名前をつけよう
俺が俺として覚醒してから、既に
三十日弱という時間の流れが、俺の身体をそれなりに成長させていたが、まだまだ
それでも、能力確認と同時に行っているさまざまな鍛錬が、俺の身体を兄弟たちの中では頭ひとつ抜きん出たものへと成長させていた。
しかし、ゴブリンでしかない俺の身体は、やはり能力が低い。まだまだ成長期であることを考慮しても、さほど将来に期待はできないだろう。
これはいよいよ、早期に進化する他なさそうだ。
まだまだ未熟ながらも何とか使える気術を用い、少しずつ外敵とも戦っている。
外敵といっても、これまでに倒したのは大穴鼠や
だが、本来ならばゴブリンの幼生に大穴鼠や跳蜥蜴は倒せない。逆にゴブリンの幼生の方が、大穴鼠や跳蜥蜴のエサになるのが普通である。
大穴鼠は体長1フット6インチ(約45センチ)ほどの地面の下に巣穴を掘る鼠で、素早い動きと鋭い前歯を武器にし、運が悪いとゴブリンの成体どころか人間の大人でさえ命を落としかねない危険な動物である。
一方の跳蜥蜴は体長1フット(約30センチ)ほどだが、前脚と後脚の間に皮膜を持ち、これを用いて空を滑空する蜥蜴で、音もなく上空から襲いかかってくるこれまた厄介な敵であった。
気術によって身体を強化することで、俺は何とかこれらの強敵に勝つことができた。もちろん、倒した後は美味しくいただきましたとも。
とはいえ、食べることができたのは跳蜥蜴だけ。跳蜥蜴は体が細く、体長の割に肉は多くはない。それほど食べられる部分はなかったのだ。
しかし、大穴鼠は違う。まるまると太った大穴鼠は、実に食べ応えのある食料だった。
だが、俺が倒した大穴鼠は、丸ごと子守り役に奪われてしまった。俺と大穴鼠が戦う音でも聞きつけたのか、それとも偶然傍に居合わせたのか。
俺が大穴鼠を倒したのを見計らったかのように現れた子守り役は、当然とばかりに俺からその獲物を奪っていった。
大穴鼠はその肉以外にも、毛皮から腰巻きを作ろうかと思っていたのだが、結局はそれも叶わなくなった。
現在、大穴鼠の毛皮は子守り役の腰廻りを覆う腰布になっていて、奴はそれをまるで自分が倒したかのように、自慢気に群れの仲間たちに見せびらかしていた。
なお、ゴブリンは雄も雌も腰巻きを巻く程度の衣服しか身に着けない。更には幼生ともなると基本全裸だ。
もちろん、俺も普段は全裸で過ごしている。今の俺、ゴブリンだから。恥ずかしくないから。
でも、やっぱり腰巻きぐらいは欲しかった。だから大穴鼠の毛皮は丁度いいと思っていたんだが……
ちくしょう、子守り役の奴め。今に見ていろよ。
正直、そろそろこの群れに紛れている必要もなくなってきた。辛うじてとはいえ、大穴鼠や跳蜥蜴に勝てるのだから、今の俺は群れの成体よりも強いだろう。
だが、この群れにも長はいる。当然ながら、群れの長は他の成体より遥かに強い。
これまでに一度だけ、遠目に群れの長の姿を見たことがあったが、長はただの成体ではなく明らかに上位種だったのだ。
おそらく、あれはゴブリン・リーダーだ。
普通のゴブリンのように濁った緑色ではなく、やや赤味を帯びた緑色の肌をした、人間の大人と遜色ない体格の大柄なゴブリン。それがこの群れの長であった。
ゴブリン・リーダーは普通のゴブリンどころか、ホブ・ゴブリンより更に上位種である。このゴブリン・リーダーを倒せるようになれば、この森の中で生きていける証にもなるだろう。
しかし、今の俺の未熟な気術では、まだまだゴブリン・リーダーには勝つのは難しい。せめて、もう少し早く気術を発動できるようになれば、勝機が見えてくるだろうが。
いつか群れの長であるゴブリン・リーダーを倒すため、俺は今日も鍛錬を続けるのであった。
俺は今日も今日とて、わざと食料探しの途中で仲間たちから逸れ、自己鍛錬を重ねる。
落ちていた適当な枝に魔力を通わせ、鋼の剣以上に鋭利な刃物へと変える。
同時に、身体にも魔力を巡らせ、速度や筋力を強化する。
