ゴリラは照れ屋
……。
目覚めた家は、どうやらフージュとムラツユが共に生活している家だということだ。
扉をくぐれば土間と小上がり、奥に手洗いと風呂のあるなんとも機能美に溢れた豪華絢爛な家で、問題はしばらくそこでやっかいにならなければいけないと聞いた時。
個室すらない愛の巣に一人放り出されるのは、自分のような人生の春を経験したことない自分からしたら、真綿でゆるゆる首を絞められていくような感覚に陥るだろう。
……実を言えば、そう言った経験がないわけではないのだが。
「お前は何を勘違いしているんだ」
さっさと先に家に戻っていたフージュは、先ほどまできていたシンプルな着物をすでに着替え、あちこちがボロボロになった着物を着ている。
基本的に衣服には何かしらの紋様を入れるらしい。
裾の短い着物には青地に白で刺繍が入れられており、その上から袖のない着物を緩く合わせて体に巻いている。
さらに黄土色の毛皮で作ったベストのようなものを羽織るという、ただでさえ大きい体がさらに大きく見える様相である。
そして腰帯にはカンサスと同じように様々な道具が下がっていた。
全体的に、先ほどのナズナの格好に少し似ている。
使用具合からして、こちらの方を着ることが多いのだろう。
「俺たちは好き合い同士ではない。 家族だぞ」
「え、えぇ……」
こちらに至っては、女性に服を着替えさせてもらっているという有様だがもう恥ずかしいだの言ってられない。
そもそも帯の締め方や装飾品すらどこの部位のものかわからないのだ。
それにしても、フージュとムラツユが家族。
似ているのは髪の色だけな気もするが、それすらもフージュは黒の混じった濃い金であり、ムラツユは白気の強いプラチナブロンドだ。
カンサスとナズナといい、血の遺伝が薄い気がする。
「ふふ、血は繋がっていませんよ。 この村の風習と思ってください。ちなみに私が姉で、フージュは弟です」
「ええぇ!?」
そんな自分の考えを読んだように、ムラツユが笑い、ひどく驚いた。
この顔を持って、弟なんて柄ではない。
見事予想通り、といった反応をしてしまったのか、ムラツユは細帯を結べずに肩を震わせて下を向いてしまった。
すでに外は暗く、電灯代わりに油に浮かべられた芯に火を灯して光源としている。
薄暗くゆらゆらと屋内を照らす光は、江戸時代に戻ったよう。
「あの、こんなこと聞くのは野暮かもしれんけど、フージュ、歳は」
「二十」
「同い年かよ……」
黒い毛皮で覆われた大きな手甲のつけ心地を直していた手が止まり、その細くたくましい目がわずかに開かれる。
気づかなかったが、薄い青の綺麗な瞳だ。
「お前、もう二十だったのか。 まだ十四、五位かと」
「この国の奴らが成熟すぎるんだよ! うぐぅ」
ぐ、と細帯を絞められて息がつまる。
こちらも同じく、裾の短い着物に股引を穿かされ、手首や足首、そして首に細々と装飾品がつけられた。
動くたびにカラカラ、カチカチなっているのは、その装飾品のほとんどが動物の骨や木製、ガラス製であること。
ちょっとした鳴子のようで面白い。
金属の音とは違って温かみがある。
着物は濃い青のフージュとは対照に白地に藍で紋様が染められていて、あの四角い渦模様ではなく、襟や裾、袖口に円のような模様が入っている。
もしかすると何かしらの意味合いがあるのかもしれない。
腰帯を巻く位置の合わせなのか、腹の部分は無地。
膝より少し上という着物の下に履いた股引は、着せてくれる時に割と際どい位置に手が当たって、一人どぎまぎした。
……ムラツユは手馴れたものであったが。
「ちなみに私は二十三になりました」
気を遣ってくれたのか、一所懸命身支度を整えてくれるムラツユが会話を繋ぐ。
「まぁ、もうフージュとは十三年共に暮らしてますので、実の兄弟のようなものです。 はい、ではこちらを」
そう言って大きい外衣を、袖を通しやすいように持っていてくれる。
背中の部分と裾の両脇に、円形の模様が入っていてまるで家紋のようだ。
「十三年も、血の繋がっていない男女でと一つ屋根の下ねぇ。 俺の国じゃあ考えらんないな」
「お前の国がどうかは知らんが、俺たちはイパ ヌトゥルだ。 シムイの戦士は目先の欲に囚われて不貞なことはしない」
「イパヌトゥル? うぐぇっ」
巻帯を思い切り絞められた。
