三色の精霊
……。
「ーーふゥー」
まっすぐとは言えない、枝そのままのように折れ曲がった煙管から煙を自然呼吸で吸い込み、大きく吐き出す。
日本の煙草の味とは違う柑橘系の混ざった香りと刺すように肺に入ってくる煙は新鮮で、いやしかし美味い。
あれからしっちゃかめっちゃかになった部屋を片付けていたらすっかり夜も更けてしまった。
ナズナは自分の分までやるので座ってろとうるさかったが、元はと言えば自分の好奇心が招いた結果なのだから、ただ座っているだけではいたたまれない。
鼓膜を震わす虫の声はここまでうるさいと思ったことはなく、食後の一服も兼ねてフージュに煙管の吸い方を教えてもらい、土間に足を投げ出して煙を燻(くゆ)らせている。
三、四口ごとに葉を変えなくてはいけないことと、雁首が木製なので焦がさないように気をつけなければいけないのは面倒だが、これはこれで味があって良い。
いつかはパイプにも手を出そうと思っていたのだ、手間をかける良い練習だと思っておこう。
「空気に重力に風……遍く神ってのは伊達じゃないってことか」
寝転がって体を伸ばし、燃え尽きる寸前の葉を囲炉裏端に煙管を叩きつけて落とす。
コン、と硬い木がぶつかる音が心地よい。
「おい、そんな使い方してたらすぐにダメになるぞ。 落とす時は手のひらに叩きつけろ」
最後の一掃きとばかりに土間に向かって、散らばった囲炉裏の灰を土間に掃き出すフージュに注意された。
時代劇なんかではよく女郎がカンと音を立てていたが、あまりよろしくないのだろう。
「ぁーい」
この手間もまた、いつか愛おしいと感じる時が来るだろう。
好きなものに面倒を惜しんでいてはいけない。
そしてタルカの精霊の名前も決まった。
「ヒュネ」
『なんだあ』
空気を扱う赤い妖精が、猫の甘える仕草のように肩から頰をこすりつけてくる。
これは単純に、神の言葉とやらで『赤』という意味だ。
日本語の色分けは安直だと切って捨てたくせに、自分たちの言葉で言い換えたら気にいるとは、彼らの神は気まぐれだというのがよく分かる気がする。
ちなみに彼女だけに名前をつけた後に力を使ってもらったら、表面が乾いただけの肉塊がまるでフリーズドライにでもあったかのようにボロボロになった。
それですら、なるべく抑えてもらったのだ。
つまりは、ただ手を突き出すだけでその場に真空を作り出した。
名前をつけるという効果がどれほどのものか思い知らされた。
「シウ」
『おうよ』
重力を司る、緑の男の妖精。
これも単純に『緑』。
ただここで困ったのは、神の世の言葉に色に関する言葉が少なすぎるという点だった。
あるのはたったの四つで、赤、黒、白、そしてあろうことか青、緑、黄の三色は同じ言葉で表すらしい。
重力という名前にしてやろうとも思ったが、どうやら重力という言葉は神の言葉にはないのだと。
そもそもムラツユやフージュ、ナズナすらも首をかしげていた。
概念すらないとは、いかにあるがままを受け入れて生きてきた民族なのかを思い知らせてくれた。
そして緑とかぶった黄色の精霊。
「ホコロ」
『しょうじきすまぬー』
間延びした喋り口調の、風を操る精霊。
色がかぶるのならば、それに似た色のものを名前にしてしまおうと考えた。
黄色といったらなんだろう、と思いついたものは『卵の黄身』だった。
我ながら真っ先に出てきたものが食べ物というのは食い意地が張っているようで恥ずかしいが、先日の真っ黒ペーストのせいで卵は強烈に印象づいていたのだ。
ちなみに未だに性別はわからないし、そもそも精霊に性別なんていう概念があるのかすら謎だ。
聞いてもはぐらかしているのか質問の意味を理解していないのか、トンチンカンな答えが返ってきたので諦めた。
「……まあ、お前らもよろしく頼むよ」
言いたいことはあるが、それを彼らは聞き届けてくれるだろうか。
先ほど話していてわかった。
名前をつけてから精霊たちは余計に懐いてくれるようになったが、殊更自分以外のヒトについて全くの無関心だ。
フージュやムラツユさえも、ヒトとしては認識しているがそれだけだ。
