朝食賛歌

 ……。


 一夜が明けた。

 こちらで意識が途絶えれば日本に帰れるかとも思ったがそう都合よく物事が進むこともなく、目を開ければムラツユが囲炉裏で朝食を作っている姿があった。


「おはようございます。 あと少しで煮えますので、もう少しお休みいただいていてもいいですよ」


 囲炉裏の上の鍋には山菜や野草、そして肉がくつくつと湯気を立てて煮られている。

 四方を山に囲まれているので日の入りが悪いのか外はまだ薄暗く、そして昨日の暖かさが嘘のように冷え込んでいる。

 昨日あまり酒を飲まなかったおかげで二日酔いということはなかったが、酷く喉が渇いた。


「おはよ。 大丈夫、起きるよ」


 声を出してみれば喉が引っ付いたような声だ。

 喉が渇いた旨を伝えると、ムラツユは入り口の甕に水があると教えてくれたので、この冷え込みで冷たくなっている水を手酌で飲んだ。

 酒の後に飲む水はうまいと母親の言っていたことがよく分かる。

 ねとつく口内をよく冷えた水が洗い流し、同時に火照っていた顔も冷めていく。


「そちらに歯を磨く枝と磨き砂がありますので、よろしければお使い下さい」


 言われるがまま真新しい枝を手に取り、少し逡巡する。


「えー……と。 使い方が……」


「そんなもんこうだ、こう」


 折よくフージュが外から帰ってきて、小枝を箱に詰まった砂の中に掻き入れてそのまま歯を擦った。

 真似すると口の中に砂の独特な味が広がる。


「うへぇ……まずい……」


 かしかし歯をこすると、味はともかく砕かれた枝先がいい塩梅で擦っているという実感がある。

 

「ハッカが欲しけりゃあ自分で摘んで来るんだな」


 朝食を食べる前に歯を磨くのも妙な感覚だが、それでも口の中は完全にさっぱりとした。

 フージュに付いて口をゆすいだ水を外に吐き出して辺りを眺むると、他の家から軒並み煙が上がっていた。 中には弓を担いで歩き回っている人もいる。

 ふと、一人の男性と目が合う。


「おう、アサタ……だったよな。 宴は満足だったか」


 ブーツ状のがっちりとした草鞋を履いた男性が声をかけてきた。

 腰には短剣、背中には弓を背負っていて、荒々しく生えた髭が白い。

 ヌサの村には男性は髭を伸ばすという習慣でもあるのだろうか、と思えるほどに蓄えている人が多い。

 彼は今から狩りに行くんだと教えてくれた。


「おっとボダイさん、今日はカエデの森の先は辞めといたほうがいい」


 後ろからフージュがその男性に声をかけた。

 二人とも身長が高いので、自分の頭越しに声が飛び交う。


「あ? ……あぁ、スクム様、やっぱ来ちまったかぁ」


「もうクムンパのすぐそこまで来ていた。 明日あたりはもうまずいかもしれん」


「ハラエは? まさかクミルがいるってのに放っておくわけじゃないだろう」


 そこでフージュはちらと自分を見た。


「できれば今日中……と言いたいが」


 しかし視線はすぐにボダイと呼ばれた男に戻る。

 ボダイは堅そうな髪の毛を掻きむしり、弓と矢筒を背負い直すと、


「わかった。 今日は沢の方に行く事にする。 魚も必要だしな。 アサタ、頑張れよ」


 と言って去って行ってしまった。

 彼らの会話の節々に出てくる単語は未だ理解出来ないが、それでも言語体系が日本とほぼ同じというのは救いだ。

 言葉の通じない異国に一人放り出されたとして、しかも物騒な武器を携えているのならきっと自分は冷静ではいられない。


 家へ戻るとムラツユが朝食を取り分けているところであり、ほんのり香るにんにくの匂いが食欲を刺激する。

 木製の器に木製の匙、鍋こそ金属製だったがその他多くのものは木製だった。


「いただきます」


 囲炉裏を囲んでの食事。

 冷えた体に炭の熱がじんわりと染み込んできて暖かい。


「どうぞ、お口に合うといいのですけれど」


 ムラツユは少し不安そうに尻切れで話す。

 一口汁を啜ってみると唇が火傷しそうなほどに熱く猫舌には少し辛かったが、鼻に抜ける風味は自分のような異郷の人間にも合うものだった。

 少し草の香りは強いもののにんにくの香りのいい抑えになっていて、そこに後からやってくる脂の香りは重く、素朴な料理かと思えば意外にも腹に溜まる予感をさせる。

 木匙で野草と白くほろほろと煮えた鶏肉のようなものを一緒に冷まして口に入れると、動物性のガラだしのような旨味と野草の歯ごたえ、香草のものか噛めば鼻を突き抜ける香りが噴出する。塩であっさりと味付けされた汁をよく吸っていて、肉はコリコリとした食感が楽しい。

 

