冒険者
俺たちがその異変に気づいたのは、
風の中に僅かに感じられる、血の臭い。
俺とユクポゥ、そしてパルゥは特に相談することもなく、素早く近くの茂みに飛び込んで身を隠した。
そして、そのままじりじりと臭いの元へと……つまり、塒の洞窟へと近づいていく。
洞窟の入り口が見渡せる茂みの中に身を隠した俺たちは、血溜まりの中に倒れているゴブリンの姿を確認した。
俺たちは一度だけ顔を見合わせると、そのままその場に隠れ潜む。
どうやら、何らかの外敵による襲撃を受けたようだ。
洞窟の入り口周囲には、倒れているゴブリン以外に敵らしき姿は見えない。ということは、群れを襲った敵は洞窟の中か。
さて、どうする? 選択肢としては、すぐさま逃げ出すか、このままここに隠れて敵をやり過ごすか、それとも洞窟に突入、もしくはここで待ち構えて敵を倒すか、といったところだが。
敵が何者なのか、現時点ではまるで分からない。もしかすると、長が率いる群れのゴブリンたちに返り討ちに合っている可能性もある。
その反面、ゴブリン・リーダーである長でさえ、全く歯が立たない強敵の可能性だってあるのだ。
「……ドウスル?」
俺にそう尋ねてきたのはパルゥ。ユクポゥは何も言わないが、俺に判断を委ねているのは理解できた。
僅かに悩んだ後、俺は決断した。敵の情報が何もない以上、無闇に危険に近づく必要はない、と。
仮に同じ群れのゴブリンたちが全滅していたとしても、俺は特に良心の呵責や憐憫を感じることはない。
そもそも俺は、教え子ともいうべき二体の兄弟以外に、群れのゴブリンたちにそれほど仲間意識を持っていなかった。おそらくそれは、俺がかつて人間だったからだろう。
そもそも、弱い者が倒れていくのは自然の摂理だ。ならば弱い群れがより強者に蹂躙されたとしても、それはごく自然なことなのである。
そう考えてしまうのは、もしかすると俺の心がある程度はゴブリンとして馴染んでしまった結果なのだろうか。
かつて人間だった感情と、今はゴブリンである感情、その二つが俺の中に同居しているのかもしれない。
それは当の俺にもはっきりと分からないが、今は自分自身とユクポゥ、そしてパルゥの安全を第一に考えることを、俺は選択したのだ。
茂みの中に潜んで、どれぐらいの時間が経っただろうか。
俺たちは、ひたすら息を殺して洞窟の入り口を見つめ続ける。
身の安全を考慮するならば、早々にここから立ち去るべきかもしれない。だが、俺たちは敵の情報を何も掴んでいない。
敵が何者なのかも分からないままここから逃げたとしても、敵の足が俺たちよりも速ければ、すぐに追いつかれてしまうかもしれない。そう考えて、俺はせめて敵の正体だけは確認することにした。
果たして敵は何者なのか、そして、ここに留まったことは正解なのか。
緊張で激しくなる心臓の鼓動と呼吸を、何とか誤魔化して茂みに隠れ続けること、しばし。
ようやく、その敵が姿を俺たちの前に現した。
「……ニ、人間……」
そう呟いたのは、ユクポゥかパルゥか。もしかすると、俺自身だったかもしれない。
ともかく、洞窟の奥から現れたのは、五人の武装した人間たちだった。
彼らはゴブリンたちの返り血にその身を汚しながら、意気揚々と洞窟から出てきた。しかも彼らの一人は、その手に一つの首をぶら下げている。
あれは間違いなく群れの長の首だ。おそらく、長を始めとした群れのゴブリンたちは、彼らによって全滅したと考えていいだろう。
金属鎧や革鎧、そして剣や槍などを身に着けた人間たち。俺は彼らのような存在を知っている。
「……冒険者」
そう、彼らは冒険者だ。
相応の報酬と引き換えに、様々な問題を解決する者たち。ならず者と英雄の境に位置し、ちょっとした切っ掛けでどちらにでも転ぶ可能性のある者たち。
それが冒険者と呼ばれる者たちである。
彼らは武術や魔術を巧みに操り、仲間と力を合わせることで自分たちよりも強い敵さえも退けてしまう。
