盗賊との遭遇

 俺がユクポゥとパルゥと共に、リュクドの森の奥を目指して旅立ってから、大体二つきぐらいが過ぎたと思う。

 なんせ、森の中は代わり映えしない景色ばかりだから、月日の経過なんてすぐに分からなくなったんだ。

 同じような景色の森の中、目的も目標もなく歩いては、腹が減ったら動物や魔獣を狩り、眠くなったら眠る。

 こんな生活を送っていれば、誰だって月日の経過なんて分からなくなるだろう。

 そんなわけで、二月ぐらい経っただろうといい加減な見当をつけつつ、俺と兄弟たちは今日も今日とて森の中を当てもなく彷徨う。

 道中、兄弟たちとの戦闘訓練は欠かさない。こういうことは、やはり日々の積み重ねが大事だからな。

 それぞれ進化を果たした俺と兄弟たちの戦闘力は、かなり向上したと言っていい。

 ホブ・ゴブリンになったユクポゥとパルゥは、基礎的な身体能力が上がっていた。そのため、武器の扱いから身体捌きなど、以前とは比べ物にならないぐらい上手くなっている。

 特に顕著なのが気術だろう。普通種のゴブリンだった頃よりも素早く、そして効率よく魔力を操ることができるため、気術の発動に隙が少なくなった。また、身体に宿す魔力も増えているようで、発動した気術の持続時間も長くなっている。

 反面、知能面では期待したほどの上昇は見込めなかった。彼らにゴルゴーク公用語を教えてはいるのだが、こちらはなかなか進展していない。

 それでも何とか片言程度ならば話せるようにした、俺の努力を誉めていただきたいところである。

 そして俺はといえば、進化したため身体能力が上がっているものの、その上昇率は兄弟たちほどではなかった。そして、俺が進化したのはやはりハイ・ゴブリンに間違いないようで、気術の使用は以前よりもかなり素早くなり、消費する魔力も格段に少なくなっている。

 普通種だった頃との差は歴然で、下手をすると人間だった頃よりもこの身体には魔力がよく馴染む。

 この魔力に対する高い親和性こそが、ハイ・ゴブリンである証であろう。

 そして、そんなハイ・ゴブリンである今の俺ならば、以前に使えたあの魔術も使えるに違いない。

 魔術は苦手だった俺が、唯一まともに使えたたった一つの魔術系統。

 俺が使えた唯一の魔術系統は、〈火〉〈水〉〈風〉〈土〉〈光〉〈闇〉といった元素系ではなく、〈命〉〈錬〉〈速〉〈縛〉といった回復系や補助系でもない。更には過去、俺以外にこの系統の魔術を使う者に出会ったこともない。

 いろいろと制約が厳しく使いづらい魔術であり、これまで俺たちがいたのが森の中ということもあってまだ試していなかったのだが……近い内に試しておいた方がいいかもしれないだろう。




