Side:G ルカ・ハルメア(3)

(何が起こった……?)

 街路に倒れ伏し、絶え絶えに息をつきながら、ルカ・ハルメアは状況を可能な限り反芻はんすうし、把握せんとしていた。


      ×      ×      ×      ×


 ルカは自らが呼び出した暗黒竜の背に乗って、エレシフの高い壁をひと息に飛び超え、王とともにヴラマンクのそばに舞い降りた。

 暗黒竜の長い尾を一閃させ、ヴラマンクを王の正面へと駆り立てる傍ら、中級魔族召喚のための追加詠唱。ダラルードの剣に〈紅蓮なる獰悪の牙イン・フレイムス〉を付与エンチャント


 短い言葉の応酬があった。

 英雄王と魔王、ふたりの王はこんな会話をしていたように思う。


「わが盟友の仇、討たせてもらう」

「いいぜ! やってみろ」

 仇、という表現が多少気になりはしたが、すでに二王は剣を交えていた。


「あんた、強いな! 今これだけ強いなら、これからもっと強くなるぜ!」

「抜かせ、小僧!」

 どう見てもダラルードと同じかそれ以下に見える魔王が、ダラルードを小僧呼ばわりした。だが、見た目とは裏腹に、ダラルードは2度の生を受けている。もしかしたらヴラマンクもまた、ダラルードと同じく見た目と内面にギャップがあるのかも知れない。


(大丈夫なのかよ、陛下。押されているようにも見えるが……)


 ルカは攻撃の隙をうかがいながら、ふたりの様子をじっと観察する。


 ヴラマンクの剣は、すべてを薙ぎ払うダラルードの“力”の剣とも、巨体ながらにダラルードよりも機敏に動き、すべてを寄せつけぬクラッサスの“はやさ”の剣とも違う。

 それはしなやかな強さ。

 愚直とも言えるほどに剣の形のみで戦うダラルードに対し、勝機と見れば聖銀アレクサを鎌のようにも槍のようにも変化させる。守りとなればどんな角度からの攻撃にも既に知っていたかのように対処し、さらに苛烈な反撃を返す。


(ありゃ、“知”の剣だな。常に2手先、3手先を読んで戦ってやがる。陛下がもっとも嫌がるところに剣を先回りさせて、陛下を気持ち良く戦わせない。……その割に、陛下は嬉しそうだが)


 わずか数分にも満たぬ斬り合いながら、戦いに関しては天性のカンを持つダラルードがフェイントに引っかかりそうになって舌を巻く姿を、ルカは何度も見た。


 と、ヴラマンクがじわりじわりと、ダラルードを袋小路のほうに追いつめようとしていることに気づいた。──暗黒竜の介入を嫌ったのだろう、と、そう思った。


「いいぜ! その誘い、乗ってやる!」

 ダラルードもまた、ヴラマンクの狙いに気づいたらしい。自ら、袋小路に飛び込んでいった。


 ──警戒するべきだった。

 だが、ダラルードがあまりに楽しそうに戦っている姿を見て、気が緩んでしまっていた。


      ×      ×      ×      ×


「俺の“小さな死プティ・モール”の風を防ぐとは……。お前、魔風士ゼフィールか?」

 耳慣れない魔風士ゼフィールという言葉に、ルカはここが異世界であることをようやく思い出していた。


(死、だと……? 陛下は……)

 辺りを見渡すと、少し離れたところに英雄王が転がっていた。位置関係から察するに、気を失っていたのはほんの一瞬だろう。ダラルードの小さな胸がかすかに上下しているのを確認し、ひとまず安心する。


(これは……“眠り”の力か。まさか、相手を眠らせる、ただそれだけに特化した術師がいるとはな)

 ルカはロッシム大陸では屈指の降魔師ごうましであり、降魔術ごうまじゅつに関する知識なら右に立つ者はいないと自負している。だが、なまじ降魔術ごうまじゅつに精通しすぎていたあまり、降魔術ごうまじゅつの常識で考えてしまっていた。