もう少し緩くしてくれないと息がし辛いのだ。
「だから、シムイの国の戦士だ。 村を守り、国を守る。 そしてヌサマタンはイパヌトゥル マタンでもある」
「んぅ? すまん、方言がちっともわからんのだけど」
中途半端に聞き取れる分たちが悪い。
地図を見た限り、言語頒布はやはり似たようなものなのだろうが、その国にはその国の歩んだ文化がある。
「やはり、別の世のお方ですとこちらの言葉には慣れませんよね。 ヌサの長は『ヌサマタン』、『イパ ヌトゥル』はイパ衆、そして『イパヌトゥル マタン』でイパ衆の長、という意味になります。 方言ではなく、神の世の言葉です。 なるべく気をつけるようにします」
申し訳なさそうに声が沈んでいくのに、不親切なフージュに対して心の中で憤る。
それにしても神の世の言葉か。
「もしかして、あの森で叫んでた意味わからない呪文みたいな言葉って」
巻帯に今度は色々な小物がついた、蔦でできた紐を巻きつけられた。
重ね着しすぎて若干ずんぐりむっくりになっているような気がする。
「はい、神の言葉です。 まだ人をお造りになられる前、神が話していた、と伝えられる言葉、です。スクム様は荒神でお言葉を賜ることは難しいですが、きちんと言葉を聞き届けてくれるのです」
「……なるほどねぇ」
この国が神様を大事に思っていることはよくわかった。
そして、あろうことかその神はまだ人に姿を見せていて、決しておとぎ話の中の存在ではない。
あまりにも常識が違いすぎる。
「はい、出来上がりました。 なかなかどうして、お似合いですよ」
朗らかに笑いながら、やりきった女の声色でパンと手を合わせて喜んでいる。
腰に付けられたものは身につける装飾品と違い、金属製のものが多いようで少し重量感を感じる。
「どうですか、フージュ」
「服に着られてる感があるな。 はっきり言って、ハレの日の子供だ」
「……そいつぁ悪うござんしたね」
自分でも似合っていないのはわかっている。
悪態をつくフージュにしても、アンバランスな手甲のせいで怪物みたいな見た目になっているのだけれど。
共通して言えることだが、着物の袖は普通のものと違って先がどんどん細くなっていくものだった。
これなら邪魔にならなくていい。 全体的に実用性と紋様による装飾で、正直ちょっと気に入った。
「おら、じゃあ俺らは外出るぞ」
「はいはい、急いで着替えますので、少々お待ちくださいね。 あ、アサタさんは草鞋をお使いください。 きっと大きさは合うはずです」
そう言って腕を首に回されて外まで引っ張られた。
手甲の毛が鼻をくすぐって痒い。
家族だとは言っていたが、こういう時にきちんと外に出るあたり住み分けは意外にされているのかもしれない。
「む、すまん。 ムラツユ、一回戻るぞ。 お前はここで待ってろ」
家の中から明かりが漏れているとはいえ、あたりは真っ暗だった。
街灯ひとつなく、車の音ひとつ聞こえない森の闇。
自分の生きていた国の匂いがしない、本当に別の国にいるんだなと言う孤独感が今になって全身を襲う。
なぜかあたりにあったはずの家からは明かりが漏れていなく、まるでこの家の住人しかいないのでは、とまで錯覚してしまう。
厚着で暖かいはずなのに、足が震えた。
……。
「すまねぇな」
そう時間もかけずにフージュは戻ってきた。
小さい頃、母が仕事に行ってしまった後に一人家に残された時の気分を思い出してしまった。
「……ああ、もう。 紐くらいちゃんと縛れよな」
強引に外に引きずり出したくせにこの言い様だ。
そもそも草鞋の縛り方なんてわかるはずもない。
そういうフージュの靴はブーツのようなものに縄を巻きつけただけの簡潔なものだ。
俺にかかればこんな奴、一瞬でギッタギタのボッコボコにしてやれるのに。
足を踏んで、アッパーを入れた後に鳩尾に肘鉄。頭が下がったところに膝蹴りで、なんて考えてみても全て自分がやられてる想像しかできない。
そもそもこんな低レベルな妄想した時点で負けた感じが否めない。
しかしフージュは屈み込むと、こちらが何も言わないのに草鞋の紐を結んでくれた。
……力が強すぎて血が止まりそうだ。
「いだっ、いだだっ、もっとゆるく!」
「莫迦(ばか)言ってんじゃねぇ、山道の途中で脱げたりすっと危ないからな、こういうのはしっかりと準備したほうがいい」