しかし、どうしても気術を発動させるまでに時間がかかり過ぎるな。
以前に大穴鼠や跳蜥蜴と遭遇した時は、たまたま訓練中で気術が発動した直後だったのだ。もしもあれが訓練中ではなかったら、間違いなく俺の方が鼠や蜥蜴のエサになっていただろう。
それと、できればきちんとした武器が欲しい。
木や骨で棍棒ぐらいなら作れるだろうが、仮に作ったとしても間違いなく成体のゴブリンに奪われる。だから、俺は木の枝をあり合わせの武器にしているのだ。
しかし、やはり木の枝では心許ない。以前の俺が使っていたような業物とは言わないので、せめて普通品質でいいから金属製の武器が欲しい。
とはいえ、こんな森の中で金属製の武器など、そうそう都合よく落ちているわけもない。
俺はいつかこの手に武器を握ることを夢想しながら、今日も木の枝を振る。
魔力を纏った木の枝を鋭く振り下ろすと、空中にうっすらと魔力の輝きの軌跡が描かれる。
その淡い輝きを、俺の背後で二体の兄弟たちが目を丸くして見入っていた。
「オ、オ? 光タ!」
「枝、光タ! 光ガ光タ!」
いや、「光が光った」って言葉が変だろ? まあ、ゴブリン、それも幼生に言っても無駄かもしれないけど。
「オマエ、不思議!」
「アタシ、不思議、ヤリタイ!」
「オレモ! オレモ!」
好奇心が旺盛なのか、この二体の兄弟たちは俺の鍛錬をいつも眺めている。
そう。この二体の幼生は、いつぞや俺に声をかけてきたあの幼生たちだ。
あれ以来、どういうわけかこの二体は俺の後をついて回っている。俺がこっそりと仲間たちから離れても、なぜか俺の居場所を把握してこうしてついてくるのだ。
よく考えてみれば、おまえらの方が余程不思議じゃないか?
まあ、それは置いておこうか。俺は目の前の二体を見つめながら腕を組む。
正直、ゴブリンの幼生に気術は無理だろう。俺は以前の記憶と経験があるので、未熟ながらも何とか使えるのだ。
それでもまあ、この二体に気術を教えてみるのも悪くはない。他者に教えることで、改めて思い至る点もあると聞いたことがあるし。
「イイダロウ。オマエタチ、教エテヤル。アー…………」
そう口にして、俺は今更ながらにとある事実に気づく。
ゴブリンには、個体を示す名前がないんだった。
もちろん、俺を含めて。
気術を教えるに際し、名前がないとやっぱり不便だろう。いや、気術に関わらず、日常生活でもかつて人間であった俺からすれば、名前がないことは何かと面倒だ。
だから、俺は自分と兄弟たちに名前をつけることにした。
二体の兄弟のうち、雄の方を「ユクポゥ」、雌の方を「パルゥ」と名付けた。
そうそう、彼らは雄と雌が一体ずつだったんだ。なんせゴブリンの幼生は全裸だから、雄なのか雌なのかは一目で分かる。
そして、俺自身は「リピィ」と名乗る。
以前の名前はさすがに名乗るわけにはいかないだろう。まず間違いなく、以前の俺の名前は人間の社会に残っているに違いない。それ以前の俺の名前のいくつかが、歴史や伝承の中に残されていたように。
ちなみに、これらの名前は以前の俺──もうどれぐらい前の俺なのか忘れた──が飼っていた猟犬の名前である。
その当時の俺はとある猟師の家に生まれたので、その猟犬たちとは実の兄弟のように育ったのだ。その兄弟たちの名前を、今生の俺の名前とさせてもらおう。
名前をつけることで互いの呼称や区別が容易になり、俺はいよいよユクポゥとパルゥに気術を教えることにした。
俺が二体の兄弟──ユクポゥとパルゥに気術を教え始めて、
正直、この二月は驚きの連続だった。確かに、人間の中には幼い頃から類まれな才能を見せる子供が稀に現れることがある。いわゆる、「天才」とか「神童」って奴だ。
しかし、まさかゴブリンにもこの「神童」って奴がいるとは思いもしなかったね。
俺の兄弟であるユクポゥとパルゥは、紛れもなくこの「神童」だったのだ。
彼らは俺が教えた気術を片っ端からどんどんモノにしていく。
体内の魔力の把握方法や、その魔力を活性化させる呼吸法などを教えると、彼らはいとも容易くそれらをこなすのだ。
