Side:S ヴラマンク・プレシー(2)

 相手の命に届いたという確信は、しかし、驚愕によって覆される。

 炎色の髪の男は、ヴラマンクの突き出した槍をただ無造作に横からつかんだ。


 それが、すべてだった。


 男の腕はそこから寸毫すんごうたりとも内側には曲がらなかった。男は地面を軽く蹴り、槍の勢いに押されるがままに後退した。ヴラマンクがしたことと言えば、ただ男を後ろに押しやっただけに過ぎない。


 自重と、ヴラマンクの一撃の勢いを殺し切るだけの片腕の膂力りょりょく、そして、槍と動きを完璧に同期させうるだけのはやさがなければ、不可能な神業であった。


「ちっ!」

 すでに、聖銀アレクサの使い方は理解していた。

 聖銀アレクサの槍は組みひもがほどけるようにばらばらになると、再びヴラマンクの手元で収束。初めに見た、剣の姿を取る。


「さっきはデカいほうの連れだなんて言って悪かったな。あんたが親玉か」


 そう言って不敵に笑うと、男は自分の身の丈ほどはあろうかという大剣をやおらと構えなおす。


魔銀クロムの剣の試し斬りには、ちょうどよさそうだ」


 一見すると、剣を肩に乗せただけにしか見えない。

 だが、ヴラマンクには自分がどの方向から斬りかかっても、すべての攻撃を受け流され、突き返される幻視が見えていた。


 少しでも気を散じたほうが負ける。

 体内の血が冷えて下にすうっと沈んでいく感覚。極度の集中。もはや、ヴラマンクには眼前の敵しか見えてはいない。


 ふと。


 剣先を躍らせる。


 相手に動きはない。──だが、金色の目がかすかに揺れたのを、ヴラマンクはとらえていた。動くには、それで充分だった。


 地を這ういかずちのごとく、身体ごと跳び込む。後背に構えた剣先はまだ躍らせている。刹那、一条の光の道が、目の前に開けた気がした。そこからは、ただその道に沿って、剣を滑らせるだけで良かった。


 男の首筋に、聖銀アレクサの剣が吸い込まれていく。


 が。


 予想すらせぬ衝撃を感じ、剣が下から突き上げられた。90年の間に若返ってしまった薄い体は、剣とともに、突風に舞い上げられた麻布のように浮かび上がる。体の前面ががら空きになり、視界が開けた。


 蹴ったのだ。男は、下からヴラマンクの剣の柄を。


 木の枝でも握っているかのような手軽さで、男が大剣を伸ばす。突き上げられた剣をむりやり引き戻し、心臓と首筋を守る盾にした。


 金属同士がかち合う、耳障りな音。背中に風を感じた。


 10ピエ(≒3メートル弱)ほど弾き飛ばされ、着地。男は初めにいた場所から少しも動いてはいない。


 男がにやりと笑う。

「やるじゃねえか」


「キサマも、そのデカい剣はただの虚仮こけおどしではなさそうだ」

 そう言って笑い返す数瞬の間に、幾通りもの攻めの手が頭の中では組み立てられている。だが、次に放たれた男の言葉はまたもヴラマンクの予想を超えていた。


「悪いな。あんたは強ええが、俺の勝ちだ」


 突如、背後に気配を感じた。


「ペギラン!?」

 先ほど男に斬り伏せられた、ヴラマンクの忠臣ペギランがその長い腕を伸ばし、ヴラマンクを羽交い絞めにしようとしていた。


 とっさに風を操り、眠りの力を込める。

眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド

 ヴラマンクが持つ古代の至宝、華印フルールのひとつであり、その宝重が放つ風の香は人の身では抗えざる眠気を引き起こす。

 薄紫色に光り輝く風の渦が、ペギランの鼻先で弾けた。


 だが──、


「きっ、効かないだと?!」

 効果がないことに、これほど驚愕したのにはわけがある。眠りの力が効かない場合の可能性はふたつ。

 ひとつは、現在ペギランに意識はなく、体だけ操られている可能性。

 そして、もうひとつ。

 眠りとは“小さな死”だ。ヴラマンクはこれまでにも、死人を兵として操る仇敵と幾度となく激闘を繰り広げてきたが、死人には“小さな死”である眠りの力は効かない。つまり、ペギランはもう死んでいる可能性があった。


 生死を確かめるべく、距離を取る。


 が、見る間に、王の盟友の姿は異形へと変貌していった。

 全身を、黒ずんだ流体の銀が覆い尽くす。四肢は獣のごとき逆関節へと変わり、その顔は猛獣とも猛禽もうきんともつかぬ面に隠された。


「あんたはなかなか強かったが、先を急ぐんでな。これで終わらせてもらうぜ」


 頭上から、軽やかな声が響く。

 いつの間にか炎色の髪の男が大剣を持って跳躍し、ヴラマンクに振り下ろさんとしていた。


「ちっ!」

 跳び退って避けたところを、黒い獣へと変貌したペギランの鉤爪が襲う。一撃で石畳の地面が割れ、礫塊れきかいが舞った。


「目を覚ませ、ペギラン!」

 鉤爪の猛攻をなんとかしのぎながら、ペギランに声をかけ続ける。一瞬でも気を抜くと、炎色の髪の男が死角から精確に首を獲りに来る。


「それでも騎士たちを束ねる大献酌だいけんしゃくか! ペギラン!」

 その言葉はほぼ絶叫に近かった。


 だが──、必死の叫びに、ペギランの動きが止まる。

 ペギランは糸の絡まった操り人形のようなおかしな動作で振り返り、炎色の髪の男にその鉤爪を振るった。


 男は軽々と跳躍し、難を逃れる。男のいた場所には大穴が口を開けていた。


「ちっ、先を急ぐんだがな」

 そう吐き捨てると、男は大剣を横薙ぎに払った。あまりに自然な弧を描いたため、素振りでもしたのかと思ったが……、その軌跡の途中には確かに、ペギランの脇腹があった。

 噴き出した血が男の横顔を汚す。ペギランの体を覆っていた銀は体の表面をしたたり落ち、小さな淀みを作った。淀みから、銀が自分の意志を持つかのように浮かび上がり、男の大剣に吸収されていく。


「今度こそ本当に終わりだ」


 あまりに非現実的な光景に、一瞬、反応が遅れた。ぎらつく大剣の切っ先が、ヴラマンクの眼前に迫る。


「王さま!」

「ダル王!」

 その時、路地裏にふたつの声が響いた。


「マクィーユ!? なぜ、ここに?」


 炎色の髪の男が、驚愕の声を上げる。男の勢いは止まらず、その剣先がヴラマンクの首をはねんとした、寸前──、ヴラマンクは横合いから弾き飛ばされた。

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