進化と旅立ち
「ピカピカ! キレイ! 美味シソウ!」
背嚢の中から小さな革袋を見つけたパルゥが中身をぶちまけると、そこからきらきらと輝く何枚もの金属片と小さいながらも色とりどりの綺麗な石が数個転がり出た。
どうやら、パルゥが見つけた小袋は財布だったようだ。つまり、中に入っていたのは金貨や銀貨などの貨幣と宝石である。
パルゥは宝石の一つを摘み上げると、ぽいっと口の中に放り込む。そして、がりっという固い音。
彼女は盛大に顔を顰めつつ、口の中の宝石を吐き出した。
「コレ、固イ! 不味イ! デモ、ピカピカ! キレイ!」
そりゃそうだ。宝石は食べ物じゃないからな。
一方、ユクポゥが次に見つけたのは鍋だった。冒険者に野営はつきもの。その野営の際、料理をするために冒険者は鍋なども持ち歩くのだ。
ユクポゥはその鍋を頭から被る。おまえ、何かを被るの好きだな。
まあ、鍋とはいえ金属製なので、兜の代わりにならなくもない。あ、ユクポゥの奴、神官の下着もまだ被ったままだ。
まあ、ユクポゥ自身が気に入っているみたいだから放っておこう。
そんな兄弟たちから目を離し、俺は捕えた二人の冒険者たちへと向き直る。
俺が彼らに出した条件。それは情報の提供である。
ここはどこなのか、そして、今は帝暦何年なのか。その他にも、俺が知りたいことはたくさんある。
そんな俺の条件を聞いた魔術師と神官は、目をぱちくりとさせて俺を眺めていた。
「そ、そんなことで……いいの……か?」
「もちろんだ。俺にとって、それらの情報はとても価値のあるものだからな。それとも……」
俺はわざと好色そうな視線を神官へと向けた。
「俺たちに犯されることを望んでいるのか?」
「ち、違いますっ!! そんなことありませんっ!!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にした神官が叫ぶ。
ぷいっと顔を背けてしまった神官を放っておいて、俺は魔術師から情報を聞き出していった。
何度も何度も俺たちを振り返りながら、魔術師と神官は立ち去った。
そんなに警戒しなくても、約束したからにはこれ以上の攻撃はしないというのに。
ま、彼らからしてみれば、ゴブリンがどこまで約束を守るかしれたものではないから、警戒するのも当然か。
ここが危険な森の中ということもあり、彼らには最低限の武器と食料、そして所持金だけは返しておいた。金貨や銀貨など、ゴブリンが持っていても仕方ないし。
武器や所持金を返した時の彼らの不思議そうな顔を思い出しながら、俺は彼らから得た情報を頭の中で反芻する。
俺が予測した通り、やはりここはゴルゴーク帝国の領土内で、帝国の南西部に広がるリュクドの森と呼ばれる地域だった。
リュクドの森ならば、俺も知っている。この森は突っ切るのに何十日もかかると言われるほど、広大な森である。
森の中には様々な野生動物の他に、俺たちのようなゴブリン、オーク、オーガー、コボルト、トロルといった妖魔族が多数棲息している。
妖魔族以外にも数多くの魔物も棲みついており、最深部には飛竜などの竜種も棲んでいると言われているほどだ。
しかし、冒険者たちが容易く踏み込んでくることから分かるように、俺たちの塒があるこの場所は森の外周部でしかなく、ここより奥にはもっと多くの妖魔や魔獣が棲息していることだろう。
そして、今は帝暦354年らしい。
かつてこの大陸──一般にシュトラク大陸と呼ばれている──を統一したゴルゴーグ帝国。
小国が乱立する当時の大陸を一人の男が統一し、巨大な国家を築き上げた。それがゴルゴーグ帝国の始まりである。
建国から300年以上経過した今では帝国の力も低下し、帝国から独立した国家も多数あるが、当時は大陸を統一した大帝国だったのだ。
その名残は今でも残り、貨幣は帝国のものが基準になっているし、暦はゴルゴーグ帝国の建国を基準とした「帝暦」が、今でも各国で共通認識されている。
そして、今が帝暦354年ということは、以前の俺が生きていた時代からすると、大体60年ぐらい経ったことになるのか。
