Side:Trinity 6 歌よ、届いて

 ヴラマンク率いる500騎の騎馬隊が、エレシフの街に殺到する魔銀クロム兵の軍団の脇腹へと突き刺さった。

 壁に打たれたくさびのような軍勢にさらに横から楔を打ったように、騎馬隊はエレシフに殺到する軍勢を二分する。


「急げ! 堀を、大橋を渡れ! ──ユナ、頼む!」

 銀の四肢を華麗に運び、ヴラマンクは振り返った。

 髑髏兵士スカルソルジャーに手綱を引かれ、癒しの歌姫ユナが堀で囲まれた街を唯一外と結ぶ大橋を見据えている。


「行きます!」

「頼む!」

 ユナが自身の持つミューズの神石の力を発動している間──、すなわち、ユナが歌っている間、彼女は無防備になる。特に、今は町の外の大軍に背を向け、意識を集中している。ヴラマンクはユナに殺到する魔銀クロム兵たちを斬り伏せ、その時を待った。


 エレシフに進軍せんと町のほうを向いていた大橋の上の魔銀クロム兵が、何体かユナに気づく。


「ユナ様! 危ない!」

 鉤爪の一撃がユナを襲う直前、ペギランが馬首を回し、必殺の馬上槍の突撃ランス・シャルジュ。そのまま聖銀アレクサを長剣へと変化。魔銀クロム兵と対峙する。


 その時、


 澄んだ歌声が──、大橋の上を跋扈ばっこする魔銀クロム兵たちの間に響いた。

 途端、ペギランを襲おうとしていた異形の兵は腰から上を真後ろに回し、後ろにいた魔銀クロム兵を攻撃。同士討ちを始める。


「今だ! 騎士たち、壁まで走れ!」


 ヴラマンクの号令とともに、大橋を渡れず二の足を踏んでいた騎士たちも馬首を回す。異形同士が殺し合いをしている間をすり抜け、大橋を渡り、壁に空いた大穴へと走る。後ろから追ってくる魔銀クロム兵の爪は、同士討ちに巻き込まれ、ヴラマンクたちにはわずかに届かない。


「よし! みな、馬に乗ったままでいろよ」

 そう、ヴラマンクが叫んだ瞬間、


 騎士たちの乗った髑髏馬スカルホースの体から、無数の枝のようなものが生えた。枝は互いに絡みあい、さらにはヴラマンクたちを一気に──民家いつつ分はあろうかという高さの、壁の上へと押し上げる。


 エレシフの高い市壁に空いた大穴は、複雑に入り組んだ銀色の根によって、再び塞がれた──。


      ×      ×      ×      ×


「これは──植生界面エクスクルシフ? 華印フルールの力を遮る防御結界域を、いばらのつる1本1本に纏わせているのか……? そんなことが、できるものなのか」


 サングリアル王国の4大貴族のひとり、ルイが呆然と呟くのを見て、天才降魔師ごうましルカ・ハルメアは苛立っていた。

 美貌の少年は先ほどから火球を放っては、いばらの攻撃によって霧消させられており、戦力としてまったく役に立っていない。その尻拭いをルカが延々とさせられている形になっている。


「おい、あんたんとこの王が壁を奪還したみたいだ。壁まで後退するぞ」

 遠くに見えるエレシフの壁に空いていた穴は、ぎらりと陽を反射する網目状の銀に覆われた。あれほどの聖銀アレクサを操れ、あのような作戦を実行できるのは、おそらくヴラマンクだけであろう。


 だが、ルイは反対する。

「だ、ダメです! あいつはボクたちに引きつけておかないと」


「あいつ? このいばらを操っているやつに心当たりがあるようだが──、今のお前じゃまったく手が出せてねぇじゃねぇか。お前を守りながら戦うのももう面倒だ」


 ルカの反論に、美貌の少年は慌てた声を出した。

「い、いいですか、聞いてください。もともと、あいつら“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”は物凄く慎重なんです。たまたま、あいつが後ろで様子を見ている間に、ボクたちがここに飛ばされたおかげで足止めできましたが──、前線が壁際まで後退したら、きっとあいつは安全な距離からいばらを伸ばし、地下から壁内を無差別に攻撃するでしょう。そうなれば、手の出しようがありません」


「はぁ? ──いや、確かに、それは厄介だな」

 この場でルイを守って戦うのも面倒だが、壁の外から一方的に攻撃され続けるのもまた困りものである。


「この位置ならまだ、ぎりぎり壁内は射程外です。ボクたちはこの場に残って、やつを引き付けるべきです」


「その“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”とかいう野郎に弱点はないのか」


 忌々しく思いながら問うルカに、少年は答える。

魔風士ゼフィールは数千の軍をも相手取ることの出来る攻撃力を持ちますが、風を操る本人は他の人間と同じです。以前戦った時は、多くの被害を出したものの、相手の不意をつき、さらに馬の機動力にあかせ強引に近づいたのですが──。その時は、いばらの根元に、彼女はいた。しかし、今は自分の居場所を悟らせないよう、地下から攻撃してきている──!」


 その瞬間、地面から、1本1本が魔狼のごとき太さのいばらのつるが一斉に突き上げ、ルカたちを襲った。


(っち。このままじゃ、格好の餌食だ……!)


