グッドモーニング・毒薬

 ……。


「あの、すごく沁みますので覚悟してくださいね」


 柔らかい口調で物騒なことを口走る女性が、赤紫色の軟膏を片手に心配そうに灰色の瞳でこちらを見つめている。

 日本人ではないのだろうか。 雪のように白い肌に、プラチナブロンドの髪色。


 いつの間にかあのボロボロだった服も着替えさせられていて、四角い渦のような柄が全体に入っている着物だ。

 少しごわごわとした感触が何とも馴染みなく、少し体がかゆい。


「ふうー……よろしく」


 軟膏が腕の傷に塗られた瞬間、しみ込むような痛みが指先を痙攣させる。

 

 母親が惨殺されたのは夢と納得できたわけではない。

 あれだけ強烈な記憶を植え付けられたのだ、実際に目で見て無事を確認したいと思うのは仕方ない。

 それにこのわけのわからない家屋。ここがあの森の夢の続きとも考えられるのだ。

 

 右腕右足に切り傷があるのもそれを如実に物語っている。

 特にあの化け物に掴まれた右腕は夢の中で見た夢の通り、黒くぐじゅぐじゅになっていた。


 それを治療してくれるというのならば、たとえ意味のないことと思いつつも好意を受け取っておきたい。


「っ……つぅー……」


「すみません、お迎えに上がった時にもう少しマシな薬が用意できていれば多少痛みを和らげられたのですが……」


 くるくると健気に包帯のようなボロ布を巻いてくれる女性と違い、囲炉裏端で踏ん反り返っているゴリラ男は先ほどからずっとイライラしているようだ。


 二人も自分が着せられた着物と同じようなものを着ている。

 自分のものよりも幾分かシンプルで、襟の合わせから一直線に二本の線画入っているだけだ。


「こいつが約束通りの方角にいなかったのが悪いんだろう。 タルカの神のお印がなければ、今頃スクム様の元へと召し抱えられていた。 用意していた荷物、もう取りにいけねェぞ」


「荷物は残念ですが、間に合って本当に良かったです」


 きゅ、と布の端を結んで、女性が微笑みかけてくれたが、久々に美苗以外の若い女性とのスキンシップに思わずどぎまぎしてしまう。

 どもりながら礼を言う自分に対して、明るく儚い笑顔で「どういたしまして」と返してくれた。

 

