Side:Trinity 5 わたしには、この剣しかない
それまで土の巨人であった、広場にできた小さな山の上でアイラ──ブラック・クロスの諜報員が何かを咥えている。
「なんですか、それ? 最新式の火打ち箱かなにか?」
煙草を見たことがないマクィーユにはアイラの口にしているものがなんであるか分からない。アイラは微笑み、紙箱をマクィーユのほうへ差し出した。紙で枯草を巻いた棒のようなものが1本、箱から突き出している。
「煙草っていうのよ。煙を肺に入れて、味や香りを楽しむの。──吸ってみる?」
咥え、火をつけてもらう。
「ケホッ、ケホッ」
マクィーユは小さくせき込んだ。
「あら、ごめん。くゆらせるだけでも、充分楽しめると思うわ」
と、
「あ、ツチブタ!」
アイラのほうに、1匹の耳の長い子ブタがとことこと歩いてきた。マクィーユは砂で出来たその小動物を抱き上げ、アイラを見上げる。
「その子、気に入ったの?」
「そ、そういうわけでは。ただ、疲れているかな、と思って」
「そうね。ご褒美をあげてもいいかもしれないわ。──見つけたみたい。あなたの言った通り、そんなに遠くないところから土人形を操っていたみたいね」
× × × ×
広場からそう遠くない通りにいたのは、10歳ほどに見える子供だった。背はマクィーユの胸ほどまでしかない。
「あはは。見つかっちゃった! ねぇ、さっきそこを歩いてた小ブタ、キミたちのスパイだったの? まぁいいや。せっかくハジャイルにもらった
「ハジャイル、だと? では、やはり貴様が土人形を操っていた
年端もいかぬ子供が忌むべき降魔師であることが信じられず、マクィーユは動き出せない。
だが──、少年の傍らには、およそ尋常のものとは思えない、禍々しい気を放つ拳大ほどの物体が浮遊していた。銀で出来た卵形の不気味な物体には、人の目や鼻、口と思しきものがびっしりと貼りついている。
「うふふ。そうだ! ねぇ、ボクの新しいオモチャ、見せてあげるよ! ──さっき、召喚しておいたんだ!」
そう言って少年は、懐から取り出した銀製の
「
途端、笏の表面がうねうねと
「ねぇ、どうかな? ボクの新しいモルス! 〈
「あの、魔族は──!」
少年が現出させたのは、マクィーユにも覚えのある魔族だった。彼女の故郷、ドミ・アルダライルを襲った石像の魔族──それが、今は
燐光を放つ愛剣エルシャフィエを構え、魔像へと斬りかかった。──だが、魔像は主たる少年を抱いて跳躍。少年を守るように、離れた場所に立つ。
「おおっと! キミたちの戦いは見ていたよ。その剣、ボクの土人形が一撃でやられちゃってた。何かタネがあるんだよね? だから、こうさせてもらう。──やっちゃえ、〈
少年が浮遊する銀塊に命じたのと、アイラの銃から砂の弾丸が吐き出されたのは同時。
だが、短い発砲音が消えたころには、奇怪な銀の塊は300デュール(≒3メートル)ほど離れた虚空に移動している。
「くっ!」
アイラは続けて2発、発砲するが、結果は変わらず。銀の塊は道の端から端ほどの距離を瞬間的に、不規則に動き、弾丸を
「アイラさん、上です!」
不意に、ふたりの上へ移動していた銀塊は、無数に貼りついた人の口から重く地表に溜まる黒煙のような──“闇”を吐き出した。ぐるぐると回りながら吐き出される粘性の闇は、瞬く間にふたりの周囲を埋め尽くしていく。
「しまった! 視界を──」
手で払っても、闇に触れることは出来ない。エルシャフィエで斬りつければ、かろうじて視界が開けるが──、すぐさま上から降り注ぐ闇に覆われ、焼け石に水でしかなかった。
と、
「きゃっ!」
暗闇から、マクィーユの故郷を襲った魔像がその鉤爪を振るい、襲いかかってきた。反撃に剣を振るうが、すでに魔像の姿は闇にまぎれて消えている。
「まずいわね、さっきあいつを探すのに大量のツチブタを出したから──。もう砂を操る体力が底を尽きかけてる」
背中同士を合わせ、マクィーユとアイラは呼吸を整えた。
