四人は狭いよ

……。


 カフェと自宅の往復をしていただけの出不精人間には少し辛い一日だった。

 行く先々で買い物の合間に長い立ち話、あまつさえ茶を出されまでもして世間話に花を咲かせた。

 やれ今季の山菜は出来が悪いだの、旦那の文句だの、どこそこの川の魚は太ってて良いだの、こちらは荷物を抱えているのにムラツユが笑顔で答えるものだから、太陽はとっくに沈んだ中で家路を辿る羽目となった。

 道は月明かりに星明かりが明るく足元に不安はなかったが、足と手が枯れ枝のように悲鳴をあげている。


「まとめて買いすぎましたか……」


 片腕が使えない自分の代わりに、ムラツユは両腕と背中に縄で縛った荷物をぶら下げて共に道を戻る。

 背中に背負うと言っても、あくまで荷物が背中にあるだけ。 これがなかなか面白く、頭に縄を引っ掛けているのだ。

 こうすればいざという時に頭を振れば荷物を落として身軽になることができると、機能性の高い知恵のようである。 


「買い物をする女ってのはどこも変わんないんだなぁって思ったよ」


「あ、あはは……申し訳ありません」


 そして麗人で所作美しい完璧な女性のイメージだったムラツユは、意外にもとっつきやすい人物なのだということがわかった。

 村の人は過去のいたずら話や村を騒然とさせた失踪事件などを面白おかしく話してくれたのだ。 その度にムラツユは顔を真っ赤にしてあわあわと暴れ、手近なもので頭を小突かれる。 そんな天丼で散々笑わせてもらった。

 おかげで自分が一方的に引いていた線を内側にずらすことができた。

 ムラツユも少し砕けた調子になっているかもというのは、勝手な思い込みかもしれないけれど。


「それにしても、わがまま言っちゃってごめんな」


 そんな自分な腰帯には靴ベラのような形をした、装飾が丁寧に施された木製の煙管(キセル)差しが挿さっていた。


「いえいえ、煙草を喫まれるとわかっていたら先にご用意していたのですが」


「そんなんわかるはずもなし、後で吸い方教えてよ。 紙巻じゃないのは初めてなんだ」


 煙管差しと煙管、そして煙草入れ。

 商店街で嗅ぎ慣れた煙の匂いを嗅いだ時に体はすぐに反応して、思わずムラツユにおねだりをしてしまった。 ヘビースモーカーであるとは認めたくないが、一日煙を体に入れないだけで妙な違和感がするのだ。

 雑貨屋で買ってもらった時には自分でも子供かと思うほどに目が輝いていたに違いない。

 雁首すらも木製の喫煙具、おまけに煙草は経験のないもの。

 これで心が昂らない愛煙家はいないだろう。


「私は成人した時に一度吸ったきりでして、フージュの方が上手だと思います。 ……あら」

 

 ムラツユの声色が上がった事に気付き目線を正面に戻すと、家からは暖色の光が漏れており、肉の焼ける煙臭さが漂っていた。


「フージュたちはもう戻っておりますね。 少しゆっくりしすぎてしまいました」


 困ったようにはにかむ顔が光に照らされ、彫りの深い顔に影が差す。

 自分とムラツユは荷物を一度持ち直して足を少し早めた。


 ……。


 たち、と彼女が言った意味は、入り口の暖簾をくぐった時にわかった。


「お帰りなさいませ、アサタ様」


 そこには手のひらをしっかとつけ座礼をするナズナと、呆れたような顔を肩越しに見せるフージュがいた。

 囲炉裏では黒味の強い肉が枝串に刺されて焼かれており、脂が滴るたびに白く煙が舞っている。

「お持ちします」とナズナに荷物の大半を奪われて体が軽くなった。


「さ、さんきう。 どしたん、一緒にメシでも食うんか」


 それを聞いたフージュは「もう忘れたのか」と眉間にしわを寄せる。


「ナズナはお前の世話役だろう。 今日から共に過ごすんだよ」


 ナズナを見やると相変わらずの無表情で荷物を整理している。

 世話役。 馴染みのない言葉だが、いわゆるメイドさん的なものだろうか。

 「分からない事が分からない」今の状態において、変換役として常にそばにいてくれる存在がいるというのはありがたいことだ。


「そっか、じゃあ改めて今日からよろしくな」 


 そう声をかけるとナズナはしゃらりと装飾を鳴らせて、座礼で応えてくれた。


「アサタ様の世のことは祖父より聞き及んでおります。 勝手の違う世においてご不便と思われることも多いと存じますが、その際にはどうかナズナを使っていただければ幸せです」