 ムラツユの長い袖からちらと覗く腕には、刺青のような模様が彫ってあった。

 波のように見えるものでそれが少し近寄りがたい雰囲気を感じさせる。

 この地域の風習なのかフージュも刺青を入れており、こちらは渦のような模様が両腕と顔面の左半分にまで及んでいる。

 こっちはまるでヤクザ者だ。


「で、ここは夢の中ってこと? やたらリアルなんだけども」


 夢とは記憶の整理である。

 しかし自分の今までの経験で、彼女のような幽かな女性も、ゴリラのような男性も、このあばら家のような木造の家も関わったことはないはずだ。


 映画の世界ではあるかもしれないからなんとも言えないのが正直なところ。

 だが夢であるのならばこの治療の痛みは解せない。


「夢であるわけがないだろう。 その件については我らのマタンが話す。 ムラツユ、もういいか?」


 ムラツユと呼ばれた女性はしばらく考えるような仕草をしている。


「ええと、すみません、一度立ち上がってもらっていいですか」


「え、うん。 ……いったたた」


 立ち上がりと同時に右足からピリっとした痛みを感じてよろけてしまった。

 そこに素早くムラツユが体を入れてくれ、台になってくれる。

 かなり体重をかけてしまったというのに、華奢だと思っていた体は意外としなやかで、しっかりと支えてくれた。


「ごめんなさいフージュ、後少しだけ」


 この情緒不安定なゴリラ体型の男性はフージュ、そういうらしい。

 フージュはともかく、ムラツユという名前が少し気になった。

 見た目は全く日本人ではないというのに、やたらと和風な名前だ。


「ただの切り傷だろうが」


「もう、あなたみたいに全員が全員頑丈なわけじゃないんですから。 少しちくりとしますよ」


 合わせられた裾をめくられて少し恥ずかしいが、ここはそういう場面ではないと自分に言い聞かせる。

 いや、こんなことを考えてる時点で状況を理解できていないのは明白なのだけど。


 宣言通り何かでぷつりと皮膚を刺される感触に一瞬眉間にしわを寄せたが、間もなく痛みも無くなった。

 麻酔か何かなのだろうか。


「ちょっと片足立ちしてみてください」


 言われた通りに右足だけで立ってみると、それでもまるで痛くない。

 調子になってけんけんをしてみても大丈夫だった。


「ちょ、麻痺してるだけですからあまり無理をしてはだめです」


 怒られてしまった。


「それにしても今の、麻酔? すごい効き目だね」


「麻酔……というより、毒ですけど。 トリカブトです」


「へぇ……毒。 毒!? しかもトリカブトって!?」


 さらりと毒を盛られてことに恐怖を覚える。

 確かトリカブトというのは猛毒ではなかっただろうか。

 この顔で人を殺すとは、そしてなんともあっさり殺されてしまうのか、自分は。


「荒ぶるものには和(の)る一面もある」


 フージュは囲炉裏の火をかき回しながら言った。


「つまり、毒草であるものは薬草でもあるんだよ」


「あ、そ……」


 そんなこと知ったことではない。

 現代文明でぬくぬくと育てられた、立派な温室育ちであることは自負している。

 野生そのもののような風貌の男性に言われても納得ができるわけがない。


「うし、準備できたな。 マタンがお待ちだ、行くぞ」

 

「いや、マタンって誰だって話よ。 いいから早く目を覚ましてくれぇ……」


「いい加減目をそらすな。 あまり時(とき)もない。 貴様は匂いを付けられている」


 匂いといったか。

 そんなに臭い匂いはしないけど、と身体中の匂いを嗅いでみるも、着物についている藍染の匂いしかしない。

 そこをぐいと引っ張られて、あまりの力強さに掴まれた左腕が抜けそうになる。


 自分がいくら頑張ったところで、どんな抵抗をしたところでこの手はきっと外せない、そう思わせる手は、着物越しに皮の厚さと無骨さを惜しみなく感じさせてくれた。


「いっだ、いっだい、取れる、腕取れる!」


「大丈夫ですよ、意外と腕は頑丈についているものです」


「そういうことじゃあないんですよお姉さん! いっだだだ」


 履き慣れていない靴だ。

 いや靴というよりも、小汚い紐がたくさん付いているブーツと言った方がいいかもしれない。

 そんな履き慣れていないものに無理やり足を押し込め、さらに上体が引っ張られているのだから当然……。


 ……。

 

「ぎゃん!」


 盛大に転んで、したたかに腹を打ち付けた。

 土を味わいながら日の降り注ぐ辺りを見渡して、もう何度目か分からない驚き。


 一体、ここは、いつの時代なのだろう。

 藁で覆われた、やたらと屋根の大きい小さい家がいくつも、平たい大地の上に乱立していて、四方は森に囲まれ、緑がまぶしい。

 確か今は12月に足を突っ込もうとしていたはずだ。だというのに陽気は春のように暖かく、そよぐ風さえ心地よい。


 そこで蠢く人々は皆同じように何かしらの模様が入った着物を着ていて、あの家の軒先にあるのは……動物の皮?


「おら、いつまでも寝てねえで、ちゃっちゃと起きろ」


 腰帯を掴まれたと思ったら、ふわと体が浮いた。

 そのまますとんと降ろされても、目の前の光景に興味を奪われて足を踏み出せない。


 夢にしても、あまりに詳細で、リアルすぎる。

 自分はこんな建物知らないし、知っていたとしても合掌造りの大きいものだけ。

 ただ、こんな光景はついぞ見たことがない。


「ヌサの村です」


 遅れて出てきたムラツユが朗らかに声をかけてくる。

 

「これでも、この国では重要な所なのですよ」


「おう、イタサマイは終わったか」


「つつがなく。 いきましょう」

 