 食事は団欒の時でもあるが、昨日の混乱で宴会の料理にほとんど手をつけていなかったため腹が減っていた。

 にんにくの匂いが空腹を呼び起こし、匙で具を掬い上げて汁が冷めきらぬうちに口に運ぶ。熱さで涙目になろうと咀嚼し嚥下すれば腹の底から体が温まるのだ。

 歯を磨いた口直しとしても、汁物というのは口内中に広がるので良い。

 そうしているとあっという間に平らげてしまった。

 それを見ていたフージュとムラツユも自分のことをぽかんと惚けた顔で見ていたが、うっすら汗ばむほどに夢中で汁を啜っていたので、そのことに今更ながら気づいた。


「なんだよ、ジロジロ見て」


「いえ、すみません。もう一杯お召し上がりになりますか?」


 未だ湯気立ち上る椀を差し出すと、先ほどよりも具を大盛りによそってくれた。

 それを受け取ると、ムラツユは少しほっとしたように笑う。


「気に入っていただけたようで良かったです」


 そういってようやく自らの椀に手をつけたようだった。


「そうだ、お前精霊に与える名は決めたのか」


 フージュが豪快に音を立てながら汁物を口に運ぶのとは対照的に、ムラツユは上品なものだ。

 しかし豪快だからといって決して汚いわけではない。見苦しくなく、いかに早く腹に食物をぶち込むかという荒々しさとでも言えばばいいだろうか。


「ん……昨日の今日で決まらないって」


「早く決めてやれ。 旅に出るのもハラエを済まさないといけねえから」


 あっと言う間に一杯平らげたフージュも鍋からお玉にごっそりと盛ってよそれば、もう鍋にはほぼ汁しか残っていない。

 

「ハラエっていうのは何なん? さっきもその言葉を聞いた気がするけど」

 

 よそいたての熱さも構わずかきこんでいるフージュに対して、自分は今度は味わって食べようと冷ますために手を休めている。

 その質問はムラツユが答えてくれた。


「 長(マタン)がお話していた、アサタさんの無防備に開いている道に縋ろうとする、スクム様とのご縁を切るために必要なことです。 儀式と言うには荒々しいのですが……」


 言葉を濁されても、もう既に昨夜の時点で腹はくくっている。


「もう、なんでもいいから何をすればいいかだけ教えてくれ……。 できる限りは協力するからさ。 それに二人とも助けてくれるんだろ?」


「もちろん、私達はアサタさんを御守り致します。 しかし、スクム様とのご縁を断ち切るにはクミルのお力が必要なのです。 つまり」


「お前がスクム様を神の世に還さねばならん」


 あっさりと二杯目を胃袋に流し込んだフージュが会話に割り込んでくる。

 甕の水で椀をざっと洗い流すとそれを棚にしまいこんだ。不衛生とも思ったが、ここで異文化なのは自分なので口には出さない。


「精霊を通して神の力を使えるのは俺達も同じだが、神と道を繋げるのはお前だけだ。 スクム様も荒ぶるしかできないが神。 俺達にはどうしようもない」


「つまり、何をすりゃいいんだってば」


「普通はただ祈りを捧げてお許しいただくように願うだけだが、それは大方失敗する。しかしクミルはハラエを行って、こちらから縁を切ることが出来るんだ。 そうすればスクム様は諦めて神の世に還る」


「縁を切るって言われたって……」


 迷惑なので付きまとわないでください、とでも言えば諦めてくれるのだろうか。 うすら残っている記憶で、フージュ等がスクムに語りかけて森に戻っていったのは覚えているが、それならば彼等だけでも良いのではという気もする。


 そう考えていると、耳元から声が聞こえた。


『アサタがスクムとはなしをすりゃいいんだよ』


 驚いて飛び上がってしまった。

 それに振り落とされないように、見れば赤の精霊がしがみついていた。


「……頼むからもう少し心臓に優しい顕現の仕方をしてくれよ。 話をするったって、俺は神の世の言葉とやらは話せないぞ?」

 

 それを聞いたフージュは一瞬片眉をあげて怪訝な顔をしたが、すぐに合点のいったように、


「精霊か。 ちなみにな、俺達が力で追い払ってもスクム様は諦めずにまた姿を顕すぞ。 今度はより荒ぶって、な。」

 

 と脅すような顔つきで言った。


「でもそんな、あの化け物をどうこうするなんて俺にはできそうも……」


『あいつらはダンナにたすけてもらいたいだけなんだよ。 けど、ああなったらもうもどれない。 だから、ダンナとおれたちでいんどうをわたしてやるしかないんだなあ』


「助けてって、神様がぁ?」


 半信半疑だ。

 人智を超越する存在が、人間に救いを求めているということが理解できない。

 湯気の薄くなった椀には二人の精霊が群がり、大きく深呼吸をするように胸を膨らませていた。


「俺達も正直ハラエがどんなものなのかは知らん。 五百季以上前の口授でしか残っていないからな。 ま、詳しくは精霊に聞くといい」

 

 フージュはそう言うと大きな伸びをして、大きな手甲と頑丈そうなブーツ状の靴を身につけた。


「おら、朝飯食い終わったら傷の手当てをしてもらえ。 俺はマタンのところに行ってくるから、あとは頼んだぞ」

 

 軽く手を挙げ、いつの間にか目に沁みるほど明るくなった外へと出て行った。

 そう言われて、今さらながら着物が擦れてピリピリと痛む腕と足を思い出す。

 ムラツユもいつの間にか食べ終わっており既に片付けに入っていて、慌てて精霊を押しのけてぬるくなった食事をかきこんだ。

 

「ぶふっ」

 

 しかしその中身からはあの鳥ガラの風味も、香草の突き抜けるような香りも全く感じられず、ただただ無味無臭の液体や固形物。

 予想していたものと全く違ったものを口にしたので、それを食べ物と認識できずに思わず吹き出してしまった。

 驚いてこちらを見たムラツユはハっと思いついたように口に手を当て、


「すみません、精霊様の供物を忘れていました……」


 顔を赤くして俯いてしまった。

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