「うぅ……すまん、なんていうかもう少し堅苦しくない話し方ってできないんかな」


 あまり人間の出来ていない自分にそんな畏まられるとじくじくとくすぐったい。

 それを聞いたナズナは納得できないように首をかしげるだけだったが。


「まあ、そんなこたぁ後でいいだろ。 今は目の前の肉が焦げない内に腹に入れることが大事だ」


 朝食を食べて知った。

 この世界の食べ物は非常に日本人好みだ。

 脂の匂いが充満しているこの家に入った時から、実は次から次へと溢れるよだれを飲み込む為に喉は忙しなく働いていた。


「私たちは荷物を整理し終わってからいただきますので、どうぞお先に」


 ムラツユもそんな喉の動きを見てか可笑しそうに笑った。

 それならば遠慮なく先にいただくとしよう。

 囲炉裏端に座ると分厚くぶつ切りにされた肉が炭火を反射して赤黒く輝いていた。

 

「なあフージュ、これってなんの肉なん」


「鹿だよ。 なんだ、食ったことないのか」


 それからフージュは毒味といわんばかりに灰から一本抜くと、大口を開けて肉の塊にかぶりついた。

 肉汁が口の端から垂れて一筋の流れを作り、胸元から取り出した布切れでそれを拭う。

 そんなものを見せられてはもう黙っていられない。 肉汁ではなくよだれが滴りそうだ。

 同じように一本抜くと持ち手の枝はすでに滴る脂でねっとりとしていた。 甘い肉の香りが食欲を刺激する。

 あっさりとした和の料理が好きなのだが、ベジタリアンでない限り肉にときめかない男はいない。 カロリーだなんだのと気にしていては人生面白くもない。

 食こそ生物にとって最大の喜びであり楽しみだ。

 一口齧ればあふれ出る肉汁の奔流が塊で食せと強制してくる。 塩を軽く振られただけの肉はさっぱりとした味によくマッチしていて、脂の甘みを最大限に生かしていた。

 それでいて全く油っこくないので、二口、三口と咀嚼が止まらない。


「はっはァ、良い食いっぷりだなあ」


 口角を吊り上げるようにしてフージュが笑う。


「鹿肉、初めて食ったけどすごい美味いな」

 

「こいつをかけるとさらに美味い」


 渡された木製の容器の蓋を外すとツンとした匂いが辺りに漂う。

 少し振りかけてみると、粉末状にしたにんにくらしかった。

 にんにくと肉。 こんなの合わないわけがないじゃないか。

 残りの塊に振りかけ、ガーリックステーキとしていただいた。 若干感じていた獣臭さは見事に打ち消され、にんにくと甘い肉の香りが鼻の奥から吹き抜ける。

 弾力があってプリプリした肉質は新鮮だからだろうか、こんなご馳走を食べれるのならこちらの世界も悪くない、そう思った。


「アサタ様」


 ふぐ、と思わず緩んでいた顔を元に戻した。


「一通り荷物の整理が終わりました。 他に何かすべきことはあるでしょうか」


「えぇ、それならメシにすりゃいいんじゃない? 俺が用意したわけじゃないから素直にどうぞとは言えないけど」


「わかりました。 ありがとうございます」


 ……これではまるで機械だ。

 あぐあぐと肉汁に気をつけながら咀嚼する姿は小動物のようで可愛らしいのだが、どうも人間味が感じられない。


『おいアサター、あたしらにもくわせろよー』


 不意に耳元から声がかかって食べ終わった串を囲炉裏に放り込んでしまった。

 炭とは違う、水気を含んだ木の燃える煙が目に沁みる。


「あーもうびっくりするなあ。 ムラツユ、精霊がメシくれって」


 幸せそうな顔で一口目を口に入れようとした所だったらしく、見事に大口を開けている所を目撃してしまった。

 今日一日で随分と意外性を発見しているかもしれない。


「すみません、私ったらまた……」


 蛍光灯と違う暗めの暖色照明だというのに顔が赤くなっているのがよく分かる。

 肌が白いのでなおさらだ。

 そしてムラツユは木皿に新しい串から肉塊を一つずつ取り分けると、そのうちの一つを手渡してくれた。

 そして三人の精霊は手の上の木皿に群がる。 手乗りの鳥に餌を与えている気分だ。


『ずいぶんなことをかんがえてんな、ダンナ』


「うっ……」

 

