試めしてみよう
霊峰レビテルト。
トラルバル大陸のほぼ中央に位置する、トラルバル大陸の最高峰である。
その霊峰レビテルトの山頂に、荘厳な雰囲気の神殿が存在した。
一説によると、この神殿は神々が創ったという。
信者たちの祈りがより神々に届くようにという要望に、神々が応えて大陸最高峰の頂に神殿を建てたのだ、と。
確かに、こんな場所にこれだけ荘厳な神殿を建てるなど、人間などには不可能だろう。神々が建てたというのも、まんざら出鱈目ではないのかもしれない。
だが、今はこの神殿を誰が建てたのかは、大した問題ではない。
最大の問題は、今、この神殿の内部でこの世界を滅亡へと導く邪悪な計画が進行中であることだ。
俺は仲間たちと共に、神殿の中へと踏み込む。そして神殿の中央部、礼拝堂と思わしき場所に、「あいつ」はいた。
「やはり……来ましたね?」
礼拝堂に祀られた見たこともない神像の前で、あいつは俺へと振り返った。
その背後には、数体の魔物の姿が見える。あれは「あいつ」の腹心といったところか。
「相変わらず……君は人間ですか。偶には他の亜人になってみてもいいのでは?」
「ふん、それが自由にできたら世話ないのは、おまえも承知だろう? そういうおまえは今回は竜人族か。おまえは毎回種族が違うのな」
俺は漆黒の鱗に覆われた身長7フィート(約210センチ)ほどの、直立歩行する竜といった外観の魔物を睨み付ける。
「まあ、お互いの種族はどうでもいい。今日こそ……いや、今回こそ、俺はお前を倒す!」
「ふふふ……君にできますか? この僕に勝つことが!」
俺は「あいつ」に剣の切っ先を向ける。「あいつ」もまた、手にしていた奴の身長よりも長い大槍を俺へと向けた。
そして、俺は仲間と共に駆け出した。「あいつ」とその腹心たちも、俺たちを迎え撃つために動き始める。
俺は走りながら剣の柄を握りしめた。今度こそ「あいつ」を倒し、この呪われた輪廻の鎖を断ち切るとの決意を込めて。
俺は夢の世界から帰還した。
随分とまあ、懐かしい夢を見たものだ。あの夢は……あれは、以前の俺と「あいつ」がぶつかりあった時の記憶だ。
結局、あの時も俺と「あいつ」の決着はつかなかった。あの時もそれまでと同じく相討ちとなり、互いに差し違える形で終局を迎えたのだから。
今度こそ……今世でこそ、俺は「あいつ」との宿縁を断ち切らねばならない。そして、何度も繰り返されてきたこのくそったれな輪廻の呪いから抜け出すのだ。
一体いつ、この呪いを受けたのか。正直言って覚えていない。だが、この呪いをかけた張本人である「あいつ」を倒せばこの呪いは消え失せ、俺は俺としての輪廻を繰り返すこともなくなるだろう。
正直言って、ゴブリンに生まれてしまったことには凄く驚いた。落ち込みもした。
とはいえ、自殺するわけにはいかない。そんなことをすれば、今生で「あいつ」と出会えなくなってしまい、この呪われた輪廻を次に持ち越してしまう。
だが、悲観していても現状は変わらない。ならば、ゴブリンとして強くなって「あいつ」を倒すしかない。
これまでに比べるとかなり……いや、相当難しいが、それでも不可能ではないはずだ。
俺は枯草の上から身を起こす。その俺の耳に、何かが近づいてくる音が聞こえてくる。
おそらく、昨日の「子守り役」のゴブリンが、また俺たちを使って食料集めをするつもりなのだろう。
しかし、塒の外に出られるのは好都合だ。子守り役のゴブリンの目を盗んで、今世の俺の身体の能力を試す機会でもあるのだから。
俺は子守り役が近づいて来るのを感じながら、まずは何から試そうかと頭を忙しく回転させた。
今日も天気は良好だ。木々の隙間から零れる陽光が気持ちよく、森の中を吹き抜ける穏やかな風が、俺の気持ちを軽くしてくれる。
たとえこの身がゴブリンになってしまったとしても、陽光と風を気持ちよく感じられることが何より嬉しい。
ゴブリンになっても基本的に俺は俺であり、感情的なものは以前の俺のままのようだ。
もっとも、多少感性に影響を受けてはいるらしい。例えば、味覚などは肉体のせいか、以前では食べられそうもないゲテモノでも平気で食べられた。
今もその辺の木の表面を這っていた極彩色のイモムシのような生き物を捕まえると、そのまま口の中に放り込む。
柔らかいその体をぷちりと噛み潰せば、とろりとした甘みがイモムシの体から溢れ出る。柔らかい表皮が独特の食感となり、体液の甘みと合わさって至福を感じさせる甘露が口の中で踊りまくる。うん、美味い。幸せ。
美味いものを食うだけで、俺の気持ちは随分と晴れやかになる。これはずっと以前からの俺の癖みたいなものだ。
俺はそうやって食料を探すフリをしながら、子守り役や他の兄弟たちからこっそりと離れていく。
そして、彼らから充分な距離を取ると落ちていた木の枝を拾い上げ、ぶんぶんと数回振り回してみた。
ゴブリンの手に指は三本しかなく、握りはどうしてもしっかりしない。両手で枝を握りしめ、俺はその枝を身体の前に立てて目を閉じる。
身体の中に、緩やかに流れるモノを確かに感じる。この流動するモノこそ、俺の体内を巡る魔力である。
その総量は以前と比べるとかなり少ないが、そこは今後の鍛錬で底上げするしかない。
俺は呼吸を整えつつ、体内を巡る魔力を操作していく。
特殊な呼吸法を用いて魔力を活性化し、そして操る技術こそ俺が得意とする気術の基本概念である。
俺は体内で練り上げた魔力を、手にした枝に集めていく。そして枝全体に魔力が行き渡ったことを感じた時、その枝を目の前に存在する立木へと振り下ろした。
立木の直径は1フット(約30センチ)ほど。俺が振り下ろした枝は、その立木を見事に両断した。
べきべきと音を立てながら、切り倒した立木が大地へと倒れる。
よっしっ!! やっぱり使えたっ!!
