納得はしてないけれど

 ……。


 何度か意識を失いかけつつも、なんとか生きていた。

 首は痛むし、腕はゴキゴキなっているし、背中はあわや大やけどだ。


「それで、三つ質問」


 とりあえず三点、気になったことがある。

 もうカンサスに敬語を使う必要はない。

 彼は少なくとも尊敬できる人物ではなく、ひどく自己都合で人を厄介ごとに巻き込む人物だということがわかった。


「一つ、俺は向こうに帰れるのか」


 体が二つだ、道がどうとか言われたが、自分は自分。

 日本で生まれ育ち、日本の生き方しか知らない。

 向こうでは倒れたままというし、早く帰って母さんを安心させてやりたかった。


「戻れる。 不完全とはいえ、すでに道は出来ている。 遍く神のお力添えが頂ければ少しは自由に行き来ができるようになるだろう」


 虐待を受けている間に顔を洗ってきたらしい。

 うっすら髭に鼻血の跡が残っているが、まるで痛みなど最初からないように振る舞う老傑はこちらの問いに何の疑問もなく答える。


 ある程度は行き来を考慮しなくてはいけないかもしれないだろう。

 あの化け物につけられた傷が向こうでも痛む以上、片方の体の影響は少なからずあるということだ。

 単純な生命活動に関しても自分の体で実験するしかないが、死んだらそこで両方おじゃんとなったら目も当てられない。


「二つ、あの体調の悪さは、これで解決か」


「解決ではない。 あれは道となる故の通過儀礼のようなものだ。 あの体を元に、神がこちらで作り出した体は器として出来上がっているが、向こうの体は元々のものを作り変えているようなものだからな。 今戻っても、ひどく辛い思いをするぞ」


 あのひどい吐き気と右腕の痛み。

 右腕はまとめて聞くとして、あの吐き気では目を覚ましたところでまた母に心配をかけるだけかもしれない。


 ということは、少しの間こっちに滞在しなくてはならないということだ。

 

「三つ目、あの化け物の件は解決するんだろうな。 傷も含めて」


「する。 傷についてはムラツユに任せるが良い。 腕のいい薬師でもある。 毒草専門だがな。 そして先ほど話した宙にぶら下がる道は……」


 茶で一口、口をすすいだ。


「タルカの神と正式に儀を行い、自然に消えるのを待てばいい。 元々擬似的なものだ。 完全な道を持てば、どことも繋がっていない、おまけに紛い物の道は淘汰される。 さしあたっての問題は匂いだな」


「匂い?」


 ここに来る前もそんなことを言われた事を思い出した。


「はっはっは、現の匂いではないよ。 スクム様がお触れになった腕、それが匂いそのものだ」


 あの軟膏の効き目が良いのか、右腕はほとんど痛まない。

 右足はそろそろ例の麻酔が切れてきたが、右腕ほどひどい怪我ではないので我慢できないほどでもないだろう。


「あ。 その軟膏もトリカブトですからね」

 

 ……なるほど。


「ともかくそれがある限り、お山へ入ればスクム様はお前を見つけ出し、隙あらば食おうとする。 というわけで、まずは儀を行おう」


 勢いをつけて立ち上がったカンサスは、そのまま幾つかの小物を取り出してさっさと家を出て行こうとする。


「ついでにシトギもやるから、フージュ、ムラツユ、ナズナ。 一緒に出なさい。 準備が済んだらハルニレの祭祀場で。 アサタ殿にも礼服を頼んだぞ」


 そう言って駆け足に出て切ってしまった。

 後に残される、先ほど自分に虐待を与えたものたちで、どこか肩身がせまい。


「……あー」


 ぽんとフージュに肩を叩かれ、思わず体が硬くなる。


「見せもんみたいになるんだがな。 まあ大丈夫だろ」


 しかし何も暴力も、暴言すらも吐かれることなく、そのまま皮靴を履いて出て行ってしまう。

 

 あれほどまでに冷酷に恐ろしかったムラツユも、やはり気遣いを一番にしてくれるのは変わらない。

 土間に腰掛けるのを支えてくれた挙句、靴を履くのすら手伝ってくれる。


「ええと……先ほどはすみません、心の底から本当に」


 絶望しきった顔でボソボソと謝られた。

 それがなんだか病的で怖いのだが、あれだけ止められておいて抵抗した自分にも悪いことはあったのだと、素直に謝り返すと、さらに萎縮して謝られる。


「いえいえっ、そんなことは、本当に。 つい頭に血が上ってしまうと周りが見えなくなって……」


「こちらこそ、大人気なかったよ。 年寄り殴るとかいかんよなあ」


「そんなことはっ……」


「……」


 らちがあかない。

 靴紐などもう五回くらい固結びされていて、足先がひんやり冷たくなってきた。


「……お互い様で、いいんじゃないでしょうか」


 相変わらず無表情に客の退出を見送る少女は、的確に助け舟を出してくれた。


「……そうですね。 では、お互い様ということで」


 ふわりと微笑む顔は、よく見ると先ほどのものと纏う雰囲気が全然違う。

 絶対的な信頼を与えてくれるような、そんな頼もしく暖かい顔だった。


「それから」


 自分の靴も手早く履き、肩に体を入れて立ち上がらせてくれる。

 相変わらず華奢なのに全くぶれない。


「これから行う敬神の儀はともかく、シトギは慣れていないと……ちょっと、アレと言うか……。どうかお覚悟を。 まあ、アレに慣れろというのは難しいのですけど……」


 どこか影を落としたような物言いに少し疑問を覚えるが、儀式といえば大体酒が相場だろう。

 まわし飲みなどは別に気にしないし、白魚の踊り食いだって経験済みだ。


「では、後で祭祀場でお会いしましょう。 アサタ様、どうか頑張ってください」


 座礼をしたまま動かなくなった。

 自分たちが出て行くまでこのまま動かない気だろう。


「おう、なんだかよくわかんないけど、よろしく頼むよ」


 すでに陽は傾き、空は真っ赤な茜色に変わっている。

 先ほどよりも若干慌しくなった集落の中を、ゆっくりゆっくり歩いた。

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