終章 万書館の司書
Side:Eternity もう一人の勇者
「まずは、このような事態に巻き込んでしまったこと、お詫びいたしますわ」
褐色肌のエルフ、スミカがヴラマンクたち一同に頭を下げた。ダラルードはカノヒトの話にはあまり興味がない様子で、少し離れたところにひとり立っている。
魔王ハジャイルはカノヒトの力を借りたツィーナの擬態であった。
「それで? 俺たちを殺し合わせ、死んだはずの宿敵や、他の世界の強敵たちと戦わせて、一体何がしたかったんだ?」
代表して問うヴラマンクは少し苛立っている。
黙っているカノヒトを見て、カノヒトに肩を貸していたメルーナがおずおずと尋ねた。
「ええとぉ……。もうわたしが説明しちゃってもいいですか? カノヒトさまぁ」
と、主の代わりに、スミカが命じる。
「そうね。メルーナから、説明してさしあげて」
「えへへぇ。じゃ、ご説明しますね。カノヒト様は建物のほうじゃなくて“書”のほうの“万書館”──つまり、“世界書”に選ばれし勇者なんです」
「選ばれし、勇者だって?」
眉間にしわを寄せ、ヴラマンクが問い返した。
「はい。すべての世界の歴史を記述し、世界と世界を結ぶ“世界書”を正しく扱えるのは“書”に選ばれしミーネ族のカノヒト様だけなのです! でも、魔王ハジャイルが進軍してきて、カノヒト様は“書”の中に隠れちゃったんです」
その、メルーナの言葉で、ヴラマンクの脳裏に閃くものがあった。
「“書”の中だと──? そうか、では、この世界は……」
「どうしました? 陛下」
気遣わしげに尋ねるペギランをよそに、ヴラマンクはのぼせたように言葉を繋ぐ。
「この世界は──、夢の中のようなもの、なのか?」
風の王マティスとの一戦で、精神状態によって体の成長度合いが変わるという体験をしたヴラマンクにとって、それは確信に近い直感であった。
メルーナは肯定する。
「はい。ええと、皆さんの世界にこのような概念があるかはわかりませんが、ここはシミュレーションのために作られた架空の世界だと考えてください。皆さんは今、自分の体があると思っているかも知れませんが、実は、ここに召喚されているのは精神だけ。だから、この世界から帰れば、この世界のことはまるで夢のことのように忘れてしまうでしょう」
──全員が、言葉の意味を飲み込むのに、しばし時間がかかった。
「カノヒト様はご自分の精神だけを“書”の中に封じ込めたんです。“書”の中では、時間が止まっているから──」
「そっか。それで、おれの神石の力が使えなかったんだな」
義賊のルカが、得心がいったというように手をぽんと叩いた。
──と、カノヒトがぽつりぽつりと話し始める。
「私は……、“世界書”に選ばれし者として、ほとんど外の世界を知らずに過ごしました。そんな私にとって、“世界書”に浮かび上がる様々な世界の物語は希望であり、癒しだった。ですが──、現実の私の世界で、魔王ハジャイルがついに侵攻を開始したと聞いて、私は恐れた。怖くて怖くてたまらなかった。それで、この“世界書”の中に、自分の精神だけを逃げ込ませたのです」
「それで……どうして俺たちを戦わせたりしたんだ?」
ヴラマンクが尋ねると、カノヒトは申し訳なさそうな目をして答えた。
「元々は、強大なる力を持つハジャイルに対抗するヒントを得るため、という名目でした。しかし、今にして思えば──、現実で辛いことがあったとき、いつも読んでいた物語に出てくる、あなたたちと会ってみたかっただけなのかも知れません」
メルーナが笑う。
「うふふぅ。カノヒト様、こう見えて、現実でのお体はまだ10歳ですからね。いつも、目を輝かせて“世界書”に浮かび上がるあなたがたの物語を読んでいましたよ」
と、精神状態に呼応したのか、カノヒトの姿はいつの間にか──虚飾を排した心のままの姿、10歳らしい幼子の姿に変わっていた。
「はい。幾億とある並行世界の物語の中でも、あなたがたの歩む物語が一番、大好きなんです……」
泣きそうになりながらも、幼いカノヒトが告白する。
その時、それまで興味なさそうにしていたダラルードが話に割って入った。
「なぁ、ちょっと疑問なんだけどよ。すべての歴史、ってことは、俺たちがこの先どうなるのかも、カノヒトは知っているのか?」
「いえ。あなたたちの世界では理解しにくい概念かも知れませんが……。現在と過去、そして未来は、重なり合って存在しているのです。ある時、あなたたちの世界の物語が浮かび上がると、あなたたちは滅亡している。またある時、浮かび上がると、あなたたちは仇敵に勝利を収め、永久の繁栄を手にしていたりもする。定まってはいないのです。それこそが、魂の織りなす群像劇である証拠」