「眠りとは小さな死──。生ある者は等しく抗えざる摂理。お前が魔風士ゼフィールでもない限り、防げないはずだが……」

 そう言うなり、魔王は手に持った剣を翻した。


(あぁ……っ、クソ! 降魔は死んだ人間の魂が漂白され、数百年の時を経て再びかすかな意思を有したもの。死者には効かねぇなら、降魔と一体化しているオレには効果が薄いのも道理……だが……)


「まぁいい。今はルイの救命のほうが優先する」

 ヴラマンクはルカを一瞥すると、すぐに興味を失ったようだった。つかつかとダラルードのほうに歩み寄る。──とどめを刺すつもりだろう。


「オレと陛下を連れて飛べ! 〈虚無より生ずる混沌の暗黒竜ディサルモニア・ムンディ〉!」

 背からずり落ちてはいたが、まだかろうじて暗黒竜の制御を失っていなかったのは幸いだった。だが、ルカの意識は半分眠らされており、いつ制御を失ってもおかしくない。


(まずい、意識が飛びそうだ……! そうなる前に、安全な場所へ……!)

 雄たけびをあげ、暗黒竜がルカとダラルードを鷲掴みにする。


 今もなお、壁際での攻防が続くエレシフの街を後にし、喧騒から少し離れた平野に、顔から着地。制御を失う寸前、暗黒竜を魔界に帰す。


 と。

「おいおい、なんだあれ」

 エレシフの壁の上に、ヴラマンクであろう姿が見えた。逆光になっていてよく見えないが、その脚の数は人に倍する、馬のようにも見える。


 後肢が、壁を蹴った。そのまま跳躍し、2階建ての家がいつつは縦に重ねられそうな高さの壁をひと息に駆け降りる。聖銀アレクサを馬の四肢のようにして、下半身に纏わせているのだ。


(まずい!)

 すかさず、ルカは高速詠唱。暗黒竜よりは素早く召喚可能──だが、並の降魔師ごうましならば詠唱に数日は要するであろう中級魔族を召喚する。

闇が支配する絶対の静謐ダーク・トランキュリティ

 生み出された夜の闇よりもなおくらい暗黒はルカの背で結晶化。ナイフのように細長い一対の翼へと変化する。


 英雄王を抱え低空を飛翔。平野近くの森へと突っ込んだ。後ろを振り返りすらせず、木々の間をすり抜ける。

 と、細長い光が頬をかすめた。

 何かと思う間もなく、バランスを崩し、あわや地面に激突しそうになる。──翼が、削られている。


聖銀アレクサの矢か! 翼の修復が間に合わねえ……っ!)

 振り返り、手元を見た。ヴラマンクの手には美しい弧を描く総銀製の弓が握られている。糸による攻撃よりもなおはやく飛来する矢は、撃つたびに弓から新たな1本が滴るようにして現れる。尽きることのない連射と速射に、ルカの翼はじりじりと穴を増やしていった。


「あんなのっ、ありかよ……っ!」

 矢継ぎ早、どころではない連続攻撃に、思わず悪態が口をつく。

 森が切れ、断崖の下で、ヴラマンクの矢がついに〈闇が支配する絶対の静謐ダーク・トランキュリティ〉の翼の根元を穿った。揚力を失い、地面に叩きつけられる。


「くそ……、まずい。もう意識が……。今ここで、が出てきたら……」

 かすんでいく意識を何とか繋ぎ止め、暗黒をナイフの形に収束させる。願いを込めて、ダラルードの大腿部を貫いた。

 人為的に意識を失わせ、腹を切るという、麻酔という医術も知識としては持っている。魔王の放った眠りの力に、どれほど対抗できるかはわからないが……。


 軽やかな蹄の音がして、ルカの頭上に影が差した。見上げると、怒りなのか憐れみなのか、一切の感情を感じさせぬ固い表情で、ヴラマンクがルカたち主従を見下ろしている。

「そこをどけ。ダラルードの命を絶つ」


 自然と、王を守るべく立ち上がっていた。

 一体、なぜ、自分はこんなところで、魔王に殺されんとしているのか。ルカが自嘲気味に笑った、──その時、


「ルカ、もういいぜ」

 風が吹いた。

 背中からの風に、ゆっくりと振り返る。


 そこに、立っていたのは──


「後は俺に任せて、休んでいろ」

 彼こそが英雄王、ダラルード=ダレイル……!

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