Side:Trinity 7 ノー・フォワード

 あれから何合、切り結んだだろう。一進一退の攻防が続き、クラッサスは自らの呼吸が荒くなっているのを感じていた。さすがに、気力と体力にもかげりが見え始めている。


「やるじゃねぇか、おっさん!」

「以前まみえたときは、結局、決着はつきませんでしたからな。それがずっと心残りであった。ダル殿とは心行くまで戦ってみたかったが──、いささか、疲れてきたのも事実」


 やはり、ダラルードの力を得た剛剣は一撃一撃が重く、受けるだけでも腕の力を奪っていく。相手に先手を取らせての反撃というスタイルは、極度の集中をクラッサスに強いていた。──少しでも太刀筋を見誤れば、ただひと振りで致命傷を負うことになるであろう。


「まだまだ行くぜ!」

「むっ!」

 大上段からの振り下ろし。最小のバックステップで躱すが、クラッサスを追うように大剣が突きこまれる。

 襲歩ギャロップに転じた馬のごとく、すべてをなぎ倒す絶対的な力を秘めたひと突き。周囲の空気を巻き込み、唸りを上げて迫る一撃を、すれすれで躱す。


「くっ!」

 反撃のクラッサスの剣は、返す刀の牽制で今一歩及ばず。

 偽の王は余裕の笑みで大剣を肩に担ぎ、紳士の頭上を指差した。


「あんたのスピードにも、慣れてきたぜ」

 愛用の、円筒状のハット。そのつばが、縦にぱっくりと、ふたつに割れている。


「さぁ、続けようか」

 ダラルードの顔をして、偽物が大剣を構え直した。


 その時──、背後で義賊団の青年ルカ・イージスが叫んだ。

「クラさん、もう大丈夫だ。穴は塞いだ! アテネイちゃんはおれが守ってみせる」


「──待ち侘びた!」


 素早く、背後を確認する。

 壁に開いた穴は先ほどより強固に塞がれており、続々と穴から侵入していた魔銀クロム兵たちは半数が倒され、もう残り少ない。戦う力を持たない少女アテネイは、ルカにしっかと守られていた。


「残念ながら、偽物のダル殿よ。これで、終わらせてもらおう──!」


 自分が負けて斬り殺されるだけならまだしも、偽王がいつ後ろのふたりを襲わないとも限らなかった。そのため、今まで隙を見せることは許されず、クラッサスは“せん”を取る戦法をやむなく選択していた。


 だが──、

「壁の穴さえ塞げば、新たな追っ手はない。最悪の場合でも、イージス殿のスピードであればアテネイ嬢を連れて逃げ切れよう」


「なんだと……?」


「我輩、これでも、剣技はダル殿とも互角と自負しておる」


 瞬間、クラッサスの視界が揺れた。クラッサスのあまりのはやさに、風景が置き去りにされたのだ。瞬きの間に、すでに偽のダラルードとの距離は吐息がかかるほどに肉薄している。まだ、王の擬い物は反応すらできていない。


「今の我輩の剣は、超速を超えた神速──」

 クラッサスから見れば小さな、敵の懐に入り込む。

 曲刀を振り上げたと同時──、ようやく、偽王が反応し、大剣を引き寄せ、曲刀の一撃を防いだ。


 英雄王の剣は、動の時間を崩す剛剣。まともにかち合えば、曲刀のほうが弾き飛ばされる。


 しかし、

「ならば、真っ向から当たりさえしなければ良いだけ」


 曲刀を大剣の刃の上に滑らせ、さらに踏み込み、その持ち手を絡め取る。身の丈ほどもあろうかという大剣が、カノヒトの手から零れ落ちた。

 これぞクラッサスの真骨頂。“せんせん”──すなわち、“はやさ”の剣。


「ほう。我輩も、これほどうまく行くとは思っておりませんでしたぞ。ダル殿からは戦いの流れを強引に自分有利に引き寄せるような──、そう、言うなれば魂の輝きのようなものを感じたものだが」