「ふ~ん。分かった! とりあえず、カノヒトは本物のハジャイルと戦う勇気が欲しくて、俺たちを呼び出したってことで、いいんだな?」
「はい……」
消え入りそうな声で、カノヒトが答える。
──と、ダラルードとヴラマンク、ふたりの王は頷き交わした。
カノヒトの小さい肩に手を置いて、ヴラマンクが告げる。
「よいか。ならば──、俺たちを、見ていろ!」
「え……?」
困ったように顔を上げたカノヒトにヴラマンクは続けた。
「この場所の時間が止まっているというなら、勇気を振り絞れるその時まで、いくらでもいたらいい。だが、いつかはこの場所を出て、戦いに赴かなきゃいけないんだろう? なら、その決意が必要になった時は、俺たちのことを思い出せ」
ダラルードも頷く。
「あぁ、そうだな。その、重なり合いってのはよく分からねぇが、お前が勇気が欲しくて俺たちの物語を読んだときは、どんな敵が相手でも、俺は絶対に勝つ!」
「そうだね、おれたちを」
ルカ・イージスが口火を切り、他の戦士たちも声を合わせた。
「ボクたちを」「私たちを」「我輩たちを」
「「俺たちを、見ていろ!」」
途端、カノヒトの目に大粒の涙が浮かぶ。
──全てが崩れ、寒々とした“万書館”の跡地で、ひと粒の温かい涙がこぼれ落ちた。
× × × ×
架空の世界のため、ほどなくすっかり元通りになったエレシフの街にかぐわしい香りが立ち込めている。
ルイとアテネイが、クラッサスから教わった作法で紅茶を淹れていた。この世界で得た知識は元の世界に戻ればほとんどは忘れてしまうが、一部は魂の記憶として残るらしい。少しでもこの美味しい淹れ方を魂に刻みつけようと、ルイたちはすべての手順をじっくりおさらいしていた。
「皆さん! お茶菓子もどうぞ。言われた通りに、焼いてみました。すごいんですよ。クラッサスさんのクレイ
ユナが元気よく、お茶菓子をみんなに配っている。
ひとつ頬張り、ルイが呟く。
「ふむ。おいしい……。この世界のいいところは、精神だけの世界だから、いくら食べても太らないということですね」
瞬間──、女性陣の視線が一斉にルイに集まった。
「な、なにか?」
アテネイがぽーっと頬を赤らめてルイを見上げる。
「ルイさま……天才?」
「ユナ! おかわり、じゃんじゃん焼いてくれる? ──いや、いいわ。私も手伝う」
アイラがユナを連れ、菓子焼きに使わせてもらっているエレシフのパン屋の釜まで走っていった。その間に黙々と焼き菓子を頬張っているのは神官騎士マクィーユだ。
「おっと。始まるみたいだよ」
義賊のルカが広場のほうを見て口笛を鳴らす。
広場では、ヴラマンクの作った
騎士たちが集う武術大会では3種目で競い合うのが通例である。種目の内容は変わることもあるが、絶対に欠かせないのは
格闘の試合は、以前、ルカ・イージスに止められた森での殴り合いが引き分けとしてカウントされている。
すでに、剣術の試合はクラッサスの圧勝で終わっていた。
だが──、騎士の本分は
「前の2戦はクラッサス卿の胸を貸して頂きましたが、馬の扱いには私に一日の長があります。次こそ勝利をもぎとってみせましょう」
「我輩とてクレイスズ家の当主として、小姓、従士から始めて10年以上の訓練を積んでおる。クレイスズ家伝統の槍術で返り討ちにして差し上げよう」
「ったく」
面白そうに見守るダラルードや義賊のルカと違って、ヴラマンクはひとり優雅に紅茶をすすっている。
「なぁ、ところで、あんたの大鎌に変わるネックレス、
降魔師のルカが義賊のルカに質問を始め、「えっ、今聞くのかよ!? これから試合が始まるってのに!」と驚かれている。
──ほどなく、試合が始まった。
「わわっ!
ルイが両手の指の間から痛そうに見守る。
「いけっ、おっさん!」
ダラルードが歓声を上げた。
幾度目か、木製の馬上槍が破砕される鈍い音がとどろく。
そして、ついに──、
「こらぁっ! それでも騎士たちを束ねる
広間に、ヴラマンクの怒声が響き渡った。
~fin~
――――――――――――――――――――
◇お疲れさまでした!
降魔戦記 vs スリマジェ with ブラクロはこれにて完結です。
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