第77話池は(1)

清少納言先生:今日は池の話です。

舞夢    :それでは、訳をしてみます。


池は かつまたの池。磐余いわれの池。

贄野にえのの池、

初瀬に詣での折りには、水鳥が一面に池にいて、飛び立ったり鳴き騒いでいる姿が、本当に興味深かった。

水なしの池というものがあって、名前が不思議です。

その水なしと名付けた理由を聞いたところ、

「五月ごろ、すごく大雨が降るだろうという年は、この池の水がなくなります。また、本当に日照りが続くだろうという年には、春の初めに池に水が多く湧き出るのです」と言って来たので、ずっと全然水が無ければそういう名前もあるのだろうけれど、水が湧き出る時があるので、「少し一方的な名前の付け方では」と言いたかった。


清少納言先生:お疲れ様です。

舞夢    :かつまたの池は、唐招提寺と薬師寺の近くの大池でしょうか。

清少納言先生:万葉集にある歌からで「勝間田の池はわれ知る蓮なし然言ふ君が髭なき如し」です。

新田部皇子が「今日、勝間田の池で蓮の花を見て来ました。あの池の花は特にきれいです。池の水が日のひかりにキラキラと輝き、その中に蓮の花が咲いているですよ.

その見事なこと、どう話したらわかってもらえるのでしょうか」と問いかけて、

その愛人でしょうか

「あら、勝間田の池に蓮なんかあったかしら、あの池に蓮の花が全然ないことぐらい、わたし知っています、髭ないのと同じで嘘ばっかり言って」と応えたとの話。

つまり、きれいな花は、他の美しいご婦人でしょうって妬きもちですね。

舞夢    :それはそれは・・・面白いですね。

清少納言先生:磐余の池も万葉集で「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」大津皇子様の御歌で「磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を最後、僕は雲の彼方に去って行く」になります。謀反の罪で断罪される前に詠まれた御歌です。

舞夢    :これも、なかなか、心に沁みる御歌です。

清少納言先生:京都から初瀬の道中に贄野の池があります。とにかく水鳥が多かったなあ。

舞夢    :水なしの池も近くですか?

清少納言先生:ついつい、変な名前だったのでね、書いちゃった。

舞夢    :作物を育てる場合は、水がないとかあるとかが一番重要なもののひとつで、水がないと予想できる時にあったほうが、ありがたいのでしょうか。

清少納言先生:いや、そこまでは考えていないよ、ただ変な名前だから、そう書いただけです。


おそらく初瀬参詣の折りにいろいろ聞いた話から書いている部分もあるのだと思った。感じることは万葉集も、もう少し勉強をしないといけない。

とにかく、そうしないと講義についていけない。

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