神を敬う儀式
……。
「遅いぞ」
そこには大勢の、と言っても七、八十人ほどの人だかりができている。
あたりには篝火がたかれ、ここまで歩いてきて暗闇に慣れた目に痛い。
「申し訳ありません」
その奥にはとてつもなく大きな大樹が有る。
横に広く、広く腕を広げた木。あれがハルニレだろうか。
ここに近づくにつれて二人の雰囲気が引き締まっていくのを、ひしひしと肌で感じた。
目の前の大樹、ライトではなく炎によって照らされた空間、そしてこれだけ人がいるというのに、木々のざわめく音や虫の声がはっきりと聞こえるほどの静けさ。
村人はただこちらをじいっと見ている。
その視線にあるのは、身の丈に合わない装束をまとった自分に対する嘲りや興味などでなく、これから起こる事をしっかりと見定めようとするもののよう。
「では、これより敬神の儀を執り行う」
さあ、と風が葉を薙いだ。
カンサスの横にはナズナが相変わらず無表情で立っており先ほども様々な装飾を身にまとっていたが、今はそれはほとんど金属製のそれに変わっている。
炎の光を反射して、鈍い光沢を放っていた。
「アサタ殿、こちらまで出てきなさい」
「ひぇ、はい」
一瞬にして場に飲まれた。
いきなり名前を呼ばれて声がひっくりかえるが、笑い声も、咳払い一つすら聞こえない。
よそ見なんてできるはずもなく、後ろをついてくる足音が聞こえないということはこの場で動くものは自分一人しかいないのだと自覚させられた。
カラ、カチと身につけた装飾が音を立てる。
「そう緊張しなくてもいい、 神が見ておられる。 今回は麻太殿にもわかる言葉で執り仕切らせていただくからな。 そうでなくては意味がない」
カンサスの前に立つと、小さい声で笑いかけてくれる。
「吾(あ)はこの場において、祭りを取り仕切るもの。 汝(いまし)はこれを受くるもの」
カンサスの声はしんとした空気を、力強く震わせた。
「汝の理は神の理であり、神の理はまた汝の理である。 神は汝を創り、汝は神を創りたもうた。 これより汝は神の紐を手繰る」
言葉の合間に挟まる静寂は、ことさら口上を彩っていた。
それに合わさるように揺らめく炎の明かりは緩くもあり、同時に場を神聖なものに保っている。
ナズナがシャリシャリと装飾を鳴らしながら自分に近づいてきたと思うと、いきなり手を握られた。
「少し、痛いですよ。 我慢してください」
心臓が高鳴るのもつかの間、彼女が手に握っていた針のようなもので指先を刺された。
あわや声を出しそうになったが、カンサスの目がそれを許してくれない。
その血を何かの葉で受け止め、それを満足そうにカンサスは受け取ると、こちらに声をかけてきた。
「アサタ殿よ」
「は、はい」
「身の上を述べよ。 自分の名前、年齢、家族と、どこに住んでるかを伝えればいい。 ……日本のもので良いぞ、大きな声でな」
そう言ってカンサスは一歩下がり、ハルニレの大樹の前に一人放り出された。
吹いていた風も止み、薪が弾ける音と、自分が動くたびにぶつかる装飾の音だけが辺りに響く。
喉はカラカラに乾いているが、こうなれば行けるところまで行こう。
この世界に自分を招いたという神とやらに、少し文句を言いたいという気持ちを隠さずに。
「伊和崎麻太(いわさきあさた)、二十歳! 母が一人、父はいません! 家は日本の、千葉県市山市佐竹四-二十!」
何だか言っていて、あまりにも場違いな感じがして笑いがこみ上げてきた。
いきなり個人情報を、しかもこんなに大勢の前で叫ばされるとは。
それを聞くとまたカンサスが前に踏み出してきて、逆に自分の体を下がっているように、と軽く押しもどす。
そしてしっかりとこちらの目を見つめられる。
「汝はこれより神の理を受け、タルカの神を畏れるものであることを認めるな?」
「……認めます」
正直なところよくわからないがここで認めませんと言える度胸はないし、それにこの場の空気はそれを許さない。
きん、とした耳の痛みを感じた。