きっとこちらが気をつけないと、下手すると危害を加えてしまうだろうというくらいに。
「それにしても……さすがタルカの精霊ですね」
ようやく掃除し終わった床に四人分の寝具を敷布団を敷いた。
さすがに狭い気がする。 一番端を見れば片や壁に布団が引っかかり、片や囲炉裏瀬戸際だ。
危ないのではないだろうか。
「んー、毒もすごいんでない? 薬にもなるんだろ」
「何がすごい、すごくない、ではありませんが実際にタルカのお力を見たことがなかったものですから」
「そうなん?」、と投げ出していた足を座敷にあげると、バランスを崩したヒュネが肩から落ちた。
案の定憤慨されたが、今回は後引くことなくすぐにプイと顔を背けて姿を消した。
いつの間にかシウとホコロの姿もない。
「タルカの神と儀を行ったものは今より五百……年、でいいと思いますが、それほど前に一人だけでした」
「ごひゃ……マジで」
そりゃ珍しいはずだ。
「ナズナ達は雪の季節からクマが目を覚まし、その御姿を見かけて一季と考えておりますのでアサタ様の世とは時の流れ方が違うと思います。 おおよそと考えていただければよろしいかと」
「そりゃ随分アバウトだな」
暦がないのか。
それどころか、細かい時間の概念もないとの事なので今更かもしれないが。
「さって……明日も買い出しだ。 俺は山にスクム様の様子を見に行くついでに狩りをしてくるから、頼んだぞ」
そう言って囲炉裏に一番近い布団にさっさと包まって横になってしまった。
腕の傷が少々痛むが、今寝てしまって明日の朝にまた薬と麻酔をしてもらおう。
フージュの横の布団に潜り込もうとしてナズナに袖を引っ張られた。
「こちらの方が上等な布団です。 是非こちらに」
と言って、その一つ隣の布団をぽふぽふと叩いている。
そこに寝るというのは、つまりのこと両脇を女性が寝るということである。
「いやいやいや、いいよ、俺フージュの横で寝るから。 むしろそっちの方がいい」
そう発言してしまい、フージュは獣の糞でも見るような目で見てきた。
失言だったのは認めるが、若い女性に挟まれて熟睡できるほど経験豊富ではないのだ。
「私もその方がよろしいと思います。 というのも、入り口近くは我ら露払いにお任せ下さった方が何かと都合がいいので……」
「それ……」
それは危ない、と言いかけて口をつぐんだ。
彼らは彼らの理念に沿って行動しているのだ、それに口を挟めるほど自分はこちらの世界に馴染んでいないし、何よりシトギとやらでその役目を認めている。
この言葉を発するということは、その契約を反故にしてしまうようで憚られた。
なので言葉を変える。
「……ほら、前はフージュ、反対側をムラツユで寝てもらって、体のでかいフージュの陰に隠れるような形でいれば安全なのかなあって」
「うるさい。 いちいちそんな事を気にせず寝ろ」
腰を蹴られてよろめいたところに、すかさずムラツユが滑り込んできた。
まるで猫だ。
そしてその顔に一瞬いたずらっ気の強い笑みが浮かんでいたのを見逃さない。
「ふふ、もう寝ましょう。 もう今日はお疲れでしょうから」
さらりと髪結いを解くと、強い花のような香りに頭がくらりとくる。
「わかった、わかったよっ」
煙管用具や硬い装飾品を外して、勢いよく掛け布団代わりの着物をかぶった。
壁側からはナズナが布団に潜る音が聞こえてきて、視界がない状態でその音を聞いていると非常によろしくない気分になる。
自分だって男なのだ。
「灯りを消します。 おやすみなさい」
すると家の中はたちまち何も見えないほどに暗くなった。
同時に気温も一気に下がったように感じる。
山間部だから夜間の冷え込みは酷いのだろうか、気温どころか世界すらも息を潜めたように静まり返る感覚は、林間学校の夜を思い出す。
ムラツユが布団に潜る音を聞いて布団から頭を出し、なるべく意識を虫の聲に集中して固く目蓋を閉じた。
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