その他にも様々な情報を冒険者たちから得て満足した俺は、改めて塒の洞窟の中を確かめることにした。
兄弟たちにも協力してもらおうと思い、彼らへと振り返る。そういや、さっきまであんなにはしゃいでいたのに、今は妙に静かなだな。
不思議に思いつつ彼らへと視線を向ければ、ユクポゥとパルゥは夢中になって死んだ冒険者たちを食っていた。
まあ、ゴブリンだし、人間を食ったって不思議じゃない。
生き残った冒険者たちも、最初は死んだ仲間の遺体を持ち帰りたがっていた。
だが、二人──しかも一人は女性──で三人分の遺体を運ぶのは極めて難しい。そこで彼らは遺体を持ち帰ることを諦め、仲間の遺髪だけを回収して帰っていった。
それに考えようによっては、この遺体だって俺たちの戦利品なのだ。
人間だって猪や鹿を狩って食べるのだから、ゴブリンに狩られた人間が食べられたって文句は言えないだろう。
そもそも、人間が妖魔や魔獣などに食われることなど、それほど珍しくもないのだから。
もっともゴブリンになったとはいえ、さすがに俺は人間を食べようとは思わないが。
「塒、中、確カメル。一緒、来ル」
美味そうに冒険者の肉や腸を咀嚼していた兄弟たちを促し、俺は洞窟の中へと足を踏み入れた。
洞窟の中は血の臭いと腐敗臭が充満していた。
所々に転がる、群れの仲間たちの死体。首を刎ねられ、腹を裂かれ、手足を切り落とされたかつての仲間たち。
洞窟内は仲間たちの血で溢れ、ところどころには零れ落ちた臓物も転がっている。
そんな仲間たちの死体を踏み越えつつ、俺たちは洞窟の奥へと進んでいく。
兄弟たちも死んだ仲間にはそれほど興味がないようだ。特に悲しんだり怒ったりもせず、黙って俺の後ろについてくる。やはり、ゴブリンとはこういうものなのだろう。
どうやら冒険者たちは、群れを全滅させたらしい。洞窟の最奥では、雌や俺の兄弟である幼生たちまで全員殺されていた。
これもまた、ゴブリン退治を依頼された冒険者であれば、当然の対応といえるだろう。
そうして、俺たちは洞窟内の一つの部屋へと辿り着いた。
ここはいわば「宝物庫」である。とはいえ、ゴブリンが蓄える宝物など、それほど高価なものではない。もしも高価なものがあったとしても、例の冒険者たちが持ち去っているだろうし。
宝物庫へと入った俺たち──もちろん、入るのは初めてだ──は、早速中を漁り始める。
中にあったのは、人間から奪ったと思しき農具や各種の食器、壷、甕、汚れた衣服、そして、錆付き刃こぼれした武器など。
やはりというか何というか、ろくな物がないな。
武器に至ってはゴブリンが手入れをするとは思えないので、当然といえば当然だろう。
食器や農具なども、今の俺たち……いや、ゴブリンには必要のないものだ。俺が欲しいものは、これからの旅に役立ちそうなものである。
そう、旅だ。
群れを失った以上、俺たちがここにいる理由はもうない。俺はこのリュクドの森の奥深くを目指すつもりでいる。
ここにいると、いつまた冒険者に襲われるとも限らないし。
その旅に役立ちそうなものがあれば、それを持っていこうと思っていたのだが……うん、当てが外れたね。いや、ここは予想通りと言うべきか。
そう考えると、今回冒険者たちから武器を奪え……ごほん、譲ってもらえたのは僥倖だった。俺たちが手に入れたのは、状態のいい小剣が一本と同じく短剣が三本。そして、手斧が二つ。
短剣は俺たちで一本ずつ所持し、小剣は俺が持ち、手斧を兄弟たちに渡しておく。
ちょっと勿体ないが、剣や槍、石弓や盾は使えないので諦めるしかないだろう。
後は連中が持っていた携帯食料や、衣服なども持っていこうかと考えていた時。
不意に、俺の身体の中に「熱」が湧き上がった。
まるで身体を焼き尽くすかのような猛烈な「熱」。立っていることもできずに、俺は宝物庫の床に思わず踞る。ちらりと兄弟たちの様子を見れば、彼らも同じように踞って震えていた。
一体何が、と考えた俺の頭の中を、一つの言葉が閃光のように駆け抜けた。
そう……か! これが……これが進化か!