「わたしの持つエル──“退魔の聖剣エルシャフィエ”で斬ることさえできれば、倒せるはず。どんな魔族も、エルに斬られて無事ではすみません」
「そうは言ってもね。これじゃ、何にも見えないわよ」
怪音がし、音のした方向から鈍く輝く光線が襲い来る。
「そこねっ?!」
音と同時、美麗なるふたりの女戦士は光線を避け、さらにアイラは音のした方向へと銃弾を撃ち込んでいた。標的を失った熱線は煉瓦と漆喰で出来た家に命中、その壁を溶岩のように溶かす。
「わわっ! やっぱり、飛び道具はこっちの居場所がばれちゃうからだめか。ふっふ~ん。別にいいもんね。行けっ、モルス! ぶん殴れ!」
暗闇の外から明るい声が聞こえてきた。
再び、魔像の急襲。上空から、巨体がふたりを踏みつけにしてくる。
間一髪
荒い息をして、互いに背中を預ける。
「これじゃ、
「アイラさん! 聞いてください」
「──! 分かったわ」
マクィーユが耳打ちすると、アイラは愛銃に力を込めた。途端、拳銃は赤熱。マクィーユまで
「モルス! やっちゃえ!」
またも、無邪気な少年の声が響いた。
言葉の通り、銀の魔像はマクィーユの背後の闇から現れ、その頭蓋を粉砕するべく固く組んだ両の拳を振り下ろす。
が──、
「アイラさん、今です!」
「任せて!」
あかがねの髪の美女──アイラがマクィーユの背後、銀の髪の間から2丁の拳銃を伸ばした。刹那、奇声をあげる魔像の口に、熱砂の弾丸が叩き込まれる!
弾丸を文字通りしこたま喰らった魔像は沈黙。闇に倒れ込んだ。
神官騎士は幼き降魔師に告げる。
「貴様はわたしの剣を警戒している。だから、攻撃するとき、必ずわたしの死角から攻撃していた──。ならば、姿は見えずとも、自ずと動きはこちらに分かる」
「……ふぅ~ん。だからなんだっていうんだい?」
機嫌の悪そうな声が、闇の外から届いた。
「ボクにはまだ〈
瞬間、マクィーユのこめかみを拳大の銀塊が打つ。こめかみから垂れた血が、あごを伝うのが分かった。
「っぐ! あ!」
頬に、脚に、腹に、腕に、重い衝撃が走る。
そのたびによろけ、倒れそうになる身体を必死で支え、剣を構え続けた。
「マクィーユ! いったんここから離れて、私の体力の回復を待ちましょう!」
「アイラさん、下がっていてください」
「え──?」
無駄なく倒そうとしていると言われ、どきりとした。
(わたしには、強者との戦闘経験が圧倒的に足りない──)
それは、今後ダラルード王に剣士として仕えていくうえでも、致命的な欠陥にもなりうる。だが──、
(今のわたしには、この剣しかない──)
何百万と、振り続けてきた型。それが今のマクィーユを支えている。
「危ない! マクィーユ!」
暗闇の切れ目から襲撃が見えたのか、アイラが絶叫する。
しかし、ドミ・アルダライルの騎士長はもはや敵を見てはいなかった。
それは──、
理屈をつけるならば、マクィーユの全身の微細な体毛が、かすかな風圧を感じ取ったのだと説明するほかないだろう。だが、見る者がいれば──、奇怪な銀の塊はまるで、自分からマクィーユの剣に斬られに行ったように見えたはずだ。
原因と結果。
始まりと終わり。
因果の
剣は無駄のない弧を描き、奇怪な魔族を両断していた──。
「……やるじゃない」
諜報員が、ひとつ殻を破った神官騎士の肩を叩く。
暗闇は急速に薄れていった。──だがそこに、幼き降魔師の姿はない。
「ふぃー、あっぶなぁ~! ねぇ? キミを召喚しておいてよかっただろ」
降魔師は鳥型の魔族に肩を掴まれ、自らもその足にしがみつくようにして空を飛んでいた。しかし──、
「え゛」
大鷲にも似た魔族の翼が根元から吹き飛ばされる。
「悪いわね。どんなときでも、1発分の体力は残してあるのよ」
煙草に火をつけたアイラの声は少年に届いたかどうか。幼き降魔師は百年木の高さから、地表へと落下していった──。
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