 相手の居場所さえ分かればいくらでも反撃の手段はあるが、今のままでは成す術なくやられてしまう。


「おい! ここはまずい! 行くぞ! 〈闇が支配する絶対の静謐ダーク・トランキュリティ〉!」

 そう言って少年の体を横抱きにすると、ルカは闇の翼を広げ、飛んだ。


「わっ」


 少年を抱え、魔銀クロム兵らの届かぬ高空に飛翔。

 と、腕に抱いた感触に、ある違和感を覚える。少年の体は妙に柔らかく、筋張った男のものとは明らかに違う感触がした。


「ま、まさか……。お、お前……、おんっ」


 声が裏返ったのと同時、顎に掌底をもらった。

「貴人の体に断りなく触れるのは、礼を失したふるまいです」


「……くそ。相手が貴族だろうが、オレはオレのやりたいようにやる。例外は陛下だけだ」


「ふん……」


 なんだか釈然としないが、掌底のことは不問にする。

 ルカの腕の中で、少年がわめいた。


「降魔師さん、ダメです。高く飛びすぎです。あいつがボクたちを見失っては」


「なら、好きなだけやれ。派手にな」

 いい加減、相手をするのが面倒になっていたルカは端的に作戦を伝える。

 少年が頷いたのを見て、天才降魔師は急降下。あわや地面に接するかに思えた瞬間、ルイの剣から生じた火球が、大地を焼いた。


      ×      ×      ×      ×


 ヴラマンクは眼下を睨む。

「これで聖銀アレクサをほとんど使ってしまったが、あいつらにこの壁を超える能力はない。よじ登ってきたら撃ち落とせ。しばらくは、時間が稼げるはずだ」


「で、でも、陛下。これでは外で戦っている人たちを見捨てることに」


「分かっている」

 ペギランの訴えを聞き、ヴラマンクは聖銀アレクサを巨大な旗の形に変化させる。ダラルードとの戦いで鎧に色がついた様を見ていたので、旗に模様をあらわすのも難しいことではなかった。


「なんですか? それ」


「ナハテムの戦士たちから聞いた旗印だ。これを見たら、旗のもとに集えとの意味らしい。この穴を塞いだ網は、人ひとりなら通れるようになっている。だが、魔銀クロム兵たちはあの大きな身体が邪魔して通れないだろう。──後は各々、自力でここまで来てもらう他ない」


「そ、そんな! まだ外にはあれほど魔銀クロム兵が!」

 ペギランが悲鳴を上げる。


「だが──、まずは“万書館ばんしょかん”を守り抜かなければ……」

 ヴラマンクとしても、苦渋の決断だった。このまま手をこまねいていて、これ以上壁内への侵入を許すわけにもいかない。


「あ、あのっ、ヴラマンクさ……ヴラマンク陛下!」

 と、ユナが思い切ったように肩をすぼめ、大きな声を上げた。


「ユナ?」


「さっき不思議に思ったんですけど……、陛下のお声はどんなにけたたましい戦場でも、ちゃんと聞こえるんです。一体、なぜですか?」


 急に何の話かと、ヴラマンクはいぶかる。


「──声を風に乗せ、効率よく運ぶ技術があるんだ。魔風士ゼフィールとは春の訪れを告げ、花々を咲かせる西風にちなんでつけられた名。俺の持つ華印フルールと、俺の精神が呼応すると、風を生み、操ることが出来る」

 そう言って、少年王は首から下げた紫色の宝石を見せた。100年以上、片時も離れたことはない眠りの風を操る華印フルール──〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉である。


「だ、だったら! ──私の力は、歌です。陛下のお力を使えば」


 勢い込むユナの言葉に、ヴラマンクも意図を理解した。

「聞くが、ユナの力は歌声が届く範囲なら、無制限に効果があるのか?」


「使ったことはないんですけど……、多分」


「ふむ。やってみる価値は、あるかも知れんな。──ちなみに、歌は?」


「カリオペの歌を。兵士たちをよろっている魔銀クロムを浄化できるかも知れません。それに、味方には守りの効果があるので」


 ヴラマンクは速やかに決断する。

「ペギラン。弓兵たちとともに、壁の内外を見張れ。騎兵たちは壁の上と下とを結ぶ城壁塔の援護に向かわせろ。──しばらく、時間を稼いでくれ。ユナの歌に、託してみたい」


「はっ! かしこまりまして」


 王の忠臣が兵士たちに指示を出すのを横目に見ながら、ヴラマンクは意識を集中する。この平野全域に、隅々まで風が行き渡るようにと。


「風よ──、祈りを乗せて運べ」


 ひとつ頷き、ユナに合図を送る。


 しん……と、壁の下から聞こえる剣戟がやんだような気がした。まるで世界そのものがユナの歌声を待っているかのようだ。


 ──戦場に、澄んだ歌声が響き渡る。


 薄衣うすぎぬの天女 光はらはら散りて舞い

 白銀の馬 あま駆けていななき笑う

 は 母なる大地の息吹なり

 清き風をその身にまと


 静かに息を吐き、ユナは目をつぶった。

「お願い……。歌よ、届いて。戦士たちを守って。この殺し合いを止めさせて」


 ──と、


「へ、陛下! 見てください!」

 ペギランが壁の下を指差す。──そこには、悶え苦しむ魔銀クロム兵たちの姿があった。何割かは魔銀クロムの防護すら失っている。徒手でナハテムの戦士たちに襲い掛かる者もいたが、多くは戦意喪失し、その場から遁走とんそうした。


「全員は無理か。6割近くがまだ残っているな」

「すみません、私の力不足で──。本人が魔銀クロムの支配を受け入れている場合は浄化できなかったと、カリオペが言っていました」


「いや。これでかなり状況が変わったはずだ。ありがとう、ユナ」

 ヴラマンクが頭を下げると、ユナは「そそそんな」と赤面する。


「すごいです、陛下! 心なしか、陛下のお姿がひと回り大きく見えますよ!」


 喜ぶ大献酌だいけんしゃくに、ヴラマンクは告げた。

「ペギラン。俺はこれから“万書館ばんしょかん”に向かう」

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