冒険者という強敵を倒したことで、かつての仲間だった魔術師が言っていた経験値とやらが必要量を越えたのか、それとも別の要因があったのか。
身体を焼き尽くすような猛烈な「熱」に苦しみながらも、俺は口元がにやけるのを止められない。
果たして俺はどう進化するのか。その結果に期待しつつ、俺は身体を焼く「熱」の苦しさから意識を手放した。
…………まさか、このまま死ぬってことはないよな?
「うーむ…………」
水面に映った自分の姿を見て、思わず唸ってしまう俺。
いつぞやと同じように、塒近くの泉の水面では、見慣れない妖魔がじっと俺のことを見返している。
肌の色は、白っぽい灰褐色。以前の濁ったような汚い緑に比べると、かなりマシになったのではないかと思う。
頭髪のなかった頭部にも、額から後首の辺りにかけて真ん中にだけ黒い髪が生えていた。うん、何となく馬の
身長は大体4フィート(約1.2メートル)ぐらいだろうか。以前よりもちょっぴり伸びている。
そして何より変わったのは、全体の印象だ。それまで頭でっかちで不格好だった身体は、随分とすらりとした体形に変わっていた。指だって三本から五本へと変わったし。
身体つきとしては、人間にかなり近いと思う。ぱっと見ただけだと、人間の子供に見えなくもない。だが、その肌の色や厳つい顔つきは、どうしたって人間に見間違えることはないだろう。
何よりも人間と違うのは、額から伸びた二本の角。まるでオーガーのような角が今の俺には生えていた。
しかし……これは一体何だ? 見たところゴブリンには違いなさそうだが、俺はこんなゴブリンを見たことがない。
これまで、俺は様々な種類のゴブリンやその上位種を見たことがある。ホブ・ゴブリンやハイ・ゴブリン、ゴブリン・シャーマンにゴブリン・リーダーなどなど。
だが、こんな姿のゴブリンは見たことがない。
全体的な印象としては、ハイ・ゴブリンが一番近いだろうか。
ハイ・ゴブリンとは、ゴブリンの中でも魔術と武器の扱いに長けたいわゆる「魔法戦士」である。肌の色は黒っぽく、体格や体形も人間と大差ない。
しかし、今の俺はハイ・ゴブリンとは肌の色が明らかに違うし、身長も随分と低く普通種ゴブリンの成体と同じぐらい。それに何より、ハイ・ゴブリンにはこんな角は生えていなかったと思う。
もっとも、ハイ・ゴブリンはゴブリンの中でもかなり珍しいので、繰り返される俺の人生の中でも両手の指に満たないほどしか遭遇経験はない。だから俺が知らないだけで、角の生えたハイ・ゴブリンだっているのかもしれないが。
姿からするとおそらく、ハイ・ゴブリンの亜種か奇種あたりだと思われるが……正直、俺は自分の正体が分からない。
まあ、ここで悩んでいても始まらない。分からないものは、どれだけ考えても分からないのだ。いつか、自分の正体を知る時も来るだろう。
俺は泉の水で喉を潤すと、兄弟たちの待つ洞窟へと戻った。
俺たちが生まれた群れの塒であった洞窟。
その洞窟の前に、二体のホブ・ゴブリンがいた。
そう、このホブ・ゴブリンたちこそ、進化したユクポゥとパルゥだ。
俺が正体不明の進化を果たしたのに対し、兄弟たちが進化したのはホブ・ゴブリンだった。
ホブ・ゴブリンは、普通種のゴブリンよりも大型のゴブリンである。
その肌の色は赤茶色っぽく、ゴブリンとは明らかに違う。
身長は5フィート半(約165センチ)ほどで、やや小柄な人間ぐらいか。体格も結構がっしりとしている。それでも、オーガーのように全身筋肉の塊ってほどじゃないけど。
「ア、リピィ、来タ!」
「リピィ、遅イ! ドコ、行テタ?」
「水、飲ンデタ」
うーん、やっぱり、妖魔語の会話はまだるっこしい。ホブ・ゴブリンに進化したことで、兄弟たちの頭も少しは賢くなっただろうから、ゴルゴーグ公用語を教えてみようかな?