かくいう俺自身も、以前には冒険者として生活した時もあったのだ。
茂みの中に身を隠しながら、俺は冒険者たちを観察する。
見たところ、人種はソボルト人か。白い肌と薄い茶色や金色の髪、そして蒼や碧の瞳から、俺はそう判断する。
「……ゴブリンどもの巣があるとは聞いていたが、まさか上位種までいるとは思わなかったな」
「まったくだ。こいつは報酬の上乗せを、依頼主に交渉しないとな」
「もっとも、たとえ上位種だろうと、俺たちの敵ではなかったがな!」
仲間内で談笑する声が、俺たちのところまで届く。
冒険者たちが使っているのは、ゴルゴーク公用語だ。その名の通りゴルゴーク帝国とその周辺の国家で主に用いられている言語であり、そのことからこの森がゴルゴーク帝国内かその近辺に存在するであろうことが判明した。
そして、彼らの会話の内容から、この近くに人間の集落があることも推測できる。
おそらくこの冒険者たちは、その集落から依頼されてゴブリンを退治に来たのだろう。集落の近くにゴブリンが存在していると分かれば、人間なら速やかに駆除することを考えるのは当然だからだ。
今回得られた様々な情報に、俺は内心で笑みを浮かべて満足する。
だからだろうか。俺がそのことに気づくのが遅れたのは。
冒険者の一人、杖を持ってローブを着たひょろりと背の高い男の肩に乗っていた鷹が、不意に俺たちの方へと視線を向けて甲高い鳴き声を発したのだ。
しまった、と俺が思った時にはもう遅かった。
間違いなく、あれは……あの鷹は使い魔だ。
どうやら急に風向きが変わり、あの使い魔に臭いでも嗅ぎつけられたのだろう。
使い魔とは、魔術師たちが使役する魔術によって作られた疑似生物──いわゆる魔法生物という奴だ。
土くれなどに魔力によって仮初めの命を与え、主である魔術師と感覚を共有する。使い魔は原型となった動物と同じ能力を持っているのが普通で、猫であれば夜目が利くし、鳥であれば空を飛べる。
使い魔と魔術師の間の魔術的な繋がりは、魔法使いの力量にもよるが大体1マイル(約1.6キロメートル)ほどにも及ぶ。
使い魔に気づかれたということは、主である魔術師に気づかれたと同意だ。
俺のその推測を裏付けるかのように、魔術師から鋭い指摘が飛ぶ。
「何かが周囲に潜んでいます! 注意してください!」
魔術師の警告に、冒険者たちが得物を構えて周囲を警戒する。
この場で敵をやり過ごそうとした俺の選択は、間違いだったかもしれない。
まさか敵が冒険者だとは思わなかったし、鷹の使い魔がいたことも想定外すぎた。
相手に鳥の使い魔がいる以上、ここから逃げるのは極めて難しい。
となれば。
俺たちが取れる手段……生き残る手段は、おのずと限られてくる。
そう。
目の前の冒険者たちを倒す。もしくは交渉で退いてもらう。それが俺たちが生き残るための手段だろう。
自分が生き残るため、もしくは守りたい者を守るため、相手の命を奪うことに俺は躊躇うつもりはない。
かつてもそうだったし、今でもそうだ。
たとえその相手が罪もない人間であったとしても、俺や俺の兄弟であり教え子でもあるユクポゥやパルゥに刃を向ける以上、それは「敵」でしかない。
もちろん、俺の方から好き好んで人間と問題や諍いを起こすつもりはない。人間という生き物の恐ろしさを、かつて人間だった俺はよく理解しているのだから。
だが、目の前に敵として立ちはだかる以上、たとえ人間であろうとも容赦するつもりはない。
それでも、いきなり戦闘に雪崩れ込むこともあるまい。何事も、まずは交渉からだと俺は思う。
俺はユクポゥとパルゥを引き連れ、茂みの中からゆっくりと冒険者たちの前へと進み出る。
「む、まだゴブリンの生き残りがいたのか?」
「だが……まだ『若い』連中ばかりだな」
「おそらく、大人になりきっていないガキだろう」
現れた俺たちの姿を見て、冒険者たちが武器を構えたまま囁き合う。そんな冒険者たちに、俺は堂々と言葉をかける。