 さて。

 森の中を彷徨う俺たちの耳に、聞き慣れないその音が聞こえてきたのは、とある日のことだった。

 金属同士を激しくぶつけ合う音と、けたたましく交わされる言葉。

 どうやら、何者かが互いに争っているらしい。

 気配を殺しつつ、俺たちはゆっくりと音の方へと近づいていく。

 そうして俺の目の前に広がったのは、森の切れ目だった。

 リュクドの森を突っ切ってしまったのか、それともどこかで進む方向を間違えたのか。

 うん、おそらく方向を間違えたんだろうな。森の中では特に方向を確かめることもなく、気の向くままに進んでいたから。

 そういえば以前、仲間たちからよく「おまえは方向音痴だから先頭に立つな」とよく言われたな。

 昔のことを思い出しながら、俺は森の切れ目へと近づいた。

 森の切れ目の向こうは、細いながらも街道になっているようだ。リュクドの森の外周に沿うように伸びたその街道で、数人の人間が争っている。

 ふむ、推察するに街道を通っていた旅の商人に、盗賊が襲いかかったといったところか。

 街道には二台の馬車が止まっていて、その馬車に繋がれていた馬は既に死んでいるようだ。

 大地に横たわった馬の首に数本の矢が刺さっているところから、まずは馬を狙って馬車の足を止めたのだろう。

 馬車の周囲には、武装した数人の人間が倒れている。おそらく、商人に雇われた護衛の傭兵か冒険者たちだろう。

 倒れているのは、装備の面からまだまだ駆け出しだと思われる連中ばかりだ。どうやらこの商人、報酬をケチって駆け出しを雇ったらしい。

 俺たちが森の中に身を潜め、様子を窺うことしばし。盗賊側は護衛たちを皆殺しにした後、実に楽しそうに馬車の荷物を漁り始めた。

 そうこうしている内に、一人の中年男が馬車から引き摺り出されてきた。どうやらあの中年こそが、この一行の主の商人なのだろう。

 中年の商人は盗賊たちに何やら言っている。おそらくは命乞いだろう。だが、盗賊たちは商人の言葉に耳を貸すこともなく、笑いながらその場で斬り捨てた。

 大量の血を流し、自らが作り上げた血溜まりの中に倒れ込む商人。

 その様子をじっと眺めながら、俺はこれからどうするかを考えていた。




 正直、俺たちがこの争いに介入する理由はない。

 ゴブリンでしかない今の俺が、人間同士の争いに首を突っ込む必要はないのだ。

 だが、介入する利点がまるでないわけでもない。

 それは、盗賊や商人の護衛たちが使っている武器だ。

 今、俺たちが使っているのは、旅立ちの前に例の冒険者たちから「もらい受けた」武器である。

 だが二月という時間の流れの中、森の中で激しい鍛錬を繰り返し、魔獣なども相手にしてきたため、結構ガタがきていた。

 例の冒険者たちが持っていた荷物の中に、武器の手入れ用の道具もあったので、それを使って手入れは行ってきたのだが、それでもやはり限界はある。

 酷使された俺たちの武器は、その限界がそろそろ近い。ここで連中から武器を奪……いや、もらい受けるのは、正直かなり魅力的だった。

 さすがに罪もない人間からもらうのは気がひけるが、相手が盗賊や死人なら遠慮する必要もないだろう。

 さてどうしようか、と俺が悩んでいた時である。馬車の中から、人間がもう一人引っ張り出されてきたのは。

 引っ張り出されてきたのは、一人の少女だった。

 見た目の年頃は、成人として認められる十五歳には至っていなさそう。おそらくだが、十三から十四歳といったところか。

 ソボルト人種特有の白い肌と、色素の薄い髪と目。だが肌は張りがなくかさかさだし、腰辺りまで伸びた緩やかに波打つ髪にはまるで艶がない。そして見窄らしい身なりと全身が薄汚れた感じからして、これまで貧しい暮らしをしてきたことは容易に知れる。

 ちなみに、どうしてそこまで詳細に分かるかと言えば、気術で視力を強化したからだ。

 人間だった頃にも気術による視力の強化はできたが、ここまで高い効果は得られなかった。おそらくは人間よりも魔力との親和性が高いハイ・ゴブリンならではの効果だろう。

 ハイ・ゴブリンって結構すげえ。

 その結構すごいハイ・ゴブリンだが、欠点がないわけではない。

 確かに視力を始めとした感覚系は、気術による強化の上昇率が高い。だが、身体能力系は感覚ほど高くはならないようなのだ。

 本来、ハイ・ゴブリンは「魔法剣士」型で、身体能力と魔術能力に優れる種族である。だが、俺はハイ・ゴブリンでも奇種か亜種。そのため、どちらかと言うと魔術系に能力が偏っているのかもしれない。いや、もしかすると、俺個人の資質の問題かも。

