ。
そういや、彼女をどうするかな。
盗賊団の根城の場所を兵士の屯所に知らせるには、彼女を伝達役にすればいい。だが、果たして成人もしていない少女が、手近な町までとはいえ一人で旅を続けられるだろうか。
答えは否であろう。ごく普通の少女が一人で旅などしようものなら、別の盗賊か心ない旅人、もしくは魔獣や野生動物の餌食になるだけだ。
ここまで関わってしまった以上、この少女がそんなことになったらさすがに寝覚めが悪すぎる。
仕方ない。彼女の家がある場所、もしくはここから近い町か村まで送っていくしかないか。
俺は頭目改め隊長から根城の場所を詳しく聞き出し、それを商人が持っていた白紙の羊皮紙にやはり商人が持っていたペンとインクを使って書き込む。そして、根城の情報を記した羊皮紙をくるくると丸めると、少女に向かって放り投げた。
「…………え?」
「そいつを、どこかの兵士の屯所に持っていってくれ。そうすれば、君にも少しぐらいは謝礼が出るだろう」
手の中の羊皮紙と俺を、少女は交互に何度も見つめる。
「え、あ、そ、その……私が持っていって……いいんですか……?」
「構わないさ。見たとおり、俺たちは魔物だからな。のこのこ人間の集落近くへ出ていけば、すぐに討伐されかねない。まあ、君のことはどこかの集落近くまで送っていくつもりだが、あくまでも近くまで、だ」
肩を竦めてそう言った俺を、少女は再びぽかんとした表情で見つめている。
魔物が謝礼などもらっても意味がない。ならば、少しでもこの少女の役に立てた方がいいだろう。
「そういうことだから、これからしばらくの間に必要な物を、改めて馬車の荷物から選んでくれ。特に食料は絶対に忘れるなよ? そうでないと、俺たちと同じものを食わなくちゃならなくなるぞ」
「は……はいっ!!」
俺の言葉に、少女が元気よく返事をする。
その際、彼女の口元がほんの僅かだけど笑みの形になっていたことに、俺は気づいていた。
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