「提案がある。互いに刃を交えることなく、双方退くことにしないか?」
成体に限りなく近づいた今の俺は、以前に慣れ親しんだゴルゴーク公用語ならば、問題なく喋ることができる。
妖魔族の言葉である妖魔語は、元々知能の低い妖魔たちでも使える言語であるためか、とにかく語彙が少ないし、表現もかなり限られる。そのため、どうしても会話はカタコトみたいになり、妖魔同士の会話はぎこちなくて仕方がない。
まあ、今は妖魔語に対する愚痴はいい。それよりも、目の前の冒険者たちだ。
俺たちを見る冒険者たちは、揃ってぽかんとした表情を浮かべている。
流暢にゴルゴーク公用語を操るゴブリンに驚いたのか、それとも俺の提案に驚愕したのか。
冒険者たちはしばらく呆けたように俺を眺めていたが、我に返ると改めて武器を構えた。
「……ゴブリン風情が、俺たちに提案だと……?」
先頭に立つ剣と盾を持った男が、不審そうに眉を寄せながら質問してくる。
「そうだ。ここで俺たちが戦ったとしても、双方に無駄な犠牲がでるかもしれないだろう? それに、おまえたちはもう『仕事』を終えているはずだ。その首を持っていけば、十分に『仕事』を終えた証拠になるはずだ」
彼らの一人──槍を持った戦士──がぶらさげている長の首を示しながら、俺は更に提案した。
だが、先頭の戦士は俺の言葉を一笑した。
「ふざけるなよ。俺たちとおまえらが戦ったとしても、犠牲が出るのはおまえたちだけだぜ」
剣使いの戦士が改めて体勢を整えると、それと同じくして槍使いの戦士が長の首を放り捨てて槍を構える。
他にも、後衛の弓使いらしき男が弓を構え、魔術師が魔術を使うための集中に入る。
どうやら、彼らは俺たちを見逃すつもりはないらしい。
まあ彼らにしてみれば、たかがゴブリンと見下している相手と対等な交渉などする気もないのかもしれない。しかも俺の言いようも拙かったので、ゴブリンに馬鹿にされたと思っているのだろう。
唯一、彼らの中でただ一人の女性である神官らしき人物だけが、おろおろと俺たちと仲間たちを何度も見比べていた。
果たして俺の言葉に矜持を傷つけられたのか、あくまでも「仕事」は最後まで片付けるつもりなのか。
冒険者たちは獰猛な表情を浮かべつつ、その身体に闘志を漲らせたのだった。
戦いの口火を切ったのは、背後に控える魔術師の魔術だった。
魔術を使うための言語、一般に魔法語と呼ばれるを用いて魔術師が魔術を解き放つ。
彼が使ったのは、基本的な防御魔術である《障壁》。物理的な攻撃や魔術による攻撃を、ある程度弱める効果を持つ魔術である。
その魔術を、彼は自分を含めた仲間全員に施す。
ほう、どうやら効果拡大が使えるらしい。これは本来なら単体にしか効果のない魔術を、複数の目標にかける技術であり、冒険者ならば必須とも言える技術でもある。
とはいえ、目標の数が増えればそれだけ消費する魔力も増えるので、いいことばかりというわけでもない。
冒険者たちの身体を、一瞬だけ魔力の光が覆う。
初手に派手な攻撃魔術ではなく支援魔術を使う辺り、どうやらこの連中はかなり場慣れしているようだ。
感心する俺の背後で、その光景を見ていたユクポゥとパルゥが、なぜか急にはしゃぎ出す。
「光タ! 身体光タ! ピカピカ! キレイ!」
「オレモ! オレモ! 光リタイ!」
もしかしておまえら、ぴかぴか光ることが好きなのか? 背後で騒ぐ兄弟たちにこっそりと溜め息を吐きながら、俺は冒険者たちを注視する。
仲間の援護を受けて、相手の前衛──板金鎧で剣と盾を構えた男と、鎖帷子に槍を手にした男が動き出す。
残るは後方で弓を構えた革鎧の男と、魔術師と同じように杖を持った女性の神官の二人だが、彼らはまだ動くつもりはないらしい。
敵の後衛の動きに注意を払いながら、俺は前衛の戦士二人を迎え撃つことにした。
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