以前同様に気術が使えたことに、俺はぎゅっと拳を握り込んだ。
確かに発動までの時間や威力などは以前と比べるとかなり劣るが、それは今後の修練次第で上達させることができるだろう。
まずは上々と言える成果に俺が笑みを浮かべていると、倒れた木に潜んでいたらしい小さな鼠のような生き物が、俺の足元をちょろちょろと走り抜けた。
棲み処にでもしていた木が突然倒れたことで驚いたのだろう。鼠は慌てて手近な茂みの中へと逃げ込もうとする。
だが、俺は体内に燻っていた魔力を再び活性化させて足と目に集中させ、逃げようとする鼠を一瞬で捕らえた。
よしよし、これで最低限の食料は確保っと。
偶然だが食料を確保できたのだ。これであの子守り役に無駄に殴られることもないだろう。
気術が使える時点で、おそらく今の俺でもあの子守り役より強いだろう。だが、今の俺はまだまだ
そのためには、子守り役を始めとした
鼠の首の骨を折り、一瞬で絶命させる。そして鼠の長い尻尾を手首に結びつけると、再び体内の魔力をゆっくりと循環させていった。
その後、俺が体内の魔力操作の練習をしていると、背後からぺたぺたと小さな足音が聞こえてきた。
ある種の予感を覚えながら振り向くと、背後にいたのはやはり俺の兄弟であった。
二体の幼生のゴブリンが、木の後ろから不思議そうな顔をして俺を覗いている。
「何カ、用カ?」
幼生ゆえに上手く回らない舌を必死に動かし、俺は二体の兄弟たちに問う。
その問いに、兄弟たちはおそるおそる木の影から出てきて、周囲をきょろきょろと見回した。
「大キナ、音、シタ」
「木、倒レタ、カ?」
先程俺が切り倒した木を見つめつつ、兄弟たちが首を傾げている。
「サッキ、イキナリ倒レタ」
まさか俺が切り倒したとも言えないので、適当に誤魔化しておく。
俺の言葉を聞いた兄弟たちは互いに顔を見合わせた後、ひょこひょこと更に俺に近づいてくる。
「オマエ、生キテタカ?」
「ドコ、行テタ?」
ん? どういう意味だ?
俺は首を傾げつつ、逆に兄弟たちに聞いてみる。
「俺、イナカッタカ?」
「オマエ、塒の外、出テ、スグ、イナクナタ」
「アタシ、オマエ、死ンダ、思テタ」
兄弟たちの話を聞くに、どうやら俺は塒である洞窟の外に出されてすぐに、行方不明になっていたらしい。
ある日突然いなくなる──死んでしまう──ことなど、ゴブリンにとって珍しくもないのだから。
だが兄弟たちは、てっきり死んだとばかり思っていた俺が、ひょっこり戻って来たから驚いたと言う。しかし、俺にはそんな記憶は全くないのだが。
「ドレ位、俺、イナカッタ?」
兄弟の片方にそう尋ねれば、彼は三本しかない指を折りながら数を数え、だが最後には両手をぱっと突き出した。
「タクサン、イナカタ」
あー、そうだった。ゴブリンにとって、「3」より大きな数は「たくさん」か「いっぱい」なんだよな。
だが、彼らの言葉が本当であれば、俺は少なくとも三日以上行方不明になっていたことになる。
その俺がひょっこり戻ってきたので、兄弟たちは不思議に思っていたらしい。子守り役が何も言わなかったのは、幼生の見た目の区別がつかないのか、それとも単に食糧を集める手数が増えたとしか思っていないのか。
まあ、おそらくは後者だろうな。ゴブリンにとって幼生など、単なる労働力でしかないのだから。
抜け落ちた数日間のことは気になるが、だからと言ってどうすることもできない。
それよりも、一日も早くこの身体を成長させ、かつて仲間だった魔術師が言っていた「経験値」とやらを取り込んで進化しなくてはならないのだ。
俺のことをじっと見つめる兄弟たちを無視して、引き続き魔力の操作を続けていった。
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