ボーイ・ミーツ・オールダー
……。
倉庫で一服している間に帰宅時間になり、美苗に顔を合わせないうちにそそくさと店を出た。
今日はこそこそしてばかりだなと笑ってしまう。
同じ商店街にある携帯ショップで派手に壊れたスマフォを出して店員を呆れさせた後に、ここまで壊れているのならばと丸ごと新しい端末に変えてもらえた。
保証期間内での出来事だったので値段もポッキリ五千円。
数万とられる覚悟をしていたのでこれは僥倖だ。
シムカードも無事だったが、本体データのサルベージは無理だと言われた。家に帰ればMP3のデータはバックアップを取ってあるので問題はないのだが、帰り道も音楽がない、彩のないものになるのが残念だ。
日曜の夕飯時。
多くの人が行き交うこの雑音に吐き気がして、思わずかけ足で裏路地の近道へ入った。
昨日の一件が後に尾を引いているのだろうか。
凄惨な事故現場を前に人助けよりも興味の共有を優先した人たち。
彼らの醜態を見てから、今自分があの人ごみの中で大怪我をしたとしたら、なんて考えて薄ら寒くなるのだ。
だからあの雑踏を雑音を聞いているのは……。
いや、違う。
人ごみに酔うようになったのはもっと前からだ。
それが自分にイヤホンを必ずつけて外に出る習慣をつけさせたのだ。
この世界に溶け込めていないような孤独感を感じることが嫌だった。
同じように呼吸をして、同じように音を立てて、同じように歩いているはずなのに、どこか違うような。
何も違わないはずなのに、何もかもが異なっているような感覚。
頭でも狂ったのかと思われても仕方ない。
多分、本当に狂っているのだろう。社会不適合者というのは、何か突出した才能でもない限り淘汰されるべきものである。
それが怖いのだ、たまらなく。
「おや、またお会いしましたな」
「うわぁ!!」
いつの間にか目の前に人がいた。
よく見ればもう家はすぐ目の前、例の事故現場の前だった。
よほど早足で歩いていたのだろう。まだ店を出てから十分も経っていないはずだ。
こちらの驚嘆の声に驚いた壮年の男性は、己の失態を恥じるようにはにかんで、頭に乗せた中折れ帽を軽く持ち上げた。
「あ、ああ、カフェに来てた……」
あの時、トロい眼鏡の男性と一緒に話し込んでいた外人だった。
「どうも、私はカンサスと申します」
「はぁ」
相変わらずの流暢な日本語で、握手を求められた。
外人というのはなぜやたらにこう、ボディタッチを求めるのだろう。
文化の違いと言われればそれまでだが。
「麻太です」
「アサタ。 どうぞお見知り置きを。 にしても、これはなんですか?」
訝しげに塀の大穴を指差す。
「昨日事故があったんですよ。 車が突っ込んで大破です。 わかりますか、ぐちゃぐちゃ」
「はははっ、わかりますよ。 見た目はこうでも、こちらの言葉はよくわかります。 事故、ですか。 原因は」
けが人の有無よりも原因が気になるのはお国柄なのだろうか。
先ほどの自問のせいで少し卑屈になってしまっている。
そういえば急にハンドルを切った、以外の情報がない。警察の取り調べなどでもう少し詳しくわかっているのだろうが、当事者たる自分は家で爆睡していたのだから仕方ないだろう。
「さあ、知りませんよ。 急にハンドルをこっちに向けて切ったんです」
「アサタはその現場にいたのですか」
「正直、僕がこの壁のようになる寸前でした」
肩をすくめて笑った。
それに大仰に驚いたリアクションで返してくるあたり欧米圏の人なのかもしれない。
いや、外人の頒布に詳しいわけではないので断定はできないが。
しかし彼から醸し出されるこの威圧感はなんだろう。
柔和な顔で微笑んでいるというのに、気圧されるような圧迫感を感じる。
体の大きさからくるものなのか、纏っている雰囲気がそうなのだろうか。
「アサタ、私があなたに問うたことを覚えていますか」
やたら古風な言い回しをする人だな、と思った。
セミナーに行くくらいだし、よほどの日本文化好きなのだろうか。
「神を信じるかとかでしたっけ」
「そうです。 あなたは『信じはしないが、在るものだ』と言った。 それに深い感銘を受けました」
それはどこか狂信めいた人間の発言のようで、少し精神的に距離を置いてしまった。
巻き込まれてもたまらないの牽制としてこう言葉を投げる。
「宗教の勧誘ならお断りですよ」
「いえいえ、違います」
男性が笑うと、ゾワッと鳥肌がたった。
異文化の感情を間に受けると、いかに日本人というのは柔らかな人種であるのかということを痛感できる。
何をするにも豪快だ。
「あなたは日本人だ。 八百万の神を理解し、また同時に存在を認知している」
「え、あ、いや、別に認知しているわけでなく。 日本にはそんな考えが根付いていますよといった意味で……」
「ふふん、謙遜なさらずとも良い。思想というのは言葉(ことのは)にすればするほど染み着くものだ。 またお会いしましょう、アサタ。 まだしばらくはこちらにおりますので」
薄気味悪い。
「はい。お気をつけて」
そのまま踵を返す男性の背中に別れの言葉をぶつける。
思っていることをそのまま口に出さない。高校の頃に痛いほどよく学んだことだ。
こちらに顔を向けずに帽子を軽く浮かせるだけとい洒落た去り方をしていく男性を尻目に、自宅の門をくぐった。
湯船に湯が溜まるまでの間、母親が作り置きしてくれていた筑前煮で晩飯を済ませる。
時間が経って味がしみ込み、いい感じだ。
七味を少し振ってみたが、これもなかなか風味が良くなり具合が良い。 日本料理と七味の相性の良さは完全無欠である。
さっさと風呂も済ませ、ベッドライトの下で読みかけの本を読みきってしまっても時間はまだ九時を少し回ったところ。
健全な男子が寝るのにはあまりにも早い時間だが、正直昨日の疲れが取れていないのかうとうとしてしまう。
せっかくだ、たまには早く寝て、眠くない状態でカフェに出るのも悪くない。
自分の健康的な生活を噛み締めながら、布団にくるまった。
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