「くっ!」


「本物のダル殿が相手なら、今の手も決して簡単にはいかなかったはず。しかし、貴公の剣からは、ダル殿から感じる底知れぬ“恐れ”を感じませんな」


「おのれ……!」

 口調を似せることも忘れたのか、カノヒトが怨嗟えんさの声を吐く。

 クラッサスが曲刀を高く掲げた、その時、


「むっ!」


 銀の彗星が両者の間を分かつ。

 彗星は、女だった。


「──どちら様ですかな?」

 クラッサスに匹敵しようかというはやさで両者に割り込んだのは、褐色の肌をした女であった。耳はメルーナのように尖っており、背中まで伸びた髪は薄い紫色をしていた。その身を白い革のスーツに包んでいるが、豊満な胸はスーツに収まりきらず、半分ほどがむっちり盛り上がっている。

 耳かけの両眼鏡を直しながら組み替えた両脚には、太ももまである銀色のグリーヴを纏っていた。先ほどのグリーヴの一撃で、石畳の道は火山の火口のようにえぐられている。


「わたくしは、スミカ。ミーネ族の、スミカ・ラ・ミーネ。少々、その男に用があるのですわ」


「くっ! お前は」

「カノヒト。いつまでも引きこもっているものではありませんわ」


 偽の英雄王の姿は内側から発光し、1度だけ見た元の──仕立てのいい白シャツと灰色のストライプの襟付きベストに身を包んだ、細身の男の──姿に戻る。

 カノヒトが手を掲げると、石畳に転がった大剣は書へと変化し、カノヒトの手の中へと飛び込んだ。


「〈強制排除リジェクト〉!」

 カノヒトが書を開き叫ぶと、スミカと名乗った女は光とともにかき消え──、


 ひとときも間を置かず、すぐ隣の空間に、燐光とともに出現する。

「無駄ですわ。わたくしも、あなたと同じ管理者権限を有していることをお忘れなく」


「くそ! 〈経路探索パス・ファインダー〉!」

「無駄だと言っているでしょう。〈転送禁止ノー・フォワード〉!」

 カノヒトの体を覆い始めた白色の光は、スミカの声とともに消え失せる。


 クラッサスには何が起こっているか、まるで分からないが──、お互いが反目し合っていることだけは理解できた。


 カノヒトは転がるようにして、その場から逃走。

「むっ! 待たれよ!」


 と、

「待って。カノヒトはわたくしの使い魔に追わせますわ」

 クラッサスが後を追おうとしたところを、褐色の肌のエルフ、スミカにさえぎられる。


「行きなさい、ジークス!」

 閃光とともに現れたのは、両目を潰され縫い合わされた、痩身、禿頭とくとうの男。こけた裸身は無数の革のベルトで縛りつけられ、四足動物のように両手をつけて走る。その口には銀の牙が光っていた。


「むぅ……。貴女は一体……?」

「ごめんなさい。わたくしも、これからカノヒトを追いますわ。ただ、これだけは信じていただきたいの。わたくしは決して、あなたがたの敵ではありませんわ」

 そして、スミカは音高くクラッサスの頬にキスすると、その場から駆け出して行った。


「クラさん、お疲れ。さっきの女の人、一体何だったんだ?」

 近くの魔銀クロム兵を一掃した義賊の青年、ルカが頭を掻きながら歩いてくる。


「ふふっ」

 風使いの少女アテネイがクラッサスの顔を見上げ、笑みを浮かべた。


「──どうしましたかな? アテネイ嬢」


 クラッサスが尋ねると、少女は楽しそうに首をかしげた。

「だって、おじさんのほっぺ、紅茶みたいな色に染まってるから」


「むぅ……!」

 言われ、初めて頬が火照っているのに気づき、紳士は言葉を失った──。

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