 思考は顔に出にくいと思っていたが、精霊からしたらそんな機微など関係ないのかもしれない。


『かんけいないねー』


 と思っていたらまたも心の内を当てられ、さすがに驚いた。

 こいつらは自分の考えている事がわかるとでも言うのだろうか。


「なあナズナ……いや、誰でもいいや。 精霊ってもしかして心の内読めたりするんか」


 ナズナは精霊と契約してないとカンサスが言っていた気がする。

 ならばこの質問はイパ衆二人に問いかけた方が良いだろうとも思ったが、わざわざそんなことをしなくとも本人が答えてくれた。


『そりゃわかるよ。 だってつながってるもの。 じゃなきゃおはなしもできないでしょ』


 口を開こうとしたフージュに手のひらをだ突き出して、少し待ってもらった。

 たとえそれが理解に苦しむ返答だとしても、聖徳太子ではないのだ。 いっぺんに話されても聞き取れるはずがない。

 そして手を下ろすと同時にフージュが話し始めた。

 これは不便だ。 


「精霊、お前にとっては神だが、道を繋ぐってことは自らをさらけ出すということだからな。 それで」


 いつの間にか食べ終わっていたムラツユが、絶妙なタイミングで水を出してくれた。

 脂で生温かくなった口内をつ冷えた水が洗い流してくれる。

 フージュもそれを一息に飲み干すと、会話を続けた。


「名前は決めたか」


 その言葉にムラツユとナズナもこちらを振り向く。

 これを急かされるのはなんとなくわかっていた。 前日精霊たちは『名前は道を強くする』と言っていた。 これはつまり精霊、ひいては神の力を存分に引き出すことができるということではないだろうか。


「なあ、赤いの」


『なんだあ?』


 だから名前を決める前に、彼らの力とは何かということを知りたかった。

 これは単純に興味本位なのだけれども。


「そのお、タルカの力ってやつ試しに見せてくれないか。 ほら、ムラツユの毒みたいなやつ」


 名前の案はすでに考えているのだが好奇心には抗えない。

 存分に引き出せないと言っても、どうやらクミルというのは特別な存在らしいし神の力をも使えるというのならばよほど強いものなのだろう。

 もしかすると名前をつけた状態で迂闊に使うと人が死ぬほどのものかもしれない。

 見極めは大事だ。


『んー……なまえは?』


「見せてくれたらつけてやるって、な?」


『わかったよ』


 そう言うと赤い精霊は先ほど群がっていた、とっくに味の抜けているであろう肉塊に近づき、


『ほっ』


 両手をその肉に向けて突きだした。


『おわったぞ。 なまえよこせぇ!』


「待て待て、何したんだ?」


 木皿に乗っていた肉は何も変わっていなく、時間が経って表面が少し乾いたぐらいだ。

 ……そう、表面が乾いていた。

 あんなに肉汁滴るほどに、ろうそくの光を反射するほどに輝いていた鹿肉は赤黒く硬そうなものに変わっていた。


「……まじで何したんだ?」


 触ってみると肉はガサガサに乾燥していた。

 手に持って見てもうっすらと脂の残りがつくだけで、串を持っただけでベタベタになったはずの油気はどこにもない。

 木皿の底は干上がった湖のようなひびが走っている。


「これは……乾燥させるってのがお前たちの力?」


 そうだとしたら、あまりにも地味すぎる。

 少し肩透かしを食らった気分だ。


『あたしはかあさんからクウキのチカラをかりてるんだよ。 なまえくれたらもっとちからつかえるから!』


「空気……? あたしはってことは、もしかしてお前ら別々の力が使えたり?」


 すると今度は緑の精霊が一歩前に出てきた。

 両手を頭上に掲げると、


「ん……んう?」


「何か体が……重いような……」


 少し猫背になったムラツユが体をかき抱くように自身の両腕をさすり始めた。

 確かに、少し体が気だるいような感じがする。

 しかしそれも緑の妖精が手を下ろすと同時に消え去り、急に体が軽くなったように背筋がシャンとのびた。


『おれはチがしばるちからをかりてんだ』


「ち、血、地……が縛る力……で、体が重くなる」


 いまいち的を得ないが、地と重くなる、という言葉だけを考えれば。


「重力か?」


 だとしたらとんでもない。

 重力を自在に操れるとしたら、それはつまり無重力を作り出せるということか。


「で、黄色いの。 お前は」


 準備してましたよ、と言わんばかりに勿体つけるように片手を上にあげた黄色い妖精は、そのままくるくると回りだした。


『えい』


 掛け声と共に片手を横薙ぎに降ると、部屋の中だというのに突風のように風が吹く。

 壁に掛けられていた蓑やからになった木皿、棚に入っていた軽い乾燥した植物が耐えきれずにひっくり返るわ吹っ飛ぶわ、挙句に囲炉裏の灰もひどく舞うわで収集がつけられなくなってしまった。



「わ、ちょ、待った待った待った! ストーップ、止めろォ!」


 黄色い妖精が再度片手を挙げると、部屋に飛び込んできた風はぴたりと静まった。

 これはもうわかる、一目瞭然だ。


「……風かぁ」


 ぐちゃぐちゃになった部屋を見渡してため息を吐く。

 片付け、手伝わなければ。

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