薪の音も、虫の音も、装飾具の音も聞こえない。
ひどく静謐だというのに、何かのざわめく音が聞こえる。
初めて体験する現象であるのに、誰かに抱きすくめられているような感覚に不思議と心は落ち着いている。
全くの無音の中、カンサスはハルニレの木に血の染みた葉を押し付けると、頭(こうべ)を垂れて小さい声で呟いた。
だというのに自分の頭にはその言葉が流れ込んでくる、という表現が当てはまるくらいにハッキリと聞こえる。
「イ ドゥエ タルカ クムン。 ソ グォン フクシッム サパ。 オン ソ ニ イトゥム カシコミ カシコミ ロゥシヌ。 クムン ヌ イパフ シト フクシ プエィ」
神の世の言葉、その中でも「畏(かしこ)み畏み」というのフレーズだけかろうじて聞き取れた。
ということは、割と日本語に近いのかもしれない。
いや、ここで話されていることばが日本語というのならば、それの元になった言葉もまた日本語に近いものというのは道理に合う。
そしてその口上が終わると同時、非常に強い風が吹いた。
「うわっ」
たまらず目を瞑った。
ハルニレの木が大きく鳴き、そして辺りに音が戻ってくる。
「これにて敬神の儀を終わる。 アサタ殿、手間をかけさせた」
意外に早く終わってしまった儀式とやらに少し拍子抜けした。
自分がやったことといえば、ただ大声で個人情報をばら撒いただけだ。
虫の音が、夜行性の鳥の声が、薪の音が、そして未だ吹き止まない風が休んでいた鼓膜を叩く。
もう戻ってもいいだろうか。
――ほっ
場違いに明るい声が辺りに響いて、思わず辺りを見渡す。
しかし後ろに並んでいる人は未だ声を上げている気配はない。
それどころか顔は先ほどよりも真剣になっている。
フージュやムラツユもこちらをじっと見つめ、未だ動こうとはしない。
もう、敬神の儀とやらは終わったのではないのだろうか。
その声を空耳かと、二人のところまで戻ろうとしたところで、再度辺りに声が響く。
――あいたっ
慌てて振り向いた。
カンサスさえも真剣な面持ちでこちらをじっと見ている。
全員の視線が自分一人に集まっている居心地の悪さを感じる。
いや、違う。
聞き間違えなんかではなかった。
それはあの森で聞いたような、明るく無邪気な声で。
――アサタ!
「うわぁ!!」
いきなり目の前に何かが張り付いてきたので、たまらず尻もちをついて体をよじらせる。
「ひ、や、ちょ、とって! これとって! 誰か、フージュ、フージュぅ! 虫ィ!」
虫は苦手だ。
そうだ、こんだけ深い森ならでかい蜘蛛の一匹や二匹いても不思議ではない。
自慢ではないがカフェにゴキブリが出た時の対処は全部美苗の仕事である。
手足をバタバタさせて、それでも自分から触れることはできない。
顔を横に降ろうが、縦に降ろうが、ただぎゅっと力を込められるだけで離れる気配がなく、挙句に腕や足にも何かの重みを感じる。
手のひらほどの大きさの蜘蛛が体にたかっているのを想像して、大きく身震いした。
「さて、俺には何も見えんな」
そんな折に聞こえたフージュの声は、笑いをこらえているようにも聞こえる。
「一つ教えてやる。 おそらくそれは虫じゃない、だから自分でなんとかしろ」
「はぇ!?」
そう言われて、おっかなびっくりその顔に張り付いているものを触ってみた。
布のような感触。
何かの毛のようなサラサラとした感触。
指を動かしてみると、柔らかかったりコリコリしていたり、何か小動物を触っているような。
『うひゃひゃ、それだめぇ! あっひゃひゃひゃひゃ!』
挙句に耳元がやかましい。
体の硬直は解け、なるべく優しく掴んで引き剥がしてみた。
「……うわぁ!」
『えぇ!? むぎゅ』
人!
自分たちと似たような着物を着た、小さい、本当に小さい手のひらサイズの人型の何かが地面で顔を押さえてうずくまっていた。
頭にはしっかりとアプまで巻かれている。
「ちょ、これ何、違うこいつら何!?」
見れば腕と足にもそれぞれ一人ずつしがみついている。
一人……一匹?
