Side:? 司書と使い魔
「……始まったようですね」
まるで、内部にひとつの平野が収まっているかのような広い書庫で、カノヒトは誰にともなく呟いた。
「えへへぇ。なんとかうまくいきましたねぇ」
と、彼の使い魔が、主の当てどのない呟きを拾って答えを返す。
「まったく……。メルーナ、伝達ミスのような単純なミスはもうこれきりにしてくださいよ。あの場にマクィーユが現れたときは、肝を冷やしました。おかげで、予定外にルイ・ソレイユの心を
「ううぅ。ごめんなさいですぅ~」
「あの程度の誤算であれば、多少効率は悪くなるかもしれませんが、問題はないでしょう。むしろ、ヴラマンクの怒りを
「は、はぁい。ええとぉ、カロカロ……」
と、メルーナが指折り何かを数えはじめる。
カノヒトはため息ひとつ、メルーナが話そうとしている言葉を継いだ。
「この場所を表す神聖なるよっつの子音字。最初のふた文字は、カロとカロスの頭文字。どちらも意味は“すべて”……。ただし、係り受けが逆になります。次はイェッテン。意味は“世界”」
「ええとぉ……。それで、最後がムル。意味は“書”ですよね!」
「“世界のすべてとすべての世界についての書”とでも、訳したらよいのでしょうかね。──なに、好きなように呼んだらいいのです。どうせ、みな、好きなように呼んでいるのですから。“
「えへへぇ。でも、この場所はカノヒト様と、カノヒト様に特別に許可された使い魔である私たちしか入れないじゃないですかぁ。そんなに心配しなくても、いいと思いますよぉ?」
メルーナの気の抜けた言葉に、カノヒトは頭を抱える。
「本当に、あなたは……。とにかく、ついに二王の激突が始まりました。ルイ・ソレイユが抜けたことで、多少戦力に偏りが出来てしまいましたが……、彼らには思う存分、殺しあっていただきましょう」
と、カノヒトはメルーナが手に持っているものに気づいた。
「……ところでメルーナ。あなた、その小さなヌイグルミは一体?」
「あ、気づきましたかぁ? えへへぇ。これ、もらったんですよぉ。かわいいでしょう。ピンクの猫ちゃん」
「メルーナ、あなた、まさか……!」
その声がかすかに怒気をはらんだ、瞬間、百年木より高い書棚のはるか上で、何者かが走り去るような物音がした。
「どうなっているのです!?」
カノヒトの叫びが書棚の森に反響する。
「マクィーユがここまで追ってきたというのですか? いや、そんなはずは。この場所はどの場所からも切り離された聖域。誰であろうと、私の許可なく存在し得るはずがない」
苛立たしげに、カノヒトは書棚の奥にある小さな机へと急ぐ。机に置かれた1冊の本を手に取り、乱暴に開いた。──中には、何も書かれていない。
「私は見た。侵入者の姿を」
カノヒトがそう告げると同時、手に持った白紙の本に文字が浮かび上がる。
瞬間、カノヒトは雷に打たれたように硬直した。
ややあって、
「砂煙? あの能力は、確か……。しかし、一体どういうことなのです。例の義賊団が、なぜここに」
と、不思議そうにつぶやく。
「あのぉ、カノヒト様?」
「メルーナ、あなたまさか。……いや、そのヌイグルミ。そうか。そういうことでしたか」
ひとり納得したようにカノヒトが頷いた。
「えへへぇ。あ、あのですね、カノヒト様に喜んでもらおうと思って、次に予定していた“書”から、例の義賊団を召喚しておいたんですよぉ! こんなに大勢の召喚は私も初めてです! 私、がんばりました!」
どこか不安そうにしながら、メルーナが両腕で力こぶを作る。
対するカノヒトは厳しい表情を崩さず、メルーナを憐れんだ目で見つめた。
「あなたの持っているそのヌイグルミ、
「え? ……え?」
「メルーナ。せめてもの慈悲として、あなたを消滅させることはしません。──ですが、あなたにはここを出て行ってもらいます」
「えっ、えっ! そ、そんな! ここを出て、どこに行けって言うんですかぁ!」
「さぁ? あのふたりの王にでも、仕えてはどうですか。──まさか、ここまで計画を狂わせてくれようとは。この先どうなるか、私にももう予測がつきません」
カノヒトは手に持った書を広げる。
ひと言、「〈
誰もいなくなった書棚の森の中で、カノヒトは呟く。
「場合によっては、この私自身も戦う必要が出てきそうですね。かくなる上は、致し方ありませんか……。すべては、魔王ハジャイルのために……」
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