そうすれば、彼らともっとすんなりと会話をすることができるだろうし。
よし、旅の間に少しずつ教えていこう。
群れを失った俺たちは、これから森の奥へと旅立つ。その旅立ちに際し、俺たちはそれぞれ準備をしていたのだ。
ホブ・ゴブリンに進化したことで、以前は使えないと思われていた剣や槍も使えるようになった。
ユクポゥが槍を、パルゥが剣と盾を装備する。石弓だけは矢の残弾が少なかったこともあり、持っていかないことにした。どうせ不器用な俺たちでは、石弓を使ったって目標に当てることは難しいし。
石弓と同様、防具の方も大部分はやっぱり諦めた。大きさが合わないし、大きさを合わせるための加工技術もない。
それでも革鎧の胸当てや手甲など、部分的に使えそうなものだけを選び、多少強引に装備する。
後は、冒険者たちが持っていた荷物の中から、着ることができそうな衣服を着込む。俺にはかなり大きかったが、それでも何とか着ることができた。ちょっと不格好だけど。
そんな俺とは違って、体格が大きくなった兄弟たちは冒険者の衣服を着てもそれほど不自然じゃない。
それに、ホブ・ゴブリンにもなって全裸や腰布だけだと、何かと困るのだ。何が困るのかって目のやり場に困る。特にパルゥ。
ホブ・ゴブリンになったパルゥの身体は、人間にかなり近い。そのため、胸だって大きくなっている。
まあ、ホブ・ゴブリンの雌のおっぱい見たからって、欲情するってものでもないけど。そこはほら、やっぱり俺、紳士だし?
幸い、パルゥも衣服を着ることに抵抗はないようだ。ふぅ、良かった。これで服なんて着たくないとか言われたら、かなり困っていたところだ。
ユクポゥの方も、服を着ることは満更じゃなさそうだった。ユクポゥに限っては、進化前から衣服に興味があったみたいだしな。
ちなみに、ユクポゥはホブ・ゴブリンに進化した今でも、あの神官の下着と鍋を被ったままである。
ユクポゥ……おまえはどれだけそれが気に入ったんだ?
もしかして、神官の下着を王冠か何かと勘違いしているんじゃないだろうな。
まあ、ユクポゥ自身が気に入っているようだから、俺がとやかく言うことでもないだろう。
「ヨシ……行クゾ!」
多少頭痛を感じなくはないが、それでも俺は兄弟たちに声をかけて旅立つ。
旅の目的は俺自身が強くなることと、信頼できる仲間を集めること。
ユクポゥとパルゥの兄弟たちのことは、俺としてはかなり信頼している。だけど、兄弟たちはゴブリンである。彼らが俺のことをどう思っているのか、正直それが分からない。
今のところ、俺の指示には素直に従ってくれているけど。
果たして、この森の奥に何が待っているのか。
僅かな期待を胸に抱きながら、俺と兄弟たちは森の奥を目指してゆっくりと歩き出したのだった。
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