いやはや、驚いたのなんの。
かつての俺が汗と涙と鼻水を垂らして血反吐を吐き、地面に何度も倒れながら修得したことを、彼らは簡単な説明を受けただけで実行してしまうのだ。
そんな彼らに、俺が僅かながらも殺意を抱いてしまったとしても、それは自然というものだろう。
おそらく、彼らは頭で理解するのではなく、身体で理解しているのだ。理屈ではなく感覚、理論ではなく実践で、彼らは気術を行使する。まさしく「天才」だ。
修練開始から僅か二月で、今の俺と遜色ない気術を使いこなす二人。そんな二人を相手に、俺は実戦形式で戦闘訓練を積み重ねていく。
今もユクポゥとパルゥが、信じられないような速度で左右から俺に迫り、手にした木の枝を振り下ろしてくる。
もちろん、木の枝にはしっかりと魔力が通っていて、そこらの剣よりも鋭い切れ味を持っている。俺は彼らと同じように気術によって強化した身体を最大速度で動かし、迫る木の枝を迎撃する。
左右の手に一本ずつ持った枝で、左右から迫る枝を同時に受け流す。
確かに、ユクポゥとパルゥは天才だ。気術だけに限らず、戦闘技術にも天賦の才が見え隠れしている。
だが、それでも実戦となれば俺の方が上だった。
俺には何代にも渡って積み重ねてきた経験がある。こればかりはいかな天才でも埋めることができない差だ。
左右の枝を受け流しながら、俺は肉薄した二人の腹に鋭い蹴りを一発ずつ叩き込む。
どごん、という大きな音と共に、二人の身体があっけなく吹き飛ぶ。
生まれてから早
俺よりはやや背が低いとはいえ、成体とほぼ等しい体つきのユクポゥとパルゥが、俺に蹴り飛ばされてごろごろと大地を転がっていく。
だが、二体の身体は気術で強化されている。それは身体能力だけではなく、身体そのものもまた、より強靭になっているのだ。
そのため、あの程度の蹴りでは大した衝撃になっていないだろう。
現に二体は何事もなかったかのように、素早く起き上がってきた。
「ギィ、ヤパリ、リピィ、強イ!」
「アタシ、ヨリ、強イ! ユクポゥ、ヨリ、強イ!」
蹴り飛ばされたというのに、何故か彼らは嬉しそうだ。まさかこいつら、変な性癖でも持っていないだろうな?
こうして、俺と兄弟たちとの鍛錬は食料探しの合間を縫って続けられていた。
彼らに気術を教え、そして互いに競い合うことで、俺の気術もかなり上達した。鈍かった発動も改善され、今では以前の俺と変わらないぐらいまで素早く発動できるようになった。
また、俺たちは気術を使うことで、以前より容易に食料を集めることもできた。
既に、大穴鼠などでは俺たちの相手にならない。大穴鼠よりも更に強敵である狼でさえ、俺たちは単独で倒すことが可能になっていたのだ。
そのお陰で全裸生活からも卒業! 今の俺たちは、狼の毛皮で作った腰巻きを巻いているのだ! ちなみに、群れの中でも狼の腰巻きを巻いているのは、俺たちだけである。
その腰巻きのためではないだろうが、今の俺たちはまだ幼生ではあるものの、既に群れの中では一目置かれる存在になっていた。
かつて偉そうにしていた例の子守り役など、今では俺たちの顔を見る度に、へこへこと愛想笑いを浮かべる始末である。
いよいよ、俺が群れの長に挑戦する時が来たのだろう。
その日もいつもと同じようにユクポゥやパルゥと鍛錬を終えた俺は、彼らと共に塒へと戻る。
既に今日は大穴鼠を二匹も狩っているので、食料の方も問題ない。
間違いなく、今の俺は群れの長であるゴブリン・リーダーより強い。長と戦えば、苦戦することなく長を倒し、俺は新たな群れの長となるだろう。
そんなことを考えながら、俺は意気揚々と塒へと帰還する。
だが、この時の俺はまだ知らなかったのだ。
俺が手に入れるはずだった群れが、この時すでに壊滅していたことを。
そのことを俺が知るのは、もう少しだけ後のことだった。
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