第78話池は(2)

清少納言先生:続きをお願いします。

舞夢    :了解しました。


猿沢の池は采女が身投げをしたとお聞きになった帝が、哀れんで行幸などをなさっており、強く心に残ります。「寝くたれ髪を」と柿本人麻呂が詠んだ時のことなどは、言葉では言い尽くせないほどのものがあります。

御前の池とは、どうしてそんな名前をつけたのか、知りたくなります。

かみの池、狭山の池は「狭山の池のみくりこそ」という歌から、何かを感じさせるものがあるのでしょう。

こひぬまの池、はらの池は「玉藻な刈りそ」と詠んだ人がいるのも興味を惹かれます。


清少納言先生:お疲れ様です。

舞夢    :猿沢の池は、奈良に行くと必ず見ます。そこからの興福寺五重塔は絶景です、大好きな場所です。

清少納言先生:あら、そうなんだ。それはうれしいなあ。まあ、采女が帝の寵愛が減ったことを悲しみ、身投げをしたんだけれどね。

人麻呂の歌は「わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」つまり「愛しいあの子の寝乱れ髪を、猿沢の池の藻として見るのは真に悲しい」という哀歌です。

舞夢    :御前の池も奈良ですね。

清少納言先生:「御前」という言葉は帝の前を意味するので、軽々しくは使えないんだけどね、違和感があるの。

舞夢    :そうするとかみの池もそうですか。

清少納言先生:神聖なものなので、そう感じます。

舞夢    :狭山の池も歌からですね。

清少納言先生:「恋ひすてふ狭山の池のみくりこそ引けば絶えする我やねたぬる」つまり「狭山の池のみくりを引き抜けば根が切れて枯れてしまうというけれど、私の恋も彼の通いが絶えてしまうことがあるのでしょうか」からです、なかなか趣がある歌です。

舞夢    :こひぬまの池も、恋ぬ間とか、言葉の感性ですね。

清少納言先生:そうです、そこではらの池は「鴛鴦たかべ鴨さへ来居るはらの池のや 玉藻は真根な刈りそや」つまり「オシドリやコガモ、カモが集う、はらの池で、鳥が水草を必死で採っている。水草を採らないで。根こそぎ採ると水草がなくなってしまうから」という歌です。まあ、面白い歌です。


つけられた名前から、詠まれた歌を考える、知的な遊びの一つ。

万葉からの歌の知識がないと、なかなか理解は困難。

しかし、苦労しながらも、古代に思いを浮かべる、それは先祖でもある古代人への供養ともなる。

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