「はぁ? この暗さで山ん中入るって?」
「今日じゃないさ。 だが、すぐににそういうことになる。 おら、できたぞ」
太ももを叩かれて思わずビクッとしてしまった。
厚着なので痛くはないが、なんとも粗暴なやつだ。
痛まない程度にはねてみると、草鞋は足に吸い付いたかのようにぴったりとくっついている。
全くずれない。
「な? しっかり結んだ方が具合がいいだろう」
「……まあ、確かに」
いまいちフージュのことは苦手だった。
体は大きいし、同い年だし、言葉遣いも素行も荒いので隣に立たれるとそれだけで威圧される。
何しろ筋肉、ボディビルダーのような体など今まで生(なま)で見たことはない。
おまけにずっと仏頂面でもある。
「にしても、お前よくあんなことできたなあ!」
と思っていたのに、いきなり破顔して頭をワシワシと撫で回された。
「普通あのマタンぶん殴るなんてできねぇぞ。 俺でさえ睨まれたら足がすくんじまう」
「ちょ、おい! 同い年なんだろ! やーめーれー!」
「まあ殴られるつもりだったからかもしれんが、普通は切り捨てられてんだぞ? いやもう、莫迦もここまで極めると勇になるんだなぁ!」
この国の男はみんなこうなのか、やることなすこと全てが豪快だ。
ひとしきり頭をこねくり回されようやく解放された頃には、ただでさえくせ毛で言うことを聞かない髪がさらに無秩序になっている痒みを感じる。
せっかくムラツユが困惑しながらも櫛で撫でつけてくれたというのに。
「む、髪が乱れてしまったな。 ほらこれ、やるから巻いてごまかせ」
懐から細長い布を取り出すと、先ほどの勢いもどこかへ吹っ飛んだのか、恥ずかしそうにこちらに突きつけてくる。
真ん中のひときわ太い部分には、四角く渦を巻いた紋様が染め抜かれていた。
「アプ……額当てという意味だ。 お前の装束はクミルのものだが、アプぐらいは問題ないだろうと、ムラツユから聞いた……ええい、いいから受け取れ!」
鼻っ柱を殴られん勢いで突き出されたそれを、意味もわからず受け取る。
「俺は、力を示したものには礼節を弁える。 肩を外されようとしても、あのマタンに立ち向かおうとしたお前に対する賞賛と、詫びのつもりだ」
額に巻くと、太い布の部分が髪の毛を邪魔にならないように、いい感じに抑えてくれる。
茜色の額当ては使い古されているようで、キレイに肌に吸い付くも少し大きく、眉毛を隠すほどだった。
「 少し深めにつけるぐらいでいい。 その紋様は戦士の証。昔俺がイパヌ……イパ衆に入った時にマタンからもらったものだ。 大事にしろ」
「……そんな、そんなの俺にくれちまってもいいもんか?」
「どちらにせよこの後シトギもある。 その前にお前はただのヘタレではないと見せてくれた。 だから少し早い餞別とでもいうかな」
そっぽを向いて、頭まで掻いている。
これが可愛い女の子、ムラツユやナズナであったならさぞ心が高鳴っただろうに、目の前にいるのは筋骨隆々の益荒男。
このツンデレは、いやしかし。
「さんきゅ、ありがとう。 大事にするよ」
手を差し出す。
文化がいくら違おうと、まさか握手がマイナスに働くことはないだろう。
一瞬瞠目したフージュだったが、あの仏頂面も何処へやら、唇に薄い笑顔を浮かべる。
ゴツゴツとした手。
同い年だというのにどういう遺伝子構造をしているのか、小指が自分の親指ほどもある。
それを包み込むようにフージュは力強く、決して力加減を間違えることなく握ってくれた。
と同時に、家から漏れていた明かりが消えた。
「すみません、お待たせいたしました……あら」
慌てて二人して手を離す。
「ふふ、別に隠さなくてもいいのに。 では、行きましょうか。 ……アプをつけるとやはり、勇ましく見えますね」
同じように華美な装飾と衣装をまとったムラツユは、今結わえていた髪を下ろしていた。
意外と長い髪の毛は月と星の光を受けて輝いているようにも見える。
あんなに暗いと思っていた森の闇は、天からの光で照らされて以外にも明るく感じる。
いや、それだけではない。
空を見上げれば、自分たちの進む先の空は赤く煌々と燃え上がっていた。
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