第4話思はん子を法師になしたらんこそ

思はん子を法師になしたらんこそ、心苦しけれ。

ただ、木のはしなどのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。

精進物のあしきをうち食ひ、い寐ぬるをも。

若きは物もゆかしからん。

女などのある所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらん。

それをも安からずいふ。

まいて驗者などのかたは、いと苦しげなめり。

困じてうち眠れば、「ねぶりをのみして」など、とがむるも、いと所せく、いかにおぼゆらん。

これは昔のことなり。今はいとやすげなり。


清少納言先生:今日はこれです。

舞夢    :愛おしい子供を、法師としたのは、本当にお気の毒です。

       世間の人から、法師などは、ただの木の端かのように軽くて

       人間扱いされていないことなど、本当に可哀そうなことです。

       精進物とか言って、美味しくもないものを食べ寝ることさえ、

       あれこれと批判されます。

       若い人なら、好奇心だってあるでしょうに。

       女性たちが集まっているところを、どうして忌み嫌ったかのように

       何にも顔を出さないでいられるのでしょうか。

       それだって、世間の人は、とんでもないと、非難しますが。

       増して、修験者なんて、本当に苦しそうです。

       加持祈祷に疲れ、ついうとうとすれば「居眠りばかり」と非難され、

       特に法師は、窮屈で、つくづく辛そうです。

       もっとも、昔の話で、今はお気楽みたいです。

  清少納言先生:まあ、現代語訳なら、そんなものかな、大方OKです。

  舞夢    :はい、助かります。

  清少納言先生:つまり、生身の人間にね、そんな足かせ手かせして不自然なの。

  舞夢    :美しいものは美しく愛でるべきってこともあるし・・・

  清少納言先生:窮屈で、ガチガチ固まった考え方とか、態度が私には合わない。

  舞夢    :最後の文は、わざわざ何を?

  清少納言先生:ああ、今は絢爛豪華の生臭坊さんが増えているから、

         ちょこっとね、批判したの。

         ところで、加持祈祷ってね・・・

  舞夢    :はい・・・

  清少納言先生:まあ、病気は「物の怪」が原因とされてね、調伏させるの。

         修験者は、依頼があって出向いて、手には印を結ぶ。

         口には陀羅尼経を読んで、ヨリマシに物の怪を移らせる。

         それで、病人から物の怪を出して調伏となります。

  舞夢    :時間もかかるんですね、それで修験者さん、疲れるんだ・

  清少納言先生:修験者さんだって、調伏できて当たり前だしね、何時間も、

         同じお経を目を閉じて唱えていれば眠くなるさ。

  舞夢    :それを責められるのが、可哀そうだと。

  清少納言先生:まあ法師にしろ修験者にしろ別世界と言えばそうなんだけどさ。

  舞夢    :不自然にして、割り切れない部分があると・・・ですか。

  

  清少納言先生は、美しさ、趣があることを、全てに評価の基準としている。

  確かに、不自然な肩ひじ張ったものには、何ら美しさもない。

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