それぞれ髪の長さが違うという、いや、それどころか、男と、女と。
「アサタ殿。 今視(み)えているのがタルカの精霊だよ」
後ろからカンサスが話しかけてくる。
先ほどの真剣な顔も、あのカフェで見たように柔和なものになっていた。
腰に刺さっている刀がひどくアンバランスに見えるほどに。
「おめでとう。 まあ、いずれ視えるようになったものを少し早めただけだがね。 声ぐらいは聞こえていたのではないか?」
「はぁ、声……?」
『いーたーいー! おい、アサタァ!』
『すさんだダンナだなぁ』
『がんばったー』
「ひぃっ」
体をよじ登ってくる得体の知れない生命体を思わず振り落としてしまった。
『んぎゃう』
『ぶべっ』
『むぐ』
見事に全員顔から着地した。
最初に引っぺがした、女の子、に見える小人が憤慨している。
『あんなクソザコスクムのヤローにくわれそうになってただろー!』
「スクム……てあの、ああ!!」
あの時の謎の声!
空耳ではなかったのか。
「でも結局窪みに落ちてズタボロになったぞ?」
『それはダンナのふちゅういじゃねーか。 そのあとだよ』
今度は男の子のような、何か小さい棒を振り回しているのが発言する。
『ヒトよんだー』
もうコイツは前髪が顔の半分を隠していて、パっと見男か女かわからない。
「タルカの精霊が俺たちに、アサタの居場所と状況を教えてくれたんだよ。 言葉じゃなくて風でな」
フージュが近づいてきた。
風を読んだ、とでも言うのだろうか。そんなの漫画や映画の世界でしか聞いたことがない。
それより。
「フージュ、お前、それ……」
フージュのすぐ脇に、犬がいた。
いや、犬ではない、黒い毛皮に見え隠れする牙と爪。
「クマァ!?」
「……これがクミルか。 イマルの精まで視えるんだな」
もはや腰が抜けた、目が覚めてから二度目である。
四つん這いで必死にここから逃げようとするも、背中ではタルクの精霊たちが『はいどー!』などと騒いでいる。
「ということは、私も……」
ムラツユが無様な自分に近づいてくると、その足元で子供が着物の裾を掴んで並んで歩いてきた。
こちらはまだ愛嬌があって可愛らしい。
「視えているみたいですね。あ、私はスルクの神……毒の神と儀を交わしています。こちらは毒(スルク)の精霊様です」
せめて気を休めようと頭を撫でようとして、思わず手を引っ込める。
暗くてわかりにくいが、何か靄のような、瘴気のようなものをふんだんに出しておられる。
あたりを見渡せば、村人たちを纏う空気は、先ほどと打って変わって爆発しそうなものになっている。
それも、みんなそれぞれに何かしらの精霊とやらを憑けている状態で。
「……なに、これ」
最後の頼りとばかりにカンサスにすがりつくと、彼にもしっかりと精霊が憑いていて、ムラツユと同じような子供が脇にじっと佇んでいた。
「さあ! 今ここにクミルとなるものが産声をあげた! 」
カンサスが声を張る。
その顔に儀式の最中の神妙な気配はなく、これから起きることを待ち望んでいた、とばかりに嬉々とした表情で。
「神と我らをつなぐものが生まれたのだ! 我ら総出をあげて祭らねば、シムイの民の名が泣くぞォ!」
そう大声で宣言すると、先ほどまでの静寂の鬱憤を晴らすように村人が爆発した。
どこに隠していたのか、辺りに料理や甕の準備がいつの間にかされていて、女衆が液体を注ぎ回っている。
よく見れば村までの道に松明の行列が見えていた。
「え、は、ちょお? あ、どうもすみません……」
自分にも一層豪華な真鍮製の器が渡され、そこに甕から液体を注がれる。
……この匂いは、酒だ。
「ねえ……何、これ」
ヤケになって、自分の体を遊び場にしている精霊に尋ねてみる。
そして肩に乗っていた女の子の精霊が、不思議な存在らしいありがたい言葉を述べてくれた。
『そんなことよりもまつりだまつれー! さけだー! おどれぇー! 』
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