 まあ、その辺りは今後ゆっくりと検証しよう。今は俺のことより、盗賊に囲まれている少女の方が問題なのだから。




 若い女が盗賊に囲まれたら、その運命は決まってしまったようなものだ。

 盗賊たちの慰み者になった後で殺されるか、どこかに売り飛ばされるか。あ、その両方って可能性もあるか。

 どちらにしろ、若い女にとって明るい未来は訪れないだろう。

 実際、盗賊たちは下卑た笑みを浮かべながら、地面に座り込んだ少女を見下ろしている。

 今にも涎を垂らさんばかりの一人の盗賊が、怯える少女へと手を伸ばした時。

 俺は隠れていた茂みの中から飛び出し、盗賊たちへと襲いかかっていた。




 どうやら、俺の中には「以前の俺」だった部分がかなり残っていたらしい。

 ゴブリンになってしまったことで、俺は甘さを捨てたつもりだった。そうでなければ、ゴブリンという弱者は生き残ることさえ難しいと思っていたからだ。

 必要最低限のもの以外、全てを切り捨て、見捨てる覚悟を決めたつもりだった。だけど、俺はやっぱり俺でしかなかったみたいだ。

 これまでの全ての俺と今の俺。それらを全部合わせて初めて、「俺」という生物になるのだろう。

 と、思わず動いてしまった自分自身にそんな屁理屈を言い聞かせながら、俺は少女に気を取られ、隙だらけの盗賊たちに襲いかかる。

 盗賊の数は全部で七人。最初の奇襲で可能な限り倒さないと、いくら俺でもやっぱり厳しい。

 瞬時に練り上げた魔力を小剣へと流し込み、その小剣を一閃。俺に背中を見せていた盗賊の首が地面へと落ち、ごとりという重い音を立てた。

 首を落とされた身体が倒れるより早く、俺はその隣にいた盗賊の横腹に逆手に素早く持ち替えた小剣を差し込み、そのまま小剣を盗賊の腹の方へと押し出す。

 小剣で作られた裂け目から、血とはらわたをぼとぼとと零しながらその盗賊も地面へと倒れる。おそらく、俺が倒した二人は自分自身に何が起きたのかも分かる間もなく死んだだろう。

 瞬く間に二人の仲間が倒されて、ようやく盗賊たちの注意が少女から俺へと移行する。

 俺を見た盗賊たちの目が、驚きで見開かれる。よく見れば、地面に座り込んだ少女も目を丸くしているようだ。

「な、こ、子供……い、いや魔物……?」

 今の俺は、外見だけなら人間の子供に見えなくもない。特にぶかぶかながらも人間の衣服を着ていることもあるし。

 だが、衣服の端から覗く肌の色や厳つい顔、そして額から突き出した二本の角が、俺が人間であることを明確に否定している。

 盗賊の血で濡れた小剣を無言で盗賊たちへと向け、俺は上体を極端に前のめりに深く沈み込ませて構える。

 まるで獲物に飛びかからんとする狼のような体勢。その体勢から、放たれる矢のごとく俺は次の獲物へと襲いかかる。

 僅か三歩で最高速へと到達し、一気に盗賊の一人の懐に飛び込む。小剣をその盗賊の腹へと深々と差し込むと小剣から手を放し、拳で盗賊の顎を下からカチ上げた。

 がくん、と激しく顎を打ち上げられて、盗賊の意識は命と共に刈り取られる。そして、俺はその盗賊が持っていた小剣を奪い取り、残る四人へとその切っ先を向ける。

 ち、この剣、随分と安物だな。これなら今までの小剣の方がよほど上物だった。だけど、さすがにあの小剣はもう使い物にならないだろう。

 もともとガタが来ていたし、たった今三人もの人間を屠ったため、血糊と脂で切れ味も限界だ。

 新たな得物を構えた俺に、残った四人の盗賊が怯えの表情を浮かべる。

「な、何なんだ、この魔物は……?」

「ご、ゴブリン……いや、違う……のか?」

「こんな魔物、見たことも聞いたこともないぞ……」

 どうやら、こいつらはハイ・ゴブリンを知らないらしい。まあ、ハイ・ゴブリンなんてそうそういない魔物だから、知らない方が普通だ。

「え、得体の知れない魔物だろうが、こんな小さな奴が一匹だけだ。囲んじまえば恐れることはねえ!」

 どうやら盗賊の頭目らしき男が、弱腰になっている仲間たちを鼓舞する。

 その言葉にはっと戦意を取り戻した盗賊たちが、素早く展開して俺を取り囲むように動き出す。

 確かに小柄な俺が、四人もの大人に囲まれたら厳しいのは間違いない。だけど、俺は一人じゃないんだよ。

 そう。おまえらは、動き出すのがちょっと遅かったんだ。

 俺が勝利を確信してにやりと笑うのと、そんな俺の背後に回り込もうとした盗賊の頭が弾けるように四散したのは、ほとんど同時のことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る