「そのイタサ……ってのは」


「いいから、行くぞ!」


「ちょぉ、帯は、ひっぱんなって!」


 帯が腹に食い込んで苦しいのだ。


 先導するフージュとすぐ横について歩幅を合わせてくれるムラツユ。

 しかし自分の興味は流れる景色に奪われていて、何度も置いていかれそうになる。

 その度にムラツユが袖を引っ張ってくすくす笑っているが、自分の表情はきっととても惚けたものになっているのは想像に難くない。


 森を一部分切り抜いたような土地だった。

 ただ、周りに生えている木はあの樹海のような大きいものではなく、カエデやブナのような、まだ若そうなよく見かける木だ。

 

 家の前で皮をなめすもの、何かの道具を作っているもの、木を削っているもの、外で鍋で何かを煮込んでいるもの。それぞれが談笑しながら作業をしている。

 子供もいて、くるくると回ったり不思議な民謡を歌っていたり、木でできた棒を振り回していたり。

 とても賑やかだけれど、あの商店街のような雑踏とは違う、根本的に何かが違う賑やかさ。


「フージュ! こいつがクミル?」


 こちらの歩幅に合わせて、少し小走りになりながら子供がフージュに話しかけている。

 フージュが子供の腰帯を掴むとひょいと肩に乗せてしまった。

 子供が腰帯につけた木製の装飾品がカラカラ乾いた音を立てる。


「ああ、そうだ。 今からマタンに挨拶をしてもらうんだ」


「じゃあ今日は祭りだ!」


「おう! シュメイさんとこでクマの解体でも見てこい」


 子供といえど二十キロはあろうに、リュックでも上げ下ろしするように何気なく子供を下ろす。

 ポンと背中を押すと一度も振り返ることなく走り去ってしまった。


「ムラツユぅ、あんたこっちの炊き出し手伝っとくれよ。 鍋も食器も人手も足りねぇんだ」


「あ、はは。 すみません。 シトギもありますので……」


「そんなのフージュにやらせりゃあいいじゃないか。 ま、しょうがねぇか」


 恰幅のいい初老の女性に頭を下げていたムラツユは小走りでまた隣に並んで歩く。

 言葉が中途半端にわかるが、それでも所々聞き取れない。

 ここは少なくとも関東圏ではない気がする。


「なあ、さっきから言っている……あの、マタンって何」


 この人だかりの中で、フージュもムラツユも五歩と歩かずに声をかけられていた。

 自分もじろじろ見られて少し気分が悪いが、目を合わせるとにっこり笑ってくれるので、なぜかこちらが悪いことをしているかのような気さえした。


「ああー……すみません。 マタンは長(おさ)という意味です。 我らの長、このヌサの村長ですね」


「そんな人が俺にいったい何の用? ていうかここはそもそもなんなん、あの物騒な尖った棒は」


 次から次へと湧き出る疑問を滝のように浴びせても、ムラツユは優しく微笑んでくれる。


「あなたはクミル……ええと、覡(げき)、で伝わりますか。 ともかく神と我らをつなぐものとして、遍く神に捉えられたのです。 こちらの説明はマタンがなされると思います。 ちなみにあの棒は仕止め矢です」


 仕止め矢、ね。

 根本的に自分が今まで生活していた世界と違う。

 物語の中に迷い込んでしまったかのような感覚に頭が痛い。


 そうこうしてる間にも家の密集地を過ぎ、物静かになってきた。

 こうしたところで耳を澄ませれば、鳥や虫の鳴き声が聞こえる。

 しっかりと生き物が生きている、あの樹海とは違う俗を感じる森の中にこの村はあるのだとしっかり理解できる。


「これからマタンにお会いするが」


 村人には愛想よくする割に、未だに自分に向けてはぶっきらぼうに接してくるフージュ。

 いい加減こちらの機嫌も悪くなるというものだ。


「粗相をするなよ」


 見れば少し離れたところに、先ほどのものよりふた回りほど大きな家が建っていた。

 

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